無料ブログはココログ

本の紹介

« 小笠原は戦場だった | トップページ | 中米ニカラグアの戦争 »

2014/08/16

戦場はソロモンとラバウルにあり

戦争特集、第3弾。まだ続くか(笑)。。

 
戦われた戦場を実地に見てきたのは、ソロモンとニューギニアだった。とくにガダルカナル島と、ニューブリテン島のラバウルである。
 
ガダルカナル島は、別名ガ島。餓島と呼ばれた。
 
勝ち戦に勢いに乗る初戦の日本軍は、米軍とオーストラリアの補給線を断つ目的で、ソロモン諸島へ進出する。そしてガダルカナル島に飛行場を建設するのだが、ここで連合国軍の猛反撃に行き当たるのである。完成した飛行場をあっさり奪われ、奪還を目指して兵の逐次投入を行うが、見事に大失敗。
派遣された軍の多くは、補給も受けられず、戦闘より病気と飢餓に襲われ、ほとんど全滅状態に陥る……。
 
そんな島に私は出かけたの(^^;)。
 
今はソロモンアイランズという独立国になっていて、ガダルカナルには首都ホニアラがある。当時(なんと30年も前だよ!)、到る所に瓦礫となった兵器が転がっていた。今はそれらを巡る戦跡ツアーもあるようだが。
 
Photo
これはレッドビーチに捨てられた野砲。五木支隊が上陸したところ……と言っても、ほとんどわからんか(^^;)。とにかく、この浜が血に染まったので、「赤い海岸」という名になったのである。
 
この海には、あまりに多くの艦船が沈没したので、鉄底海峡と呼ばれている。
 
写っているのはガイド役の女性だが、私と二人だけでは危険と感じたのか、息子連れだった(^^;)。
   
ちなみに彼女は、現地のソロモン人(メラネシア系)ではない。ミクロネシア系の、おそらくキリバス人だろう。

   
2
これは、たしか、ウォーミュージアム(ようするに戦争兵器の残骸を集めたところ)にあった飛行機の残骸。
  
日本のものとしたら、単座単発だから、零戦(零式艦上戦闘機)かもしれない。ラバウルからガダルカナルまで飛んでくる航続距離を持っているのはゼロしかないからだ。
 
もっとも、どこか違う……。造りが簡素というか粗末。アメリカの偵察機とか? 


   
 
3
これは、貧弱な小型戦車か……と思ったが、自走砲かもしれない。走らせる平坦な地形は限られていただろう。
 
日本軍が、戦車もしくは自走砲をガダルカナルに上陸させたケースがあるのかどうかわからない。
 
乗っている砲は、あとで乗っけたように見える。正確な復元はしていないだろう。


 
一方、日本軍の拠点はラバウルだ。当初は大規模な基地だったが、連日の猛爆撃で疲弊していく。だから戦跡の宝庫。兵器の残骸は、ごろごろしていた。 

1
野砲の残骸。   

このように子供たちの遊び場になっている。
 
とくに展示しているわけではなかったはずだ。




2_2
一般家庭の庭に転がっていた機関銃。
 
ほかにもヘルメットや水筒、飯盒などを家の玄関や庭に飾っている家はたくさんあった。
 



ラバウル周辺には、日本軍が築いた多くの地下壕がある。
 
私が訪ねた地下壕は、何百メートルもあったが、非常に大きく、中に上陸用舟艇が格納されたままだった記憶がある。
暗くて写真が撮れなかったのが残念。
 
ラバウルから各地を流浪したが、あちこちで日本軍の伝説を聞いた。よくぞ、こんなところまで! と驚くような場所まで駐屯地があったようだ。
  
……ニューギニア戦線は、いかに過酷な戦場だったか、多少とも現地のジャングルを歩くと、その恐ろしさを肌身に伝わってくる。
ジャングルの中の敗走で飢えた兵士が人の肉を食べたことは、よく知られている。現地人を襲って肉を取る事態も頻発したそうで、「日本人は人食い人種」と恐れられていたとか……。
 
さて。さ~らばラバウルよ、また来る日まで~♪ 
と、再びガダルカナルにもどる。そして、日本軍が飛行場奪取を狙って立てこもったオースチン山に行くと、そこは平和公園になっていた。ここで日本軍は壊滅的な被害を被るのだが……。この山の麓には、地下壕にアメリカ軍の野戦病院もあった。
 
Photo_3
 



そこで見かけた、白人とソロモン人の子供が仲良く遊んでいた姿が印象的だった。
 

« 小笠原は戦場だった | トップページ | 中米ニカラグアの戦争 »

森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

田中さんの政治的スタンスは別として、先の「小笠原人肉事件」等、ソースがはっきりしないものはUPされない方がいいですよ。

ジャーナリストとしての田中さんの評価に繋がります。

名無しの権兵衛さん。ソースがハッキリしない? どこ調べてるのかね。
 
当事者は戦犯にもなり、膨大な調書には日本人の証言も山ほどあり、誰もが認めざるを得ない事実です。信じないのはネトウヨだけかな。
 
ちなみに、正確には「父島(人肉)事件」のようでした。

戦犯?

東京裁判は戦勝国のリンチ裁判ですし、『中帰連』を例に出すまでもなく、証言なんて当てになりません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B8%B0%E9%82%84%E8%80%85%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A

ほれ、ネトウヨが出た(笑)。

 パラオに住んでいたときに、海に向かっている旧日本軍のトーチかやら大砲やら見に行きました。刻印から推察するに昭和になってからも明治時代に作られた戦艦から降ろした大砲を使っていたようで、射程距離が短く、攻撃してくる航空機にも対応できなかったので実際使われたことがないようですが。

 防衛庁資料館に調べに行ったことがあります。調べ方が悪いのか、資料がないのか、兵器を特定できないことがありました。アメリカに比べ日本は戦争についての資料が残っていないことが珍しくないようです。

 私もラバウルを訪れたことがあります。昔の方々が頼りない無線機と今ほど正確でない地図、コンパス、今ほど正確でない速度計をつけた小さな飛行機でよくあんなに遠くまで進出していたと感心してしまいます。今のジェット旅客機で訪れるだけでも、大変でしたから。

パラオも、戦跡が多いでしょう。内南洋ですから(^^;)。私も、ナウルで少し見た記憶がある。
でも陸上より海の方が多いかもしれませんね。沈船がダイビングの人気スポットになっていると聞きますから。

しかし、本当に小さな珊瑚礁の島々に、よくも基地を築いて立てこもったものです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36391/60159360

この記事へのトラックバック一覧です: 戦場はソロモンとラバウルにあり:

« 小笠原は戦場だった | トップページ | 中米ニカラグアの戦争 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

森と林業と田舎