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2014年12月

2014/12/29

森を保つということ

今年も押し迫ってきた。

 
この1年は、ほぼ休むことなく本ブログを書いてきた。森林や林業、木材、地域……など狭い世界に絞った話題だけで、よくぞ続けたものだ。そもそもブログ自体は、ほぼ9年続けているし(~_~;)。来年は10周年だな。。。
今年書かなかった日は、1年を通して3日くらい、正月休みを入れても1週間にならないだろう。その日は、たいてい旅の空の下で書く時間がなかった時か、人生に悩んでいた時か、酔いつぶれていた時だと思う。
最近は、酔いつぶれても書いているが……。後で読み返して、「あら、酔っていても、わりとマトモに書いているやん」と自分で自分を褒めたい(^o^)。
 
 
閑話休題。
 
今年も最後のつもりで、改めて森について感じていることを。
 
拙著『森と日本人の1500年 』を執筆する過程で、森も時代に合わせて常に変遷してきたことを痛感した。そこには小さくない力で人が関与している。そして、いかに森の持続が難しいか、ということも考えさせられた。一定地域を森として残し続けるためのモデルになるようなシステムはなかなか見つからない。
 
技術的な森づくりの難しさはさておき、問題は人間社会の伐採圧と伐採後に再び森を成立させる意志の有無だ。人が森に手を出す際には、長期的な視点と関与の持続が欠かせない。しかし、その「長期間」を担保するのが至難の業なのである。
森の時間で長期とは、最低でも50年100年単位で捉えなくてはならない。すると一人の人生を超えてしまう。世代を超えて森を維持する意志をどのように維持したらよいのか。
 
すぐに思いつくのは公的機関だろう。昔の幕藩、今の国家や自治体に任せたらよいのではないか。国が続く限り、森林経営を行うはずだ……。
だが、これこそもっとも頼りない。国はそれなりに続くにしても、政策は猫の目のように変わる。役人は同じ役職に就くのは長くて数年、たいてい2、3年で移っていく。自分の担当する年月だけしか責任を負わないし、任期中だけの成果を求めるから、到底森の時間になり得ない。そして自分のものという意識は持てない。
公共という誰のものでもない形態こそ、もっとも信用ならないのではないか。だからコモンズの悲劇が起きるのである。
 
私は、林業は家業ではないか、と考えてみた。(血統ではなく)家系を通じて代々維持していくことは可能だろうか。肉親ゆえに先代の意志が伝わるのではないか。明文化していなくても家訓・家憲のような形で継承されていくはずだ……。
しかし世代によっては、森に興味のない後継者が登場したり、後継者が断たれる可能性だってある。事業に失敗して山林を手放す話は枚挙に暇がない。もちろん10代以上続いている林家もあるが……この先はわからない。
 
いっそ、民間企業はどうだろうか。
意外と長期間山林を保有する会社はある。社長はたいてい10年前後で交代するが、ちゃんと経営は引き継がれる。とくに三井系や住友系のような大企業グループは、社是として森林の保有を掲げているのだろう。グループ総体で山林を支える意志を醸成しており、短期間の赤字は無視できる体力を持つ。
おそらく森を持つことが、広い意味での本業にもプラスとなり、社員の福利厚生や誇りと社会貢献のような使命と考えているのではなかろうか。
 
ただワンマン経営者の場合は、森を保有する意志が固ければよいが、あっさり方針転換することもあるし、本業が傾けばあきらめざるを得ない。後継者の資質も問われる。代替わりした途端に森の経営方針を変えるケースも少なくない。
資産としての保有とかCSRの一環だとかオーナーの趣味では持続しない。手放す決断は案外あっさりやってくる。逆に「事業として経営」されていれば、多少の赤字でも粘るかもしれないが。
 
……ならば、一体、どこに可能性があるのか。
 
宗教はどうだ。
宗教法人が森を所有すれば、長期間の持続が可能になるかもしれない。心の拠り所としての森を維持する。森をつくる。そして先祖が眠っていると思えば、むやみに伐れないのてはなかろうか……。もっとも鎮守の森だって、意外と変容を続けている。
 
もちろん宗教団体も、人が運営する限り方針転換もあり得る。森を転売したり開発してしまうケースも少なくない。それに今後は、宗教法人の消滅も増えてくるだろう。人口減社会は、山林に近い地域の寺院ほど経営が立ち行かなくなって無住化したり、解散に追い込まれる可能性が現実味を帯びている。
 
  
いろいろ考察した結果、一個人・一組織が継続して森林を経営していくのは無理だな、という至極当たり前の結論に達した。
同時に、何がなんでも森林を維持するという発想が、後継者の足を引っ張るように思う。
 
それより常に経営意欲のある個人・組織にバトンタッチしていく方がよいのではないか。
 
   
それに自然は人が小賢しく考える以上にたくましい、そして森林は常に変化する、という視点を持って長いスパンで俯瞰すると、時の流れるままに対応してもよいような気がしてきた。
 
森が減ったら様々な点で齟齬が生じ始めて必死で森づくりを行うし、森が広がると放置して荒らす。さらに「これこそ資源だ、宝の山だ」と木を使うことばかり考える。そして遅れてか伐りすぎたことに気づく……その繰り返しなのではないか。
 
自然も人の世界も、一方に偏れば必ず反動で逆方向にぶれる。森も植える一方の後に伐る一方の時代が来る。政治も左にぶれたら右にもどる。反動が強くて右に行き過ぎたら、必ず左にぶれる時が来るだろう。
 
……そう考えてジタバタせずに長い目で待ってもいいのでは。政治も森も。。
 
もちろん、その前提に維持しておかねばならないものもある。
人が森林に持つ愛着だ。
 
森林が好きだという思いを失わなければ、必ず森は回復する。逆に愛をなくせば、いくら時間をかけても……という気がする。
 
森への愛は、努力して醸成するものだ。私も、そこに役割を得られるのなら幸いである。来年もガンバロー。。。
 

2014/12/28

森は人が管理しないと健全にならない?

