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2014/12/24

Grobe「日本の集落」に思うこと

朝日新聞の月ニの日曜版?に「Grobe」というタブロイド版の折込みがある。

なにかしらの特集主義で雑誌形式になっているのだが、21月21日版は「日本の集落」特集であった。
 
002 ようするに小さな日本の集落をカタログ的に紹介しているだけ(笑)。
 
基準はなんだろう。何も元気な集落というわけでもなさそうだ。全集落のメンバーは7人! というのもあれば、消えた集落(廃村)も、移住した外国人も登場する。
 
 003 こんな感じ。
 
で、まとめとして「識者」の意見を紹介している。
 
Img004
 
全国に衝撃を与えた「増田レポート」と、それに反論する小田切徳美(明大教授)の意見、そして「撤退の農村計画」の林直樹(東大特任助教)の3本立て。あと、ドーデモいい分析意見も最後に付いているけど、コメンターは集落は消滅しない派だったかな。
 
私は、限界集落問題について十分な知見を持っているわけではないが、それなりに山間部を見て歩いているので、思うところを。
 
まず増田レポートは、地方の中核的都市に集中投資して「人口のダム」をつくることで、山間集落から流れだす人口を受け止め地方に留める政策を提案する。集落は「最低限の生活基盤を維持していく」程度。
 
まあ、現実的な発想と思えるが、「人口のダム」という言葉は、40年以上前に静岡県龍山村で聞いた記憶がある。当時の森林組合長が山村から人口流出を止めるダムをつくると訴えて、移住者の受入れや企業誘致などを行っていた。「山村ダム論」だったかなあ。この村でIターン女子が林業現場職に就いたのは、日本で初めてのケースだったのではないか。
ただ、その村も今はない。十分な成功を納めたとは言えない。
 
増田案は、ある程度の広域地方(都道府県レベル)の維持を目標としていて、いわゆる山間集落を十分に守る手立てにはなっていない。集落を都市に吸収することを前提に描いている。いわば集落の維持ではなく地方都市の維持。結局、中核都市という都市の繁栄をめざしているに過ぎないのではないか。 
 
もちろん、地方にも「都会」は必要だ。
私がこのところ、忘年会帰りに寄るオシャレなカフェ・バーやスタイリッシュなハードバーを紹介しているが、やはり、こうした存在は必要なのだ。魅力ある店があることで、その街全体に魅力が生まれ、そこに住んでいてよかったと思う……。大都会とは一味違った目の届く良さがある。
 
若者に限らず、誰もがちょっとおしゃれな異空間を求める心はある。都市に求めるのは、便利な機能だけではない。心にさざ波を起こすような非日常の世界が都市の魅力ではないか。そうした欲を無視した「変化のない田舎空間」を維持しても、おそらく人口は保てないだろう。 
 
だから地方都市をダムにする発想は賛成。しかし、その周辺の小集落とどのような連携ネットワークを築くかを描かなければ、山間集落対策にはなり得ない。しかも、地方都市の人間は、やはり大都市に憧れやすいから、大都市が地方都市を吸収する前段階に陥る可能性を感じてしまう。少なくても、ここで描かれる中核都市は、今の地方都市の延長だとダムとして機能しないだろう。
 
 
一方で、小田切氏の主張する「農村回帰」論は、私には論外だ(笑)。若者のIターンによって集落の人口が増え、高齢化をストップさせるなんて……。
誤解のないように言えば、できるところはやればよい。よそ者を受け入れる地理的・経済的・・歴史文化、そして呼び込む人脈やリーダー的人材、そして運……などが整っていたら、大いにやって人口を増やすとよい。
 
だが、可能な集落は、全体の0,01%くらいじゃないか。成功する地が全国で三桁に乗ることは、まずないだろう。田舎を目指す若者が増えていると言っても桁が小さすぎる。常に少数の田舎指向の若者はいるが、集落維持にはとても足りない。
むしろ、農村回帰を推進しようとドタバタすることで、集落内に亀裂が走り、さらに新参者との調整に疲れ果てて、逆に消耗してしまう可能性の方が高いと思う。
 
 
そして小集落を近隣の大集落(都市も含む)の近くに集団移転させるという「撤退の農村計画」だが、理屈の上では悪くない。悪いないが……実現可能性は何%だろうか。1%いくかな?
 
これまた集落の合意形成の段階で亀裂や分裂を生み出し、しかも時間をかければかけるほど、高齢者は意欲も体力も失う。その間に若者は出て行くだろう。
 
 
……このように論評してしまうと、夢も希望もなくなる(-_-)。
そうなのだ。私は、山間集落の多数が消えていくのはしょうがないと思っている。そもそも日本全体が人口減社会に突入しているのだ。あまりジタバタせず、むしろ消滅への軟着陸をさせる政策が必要なのではないか。
 
今の政府が唱えるのは地方「創生」。地方再生でも地域振興でもないところがミソだ。
私も、集落の維持ではなく、消えるところは消えてもいいのではないか、と思っている。維持だの活性化を掲げるのではなく、歯の抜けるように住民が消えていく……そしてゼロになるという選択肢もありだと思うのだ。願うのは、できるだけ穏やかに、静かに消えること。人口を増やすより、今いる住民が無理なく暮らせる環境を維持しつつ幕を引くこと。
 
ただし、その跡地に新たな集落をつくれる素地を用意しておいた方が現実的であり未来的と考える。
 
具体的には、廃村の土地や家屋、境界線、水利権などの権利関係をすっきりさせておく。全部譲渡したら、権利者にそれなりの補助金を出すという政策があってもよいように思う。
そしてまっさらになった廃村地域に、希望者がいたら再び販売するなり賃借して移住者を居つかせたらよい。
 
それでは集落の「民俗知」が失われるという意見もあるが、伝える方法があるなら伝えてもよい。ただ結局は、住む人の意識の問題だ。興味のない人に受け継げ、というものではあるまい。
 
集落の存亡は、老人介護と同じである。病は治せても老いは止められない。いつかは看取る時が来る。そのつもりで介護すべきであり、「早く元気になって、また走り回ってね」とは言えないのである。

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