我が戦争特集、第4弾。……え、まだ続くの、と思っている人もいるでしょう。ええ、私もその一人(笑)。いいじゃない、日曜日だし。
古い度の写真を探していると、忘れているものも見つかる。ソロモンの次はチモールか、頭に描いていたら、ニカラグアの写真が出てきた。そう、ここも戦場だった。
ニカラグアは、中米の国である。中米では面積の大きな国だが、長くソモサ一族の独裁が3代続き、国は荒廃した。とくに首都マナグアで起きた1972年の大地震で世界中から集まった義捐金をソモサ大統領は着服した。一説には1兆円にもなる。
それがきっかけでサンディニスタ民族解放戦線が政権打倒の戦いを始め、1979年にソモサは亡命してニカラグア革命(歌う革命)を成就した。しかし、徐々にキューバ寄りになった政権に対して、アメリカが介入を始めてコントラを組織、第2次ニカラグア戦争と呼ばれる戦いが始まる……。(このコントラに協力したのが、オサマ・ビン・ラディンであることは、意外と知られていない。)
私が訪れたのは、この頃。一応、サンディニスタ政権を応援する、という名目だったが、私にとっては革命観光旅行(^o^)。まずは現地を見てみたい、というものだ。つまり、見てきたのはサンディニスタの革命とコントラとの戦いが重なっている。
ニカラグア第2の都市レオンの町並み。
建物の壁には、どこも銃痕が残る。
崩壊したり焼けただれた建物も多い。それが戦闘によるものなのか、地震の名残なのか(まったく復旧しなかった)、わからないのだが……。
そこでも、子供たちはたくさんいたなあ。
貧しくも、たくましく生きておった。物売り、物乞いも多い。
しかし、みんな商売しているので、とても共産主義国家とは言えない。アメリカの言い分は難癖であることがよくわかった。
一応、政府は「混合経済」をめざす、と言っていたが……。
サンディニスタの戦い。
もちろん私が撮影したものではなく,現地で売っていた絵葉書である(⌒ー⌒)。
ちなみにサンディニスタとは、独立の英雄サンディーノ将軍の子供たちという意味らしい。
そんな革命の国には、世界各国から支援者が集まっていた。だから、意外なほど外国人によく会う。ヨーロッパ人が多いが、日本人もいた。
これは日本人僧侶。たしかインドの日本寺から来たと言っていた。首都でアメリカに抗議して断食中。熱帯の国で、水だけで30日くらい続けていると記憶する。
ちなみに、その後のニカラグアは、経済が破綻し、国連監視の大統領選挙でサンディニスタのオルテガ大統領は落選した。そして中道右派政権が成立して、アメリカとの関係も改善したはず。その後、ドタバタが続くが、近年オルテガ氏が再び大統領に返り咲いたという。あのとき、会えていたらなあ。
街角の女の子。
頭にものを乗せて運ぶところを実演してくれる。
みんな陽気だ。さすがラテン系。
この娘は、町で出会ったグループで、みんなが「もっとも美人だから撮れ、撮れ」とうるさく囃すので撮影したものである。
他意はない。
実はアルバムには、ほかにも美人の写真がいっぱい。
私の(当時の)撮影の目的は革命の視察だったのだろうか……と、アルバムを見て首を傾げるほどであった。ラテンアメリカには美人が多いことは視察したようだが。
映画『カルラの歌』を見て、ニカラグアの歴史に興味を持ちました。
実際に現地を訪れたのですね。壁に残る銃弾の跡が何より、ニカラグアの歴史の凄まじさを語っているように思いました。今のニカラグアの様子を感じることができたような気がします。投稿に感謝です。
投稿: ETCマンツーマン英会話 | 2014/10/08 11:43