生駒山中にある某園地(大阪府立公園)。

 
ここの森林は、長く放置が進んで暗く密に繁っている。このままではイカン。密生して見通しは悪いし、木々の育ちも悪くなるだろう。なんとかしなければ……というわけで、間伐を行うことになった。
 
これは園芸業者に依頼したそうだが、いつだったか夏ごろに訪れたら、このような状況だった。
 
1
……なるほど。たしかに間伐しておりますな。
が、なんかヘン。伐採した木々はきれいに束ねて林床に置かれてあるが、林内は少しも明るくなっていないのではないかい?
ようするに太くて高い樹木は伐らず、林間の細い低木ばかりを伐採した様子。見通しはよくなったが、それは稚樹や低木種を除いたことにしかならないから、森林の後継樹を奪い、高齢の木ばかりを残して森の老化を進めるという……森の健全さとはほど遠いのだった。
 
こういう伐り方を整理伐というとか聞いたことがあるが、名称はともかく、一時的に見た目をよくしても森を健全にしたことにはならない。森林生態系は複雑で繊細なのだ。
こんな伐り方は、森林生態系の知識を持たない業者や森林ボランティアのような素人がするのである……。
 
 
私も、そんな説明をすることがあるのだが。
 
 
先日、久しぶりにこの地を訪れた。
で、撮ったのがこの写真。
 
Photo
 
……たしかに以前、整理伐が行われた場所なのだが、ちょっと雰囲気が違う。
林床まで光が差し込んで、林内に稚樹が育ち始めている。なんだか、よさげな雰囲気。
 
高木の落葉樹は、冬だから葉を落としていることもあるだろう。しかし、暗くて稚樹が育たないと思えた林床にも、さまざまな草や樹木が萌芽を含めていろいろ生えてきている。
 
以前訪れてから、もしかしたら誰かが再び手を入れた可能性もなくはないが、放置したままで徐々に自力で遷移を始めたような気がする。
 
森の健全性を失わせた整理伐! ……と、思っていたが、意外や森はたくましく育つ。少々人が変な手入れをしても、それなりに育ちそうに見えた。
この地の場合、林床に生えてきているのは、やはり照葉樹の稚樹が多いから、本当にそのまま育つとどうなるのかわからない。若返りを図る当初の意図とは違って落葉樹はもどって来ないということもある。それでも、嘆息するほどひどいことにはならなさそうだ。
 
森は、人がしっかり管理しないと健全にならないというのは思い上がりかもしれない。
 

2014/12/27

畳の、こんな使い方

縦のものを横にする。平面を立体にする。
 
実に単純だ。特別な材料を使わず、天才的なデザインの才能を発揮する必要もない。でも、それが目にする光景を一新することもある。
 
今回は、大阪の居酒屋で見かけた壁。なんか……。
 
1  ん?
あれ、これは畳を壁に張り付けたんだ。
 
別に頭をひねったというほどではないが、ちょっとした思いつきで畳を内装材にしてしまっただけかもしれない。ちなみに床は、普通のリノリウム。壁がイグサだと、メニューなど紙類を張り付けるのは簡単かもしれない。ピンを指すだけだ。
 
しかしこれだけのことで、結構、斬新な気分になった。通常あるべきところにない、あるはずのないところに使う。こうした逆転の発想が木質の部分にも、もっと生まれてよいと思う。
 
 
 

2014/12/26

獣害増加の真相は……

このところ、少し獣害について調べているのだが、資料を漁っていると(私にとって)仰天事実が次々に登場してきた。
 
それは常識の嘘というべきか、獣害に対する認識の根本的な誤りにつながる。
 
それをここで紹介するのは、私の元ネタ情報を披露してしまうようなものなので躊躇する(~_~;)面もあるが、書かずに居られない……。
 
なお資料の多くは、農家向けの農作物被害に対するものであり、林業被害に関したものは少ないのだが、それは余計に林業家の耳に情報が入っていないことも意味するだろう。
 
 
まず、最大のものは、「狩猟者(ハンター)の激減が、獣害を増やした」という説。
 
たしかにハンターは減っている。1970年度に53万人いたのが、2010年度は19万人だ。激減と言ってよいだろう。
 
ところが、捕獲数はどうだろう。これは1990年と2011年の比較になるが、シカは4万2000頭から41万5500頭、イノシシは7万0200頭から39万500頭に増えているのだ。
 
1990年のハンター数は約30万人だが、捕獲数は5倍、10倍以上である。これは高齢になっていくハンターが頑張ったおかげとも言えるし、行政もそれなりに有害駆除の奨励金をつけるなどしたおかげだろう。
 
もちろんハンター数が多いにこしたことはないが、必ずしも捕獲数に比例しないことが証明されてしまったわけで、いくら狩りガール増やしても効果は出まい。
 
 
そして、餌はどこにあるのか、という点でも凄い数字が出ている……。
 
たとえば水田で稲刈りした後を放置すると、まず切り株からヒコバエが生える。再び稲が生長するわけだ。上手くすると、ヒコバエからも米が収穫できるという。また、切り株の間にも雑草が生える。10月に稲刈りしても、12月には青々としていることはよくある。
 
その量たるや……10アールでヒコバエ100キロ、雑草300キロ、さらに畦道に400キロ……こんな調査結果が出たのだ。
 
これがシカやイノシシの餌になるとしたら。。。。
 
ちなみにシカだけなく、イノシシも日常的に青草を食べているそうだ。あとサルも。3大獣害動物はみな、雑草を餌としている。
 
もちろん、ほかにも餌はたくさんある。が、ここでは林業に関係のあるものとして林道の法面に注目したい。林道整備をすると、たいてい法面が膨大に誕生する。そして、そこには法面保護と称して緑化用に牧草の種子を吹きつける。
 
この牧草は、冬でも青々と育つものが多く、しかも栄養価が高いように品種改良されていたりする。林道の延長距離から想定できる法面の面積に牧草が育てば、そりゃ、シカの大御馳走になるだろう。
 
ほかにも、里山整備など様々な要因が餌を増やし、野生動物の楽園をつくっているという事実が浮かび上がってきた。
人が自然を破壊して、野生動物を追いやったどころか、人は野生動物のために餌をせっせと栽培している……と言えるかもしれない。


  
林業における獣害被害も、一から見直すべきかもしれない。
いくら駆除しても数は減りにくいし、数を減らしても被害は減らない可能性がある。何も彼らは飢えて樹皮を剥がしているのではないのだ。
 
本当に山の野生動物数を減らしたければ、林道の法面をコンクリートで固めるといいかもね。。。。そして有害駆除の奨励金を10倍くらいに引き揚げて、もっともっとハンターに頑張ってもらうというのはどうだろう?
 

