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2014年11月

2014/11/30

変化シイタケ

変化(へんげ、もしくは、へんか)朝顔というのが、ある。

江戸時代に朝顔の育種が流行り、その中で、とても朝顔とはおもえないような不思議な花を咲かせる園芸種を生み出したものである。今も、細々ながら変化朝顔を楽しむ人はいる。朝顔という種の中に、これほど花を変化させる遺伝子が隠されていたことに驚くが……。
 
これって、変化椎茸とでも呼ぶのだろうか? と考えてしまった。
 
いや、自宅で採れたシイタケの中に、妙な形が混ざっていたのである。
 
1 これが傘の上から見たものだが……。
 
結構大きく、また肉厚。ただし、見た通り凸凹しており、きれいな円形に傘を広げる通常のシイタケとは少し違う。が、それだけなら珍しくない。
 
なんか、下方の傘の縁、切れ目が入っているように見えないか。水を吸って割れた?
 
いや、それがひっくり返して見ると、実にミョーな不思議な現象、はっきり言えば気持ち悪い状態だったのである。
 
7 これって……。
 
傘に切れ目? と思ったところは、実は別の傘?になっていた。ちゃんとヒダまである……。
いや、見ようによっては、小さなシイタケが列をなして傘を広げているようである。
両側に4列ずつ? つまり8つの小さなシイタケが、大きなシイタケの傘にくっついている……(これも寄生しているように見えるから気持ち悪い。)
 
 
これは遺伝子異常なのか、単に環境が生み出した奇形なのか、そもそも珍しいものなのか、実は自然界ではよく見られるものなのか。
 
私は、初めて見た。シイタケは自宅で栽培しているだけに、結構な数を目にしているつもりだったが、これまでに記憶にない。 
 
これ、食べちゃっていいかなあ。気持ち悪いけど。と言っても保存は難しいな。干し椎茸にしたら、小さなヒダは消えてしまいそうだし。
 
 
一般にキノコというのは、菌類の子実体である。とくに傘のヒダは胞子を生み出し広げる器官なわけだが、この小さなヒダでも胞子を着けるのだろうか……。
 
キノコ分野は不得意なので誰か教えてほしい。
 

2014/11/29

竹中大工道具館に注目……したところ

実は、昨日は神戸に新装開館した竹中大工道具館にも足を運んでいる。

 
もちろんゼネコン竹中工務店のつくった資料館だ。以前の館にも行ったことはあるのだが、その時の印象としては、ずらりと古今の大工道具が並んでいる……だけだった。
 
が、今回はガラリと違った。
そこで、私が注目したところを紹介v(^0^)。
 
009

まず館そのものが和風建築。これが入口である。一般の人は、これが展示館とは気づかないだろう。おかげで、この建物のすぐ側で道行く犬の散歩の人に訪ねたら知らずに、「多分、あちらの方」と真反対を指さされた(-_-)。おかげで私は……。
 
愚痴はおいておく。
実は、この建物は平屋だが、地下2階建てで結構広い。熱心に見れば2時間はかかるという。私は駆け足にならざるを得なかったが。なぜって、たどり着くまでに時間を食ってしまったからだ。あの、犬の散歩人のために……しつこいヾ(- -;)。
 
ようやく見た内容は、ここで語らずとも、HPでも見ていただきたい。
古い大具道具だけでなく、様々な職人の技法を紹介している。また建築(と木の加工)の歴史を知ることもできる。 一部はヨーロッパの大工も紹介している。
 
たとえば
027 こんな障子とか。
 
033 こんなドイツの仕口とか。
正直、日本のものより複雑・精密。
 
 
が、イチバン興味を惹かれたのは、壁である。
 
019 地下2階から地上までそそり立つ塗り壁。
 
これはすごい。多分、裏の構造は鉄骨かコンクリートだろうけど、土壁をこれほど高く塗れるなんて。
 
 
木じゃなくて、ごめんね(^0^)。

2014/11/28

オモシロ木の使い方コレクション

本日は、神戸で木材研修会。

 
039 これは、始まる前に最後部から。
今日は、禁断の壇上撮りはしてません(^^;)。
 
木材利用に特化した話をしたわけだが、最後にちょっと目新しい木材を使った街の姿を写真で紹介した。いずれも私の琴線に触れたものである。
 
15_5 こんなビルとか。
 
3 こんな空港とか。
 
2 こんなシャッター通り商店街とか。
  
5 こんな木の壁とか。
 
1 こんな飲み屋の外装とか。
 
008 こんなビルのリフォームとか。
 
まあ、数だけ多く紹介する趣向だ。ほとんど何気なく撮っているものをストックしておいて、こういう際に使う。本当は、もっと大量に用意していたのだが、それを全部披露すると、膨大な枚数になるので、かなり絞った。私の不思議木の使い方椅子コレクションなんぞ、結構面白いと思うんだけど、今回はパス。。。。。
 
で、神戸からの帰途。
元町からガード下商店街を歩いて三宮に向かっていると……。
 
4 おやおや、古材を一面に利用したファッション系のお店ではないか。触ってみたが、かなりエイジングした古材だ。店内もこんな様子。身近なところにオモシロい木の使い方をしている店舗や建物はある。ちょっと気をつけて見れば、どんどん見つかるのではないか。
  
 
こうした写真の展覧会をしたら、面白いのではないかなあ。その前に、街角オモシロ木の使い方コンテストも開催して、みんなに写真投稿を呼びかけると、結構盛り上がると思うよ。
そして刺激を受けて、また変わったデザインを考え出す店舗デザイナーやインテリア商品を開発してもらう。それをまたコンステストする……。これぞ経費もかからない木育である。

2014/11/27

Yahoo!ニュース「手漉き和紙が世界無形文化遺産に…」の裏側

Yahoo!ニュースに「手漉き和紙が世界無形文化遺産に登録! その原料は?」を執筆しました。

 
別に、この記事に裏側なんぞ、,ありません。ま、いつものタイトルだからv(^0^)。
 
実は、このネタは以前も少し書いたような。。。しかし、世界遺産登録の今がタイムリーでしょう。それに11月中にもう一本書きたかったのですよ。
 
せっかくだから、もう1枚写真をアップしておこう。ただし、この写真は世界遺産の和紙産地ではありませんので。
 
076

2014/11/26

禁断の壇上撮り

久々にやってしまいました。

 
禁断の壇上撮り……。
 
003


 
本日は、名古屋でシンポジウム。つい、パネル席よりパチリ。

2014/11/25

世界農業遺産と赤身肉

熊本は海だけではありません。

 
実は阿蘇のカルデラも眺めてきた。
 
2 外輪山の一角より
 
知らなかったのだが、阿蘇のカルデラ地帯の草原も、「世界農業遺産」の認定を受けているのだそうだ。
草原の放牧と野焼きと草刈り(採草)を組み合わせた循環型農業というわけである。そこには酪農畜産だけでなく、農業や林業も含まれている。
 
