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森と林業の本

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2014/10/25

森には「記憶」が埋まっている

この森の写真を見ていただきたい。
027 変哲もない雑木林に何か石組が。
 
よくある風景である。かつてのシシ垣とか棚田の石垣の一部とか。。。ところが、この石がただ者ではなかったところが、奈良らしい。
 
この石組を発掘して、調査して、過去の状態を復元すると、どうなったか。
 
040 な、なんだ?
 
そう、ピラミッドなのである。それも階段式の。
 045 
全体像は、こんな感じ。高さは10メートルあまりある。
 
森を掘り返すと、こんなものが出てくるのである(^^;)。
 
階段ピラミッドは、エジプトなら古王朝時代、あるいは新大陸のマヤやアステカのピラミッドなどが有名。しかし、日本にもあったのだ。
 
実は、ほんのつい最近、奈良は奈良でも明日香村で見つかった曽我稲目の墓とされる都塚古墳が四角い階段状の方墳だったことがわかり、ちょっとした騒ぎになった。その時に「日本に例のない階段ピラミッド」と言われた。が、なんのことはない、奈良に先例となる大きな階段ピラミッドがあるのだ。
 
正式には「頭塔」と呼ばれる。土塔が訛ったらしいが、その正体は僧の墓説もあるものの、どうやら仏舎利塔だとされる。
しかし、築かれたのが奈良時代の767年だというし、結構古いのだ。場所は、東大寺の南、約1キロの住宅街の中。周りがどんどん開発される時に、この一角だけは開発を免れたのは、昔から何らかの言い伝えがあって、破壊できなかったのだろうね。それが今や国の史跡だ。
 
ちょっとわかりづらい人向きに、パンフレットからの複写を。
4
 
これは2000年に復元されたものなので、必ずしも原型がこの形とは限らないが、ユニークな仏塔であり、ピラミッドだ。
こんなものが、森の中に眠っていたなんて。。。
  
 
ところで、生駒の町には、各所に森が残る。山ではなく、宅地の中に森が結構モザイク状に残れさているのだ。私は、そんな小さな森もよく訪れている。そこに何があるか。なぜ、森が残されたかを、考え感じ取るために。
 
……すると、残された森の中には、たいてい神社や祠があった。それらの存在ゆえ、残されたように思える。
 
先日は、周りが巨大マンションに囲まれた一角の森に目をつけた。広さは、奥行きがせいぜい50メートル、幅は20メートルくらいか。物凄いブッシュで荒れ放題の森だった。正直、きたない。
そこに無理やり分け入った。道も何もない。周りは私有地だから、誰かに見られたら不審者扱いだろう(^^;)。
それでも、狭い森の中をさまようと、こんなものを見つけた。
 
2
粗末な祠だ。それも近年設置し直したのだろう。セメントのブロックの上に乗せられている。が、この存在が森を残したのではなかろうか。加えて、枯れた池の跡もあった。かつて森の中に溜池をつくり、そこから水を引いて農地を潤したのだろう。
 
……この森の半径50メートル以内に住んでいる巨大マンションの住民で、森の中に祠と池の跡があることを知っている人は何人いるだろうか。
 
森には、森の記憶がある。その土地の植生など自然の変遷に加えて、周囲に住んで関わってきた人々の歴史の記憶が。
もしかしたら、もしかしたら最初に薪にするために伐採したのかもしれない。その跡地に木を植えたのかもしれない。そこを間伐して、ていねいに育てた時代があったかもしれない。そして放棄して忘れられた時の流れの記憶も……。
 
でも、探せば何らかの痕跡は残っているものなのだ。その石はなぜそこにあるのか。今の地形は人が成形した可能性だってある。さまざまな記憶は土地に刻まれる。ときには、大きな歴史の息吹につながるものかもしれない。
 
森を見て、石を見つけて、地形を読む。そこから何かを感じ取るのも、今を生きる人の務めのような気がする。
 

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