2014/12/25

「おすぎ」を買った女のブログ「恋する丸太」

先日、Yahoo!ニュースに書いた「野杉の「おすぎ」を買った女 」は、予想外にヒットしたが、そこで紹介した丸太女子(^o^)、鳥居由佳さんが予告どおりブログを始めた。

 
題して……恋する丸太 」!
 
 
もともと伊達や酔狂で購入したわけではない。ちゃんと地域づくりの一環。つまり彼女にとっては戦略的な仕事であったわけだ。その点についても、自身の歩みとともに初回にちゃんと触れている。(クリスマスイブにオープンしたのも戦略的か?)
 
ここで購入した吉野杉の丸太をどのように料理していくかを同時進行ドラマとして執筆してくれるらしい。Yahoo!ニュースを読んだ方も、私の記事だけで終わらずに、ぜひ追いかけていただきたい。さもないと真価がわからない。以下、ブログより少し抜粋。
 

世の中で最近よく耳にする「国産材を使いましょう」という言葉。

でも、一体全体どうやって国産材を使ったらいいのか。

そもそも、なにに使ったらいいのか。

家を建てる以外で、杉を使う方法ってなにがあるのか。

 
そこで思いついたのが、自ら挑戦すること。試行錯誤すること。

私が原木丸太(原材料)を購入して

そこからどういう風に木が加工(調理)されて製品になっていくのかを

自分自身が一回やってみるしかない!と思ったから。

さあて、私が言えることは……「やってみなはれ!」

私も知らんことがいっぱいだろうから、一緒に学ばせてもらいます。

2014/12/24

Grobe「日本の集落」に思うこと

朝日新聞の月ニの日曜版?に「Grobe」というタブロイド版の折込みがある。

なにかしらの特集主義で雑誌形式になっているのだが、21月21日版は「日本の集落」特集であった。
 
002 ようするに小さな日本の集落をカタログ的に紹介しているだけ(笑)。
 
基準はなんだろう。何も元気な集落というわけでもなさそうだ。全集落のメンバーは7人! というのもあれば、消えた集落(廃村)も、移住した外国人も登場する。
 
 003 こんな感じ。
 
で、まとめとして「識者」の意見を紹介している。
 
Img004
 
全国に衝撃を与えた「増田レポート」と、それに反論する小田切徳美(明大教授)の意見、そして「撤退の農村計画」の林直樹(東大特任助教)の3本立て。あと、ドーデモいい分析意見も最後に付いているけど、コメンターは集落は消滅しない派だったかな。
 
私は、限界集落問題について十分な知見を持っているわけではないが、それなりに山間部を見て歩いているので、思うところを。
 
まず増田レポートは、地方の中核的都市に集中投資して「人口のダム」をつくることで、山間集落から流れだす人口を受け止め地方に留める政策を提案する。集落は「最低限の生活基盤を維持していく」程度。
 
まあ、現実的な発想と思えるが、「人口のダム」という言葉は、40年以上前に静岡県龍山村で聞いた記憶がある。当時の森林組合長が山村から人口流出を止めるダムをつくると訴えて、移住者の受入れや企業誘致などを行っていた。「山村ダム論」だったかなあ。この村でIターン女子が林業現場職に就いたのは、日本で初めてのケースだったのではないか。
ただ、その村も今はない。十分な成功を納めたとは言えない。
 
増田案は、ある程度の広域地方(都道府県レベル)の維持を目標としていて、いわゆる山間集落を十分に守る手立てにはなっていない。集落を都市に吸収することを前提に描いている。いわば集落の維持ではなく地方都市の維持。結局、中核都市という都市の繁栄をめざしているに過ぎないのではないか。 
 
もちろん、地方にも「都会」は必要だ。
私がこのところ、忘年会帰りに寄るオシャレなカフェ・バーやスタイリッシュなハードバーを紹介しているが、やはり、こうした存在は必要なのだ。魅力ある店があることで、その街全体に魅力が生まれ、そこに住んでいてよかったと思う……。大都会とは一味違った目の届く良さがある。
 
若者に限らず、誰もがちょっとおしゃれな異空間を求める心はある。都市に求めるのは、便利な機能だけではない。心にさざ波を起こすような非日常の世界が都市の魅力ではないか。そうした欲を無視した「変化のない田舎空間」を維持しても、おそらく人口は保てないだろう。 
 
だから地方都市をダムにする発想は賛成。しかし、その周辺の小集落とどのような連携ネットワークを築くかを描かなければ、山間集落対策にはなり得ない。しかも、地方都市の人間は、やはり大都市に憧れやすいから、大都市が地方都市を吸収する前段階に陥る可能性を感じてしまう。少なくても、ここで描かれる中核都市は、今の地方都市の延長だとダムとして機能しないだろう。
 
 
一方で、小田切氏の主張する「農村回帰」論は、私には論外だ(笑)。若者のIターンによって集落の人口が増え、高齢化をストップさせるなんて……。
誤解のないように言えば、できるところはやればよい。よそ者を受け入れる地理的・経済的・・歴史文化、そして呼び込む人脈やリーダー的人材、そして運……などが整っていたら、大いにやって人口を増やすとよい。
 
だが、可能な集落は、全体の0,01%くらいじゃないか。成功する地が全国で三桁に乗ることは、まずないだろう。田舎を目指す若者が増えていると言っても桁が小さすぎる。常に少数の田舎指向の若者はいるが、集落維持にはとても足りない。
むしろ、農村回帰を推進しようとドタバタすることで、集落内に亀裂が走り、さらに新参者との調整に疲れ果てて、逆に消耗してしまう可能性の方が高いと思う。
 
 
そして小集落を近隣の大集落(都市も含む)の近くに集団移転させるという「撤退の農村計画」だが、理屈の上では悪くない。悪いないが……実現可能性は何%だろうか。1%いくかな?
 