詳しくは、こちら
 
この認定には、行政ではなく市井の人が動き、牽引したという。
その一人、畜産家の井信行(い・のぶゆき)氏に会った。なんでも、この人の肉牛は、熊本はおろか九州中で有名なのだそう。市場では一等高い価格がつく。信行牛という呼び名が着いているぐらいなのである。
 
ところが、彼の牛はアカ牛なのである。しかも売り物の肉も赤身なのである。それは草と地元の粗飼料で育てる。外国産穀類を使ったいわゆる濃厚飼料は与えないのだ。あくまで地元の資源で牛を育て、循環させることをめざしている。
 
美味い牛肉、高い牛肉と言えば、黒毛和牛の霜降り。そんな常識に棹さし、今や美味い赤身肉が求められるようになってきた。霜降り肉なんて、一口はは美味しいが、たくさん食うもんじゃない。欧米では赤身肉で本物の肉の味を楽しむのだ。日本にも,少しずつ、そんな機運が登場してきたようだ。
 
それに輸入飼料を使わない、本物の里山資本主義だろう。
 
近年は、阿蘇でも放牧が減っているそうだが、放牧こそもっとも低コストな畜産だと思うのだが……。世界遺産を守るために野焼きしたり草刈りするのではなく、牛などを育てるために放牧をする、それが自然を守ることになる……というのが理想だ。
 
林業も、高く売れる良材をつくるため、とか考えながら施業をするのではなく(考えたって木が育つ数十年後は、何が高いかわからんじゃないか)、コストをかけず手間も少なくて済む方法で森を育てると、よい材が採れる。森の生態系も豊か、そして景観も素晴らしい……そのうち世界林業遺産に認定される、というのを理想としているんだけどね。
 
もっとも、世界林業遺産なんてないんだけどね(~_~;)。
 
 

2014/11/24

日本最大の竹籠

ちょっと熊本に行ってきた。

 
で、見てきたのは、日本最大と言われる竹籠。
 
Dscf6529 高さ2,5m×4m×3m……くらい。
 
Dscf6539 制作過程。たった一人でつくっている。
 
これはカツオ漁の餌となる鰯の生き餌を入れておく生け簀だそうだ。ここに鰯を入れて、そのまま海に沈めたまま曳航するのだとか。
 
ま、こういうのを見たら涎を垂らす民俗マニアがいるだろうが……。
 
これが素晴らしいのは、決して博物館・資料館の展示用復元……なんぞではなく、現役として使うために製作されていること。たった一人の職人が、6籠つくるのだそうだ。今のところ2つ完成、3つ目製作中。
 
詳しいことは、またいつか、機会があったら(多分ないだろうけど)……記すこともあるだろう、かもしれない(~_~;)。

2014/11/23

木の根元で共生

三重の山で見かけた樹木の根元。

 
9
 
木の根元の根張りの合間に落葉が溜まって、さらにコケが樹皮に生育している。それらが土壌の役割を果たしたのか、何種類もの草木が育っていた。
 
こーゆーのを自然界の共生というのかもしれない。いやあ、「共生」の概念は難しくて、その定義も様々なんだけど(たとえば「寄生」と呼ばれる一方的な関係だって「共生」の一部のようだし、最近の研究では、生物の過半が何かに寄生しているというし……)、まあ、このように棲み分けしつつお互いが役に立っているような関係がほのぼの(~_~;)。
 
私も、たまにはこんなほのぼの写真を掲載するのだよ。
 
1
こちらは、先の樹木からほど近いところにあった木。
 
なかなか大きな樹洞が空いている。なんでも、ここにミツバチが大きな巣をつくっていたそう。
その蜂の巣は撤去された……というか、人間様がいただいたようである。
 
これは、あきらかに「寄生」だな(-_-)。
 

2014/11/22

Yahoo!ニュース「割り箸は高級な木工品……」を書いた裏側

久しぶりにYahoo!ニュースに執筆した。

 
 
これは、もちろん磐城高箸が「新しい東北」復興ビジネスコンテストで大賞を取った情報に触発されたのだが、最近、私の周りで割り箸の話題がそれなりに持ち上がるのよ。
 
考えてみれば、これまで国産割り箸の復活を「量」で考えがちだった。わずか2~3%に落ちたシェアを取り戻すためには、国産割り箸の生産量を増やさなくてはならない、牛丼やラーメンなどのファストフード業界に割り箸を再び……と。
 
だが、量にこだわって失敗するのは、すでに林業界全体で見てきたことである。
牛丼用に国産割り箸を1膳1円以下でつくる方法を模索するのは、いわばバイオマス発電を普及させて何がなんでも国産材の捌け口を求めたり、木材自給率を上げることを願うようなものではないか。自給率の数字を見て上がったことを喜んでも、現場の人々は誰も笑っていないのではないか。。。。(笑っているのは、デスクのパソコンで数字を眺めている○○な人々だけだ……。)
 
 
林業栄えて、山村滅ぶ」とかつて言っていた。が、今や数字上がって林業も山村も滅びかねない
 
国産割り箸の復活を願うなら、まず質だろう。加工精度やデザインにこだわり、つくる思いを伝えて「割り箸っていいなあ」と消費者に感じてもらう。それが木はいいなあ、国産はいいなあ、までつながって初めて割り箸の良さに気づく。プラスチック箸の無粋さに気づく。そして木のある森を、木を生産する林業を、そして山村の社会に眼を向けられる。その時、初めて生産業者まで笑えるのだ。
 
そう気づいたとき、磐城高箸の高級路線は、最先端を進んでいるのではないか、と思い至ったのである。
 
 
……来月に、Yahoo!ニュース個人の執筆者のカンファレンスが開かれる。私はミーハーに有名人と会えるかなあ、ぐらいに感じていたが、小さくても光るもの、時代の先端にあるものに見つけていく記事を執筆する思いを持って参加しよう。

2014/11/21

「新書マップ」に書評

「新書マップ」というサイトがある。

 
その中の「新刊月並み書評」欄に、『森と日本人の1500年』が取り上げられた。
 
 
短文なので、全部引用してしまおう。問題ないかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
100年後に愛される森を育てたい

森と日本人の1500年』(田中淳夫著、平凡社新書)では、今ある緑の景観に人がどう関わって来たかを振り返る。昔から変わらない「原風景」と思い込みがちな日本の森林風景だが、そのほとんどは明治以降に大きく変化したものであるという。里山の価値が見直されるいま、環境や生物にやさしく、100年後にも「美しい」と感じてもらえる森を育てることはできるのか、模索していく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
発行から役1ヶ月。 そろそろ反響が出てくる頃かなあ。もっとも、テーマが地味なので、じわじわと行けばよいかな、と思っている。
 
しかしながら……本日かかりつけの医者に行った。


拙著の売り込み(^^;)」 ここに書いたところである。
 
そうしたら、診察より前に「本を買いに行ったのになかったぞ」。
 
えええ? 書店子に訪ねてパソコンで検索したのに見つからなかったというのだ。そりゃ困る。改めてしっかりとタイトルと平凡社新書と著者名をメモ書きする。
ひとしきり話題は本と木造建築の話に。診察はどこに行った?
 
