我が戦争特集・第2弾。
若い頃から戦争遺跡には親しんできた私だが、本格的なものを見たのは大学生の時に訪れた小笠原諸島だった。探検部の遠征であり、目的は洞窟探し&調査やオガサワラコウモリ探しなどを掲げたが、戦跡調査も重要テーマだった。
小笠原諸島といえば、今でこそリゾートぽいが、かつては日本の南洋諸島に連なる飛び石の一角。サイパン陥落後は最前線であり、硫黄島の後背地としての基地があったのだ。
そして戦争末期に日本軍が展開した地下壕戦は、パラオ南方のペリリュー島に始まり、硫黄島で史上まれに見る激戦を繰り広げた。(折しも今夜は、テレビでペリリュー島と硫黄島を舞台にした戦いのドラマ・映画が放映されている。)
だが、小笠原諸島の父島など各島にも地下壕は築かれたのだ。その総延長は35キロにもなる……と聞いたが、真偽は定かではない。その一端を調査しようというものだった。
正直、明るい日差しの下にくらい戦争の影はさほど目立たない。……が、行けばびっくりするほど身近に戦跡があった。集落周辺にもトーチカ跡や軍施設跡は珍しくない。海水浴では、トーチカで着替えたりして。雨が降っても、トーチカ跡で雨やどり。
しかも海辺の沖には、半分沈没した船が崩れそうになりつつ海面に船橋を突き出している。圧倒されるばかりの戦争遺跡なのだ。
父島・最高峰の夜明山山頂部に残る建物。
その頑丈な造りは、司令部を思わせる。
これは今でも残っていて、観光スポットになっていると聞く。
海岸に放置された、多分、高射砲。
これは兄島だったと思う。
しかし、父島にも、アチコチに残されていた。
そして圧巻は、山々に点在する地下壕だ。巨大なコンクリートの建物があるかと思えば,道沿いに口を開ける地下壕に恐る恐る分け入ると、迷路のように通路が次々と連なり、崩れかけた部屋の中には腐った木材が散乱。足元は水がたまり、黴臭い臭い……貧弱なヘッドランプに映し出される空間は、お化け屋敷巡りより遥かに怖い。
当時の写真を探したのだが、ほとんど地下壕は撮影していなかった。当時、写真は今ほど簡単に撮れず、しかもストロボなど装備も揃えていなかったからだ。
わずかにあったのは、こんな写真。
これは母島の陣地だったと思う。でも、ちょっと綺麗すぎる。ほとんどの地下壕は、もっとボロボロで陰惨な雰囲気を漂わせていた。
母島では、島民しか知らない地下壕も案内してもらった。分厚いコンクリートに包まれた造りに驚くが、同時にこれで米軍を迎え撃てば玉砕間違いなしだと感じた。逃げ場がない。
それにしても、まったく道もない山をかき分けて登ると、(アダンノキ、タコノキなどが生い茂るジャングルは、超難関の登りだった。足が地につかず、ブッシュの中を泳ぐように進むのだ)そんな奥にも塹壕があり、さらに地下壕が掘られている。当時の兵隊は、地下要塞を築くためにどれほどの苦労をさせられたことか。
今は、その大半を埋めてしまったはずだ。私が行った際は放置状態だったが、危険だと入り口をどんどん閉鎖していた。私が訪れたのは、ギリギリの時期だった。ただ一部を利用して、戦跡観光ツアーが行われているというが……。
結果的に硫黄島を占領した米軍は、父島にも母島にも来なかった。飛行場を作るのは難しい地形のせいだろう。だが、数千人の駐留部隊が居座っていたらしい。連日の空襲と「硫黄島の次」を感じる中で、極めて陰惨な事件も引き起こしている。父島で、墜落した米軍爆撃機の乗員を捕虜にしていたが、彼らを虐殺して人肉を喰らったのだ。連日、遺体を解体して肝臓を切り取り、宴会を開いたという……世に言う「小笠原人肉事件」である。
飢えではなく、敵をいたぶり狂気に支配されて行った人肉食として、世界的にも稀な事件だ。虐殺して食べたのは連隊長以下、高級将校ばかり。彼らは戦後戦犯になっている。
……そんな戦争の遺物と記憶をたどる旅だった。
鍾乳洞の探検などは楽しかったが、そんな密かな調査もしていたのだよ。。。。
ところで、まったく趣の違う戦跡を紹介しておこう。 卒業後訪れた無人島の兄島では、当時、空港建設、反対賛成で争っていた。そこで地元の人に案内をお願いして、上陸し空港建設予定地を見て歩いた。
ところが兄島の風景は、父島や母島など他の島とまったく違う。乾燥しており岩だらけ。植生が貧弱で沙漠か草原なのだ。しかも台地になっている。まるで南米アンデス高地を連想するような世界だった。
そこにもあった、戦跡が。しかしそれは、まるでインカの遺跡を思わせる岩の地下陣地なのである。岩に刻まれた階段を登っていくと、岩山の下に掘られた壕があった。その中は乾燥していて地下壕というより地下宮殿の趣。
兄島のピークの岩山に登ると、山頂直下に地下壕があり、そこに潜って行くと、奥はこんな覗き穴があった。
美しい海が見える。ここで敵軍を見張っていたのか。
そして仰天したのは、ピラミッドがあったことだ! それも3つ。これはインカ人がつくったのか、それとも宇宙人の基地か? と思わせる光景だった。
ああ、ここはもう一度行きてえ。
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