これまた集落の合意形成の段階で亀裂や分裂を生み出し、しかも時間をかければかけるほど、高齢者は意欲も体力も失う。その間に若者は出て行くだろう。
 
 
……このように論評してしまうと、夢も希望もなくなる(-_-)。
そうなのだ。私は、山間集落の多数が消えていくのはしょうがないと思っている。そもそも日本全体が人口減社会に突入しているのだ。あまりジタバタせず、むしろ消滅への軟着陸をさせる政策が必要なのではないか。
 
今の政府が唱えるのは地方「創生」。地方再生でも地域振興でもないところがミソだ。
私も、集落の維持ではなく、消えるところは消えてもいいのではないか、と思っている。維持だの活性化を掲げるのではなく、歯の抜けるように住民が消えていく……そしてゼロになるという選択肢もありだと思うのだ。願うのは、できるだけ穏やかに、静かに消えること。人口を増やすより、今いる住民が無理なく暮らせる環境を維持しつつ幕を引くこと。
 
ただし、その跡地に新たな集落をつくれる素地を用意しておいた方が現実的であり未来的と考える。
 
具体的には、廃村の土地や家屋、境界線、水利権などの権利関係をすっきりさせておく。全部譲渡したら、権利者にそれなりの補助金を出すという政策があってもよいように思う。
そしてまっさらになった廃村地域に、希望者がいたら再び販売するなり賃借して移住者を居つかせたらよい。
 
それでは集落の「民俗知」が失われるという意見もあるが、伝える方法があるなら伝えてもよい。ただ結局は、住む人の意識の問題だ。興味のない人に受け継げ、というものではあるまい。
 
集落の存亡は、老人介護と同じである。病は治せても老いは止められない。いつかは看取る時が来る。そのつもりで介護すべきであり、「早く元気になって、また走り回ってね」とは言えないのである。

2014/12/23

一人ハードバー

先日、週刊新潮の取材を受けたのだが、そのライターは酒場取材が得意なのだという。コの字型酒場の本まで出版したらしい。その話を聞いて(取材受けるより聞く方が楽しい)、私も酒場取材がしたくなった。
 
で、こんなルポを書く。 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
忘年会の帰りに、地元生駒の馴染みのバーに寄った。
 
カウンターバーに座ると、20年来の顔なじみのバーテンが涼やかな顔で迎えてくれる。
 
「今日は何になさいますか」
「……ラスティネールを。ドランヴイは少なめで。あ、チェイサーつけて」
 
ラスティネールというカクテルは、スコッチウィスキーとドランヴイをミキシングしたシンプルなカクテルだ。ドランヴュイというリキュールは、ハチミツを加えるので甘い。そこで少なめにお願いしたのである。
 
スコッチの銘柄を尋ねられたが、お任せにした。
 
大きめのデキャンタが出されて、チョイスされたスコッチ、フェイマス・グラウスを計量グラスに2杯入れると、ドランヴュイをたらし込む。デキャンタを大きく揺すって ミキシング。そして、高い位置からグラスに糸のように垂らした。香りを立てるのだろう。
本格的なハードバーである。
 
002
 
伝承によると、スコットランドの王子チャールズは,王位継承権を争ったが、戦いやぶれて落ちのびた。その際、護衛の部下は誰一人懸賞金に目をくらますことはなく、最後までつきしたがった。そこでお受けに伝わる秘酒の作り方を伝えた……それがドランヴイだとされている。アルコール度数は結構高いのだけど、冬の私のお気に入り。
 
ま、そんなこんなで裏切らないことを示す酒なのである。
 
それをチビチビいただきながら、ここ数日のことを反芻する。隣には賑やかな人が坐ったが、私には余計な口をはさまないのが嬉しい。
 
 
その後、ジンライムを頼むと、シロップを抜きにしてくれる。目の前で絞るライム。キンキンに冷凍したビューフィーター
これでお開きのつもりが、目の前にロン・サカパ・センテナリオ23が置かれているので睨めっこ。この酒はラムの中のコニャックと呼ばれる味わいなのだ。(いえ、昨夜読んだマンガに登場していたのです)。
飲みたいが飲むと許容量をオーバーするなあ、と未練がましく見ていると、声をかけられ、結局半分の量をいただく。(どんだけ意地汚いんだ。。。)
 
 
 
いやあ、こんなバーがあると、生駒から離れられん(笑)。
 
その後、例の発見したカフェバーに行きかけるも、許容量を考えて泣く泣くパスしたのであった。 
あ、でもやっぱり許容量越えているかな。目が回る……。

2014/12/22

グリーンパワーの「磐城高箸」前半

グリーンパワー2015年1月号の記事。

 
Img001 こんな記事出ていました~。
 
本ブログでも幾度か紹介してきた福島県いわき市の株式会社磐城高箸の記事である。執筆は高橋社長自ら。
 
ま、読んでいただいたらわかるのだが、見開き2ページ。発売直後だし、私の記事でもないのに全部ここでアップしてしまうのは少々気が引けるので前半だけ(笑)。
 
続きを読みたい人は、購入しましょう。あるいは高橋社長のブログでアップしてもらう(^^;)。
 

2014/12/21

Yahoo!ニュース「カツオ節は毒物?」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに「カツオ節は毒物?EUが輸入を認めない理由 」を執筆しました。

 
 
この元ネタ(ミラノ博にカツオ節が使えない……)を目にした時、これをブログに角煮、じゃない書くには森林も林業も木材も地域づくりにも関係ねえよなあ~とちょっと躊躇したのだが、ああ、それならYahoo!ニュースがあるやん、という安直な発想(^o^)。
 
ま、Yahoo!には月に4本くらいはアップしようと思っていたが、ちょうどあと1本足りていなかったのでよかった。
 
実際は、カツオ節に含まれるベンゾピレンの危険性はどこまであるか? それを危険とするなら一般の残留農薬やら添加物やら、それこそ塩や砂糖、肉に小麦に……とありとあらゆる食物に関して持ち出される「危険性」をどう判断するの? 一体何を食べたいの? そもそも、そこまでして長生きしたい? 食べることにストレス感じる方が危険じゃねえか。。。というところまで広げたかったのだが……。
 
さらに放射線まで持ち出せば、炎上する確率は高く、一度炎上たるものを経験してみたかったんだ♡ とかも考えたのだが、さすがにそんな論考を一気書きするブログやYahoo!ニュースで仕掛ける気にならなかった(⌒ー⌒)。後始末もメンドーだし。 
 
 
健康と不安は裏表だ。気にしだしたらきりがなく、一度不安を感じ出すと止まらない。まるで中毒性のある「食べ物」のよう。これは日本人だけでなく、ヨーロッパ人も同じらしいね。。。
  