ともあれ、書店の店頭から消えるか、あっても平積みから棚列に変わるころ。新刊が次々と出るからね。(上記の「新書マップ」によると、毎月100冊くらい新書が出るそうだ。)
厳しい時代だなあ。

2014/11/20

来週の講演

来週から再来週にかけては、なぜか講演ラッシュ。

 
23日から29日まで断続的に続く。その間にあえて取材や会議を入れたので、さらにスケジュールはタイトに……。全部、長距離移動を伴うので、結構きつい。
 
とはいえ、最近は心を入れ換えて? 自ら宣伝もする気になった。
業界関係などのクローズなのを除いて、一般参加OKだと思うものを紹介する。
 
23日 熊本県水俣市久木野の愛林館にて。
 
 
なんじゃ、こりゃ? というタイトルである(笑)。
内容も、バイオマスやCLTなどある意味、林業最先端(これが先端なのは情けないが……)の話題に触れる。
 
 
26日 名古屋市ウインク愛知1001号室
 
『ゴルフ場生態系の価値と保全を』
 
これまた、よくわからんタイトルである(笑)。新たに「ゴルフ場生態系」という言葉を広めようと思っている(~_~;)かどうか。
あれ、これは一般人もOKだったったけ? ある意味、業界関連であった。しかし申し込めば参加可能だ。結構学術的で里山論になるんじゅないかな。。。林業は全然触れない……と思う。
 
 
29日 愛知県新城市にて『美しい森づくりが地域の可能性を広げる』
 
Img002
これは、一般参加OKのはずである。でも参加申込みが必要らしい……。
フォーラムの目的は、生物多様性の必要性の啓発。昨年、愛知県で「あいち生物多様性戦略2020」が策定されたことを受けている。
 ゛
もちろん私も生物多様性と森づくりについて語るので、林業ぽくない。
 

2014/11/19

生きる切り株

生ける屍……という言葉はあるが。

 
本日も、三重の山中を歩いてきました。
で、見かけたのがヒノキの切り株。
 
通常、切り株とは樹木を伐採した跡だから樹木の死をイメージする。これが萌芽が伸びるような広葉樹とかウラスギだったらともかく、ヒノキでそんな例はない。
 
と、思っていた。
 
051_2
  
だが、生きるヒノキの切り株というのがあったのだねえ。上記の写真では、一件伐られて枯れたように見えて、樹皮の切り口がわずかに盛り上がっている。これは生きているからだそうだ。
 
053
 
これもわかりやすい。内部の材(心材、辺材とも)腐り始めているが、樹皮部分(形成層)は分厚く盛り上がり始めている。
 
055
 
最後は、材は腐ってなくなりつつあるが、樹皮だけ生きている。一部成長しているようだ。このままいけばヒノキの器ができるかも。
 
なぜ、伐られて枝葉がないのに育つのだろう。どうやら菌根菌の影響だそうだ。菌根菌は、生きている植物の根につく菌類の一種だが、これは菌と植物との間で栄養素を交換し合う……つまり共生している。この場合、ヒノキは葉で合成したデンプン等の栄養素を菌に提供することはできなくなったはずだが、律儀に菌は、ヒノキの根に栄養を送り込んでいるらしい。
 
そのおかげでヒノキの切り株も生き延びていると考えられるという。
 
生態系は、なかなかしぶとい。弱肉強食に見せかけて、実は共生して弱った生き物を支える仕組みも備えている。もちろん菌根菌にとっても、ヒノキが枯れたら自分たちの生存が脅かされるからだろう。
 
 

2014/11/18

手網

手網
手網
三重の山中で、定食屋に入った。

そこの壁に飾ってあったのが、写真のもの。川釣りの際に使う手網のようだが、よく見ると手作りだ。

しかも柄の部分に鹿の角を使い、網の枠は繋ぎ目が見えないほどの精巧なつくりである。

田舎には、こんな工芸品も埋もれているのだなあ。

2014/11/17

春日大社に檜皮奉納

1日飛んだが、先日の春日大社の映画試写会。

 
その際に、式年造替用の檜皮を奉納した。
 
2  こんな感じ。1
 
1束1000円。これを納めると特別参拝(ようするに春日山の遥拝所まで入れてくれる)もできるというので釣られたのである。
 
檜皮葺きはそんなに珍しくないが、春日大社ほどになると、その量はバカにならない。何年もかけて葺き替えなくてはならないそうだ。こうして檜皮を束で積まれると生々しい(~_~;)。
この檜皮は、どこから調達したのだろうなあ。
 
ちなみに、こうしたものをもらえる。
Photo
 
 
 
ところで、春日大社の本殿も修復中なので、外観は足場の覆いに覆われていてちゃんと見えない。
むしろ観る価値があるのは、これだった。
 
5 本社大杉と呼ばれている。
樹齢は700年以上前の絵巻物に描かれていることから800年~1000年近いと推測されている。
  
が、私が気に入ったのは、実は大杉ではない。
 
その根元から左に伸びている幹に注目してほしい。これはスギではなく、イブキなのである。これまた太くて樹齢も高いだろうが、それが本殿横の建物に突き刺さって?いる。(この建物は待合のようなもの。)
 
実は、イブキが伸びる前に建てられたそうだ。しかし、どんどん伸びてくるイブキに困ったのだろう。本殿前だけに梢を切り落とすこともできず……。
結局、建物の屋根に穴を開けてイブキ様を伸ばして差し上げたのだそうだ。
 

2014/11/16

日中友好!

先日、スーツを新調する際に、店員に拙著『森と日本人の1500年』を紹介した話を書き込んだ。その時は、まだ出版していなくて、見本が届いたばかりだった。

今日は、そのスーツを受け取りに行った。
 
最初に応対したのは店長で、無事スーツを試着する。うん。よかよか。
 
その時、先に私を応対した中国人店員の梅花(メイファ)さんが現れた。
 
あっ、と笑う。ちゃんと覚えていてくれたようだ。
 
そして「少しお願いがあるのですが、いいですか」。
 
おうおう。なんでも言ってくれ。
 
なんと、『森と日本人の1500年』を取り出したのだ! 本当に購入したのか!
出版のことを話したし、書名も書き残してきたものの、正直本当に手に取ってくれるとは思っていなかった。その場の話の流れであり、お愛想である。
 
「これに、サインしてくれますか」
 
うおお。するする。いくらでもする。
 
ところが、その後の話が面白かった。
実は吉野の木材店の人に知り合いがいる。もともとお客さんだったけど、いろいろよくしていただいて、明日吉野の山を案内してもらうことになっている。そこで、この本をお渡ししたい、というのである。来日中の香港の友人も一緒だとか。きっと吉野山のお寺や林業の山を見せてもらえるだろう。
 
