かつて山で伐りだした原木を下界に下ろすのに使われた仕組みに「修羅」と「木馬」がある。
「修羅」は、古代史的には木の橇のことを指すこともあるのだが、それは木馬に近い。林業上の修羅とは、丸太の滑り台のようなものである。半筒上の滑り台をつくって、その上に丸太を乗せると滑って下に落ちるわけだ。
そうして山麓まで落とした丸太を木の橇に積んで、それを木馬道と呼ぶ木の線路の上を人力で引っ張って土場まで運ぶのが木馬。
過酷な労働のように感じるが、当時は画期的な運搬法で、人の肩などに乗せて運ぶのに比べて輸送力を十数倍に上げることのできた新兵器だった。木馬・木馬道は今も多少残っている。使われなくても木馬だけ保管されていたり、博物館に展示されていたり。
しかし、修羅は保存されることはない。
なぜなら、伐採現場で伐採した木を使ってつくられた修羅は、ほかの木を全部下に下ろした後、修羅自体も解体しつつ、その丸太を下に下ろしていくからだ。一つの現場で伐った木を全部下ろした時点で修羅の役割は終わり、姿を消す。
だから、現在は本物の修羅を見ることはほぼ無理だろう。原木の運搬がトラックなどに取って代わられた結果、もはやつくられることもなくなった。たまに塩化ビニールのパイプを使って修羅をつくったという話もあるのだが、それはかつての姿ではなかろう。
……長々と前書きを書いたが、実は吉野の川上村で修羅をつくると聞いた。
それは「第34回全国豊かな海づくり大会」の行事の一つ。海のない奈良県で「海づくり大会」を開くので、海の原点、川の源流部にある川上村で、天皇陛下による放流行事を行うわけだが、場所はダム湖。
その(鮎を)放流するための台に、林業の村を伝えるためにかつての林業に欠かせなかった修羅を使おう、ということになったわけだ。
そこで製作風景から見学しようと出かけたわけだ。かつて、修羅を10連ぐらい並べて標高差100メートルほどを次々と丸太を落としたそうである。その経験者である辻谷達雄氏の指揮によって製作は行われている。
残念ながら構想どおりの実物大修羅の再現とはいかなかったようだ。材料は磨き丸太で長さはぐっと縮められ6メートルほど。その他細部も皇室仕様(~_~;)に変えられていた。○○○のお達しのためである……。

ダム湖の中に入っての作業もある。

山の上から撮影。3基つくられる。
さて、本番は今週末の16日。地元ではNHKと奈良テレビが生中継するそうだけど……。
行事が終わったら、すぐ解体しろ、というお達しが出ているそうだが、それではあまりにもったいない。ぜひ「幻の修羅」の見本として保存展示してほしい。3つつなげば、そこそこ見映えがよくなるのではないか。
この時期に鮎の放流ですか?ポカーン
投稿: か | 2014/11/15 00:36
宮内庁のお達し?です。いや、鮎を選んだのは奈良県かな。
投稿: 田中淳夫 | 2014/11/15 09:36