  
それにしても、反響がやたら大きい。いま、オーストラリアから電話あったよ、「読んだぜ」と。

2014/12/20

ブックオフで本を買うということ

ツイッターで内澤旬子氏が
 
「読みました」「読みます」と言われればなんであれ大変嬉しいです。それは本当。しかし古本でとか図書館で借りてとか立ち読みでとか、耳に入ってしまえばガックリしてしまうくらいのショボい経営状況です。
 
とツイートしていて、思わずリツイートしてしまった……。ほかにも、いかに初版部数が落ちているかを嘆くツイートもあったと記憶する。そう、かつての半分以下になっているのである。しかし1冊の本を書く手間は変わらない。それは同じ手間で手取りがガクンと落ちることを意味する。
 
内澤氏は、私なんぞよりよほど売れっ子で、本もたくさん出してたくさん売れているように感じるのだが……。ノンフィクション系のライターは、みんな四苦八苦しているのだろう。
 
拙著も古本屋で買われると、私にとっては収入につながることもなく、出版社に私の本は売れる!とアピールできるわけでもないから、ショボイ状況なのである。
 
と言いつつ、私も古本屋で本をよく買う(^o^)。図書館もよく利用する。実は今日もブックオフに行ってきたヾ(- -;)。
雨の日に時間潰し&気分転換するのにちょうどいいのだ。もしかして、自分で自分の首を締めているのか?
 
 
そこで、私にとって古本屋で本を買う理由を考えてみた。
 
1、欲しい本ならば、当然新刊書店であれ古本屋であれ、見つけ次第買う。また雑誌も新刊書で買うことが多い。その点で、新刊書店と古本屋は対等。 
 
2、新刊書の際は、ちょっと興味を持っても価格が高いと感じる場合が多い。それが古本屋で安くなっていたら「とりあえず買っておく」という選択をしやすい。興味の度合いとコストのバランスである。つまりコストパフォーマンスを考える。
 
3、自分の欲しくなる本が、新刊書店で見つかる確率が低い気がする。中小の新刊書店は売れ筋ばかりが並び、どの店も同じ品揃え。またその本も1~2ヶ月で店頭から姿を消す。つまり、それなりに規模がないと選ぶほど本の種類がない。
私の興味の持つ本はマニアックな分野が多くて、また時流とかけ離れて仕事上の資料として探すことも多いから過去に出版されたものが多い。古本屋の方が、店内面積の割に興味を引く本に遭遇する確率が高い。
 
4、分野が絞られて本の目安がつけば、ネット書店で探し出すこともあるが、ふらりと書名を眺めていて見つける可能性で言えば、古本屋の方が確率が高い。
 
5、新刊の大型書店は電車の乗って都市部に出ないとない。古本屋や図書館は比較的自宅周辺にあり、車で気楽に行ける。
 
……こんなところだろうか。
 
しかし、やはり古本ばかりが売れるのは、本の売れ方として健全ではない。古本屋とは、隙間産業であるべきだ。
 
なんだか、ショボイ話題になってしまった(-_-)。。。
 
 
ちなみに本日のフックオフは、なんと全品半額セール。通常なら買わない本や雑誌のバックナンバーを3冊チョイスした。\(^o^)/
 
 

2014/12/19

ロシアの小箱

風雲急を告げるロシア情勢。

 
ウクライナ問題に端を発して始まったEU、アメリカの経済制裁と、石油価格の暴落から始まったルーブル急落はロシア経済に何をもたらすか。プーチン大統領が次に繰り出す手は世界を揺れ動かすかもしれない……。
 
といった中、なぜかロシアに行ってきた娘からお土産をもらった。
 
1 直径5センチほどの小箱である。
もしかして宝石とかアクセサリーなどを入れておくものかもしれない。
 
 
3 蓋を開けると、底にも木々が描かれてある。
 
 
なかなかロシアぽい風采ではないか。精緻なようで、ところどころ大雑把な加工の仕方(~_~;)は、いかにもロシア! なのである(笑)。
これは何でつくってあるのだろうか。
パッと見には、テカテカした表面がビニールを思わせ、合成樹脂か? と感じた。
 
しかし、よく見ると断面がちょっと違う。斑点があり、気孔ぽさがある。内側は薄皮を手作業で張り合わせたような様子。木質とも違うか、何か天然ぽさを感じる。
もしかして、樹皮、それもコルク質の木の皮をプレスして押し印を押すように絵を描いたのではないか。
 
Dsc_0121 裏底を見ると、木の皮ぽい。
 
さて、正体は何だろう。不思議な森林資源なのかもしれない。
 
ちなみに娘がロシアを訪れたのは、今回のルーブル急落直前だった。おかげで物価は高く感じたそうである。残念!

2014/12/18

Yahoo!ニュース「静かな侵略者」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに「静かな侵略者……外来同種の雑草たち」を執筆しました。

 
ちょっと前から気になっていたことをメモ代わりに。
 
人類を例に上げると危険なことを承知で(^^;)。
もともと日本人なんて雑種だからね。よく言われる縄文人、弥生人だって、元をたどると大陸から渡ってきたのか、海づたいに南洋から渡ってきたと言われている。
そういや縄文人の遺伝子は、マライ人とほとんど一緒だったという研究も出ていた。
 
 
それを承知で書いたのだが、しかしいきなり身の回りの雑草が、実はアメリカ起源のものと入れ代わったんだよ、と言われると、なにか歴史を失ったような気になる。
 
もっと距離を詰めると、九州のゲンジボタルを東京で放すな、という声もある。
西日本のホタルが光る間隔は、約1秒。東日本のホタルは約2秒というデータがあって、だから関西系のホタルはせっかちなんだ……と言われるのだが、それを東京で放すと子孫は1・5秒間隔で光るようになってホタルの文化が変質してしまうのだ( ̄ー ̄)。
 
静かな侵略者が、次の文化をつくるのかもね。

2014/12/17

紀伊國屋書店はエライ!