その人の名と会社名も聞いた。吉野材で家や家具をつくっているらしい(あるいはつくる会社に納品しているのかな)。
 
吉野には、数日前に行ったよ~と盛り上がったのである。
いろいろ日本の森のことも知ってね。
 
しっかりサインしました。ついでに名刺も渡した(^o^)。
ちゃんと店の外まで見送ってくれた。
 
いやあ、いい子だ、梅花ちゃん。……なれなれしいヾ(- -;)。 
思わず、日中友好を叫びたくなる。 草の根の日本人と中国人は、うまくやっているのだよ。
 

2014/11/15

映画「うみやまあひだ」

春日大社で開かれた映画界に招待される。

 
うみやまあひだ」 ~伊勢神宮の森から響くメッセージ~
 
この映画の監督は、写真家・宮沢正明氏。
神宮を10年間撮り続けて写真集も出しているが、今度はドキュメンタリー映画に挑戦。
 
というわけで、それを春日大社で上映するというのは面白いではないか。なにしろ来年は春日大社の第60次式年造替(しきねんぞうたい)なのである。
伊勢神宮は昨年が式年遷宮だったが、春日大社もほぼ同じことをやっていたことは、意外と知られていない。いや、私だって最近知った。ほとんど知られていないのではないか。しかし、
伊勢神宮に続く古さである。
 
 
映画については、こちらを参照のこと。
 
予告編もあるから、雰囲気がわかるだろう。
 
完成披露試写会は、4月になんとアメリカの日本大使館公邸とワシントンDCの国立公文書館で行ったという。さらに、6月に衆議院内、7月に林野庁内、環境省内でも勉強会として行っている。
画面には英語の字幕も入っているし、かなり外国への日本文化発信を意識しているのだろう。
一般公開予定は、2015年の早春。全国の劇場で行われる。
 
さて、実際に見てみた感想。
 
伊勢神宮の森について描かれていると想像していたが、実際に見てみると、伊勢神宮は意外と登場しない。全体の1割くらいではないか。むしろ多くの人のインタビューに合わせて全国の森が描かれる。一部は熱帯雨林の話も出る。
インタビューされるのは、木曽池田木材の池田聡寿氏や牡蠣猟師の畠山重篤氏、宮大工の小川三夫氏、建築家の隅研吾氏……そして宮脇昭氏や北野武氏も登場する。
 
それぞれが、それぞれの立場で森と日本人の関係、そしてその歴史や文化を語る。
それらにすべて共感したわけではなく、なかには異論も含むが、それも含めてこれは壮大な森と日本人論になっているのだ、と気づく。
 
そして、ああ、これは私の『森と日本人の1500年』と同じテーマだと気づいた。
 
私とは切り口も抱いた世界観も違う(人もいる)が、全体として同じ思いにたどり着いたのではないか、と思わせた。様々な切り口と思い入れで森を語ることに意味がある。あまり理屈や理論ではなく、感性で観ることをお勧めする。
 
 
そういや、拙著にも伊勢神宮の森と春日大社の森(奈良公園)を紹介している。両者とも日本の森を語るのに欠かせない存在なのだ。
ぜひ、映画に興味を持たれた方は、観る前に『森と日本人の1500年』を読まれることをお勧めする。きっと2倍面白くなること請け合い(^o^)。

2014/11/14

季節の変わり目を感じるシイタケと紅葉

自宅の庭で、巨大シイタケが採れた。

 
1 右下が通常のシイタケ。
 
頑張って食べているが、次々とできるので食い切れない部分は、干しシイタケにしている。
 
シイタケは季節の変わり目に出る。気温差が子実体(キノコ)の成長には必要なのだ。だから冬に向かう秋、春に近い冬、そして夏をめざす春によく出る。でも秋の近い夏には出ないようだ。気温が一定程度下がらないといけないのだろうか。四季がないと育たないのかもしれない。
 
今朝は冷え込んだ。寒さに弱い鉢植えを室内に移し、寒さに備える。。
 
  
あんまり色気のない写真だけではナンだから、こんな季節を感じる写真も。
 
1_2
 
紅葉の始まりは、気温差の感じやすい枝の先から。
光の差し込むところが透明感のある紅葉と黄葉を見せる。
 
これは吉野に向かう桜井市の山中。

2014/11/13

修羅づくり

かつて山で伐りだした原木を下界に下ろすのに使われた仕組みに「修羅」と「木馬」がある。

 
「修羅」は、古代史的には木の橇のことを指すこともあるのだが、それは木馬に近い。林業上の修羅とは、丸太の滑り台のようなものである。半筒上の滑り台をつくって、その上に丸太を乗せると滑って下に落ちるわけだ。
 
そうして山麓まで落とした丸太を木の橇に積んで、それを木馬道と呼ぶ木の線路の上を人力で引っ張って土場まで運ぶのが木馬。
過酷な労働のように感じるが、当時は画期的な運搬法で、人の肩などに乗せて運ぶのに比べて輸送力を十数倍に上げることのできた新兵器だった。木馬・木馬道は今も多少残っている。使われなくても木馬だけ保管されていたり、博物館に展示されていたり。
 
しかし、修羅は保存されることはない。
なぜなら、伐採現場で伐採した木を使ってつくられた修羅は、ほかの木を全部下に下ろした後、修羅自体も解体しつつ、その丸太を下に下ろしていくからだ。一つの現場で伐った木を全部下ろした時点で修羅の役割は終わり、姿を消す。
 
だから、現在は本物の修羅を見ることはほぼ無理だろう。原木の運搬がトラックなどに取って代わられた結果、もはやつくられることもなくなった。たまに塩化ビニールのパイプを使って修羅をつくったという話もあるのだが、それはかつての姿ではなかろう。
 

  
……長々と前書きを書いたが、実は吉野の川上村で修羅をつくると聞いた。
 
それは「第34回全国豊かな海づくり大会」の行事の一つ。海のない奈良県で「海づくり大会」を開くので、海の原点、川の源流部にある川上村で、天皇陛下による放流行事を行うわけだが、場所はダム湖。
 
その(鮎を)放流するための台に、林業の村を伝えるためにかつての林業に欠かせなかった修羅を使おう、ということになったわけだ。
 
そこで製作風景から見学しようと出かけたわけだ。かつて、修羅を10連ぐらい並べて標高差100メートルほどを次々と丸太を落としたそうである。その経験者である辻谷達雄氏の指揮によって製作は行われている。
 
 
残念ながら構想どおりの実物大修羅の再現とはいかなかったようだ。材料は磨き丸太で長さはぐっと縮められ6メートルほど。その他細部も皇室仕様(~_~;)に変えられていた。○○○のお達しのためである……。
 
 
032 ダム湖の中に入っての作業もある。
 
049 山の上から撮影。3基つくられる。
 
 
さて、本番は今週末の16日。地元ではNHKと奈良テレビが生中継するそうだけど……。
 
行事が終わったら、すぐ解体しろ、というお達しが出ているそうだが、それではあまりにもったいない。ぜひ「幻の修羅」の見本として保存展示してほしい。3つつなげば、そこそこ見映えがよくなるのではないか。
 
 

2014/11/12

樹木に残す記憶?記録?

