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森と林業の本

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2014/10/02

寺院の修理からわかる木材事情

奈良県橿原市に、今井町という戦国・安土桃山時代に成立し、商工業の中心地として繁栄した土地がある。戦国期は堺と並ぶ自治都市であり、江戸時代になっても、大和の富は今井に集まる、と言われるほど発展した。そして江戸時代初期の町並みを残しているのだ。

 
1
 
もともと環濠集落であり、寺内町として発展した。その当時の建築物の多くが今も残っているのだ。
 
江戸時代の町並みを謳う地域は全国にもいくつかあるが、現在も住民が住み続けながら保存している。
 
伝統的建造物保存地域の指定も受けている。
  

  
  
    
その町の中心的な位置づけである寺院・称念寺の解体修理が現在行われている。現在の本堂は江戸時代初期に建築されたとされるが、大規模な修理は江戸末期に行われて以来というから、ほぼ180年ぶりである。
 
その現場を見学する機会を得た。
 
全国的にも江戸時代初期の寺院建築をそのまま今に残すのは数少なく、非常に興味深いのだが……なんたって奈良です(~_~;)。
法隆寺や興福寺など古代から中世の建築が数多く残るものだから、江戸時代の建築なんて新しすぎて( ̄^ ̄)ケッ……という気持ちが奈良人には強いようだ。あんまり注目されていない。
 
しかし、現場を見ると、面白い点がいくつもある。
 
071 現在、屋根を解体中。大きな入母屋づくりの屋根はなくなった。
 
ここで屋根を支えていた梁に注目したい。
 
1_3
わかるだろうか。真ん中に太い材が(左右に)通っていて、その上に細目の丸太が渡してある。
 
ここは江戸末期に修理が施されたところらしい。
 
材は、どちらもマツ材のよう。   
  
普通に考えると、太い主要な梁が江戸初期の建築時のもの……となるのだが、実は違った。
反対なのだ。太い梁は末期に入れられたものなのだ。細い丸太こそ、創建当初の梁だった。それを修理の際に入れ換えている。梁を新たな太い材に換えつつ、旧梁材も再利用したのである。
 
それは、材の色合い痛み具合、刻み(ホゾ穴、本実など)でわかるのだ。
 
2

アップしてみると、一目瞭然。
 
細い材は穴だらけだ。かつて屋根を支えるための貫がいっぱい通してあった名残である。
 
それに対して太い材は、まだ新しさを感じる。
 
 
なお古い材は、各所で折れている。重みに耐えかねたためであり、雨漏りなどで腐りが広がっているせいらしい。
 
 
ここから読み取れるのは、江戸時代初期は、あまり太い材が手に入りにくかったのではないかということだ。むしろ末期の方が立派なマツ材があったらしい。
 
これを森林事情に重ねると、江戸時代初期は、日本列島でもっとも森林が荒れていた時代。戦国時代から城郭や寺院、城下町建設などのために、大径木材を含めて大量の木材を消費した。おかげで、全国的に木材不足に陥っていたとされる。
それを現しているように感じる梁なのだ。
 
木材が契機になって、育成林業が生まれた。吉野で植林が始まり、森づくりが進んだ。だから江戸時代初期より末期の方が、木材事情は多少とも改善している。
 
……この解体修理から、そんな状況を想像できるのである。
  
  
ほかにも樹種から、当時はどんな森林があったのかとか、加工技術の違いのわかるところもあったりして、なかなか楽しい。
 

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