大阪に出た際、大阪駅前の紀伊國屋書店梅田店に寄った。

 
売上高日本一と言われ、リアル書店の雄である。近年は大型書店流行りだが、やはり本を売ることにかけては紀伊國屋書店、なかでも梅田店はまだまだ一目置かれる存在である。
 
で、やはり拙著をチェック。
 
だが新書売り場の平凡社新書欄では、ようやく棚に『森と日本人の1500年』が1冊あるだけだった。ほか、古い『森林異変』、『森林からのニッポン再生』なども1冊ずつ……。
 
ま、出版からちょうど2ヶ月。それは仕方ないだろう。
 
念のため、森林や植物、農林分野の棚へ。
拙著を探すというより、新たに何か資料となる本はないかと探していたのだ。
 
 
おお! 
1 平積みだ!
 
エライぞ。紀伊國屋書店。
 
さらに……。
2 右の隅を見てくれ。
 
『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』に『森を歩く 森林セラピーへのいざない』があった。これは、どちらも最近は棚から消えている本だ。絶版状態なのに、ちゃんと1冊確保されている。
 
やっぱりエライぞ、紀伊國屋書店。
 
ちなみに、並んでいる本の多くを私は所有しているなあ。

2014/12/16

「自然の人類学」を捨てた日本人

フランスより人類学者のフィリップ・デスコラ教授が来日していたらしい。デスコラ氏は、「自然の人類学」を提唱したことで知られる世界的な人類学者であり哲学者だ。

大阪の花博を記念してつくられた「コスモス国際賞」を授賞した記念だという。
 
 
と言っても、私は彼の「自然の人類学」そのものを詳しく理解しているわけではない(^^;)。ただよく似た名前の自然人類学(=形質人類学)とは違う。
 
拙いながらも私の理解するところを記せば……。
 
彼は、エクアドルのジャングルで暮らすアシュアール族の村に入って3年間、一緒に生活した。単なる民族調査のレベルではなく、彼らとともに焼畑と狩猟をして過ごしたそうだ。ほとんど探検的調査活動である。
 
そして原生林かと思えた南米ジャングルが、実は彼ら森に棲む部族によって、有用な草木に植生を変化させられていたことを解明したのだ。つまり森の中の多くの樹木は作物として「育てられて」いた。そして狩りの対象となる動物さえ、彼らの“親族”としてつきあい管理しているという……。(もちろん、現代的な「栽培」や「管理」とはまったく違う概念だろうが。)
 
いわば人類も自然の一部として、森林を始めとする生態系に関与している、というのだ。
それは決して現代的な自然破壊とか人工物への改変のイメージではない。まさに人間も自然の一部であると唱えている。
 
 
そうした学説から、デスコラ教授は、西洋的な人類と自然を対立概念とする発想に異議を発している……と私は理解しているのだが。
 
 
人類が、原生林の植生さえ永い年月をかけて変えていたことは、すでにブラジル・アマゾンのカヤポ族でも報告例がある。ほかにボルネオやニューギニアでも例を見ることができる。
私もそのことを幾つかの著作で触れて(『里山再生』や『いま里山が必要な理由』『森林からのニッポン再生』……ほか)、人と自然のつきあい方を考えてきた。 
 
日本でも、最近は「半栽培」という概念が提唱されており、人類と自然界は、野生と栽培の間に判然としない状態の動植物とのつきあい方が永く続いてきたことを示している。
それに関しては、次の本がオススメ。そのうち詳しく紹介したい。(サイドバーを参照)
 
「半栽培の環境社会学~これからの人と自然」 宮内泰介編  昭和堂
 
そして日本人が持つ、石ころや水や風にさえ神を宿り、人と自然を同列に見る精神性こそ、この「自然の人類学」に通じるのではないか、と漠然と考えるに至った。
 
 
しかし、今の私はちょっと懐疑的になっている。
 
果たして現代の日本人が「人と自然」を同列に見ているだろうか。むしろ人を優先に考え、あるいは対立的な概念で捉えることを最近は押し進めているのではないか。明治以降の近代日本は、欧米思想を取り入れて両者を区別しようと歩んできたが、最近とみに「自然は人が管理すべき」という発想が強まっているように感じる。
 
たとえば共有地を解消しようとする動きや、森林を天然林と人工林と区別して考える点もそうだ。あるいは手つかずの自然をゾーニングして、人工的な公園的自然をつくる点にも……。本来はもっとグレーゾーンがあり、誰のものでもないが、勝手に手をつけることを許されない土地があったり、穏やかな自然からの採取活動を認める慣習があったのに。 
 
そうなったのは、日本人の大半が自然とのつきあい方がわからなくなって、法律などマニュアル化した「つきあい方」を画一的に普及させざるをえないからかもしれない。
 
 
むしろヨーロッパでは、常に自然とのつきあい方を自問し、ある種グレーな「森の自由権」や「万人権」と呼ばれる自然とつきあう権利を獲得してきた。
 
そして天然林と人工林を区別しない近自然林業が発達してきたし、アメリカでもダムを撤去して、自然界の中でほどほどに水の制御する治水政策を推進し始めた。自然と人工を明確に区別する政策への反省が伺える。
デスコラ教授の「自然の人類学」も、そうした心性を.揺るがす哲学として唱えられたように感じるのだ。
 
もちろん欧米人の根幹には、キリスト教的な人間中心主義が強固に根付いているのは事実だろう。だが、それに疑問を持ち出した様子が見られるのだ。
一方で、明治時代に持ち込まれた古い思想に今も染まり続けているのが現代日本人ではないか。
 
日本は民俗的な精神性では「自然の人類学」を先導していたはずなのに、実社会での応用の点では逆に落伍してしまった。いや、精神性さえ捨て去ってしまったのかもしれない。
 
明治以降輸入し続けた欧米の人間中心思想が、とうとう日本人を変えてしまったのか。だが、肝心の欧米は過去の人間中心思想を反省し始めているとしたら……皮肉ではなく、再び日本は、欧米に教えを乞うべきかもしれない。
 
 
……そういった論考をまとめたのが『森と日本人の1500年』である。
 
 
 

2014/12/15

狩りガール議員

衆議院選挙が終わった。

まったくつまらない選挙だった。。。(でも、投票は行きましたよ)
それに結果も。実につまらん。
   
ようするに現状維持だ。マスコミの多くは自民圧勝と叫んでいるが、実は前回より減っているし、増えたのは公明党だから、与党内では自民の右派のブレーキ役になるだろう。
野党も、全体の数はほぼ変わらず、むしろ右派野党が数を減らして左の最強硬野党・共産党の躍進を考えれば、与党はより煙たくなったのではないか……。。。
 