生駒には、周りが住宅地に囲まれた小さな森がたくさんある。

 
開発が進んだものの、その森には何か伐採を免れた理由があるのだろう。
 
で、某お寺の背後の森で発見した樹木。
 
Photo 昭和51年2月と刻まれている。
 
1976年……ということは、38年前!
現在の太さだって10センチ未満なのだが。
 
文字を刻むにはそこそこの太さがないと無理だが、すると、この木の年齢は、40数年、いや50年以上はあるのか?
 
あるいは傷つけられて成長が止まった? その前に枯れなかった? ……と、いろいろ考えてしまう。
 
そんな想像がわき上がる樹木の記憶でした。

2014/11/11

世界3大石積みの地位は…。

生駒山にお客様。

 
かの熊襲の地・熊本は水俣の「自称・世界3大石積み」の一つ、久木野の棚田地帯を守る愛林館の館長・沢畑亨氏である。(ちなみにほかの石積みとは、エジプトのピラミッドと、ペルーのマチュピチュだそうで……。)
 
もちろん、生駒には同じ棚田を見に来たのである。
 
となれば、私の使命は、生駒の度肝を抜く石垣の棚田を見せつけることだろう。
 
そこで、竜田川から暗峠まで続き、さらに大阪側に尾根越えしている棚田地帯を披露し、高さ5メートル以上の垂直に立つ石垣やら、棚田の間に組まれた緻密な水利施設を、どうだ!とかりに突きつける。
 
ふっふふ。これで世界3大石積みの称号は返上しなくてはなるまい。もちろん生駒山が取って代わるからである( ̄^ ̄)。
 
ついでに、石垣の上には、真っ昼間からタヌキが登場した。
 
11_007 決して、化かしているのではない。石垣は本物である。
 
 
……が、生駒の弱点は、ビューポイントがほとんどないことかなあ。空でも飛ばないことには、山の中腹まで広がる棚田地帯を一望できないのだ。
42 この写真は数年前、ヘリで飛んだときのもの。
 
そのうえ、近くで見ても荒れている(ーー;)。耕作放棄地ばかりである。
ちなみに久木野では「耕作断念地」と呼ぶそうだが、生駒は断念というほど無念さを感じる前に放棄したことがありあり。みんな勤め人だからなあ。耕作しないところは宅地造成したり、ソーラーパネル並べたり。
 
……いかん。愚痴を言うと、3大石積みの権利を失うところであった。
 
気を取り直して、タナカ山林にも案内した。ナラ類が黄葉している。なかなか美しいぞ。
 
 
11_002
 
11_004
沢畑館長の手の上には……?
 
 
 
今後は、世界3大里山再生実験地の座を争おう。
 

2014/11/10

木炭発電と木炭電池

木炭発電というのをご存じだろうか。

 
木炭を熱することで木炭水生ガス(ほとんど一酸化炭素)を発生させ、それを燃焼させてタービンを回して発電する仕組みだ。トラックの荷台に納まるようなプラントである。
理論自体は、過去の木炭自動車と同じだが、動力とするのではなく発電という点が新しい。
 
これを陸前高田市矢作町の生出地区で実現しようとしている。富士古河E&C㈱と東京農業大学、気仙産業研究機構の共同研究だという。
きっかけは東日本大震災で停電し永く孤立した山間集落で、昔からの木炭生産を復活させることで森林整備を進めつつ、独立したエネルギーを得るとともに電力も起こそうという発想らしい。

  
 
 
最初に知って、「面白い!」と思った。
 
バイオマス発電が大はやりの昨今だが、さすがに木炭から電気とは考えなかった。
 
この発電プラントは小型だから、非常時の電源にするほか、電線のない山林内で電気チェンソーを使ったり、揚水ポンプを動かすなど電気機器を使えるようにできるという。
 
 
もっとも、わざわざ電気チェンソーを山の中で使うの? とか、非常時用だったら灯油か軽油を貯蔵しとけば……? とか疑問がいっぱい。 だいたい薪なら山からすぐに調達できるが、木炭焼くのは簡単ではないし……。
 
冷静に考えればヘンなところや疑問があふれるのだが、なんか面白いなあ。
 
私は木炭自動車を取材したことがあるが、実は木炭ではなく薪でもよいのだ。いや、薪の方が水分を含んでいるので、水蒸気から一酸化炭素を発生しやすいとも聞いた。煙をもくもく出しながら、発電してほしい。
 
だったら薪ストーブ発電も可能かもしれない。ただし、その場合はスターリングエンジンを使ってほしい。燃え盛る炎から直接エネルギーを得る外燃エンジンだ。これをボイラーの焚き口にツッコムと電気が起こせる。(スターリングエンジンそのものは、まだ未完の技術なんだけど。)
 
04 スターリングエンジン。
 
 
あるいは長崎総合科学大学で視察した木粉からメタノールを製造して、発電する装置バイオマス3号も参考にならないか。プラントを備えておけば、非常時に蓄電池でメタノールを生産し、それで発電する。
 
315 バイオマス3号。
 
 
イヤ、待てよ。木炭電池というのもあったはず。
 
それで検索してみたら、なんとユーチューブにでんじろうの実験 があった。
 
木炭電池のしくみを説明しているサイトも発見。
 
ようするに備長炭のような木炭と、アルミ箔と、塩水があれば電気が起こせるのだ。アルミ箔が溶ける際にマイナス電子を発生させるらしい。
 
ならば、木炭と塩を貯蔵しておけば、非常時の電源づくりができるのではないか。なんたって簡単。火を起こす必要もない。
もちろん木炭電池の出力は小さいし長持ちしないだろうが、ラジオを聞いたり携帯電話の充電ぐらいならできる。あるいは木炭棒を何千本とつないだ装置をつくっておけば結構な電力になるかもしれない。
 
……ともあれ、木材や木炭と発電を結びつけるのは、イマドキの大型バイオマス発電所だけではない。遊び心を持ってマイクロ発電所づくりにも眼を向けてほしい。
 

2014/11/09

イノシシの秘密基地

自宅の、玄関前に妙なものを発見。

 
Photo こんなのが、ポツポツと連続して落ちている。
 
……動物の糞だろう。どう見ても。
 
まさかシカではない。もちろんカモシカでもない。イタチとかテンとかタヌキのような雑食・肉食系でもない。
ウサギだろうな。
 
しかし、自宅である。門の内側である。そして、我が家は決して山の中の一軒家ではなく、都会にある。はっきり言って新興住宅地の一角である。周りに家々が建ち並んでいる。住宅に途切れ目があり、裏山へと続くのは、どう見ても50メートルばかり離れている。
 
それなのに出没しておるのか。野生動物が平気に人間の生活圏に進出して来るとは。
 

  
この糞を確認後、散歩に出た。駅までの近道のつもりで、ちょっと山道に入る。そこを下ると、かなり距離的には短縮になる。ただし、急な崖を下りて、森の中を抜けて渓流を渡り……(どこが都会やねん、とツッコムことなかれ)谷間に下りると、隠れ家的なカフェもある。
 
ところが、その道に赤いビニールテープがそこかしこに巻いてあった。どうも、ハイカーなどが目印にしたようだが、それが気に食わない。私は、この手のものを見つけると、可能な限り外してしまう。森を人工物で汚してほしくない。
 
この時は、刃物を持っていなかったので全部外すことはできなかったが、ほどけたり枝ごと折れるものは折ってテープを外してやった。こんなもん、巻かないと道を迷う奴に山へ分け入る資格はない。遭難してしまえ。……あ、私はいつもしているが。
 
1
 
テープを追って、砂防ダムに出た。そして渡ってしまう。道もない急斜面を登る。おっと獣道はあったか。もうテープはない。でも後戻りする気にもなれず、そのまま前進する。猪突猛進?
いえいえ、イノシシの足跡があったのだよ。それを追わずに何を追う(別に何も追わなくてもいいんだけど)。
 
しかし、今日は駅前に行くつもりでスラックスに革靴履いているんだよなあ。それなのに、何やっているんだ(泣)。。
 
エッジのたった尾根に登り立つと、測量の杭があった。おそらく境界線の確認のためだろう。なんだ、以前に人が来ているんだ。テープもそのためかもしれん。しかし、テープは断固外すのです(⌒ー⌒)。これは森のゴミだ。
 
獣道をたどるがごとく、急な谷を下り、また登り、なんだか平坦なところへ出た。しかも比較的広い。下生えも少なめで見通しが効く。山中の尾根にこんなところがあるなんて。周りはみんな急斜面なのに。
ここに秘密基地でも建てたら楽しいだろうなあ。
 
が、そこで発見したのは、イノシシのぬた場。さらにミミズでも探したのか掘り返した痕。
1_3
 
そして足跡、さらに糞の山であった。
005
ここはイノシシの秘密基地らしい。相当な頭数がいることが伺える。
都会の我が家から直線距離にして数百メートルなのに、これってヤバくないか?
 
糞に始まり、糞に終わる今回の散歩(遭難ではない)であった。

2014/11/07

保護林100周年

来年2015年は、保護林が制定されて100周年なんだそうだ。

 
保護林……国立公園から世界遺産まで保護指定の森ならアチコチにあるが、ここでは単に保護保全された森林というだけではない。
 
保護林とは、国有林内で林野庁独自に設けた保護林制度なのだそうだ。制度が制定されたのが1915年(大正4年)学術研究や貴重な動植物の保護を目的に発足させた。
 
それぞれ目的別に扱っており、現在は区分が
(1)森林生態系保護地域
(2)森林生物遺伝資源保護林
(3)林木遺伝資源保存林
(4)植物群落保護林
(5)特定動植物生息地保護林
(6)特定地理等保護林
(7)郷土の森
となっている。
 
年々増えているだが、現在(2014年)で849か所あり、総面積96万5000ヘクタールにもなるそうだ。これは国有林全体の12%以上に相当するそうだからバカにならない。
 
ちょっと驚くのは、これらの保護規定に法的根拠はないそうだ。国有林なんだから、林野庁が保護すると決めたら他者が手をつけられないからなんだろうか。しかし、保護林制度が制定されたのは、現在の自然公園法や文化財保護法の制定より古いという。自然保護を定めたのが文化財保護より早いのは、なかなか意味深いかもしれない。
 
 
ところで、これまでの保護の中身は、基本的に自然に委ねて手をつけないことだった。動植物による森林生態系の「現状維持」が目的だったからだ。
ところが来年度より、保護林に「復元」の概念を取り入れようと検討し始めたという。自然まかせでは維持できない(保護にならない)現状が生じているためである。
 
たとえば過剰伐採や放置で、以前とは違った森林になってしまった例があるほか、外来種の侵入や、シカ、カモシカ、などの異常なほどの食害も起きているからだ。このままだと保護すべき生態系を復元できない事例が目立ってきた。そうした森林は、人が手を加えないと元にもどらない。むしろ別の生態系へと姿を変えていく可能性が高いのだ。
 
具体的には、除伐や間伐、それに植林も入るのかもしれない。……いわば手をつけない消極的保護から、手をかけて守る積極的保護への方針転換である。正確に言えば、従来の方針に積極的な部分も付け加える、だろう。
 
もっとも、保護林ならどこもかしこも手を出すのではなく、来年度に向けて全国で手を加えることが必要なところを数カ所を選定するとか。森林の復元や保護には100年単位の時間がかかり、予算もかかる。
 
こういう地味な情報にも目を配っておきたい。

Amazon書評『森と日本人の1500年』

Amazonの『森と日本人の1500年』に書評がついた。
★は3つ。(真ん中の普通)
 
私が、引っかかった?気になったのは、最後の3行。
 

本書は、日本における森と文明の関係史である。

評価を「普通」としたのは、後半部であまりに多くの情報が詰め込まれすぎていて読みにくかったからだ。
とはいえ、重要なテーマである。
 
本書の意図を理解していただいて有り難いが、同時に想定していた声が出ている(笑)。
 
つまり、「情報が詰め込まれすぎて」いること。これ、気がついていたのだけど、止まらない私の悪い癖。
新書ということで、可能な限り柔らかくしたが、限界もある。思いっきり硬いことを硬く書いたら、詠み人知らず……いやその前に出版できないかもしれない。(研究者の肩書のある人なら、それで通ることもあるのだが。)
 
だからコラムを付けたりもするし、端折って書いた部分もある。とくに近代林政史は、無茶を承知で単純化したり強引に説明したので、おそらく専門家(そこそこ林学に触れている人)からは批判が出ると思っていた。でも、一般人からすれば、複雑でわかりにくいのだろう。
 
……ようするに、どちらからも文句が出ることを「想定」していた(笑)。
 

  
もっとテーマを具体的に絞りこんで、1冊を軽くした方がよいのだろうな、とは思う。割り箸とかゴルフ場とかのように。時代が、それを求めているのは感じている。
 
まあ、そんな本も今後は手がけようとは思っている。
でも、流れを描きたい気持ちもあるのですよ。私にとっての課題だなあ。

2014/11/06

Yahoo!ニュース「日本に人工林は……」書いた裏側

Yahoo!ニュースに「日本に人工林はどれだけ必要か」を書きました。
 
これは、「撤退の林業計画」の資料メモかな(~_~;)。
 
Yahoo!ニュースを始めた最初の頃に「日本の森のグランドデザインは……」について記したのだが、その頃から頭の隅にあった点を書き留めた。
 
林業を産業とかビジネスの面から見ていると、木材の需要と供給のバランスが崩れたとか、そのために材価が上がった下がった、現場の士気が落ちる? 機械化林業の弊害? いや移行期の混乱に過ぎない、そもそも木材の量と質を考えて生産すべき……とか、エラソウに論じて見せるのだが、正直、そんなことは業界紙に任せておくべきではないか、と思っている。
 