とまあ、そんなことを「分析」してもしょうがない。
 
目立って面白い議員もいないしね。。
 
たった一人。ん? と思ったのは、「イノシシを解体した議員」がいるとのテロップ。
 
誰だ? と見ると、神奈川17区の牧島かれん議員だった。自民党候補で今回2期目の当選。
 
なんでも今夏狩猟免許(わな猟)を取って、イノシシの解体にも挑戦したとか。
いま流行りの言葉で言えば、狩りガールらしい。
 
へえ、狩猟に興味があるのか? と思って一応調べてみると、経歴的には外資系(笑)で、農林業や田舎などの土着の臭いはしない。父が県会議員で引退した河野洋平衆議院議長の後継に当たるそうだ。
 
政策的にも、目立った農林業への思いは感じられないが、獣害対策の項目はある。
なんでもハンターを増やすために狩猟税の撤廃に尽力した……ようである。
おそらく、その過程で免許を取得して、体験的にイノシシの解体にも挑戦した、というわけだろう。農業も一生懸命に勉強している風。
日常的にわなを仕掛けて、獲物を解体しているわけではなさそうだ(^^;)。
 
一応、解体シーンの写真もアップしていた。
 
一度、取材したいな。国会議員にインタビュー!
……で、政策に関しては一切聞かず、イノシシの解体の仕方ばかり(ナイフの使い方とか、血抜きとか、毛皮の剥ぎ方……)を質問する。。。怒りださないだろうか(笑)。
 
いや、鳥獣害対策、頑張ってくださいね。

2014/12/14

一人忘年会向きのカフェ

生駒の新カフェ

大阪で一人忘年会?した帰り、夜道を家に向かっていると、見慣れぬところにお店の灯り。

おや、工場跡地に何かできてる。ここには、かつて町工場があったのだが、10年ほど前に廃業。その跡地に短期間カフェがオープンしたことがあったが、すぐに姿を消している。その後は永く廃墟状態だったのだが…。

つられるように店に入る。

外側はコンクリート……というよりセメントのはげ落ちたかのような外壁に板を打ちつけたかのような姿だが、中はウッデイな内装と手作り的な古家具が並ぶ。作業机などアトリエ的な雰囲気。元が元だけに、わりと広い。

若い女性店主に聞けば、カフェだけど、夜はアルコールも……。数カ月前にオープンしたそうだが、一人でやっているので少しずつとか。

赤ワインを頼んで 広いソファーに落ち着く。あてにはアンチョビホテト。

焚き火カフェに続く発見だな。そして一人忘年会の続き(^^;)。

一人でぼおっとして、クールダウンするのにおあつらえ向きかも。

 

以前から思っていたんだが、どんな田舎にも、ちょっとおしゃれなカフェなりバーがあると、若者の定着率は上がるんじゃないだろうか。若者が居場所を得ると言う意味で。。。

ま、それがスナックになってしまっては困るんだが。

また、寄ってみるか。次は昼も。地域づくりについて考えるために。いえ、店主目当てではないよ。。。。ないってば。

2014/12/13

焚火カフェ

例のラッキーガーデンが始めた、新たなカフェ。

 
名付けて、焚火カフェ!
 
1  羊エリアでオープンです!
 
……ようするに、ヒツジの放されている牧場?に入って、そこで好きに焚火してもいいよ、というだけなんだけどさ(笑)。あ、飲み物はセルフね。焚火も当然、セルフ。
 
でも、ちゃんと火を起こせないと恥ずかしいよ。みんな見ているから。
 
2 ちゃんと、坐るところと火を起こすところは用意してある。
燃やすものも、多少はある。
これ以上必要なら、自分で取りに行く。薪割りも自分でする?
 
アイデア次第で、なんでも客寄せになるんだよ。
 
ま、私は、衆人環視(休日はお客さんが多すぎて、焚火を始めるときっと視線が集まると思う。)の中の焚火ではなく、森の中で行うつもり。

2014/12/12

北国から届いたカレンダー

北国……北海道からカレンダーが届いた。

 
寄贈してくださったのは、北海道アルバイト情報社。
なんと、この会社は社有林を持っている。新十津川町で「ほある」と名付けているらしい。マスコミ関連で社有林を持っている会社というのは聞いたことがない。
その森のトドマツを活用してつくられたのだそうだ。
 
3 これは、6枚をばらしたもの。
 
そう、ツキ板製なのだ。
なかなか上品でオシャレな出来ばえだ。
 
アップにするとこんな感じ。
4_2ほんのり木目が浮き上がっている。トドマツは白木だから、奥ゆかしく木製であることを主張している感じ(笑)。
事業で紙を大量に消費している会社が、社有林の木を紙代わりにカレンダーをつくる……なかなかストーリーを生み出しているではないか。

2014/12/11

Yahoo!ニュース「吉野杉の「おすぎ」を買った女」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに「吉野杉の「おすぎ」を買った女……木材の価格は誤解だらけ 」を執筆しました。

 
これは、川上村の地域おこし協力隊員の鳥居由佳さんの話を書いたもの……て、最初の予定はそうではなかったんだけどね(^^;)。
 
実は彼女の話を枕にして、木材価格のイメージのずれを書こうと思ったのだが、彼女に写真を借りるため連絡とって書き出したら、そりゃ、彼女の話がイチバン面白い(^O^)。
それに彼女の行動そのものが、木材価格のズレをもっとも端的に示しているではないか。

Yahoo!ニュースの担当者も面白いという。そして「丸太女子」と表現した。
しまった! この言葉をタイトルにしたらよかった。 丸太を偏愛する女子が全国に知られるようになったら、今後彼女の行動は、かなり注目を集めるだろう。
 
実はアップ後、ものすごい勢いでシェアされているので、結構な人に読まれているようだ。
 
せっかくだから、写真をもう一枚。
 
2
 
この写真、丸太の小口が微妙に欠けているので使わなかったのだけど……彼女を顔出ししてしまっていいかなあ。

2014/12/10

「シイタケ原木需給調査」の嘘

9月末に林野庁のシイタケ原木の需要(希望)と供給可能量の調査結果が発表されている。

 
 