もっと俯瞰した眼で見ないと、 日本の森にとっての林業、あるいは日本人にとっての森と林業、そして森と日本人の1500年の延長はつかみきれない。
 
そこで、今後の人工林の配置を考える序章のつもりで、まず必要な面積を考えてみた。ただし、すでに森林総合研究所で、研究済みのデータを紹介しただけである。
 
 
とはいっても、民有林の所有者に「ここはもう林業止めてね」とは言えないよなあ。

2014/11/05

国産合板の切り札

合板大手セイホクグループの一つとして来年3月から稼働する北上プライウッドは、スギ、カラマツ、アカマツなど国産材100%の合板を生産する。その売り先として期待されているのは、海外だそうだ。

まずは、台湾に輸出。合板の規格が日本と同じで売りやすいということもあるのだろうが、初めは毎月数千枚程度で、徐々に拡大していく予定。そしてアメリカや韓国、中国などへも輸出を目指す…という。

この工場は、東日本大震災で崩壊した工場の後釜的な意味もあるのだろう。実際、材の行き場を失っていた岩手では、歓迎されるはずだ。しかし、考えてみれば合板だって需要はかなりタイトなはずだ。

ちょっと調べてみると、合板は木材需要の中でシェアは13%程度。合板のうち国産は37%で、国産合板の材料の7割が国産材らしい。そんなに健闘しているとは思わなかった。しかし人口減社会で合板需要は、漸減していく。とくに現在の復興需要が一巡したら、一気に供給がだぶつくかもしれない。そこに新工場を建ててどうするのだろうか。幸い、円安は輸入合板の勢いを止めるから、今は有利だが……。

その対策の一つが輸出とは。ちょっと盲点。なるほどねえ。合板は輸入が大勢を占め、国産合板も材料は外国産が大半という時代からすると、大転換だ。

しかし製材ならともかく、合板のような量が勝負の世界で、国産ものを輸出して、世界的に価格競争をしている合板業界で勝ち目はあるのだろうか。。。。。やはり高級路線を狙う? しかし量は期待できないように感じる。

合板の内訳を見ると、唯一シェアが低いのは、コンクリートパネルだった。国産材比率は、たった7%だ。(コンパネは合板の中で14%。)

Photo   平成25年度森林・林業白書より。

需要の延び代があるとしたら、国産コンパネかもしれない。

そして、もう一つ。違法木材の追放だ。合板大国のマレーシア、インドネシア、そして中国は違法伐採が非常に多い。中国の合板の多くはロシア材だろう。これらを規制するように世界の趨勢を変えれば、国際貿易における合板シェアも変わるかもしれない。

幸い、新工場で合板にする国産材は、森林認証(緑の循環(SGEC)認証の方らしい)を取得しているそうだ。(本当に、これで真の意味で合法で適正な伐採なのかは別問題だけど。)

国産材の中でも量で勝負する世界は、合法性の担保が切り札になるかもしれないなあ。

2014/11/04

「ガイアの夜明け」で描かれた日本林業

今夜の『ガイアの夜明け』(テレビ東京系)で、日本の林業が取り上げられた。

 
018
 
近頃、多いなあ。林業を持ち上げる番組。生半可にかじったものや、無理やり期待できるところだけをクローズアップしたり。これまでも折りに触れて紹介はしてきたが、もはや林業は日本の期待産業なのだろうか。
 
今回の番組は、その中でも質がよかった。やっぱり経済系は日経新聞社とつながるテレビ東京は強いのだろうか。
 
取り上げたのは、木材輸出(九州・志布志港)と、西粟倉・森の学校(岡山)と、東京の木で家を建てるTOKYO WOOD
実は、この辺りは常連で、たいていの番組で取り上げられている。言い換えると、成功例はほかにあまり見つからない?   
 
あんまり皮肉いうのは止めよう(^^;)。
 
でも、一応ツッコミ入れておくと、輸出が伸びているのは、ほとんどが価格の安い木。BC材だ。番組に出てきたような、棺桶や家具として高く売れる木材は少ない。つまり、売れても、そんなに山元への還元は少ないだろう。
 
それに、木材輸出は10年以上前から取り組まれて、苦闘の歴史がある。何度も煮え湯を飲まれさて来たのだ。それを乗り越えて今がある。いや今回だって、そのうち煮え湯をぶっかけられるかもしれない。それほどリスクの多いビジネスだ。そのリスクをヘッジする仕掛けは、今の輸出ビジネスにあるのだろうか。
 
また西粟倉村・森の学校も、私は随分前から追いかけてきたから苦闘の歴史を知っている(^^;)。失敗部分も聞いている。それでも、ここまで来たんだなあ……と感慨深かった。
よかったのは、番組内で注文に応じるだけの材が出されていないことを、ちゃんと説明していたことだ。その分を兵庫県から仕入れているのだ。
 
025
 
その額が1000万円単位になるらしく、それだけの金額が地元に落ちずに流出していることも話していた。そして、計画どおりに間伐が進まない理由の一つに、山主が森林組合に任せてくれない(自分でも伐れない)ことを説明している。実は、ここに日本林業の問題の根幹があるのだけど、多少とも触れたことが救いだ。
 
東京の木で家を建てる動きも、実は歴史は長い。NPOでやっていたこともある。(今もやっているか。)
 
私は、東京の講演で「林業を東京から立て直せ」「東京の消費力が日本の林業を牽引できる」とぶったことがある。
「コンサルが得意とする大口みたいだ」とコンサル出身の人に言われた(^^;)けど。
 
でも、現場でコツコツやらないと現実は動かない。紹介していたTOKYO WOODは、構造材だけでなく内装や建具も東京の木材でできないかと考えているようだ。ああ、ようやくそんな動きも出だしたか、とこちらも感慨深い。構造材だけではダメなのだよ……と言い続けて早10年(笑)。そして、価格問題はクリアできるのだよ。施主も、工務店も。
 
3例に共通するのは、日本の林業を元気にしようと思ったら、量ではなく質だ、ということだよな。

2014/11/03

『どうせ死ぬんだから、森を守ろう』

世間が3連休最終日を楽しんでいる日は、私も無粋にだらだら過ごしました( ̄^ ̄)。

 
 
で、不意に思いついて頭から離れないフレーズ。
 
「どうせ死ぬんだから、森を守ろう」。
 
 
このフレーズを聞いて、どう感じるだろうか。おっ、と惹きつけられないか。
何を意味しているか気にならない?  
 
主語はないが、「私が」死ぬのか、「(世間一般の)人は誰でも」死ぬんだから、なのか。死ぬのは寿命だからなのか、余命あとわずかなのか、あるいは自殺なのか。
どうして死ぬことと森を守ることがつながるのか。そもそも、何をして森を守るのか。森林ボランティアみたいに自ら鎌とノコギリを持つ。プラカード抱えて「森を守ろう」とデモ行進する。木に自分の身体をくくりつけて、さあ木を伐れ、俺の身体ごと伐れ! と啖呵を切る。全財産で山林を購入して、保護区に指定する。お金をチャリンと寄付する。森を守れとブログに毎夜書き連ねるだけ。(←自分のことやろ)
 
そんなもろもろの条件は、皆さんの想像に任せます。
逆に、どんなシチュエーションを想像したのか教えていただきたい。
 
そして考えたのは、これを本のタイトルにしたら読みたくならないか? ということ。本屋の店頭に並んでいたら、手に取ってどんな内容か知りたくなるとか、本を手にしたら直行でレジに向かうとか……。
 
ま、そこまでは期待しないけど、もし皆さんの反応がよかったら、本当にこのタイトルの本を執筆しよう(^o^)。内容は……お任せください。
 
出版の暁には、コメントで意見を聞かせてくださった人に、本を贈呈します。(希望者にはサイン&コメント入り。)
実現するかしないか、するとしても何年先になるかわからないけど、気長に待つことが条件ですね(笑)。

  
 
その次は「世間がお休みなんだから、本を書こう」という本も考えてみようかな。。。。

2014/11/02

この森、荒れている?

気がつけば、明日も休日じゃん。3連休だったんだ……。

 
て、今頃気がついた私は、どうせ曜日感覚のない自由業です(-_-)。
 
休日の中日に当たる今日は、あまり考え事をしないでおこう。どうせ、世間は行楽シーズンで、とくに奈良は正倉院展だとかでごった返している。
 
それで、こんな写真を見てほしい。
 
001 我が家の裏山。
 
生駒山は、里山なのだが、同時に人工林の多い山である。このようなスギ林がかなりの面積広がっている。
 
で、このスギ林を見て、どう思うだろうか。
 
1、林内が暗めだし、手入れが行き届かず、荒れているなあ。
 
2、スギは比較的真っ直ぐ育っている。これは、出来の良い方の人工林だろう。
 
3、放置林だけど、林床に低木や草がよく生えているから、混交林化に向かっている。
 
 
3択です。
この手の森林の評価をどう見るのか、皆さんのご意見を伺いたい。
 
私は、これまで何気なく荒れていると思っていた。林内が暗いことや、ざわざわ生え放題の林床を見た印象からだ。
だが、自治会のハイキングでこの森を通り抜けるルートを私が案内したら、参加された一般人は「わぁー」と声を上げて感嘆されたのである。それまでは、いわゆる雑木林で見通しのよくないブッシュ的な中を通っていた。だが、ここに来て、見通しがよく、真っ直ぐな幹が林立している森に出て、「美しい」と感じたのだろう。これは私には意外だった。
 
しかしよく観察すると、この森は、ここ30年くらいは手入れなしかもしれないが、幼年期にしっかり下刈りや除伐は施されたのだろう。育つ木はわりと太く真っ直ぐ育っている。スギが上に抜けて樹冠を広げ、その下に広葉樹系の低木や、背の低い草が生えて林床を覆っているのは、むしろ土壌を守ってよいことなのかもしれない。
 
森の見方は、どこに目をつけて観察するかによって変わるはず。この森は、生態系的には、そんなに悪い森ではないかもしれない。また、高級材ではないが、そこそこの木材が収穫できるかもしれない。(ただし、搬出路もなければ、材価も引き合わないので、伐りだすことはないだろう。)
 
う~ん、わからない。3連休の中日にあんまり考えたくない。
 
 
皆さんのご判断を教えてください。
 

2014/11/01

「森じまい」を考える

久しぶりの友人と会食。

 
話題は近況・仕事から発展して、墓じまいに……。 
 
墓じまいとは、自分の家のお墓の継承者がいなくなった場合、その墓をオシマイにする、つまり撤去も選択肢に入れた行為である。遺骨は合葬にするか、処分することになる。
最近、終活の一環として話題に上がることも多い。誰が墓守をするのかは、今や社会問題になりつつある。
実は当の友人がその問題に直面しているのだ。
 
そして、私も他人ごとではない。私が死んだら墓をどうするかは、結構真剣に考えている。
 
こんなことが話題に上がるのは、端的に言って、日本の人口が縮小局面にあり、血統が絶える家が続出しているからだ。そして、ますます加速する。日本の墓が血統を重んじて継承する仕組みになっている限り、人口減少=家の断絶が進むと、どんどん墓守がいなくなり、多くの家庭で墓じまいを行わざるをえなくなる。
 
……で、気がついた。継承、相続者がいなくなることは、土地、山林に置いても同じことが今後表面化するのではないか。 現在は、名義変更や相続手続きをせずに放置したために、子孫が分散してどうにも扱えない土地・山林が増えていることが指摘されている。しかも境界線がわからなくなって扱いに困る……という問題がある。
 
しかし、相続人が分散するも何も、今後はいなくなるケースもどんどん出てくるだろう。本来なら、相続人がいなくなるのだから国有・公有になるなどの手続きがあるべきだが、実際はそれさえなく放置されていく。
 
こうなると、森じまいを考えなくてはなるまい。むしろ、こちらの方が喫緊の課題かもしれない。
 
と言っても不動産は、オシマイです、もうなくします、というわけにはいかない。誰かもらってくれ、いや寄付します、と言っても、財産的価値がなかったら、受け取るコストが生じるだけだから断られかねない。国や自治体だって断る可能性は高い。
 
せめて上物の樹木が金になるなら、全部伐採して売り飛ばし、その金でなんとかする手もあるが、それもできない山林が大半だ。しかも伐採規制の付いているケースも多い。
 
ならば,どうするか? 
 
もちろん最後の継承者は、自分が死んだ後のことなんぞ、気にせずほっとけばよいのである。継承者(相続人)がいないのだから、迷惑のかかる子孫もいないということだろう。困るのは、土地の周辺の関係者や自治体などだろう(~_~;)。
 
 
だから、早急になんらかな制度を制定すべきべきではないか。一定の条件を満たす山林に関して所有権移転の譲与税や相続税を免除するとか、自動的に所有者のいなくなった山林を受け入れる枠組や組織をつくるとか、簡単な書面の遺言で済ませる仕組みをつくるとか。
いわば、上地令(民間の土地を国が接収する法令)の逆バージョン。民間の土地を国にどんどん献上する制度が必要になるかもしれない。  
  
  
また最後の継承者になりかねない人で、多少とも森に思い入れがあって放置したくない人は、早めに「森じまい」の支度をしよう。
 
私? そうだな……いっそ、私の遺骨を森に撒いて、この森を墓にしてくれ、300年手をつけるな、ここに巨木の森をつくれ、と遺言するか。それこそ、迷惑だろうな(~_~;)。
 

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森と林業と田舎