これは、原発事故のため、シイタケ原木の大供給地だった福島県の生産が、事実上ストップしたことを受けてのものだ。
 
この件に関しては、以前も5月末の調査結果を受けて本ブログに記した。
 
シイタケ原木の需給状況
 
この時も、供給は足りているという数字が記されていて、「
供給希望量は17府県で151万本。供給可能量は12県と国有林で175万本。つまり23万本の供給余力」と私は書いた。
 
なんだか、数字が示す意味が理解できずに不思議だった気持ちが文面にも現れている。
そして今年9月の調査結果は、希望量118万本で可能量が137万本。19万本の余力という数字だ。ずっと足りているのか。
 
林野庁は、これは需要と供給のマッチングを促してきた成果だと自画自賛している。
 
 
ところが、農業ジャーナリストの窪田新之助氏によると、とんでもない林野庁の調査の裏側が浮かび上がった。
 
窪田氏は、各地の大規模シイタケ生産農家や種菌メーカーを取材したところ、原木供給が足りているという統計と実体がそぐわないことがわかった。なかには実際に調べた人もいて、2013年9月末の調査で80万本が供給可能とされていた高知県が、実際の供給可能量は10万本だと当事者は言っていたというのだ。80万本は潜在的な資源量なのである。
 
おそらくそのほかの県にも供給可能量と資源量を取り違えた数字を出しているところはあるだろうから、全体としては確実に供給は足りていないはずだ。
おそらく、その穴埋めに菌床シイタケへの切り替えが進んだのではないか。言い換えると、原木シイタケはますます減少していると想像できる。福島の穴は埋まっていないのである。
 
 
これは驚きを通り越して、完全に統計が間違っている、あるいは嘘・でっちあげだということを示している。
どんなに山に木があっても、出せなくては、そして価格などが折り合わなければないも同然ということは、シイタケ原木に限らず木材全般に言えることではないか。
 
たとえばコナラやクヌギの資源量なら、生駒山も莫大にある。いや、近畿一円、どこもコナラとクヌギ山ばかりだ。西日本全体で需要の十数倍あるのではないか。しかし、出せないのだ。道や集材方法がないからである。専門業者はいないし、無理に出そうとしたら、やたら高くつくだろう。それでは買い手がつかない。
 
そもそもシイタケ原木と言っても、コナラのほかクヌギもアベマキもシイタケ栽培には可能だろう。そして西日本にはクヌギが多い。しかし、東日本ではシイタケ原木と言えばコナラを好む。クヌギは樹皮が分厚くて種菌を打つのが大変で芽生えも悪いとか、乾燥しやすいともいう。プロのシイタケ農家にとって扱いやすいのはコナラなのだ。
 
さらに窪田氏は、希望量の調査も、大規模農家や大手メーカーが外れているらしく、正確な数字とは言えないという。
 
 
 
……そんないい加減な調査だったのか。。。林野庁は何をやっているのだ。もはや調査と言えないのではないか。こんな数字を出して、何を安心している(させようとしている)のか。
 
もしや、原発事故の損害補償を削減する手助けしようとしているのか。供給が足りていると言えば、生産できなかった補償金は払われなくなるからだ。
 
なんだかおぞましい気分になった。。。
 

2014/12/09

石垣(の木)伐採

しばらく手をつけていなかったタナカ山林。

 
別に忘れていたわけではなく、たまには巡回して変化を見ていたのだが、忙しくて何か手をつける暇がなかった。年も押し迫り、ヒマになった(!)ので、あらためて現地を見ることにしたのである。
実は、来年用のシイタケ原木の確保を考えている。広大なタナカ山林(^^;)といえども、適切なコナラの木は少なく、運び出しも考えると適地がなかなか見当たらない。
太いコナラならたくさんあるのだが、一人では倒せない。無理に倒すのは危険というだけでなく、道に倒れたりしたら、大問題になる。チルホールが必要だろう。一本伐れば、その枝だけでホダ木は確保できるのだが。
 
 
伐採跡地は一夏越えて、倒した木も枝葉が落ちてすっきりしてきた。倒した木々を薪に欲しいという申し出は何件かあったのだが、これまでのつきあいからラッキーガーデンに献上することにしていた。お店の薪ストーブ用である。
 
近く取りに行くとのことだが、まだ手つかず。ユンボを入れて運ぶと行っていたのだけどな。
まあ、土壌を荒らさないよう、きれいにさらってくれると地拵えになって、今後扱いやすくなる。近く相談に行こう。
 
というわけで、本日手をつけたのは、石垣から伸びている樹木の伐採。石垣からかなり太い幹が何本も育っているのだ。そのうち、とりあえず伐りやすいものを2本ばかりやっつけることにした。
私にしても、久しぶりのチェンソーを手にすることになる。幸い、エンジンは好調にスタート。
 
6 これは、以前撮影したもの。
真ん中に石垣からニョキッと伸びている2本がわかるだろうか。
 
本当は、石垣とも上の土地の所有者のものであるが、以前、私が林地内の樹木を伐採中に所有者と偶然会って、向こうから石垣の木も伐採してくれ、と頼まれていた。
 
12_10 伐採後。片方は小さな枝を残した。
 
アラカシであるが、伐るのは簡単でも、その広がった枝葉の処理は難物。面倒な木だ。無理せず、これくらいにしておこう。次の楽しみを残す。
この季節、午後3時を過ぎると、日が傾き暗くなる。
 
シイタケ用の木はまた探すとして、当面は石垣伐採だな。 誰か、伐りたい人、いる?
 

2014/12/08

豪雪と里山資本主義

季節外れ?の大雪が、列島各地で話題になっている。

 
とくに四国(主に徳島県)の大雪が、いくつもの集落を孤立させたニュースが連日テレビを賑わしている。その集落はいずれも限界集落化しているらしい……。
 
それで思い出したのは、何年か前に新潟県の山間が雪に閉ざされたこと。
 
そこでも1週間ばかり交通が途絶して、自衛隊が道路の除雪を必死に行って集落に入る……それに同行したマスコミが口々に「大丈夫ですか!」と叫んで住民に閉ざされた生活の大変さを聞いて回る……。なんとか、食料が尽きていた様子を映そうとするのだが。。。
 
実は、その後まったく別の地域のシンポジウムでお会いした人が、その地域の出身者で、「あんなバカな報道しやがって」と怒っていたのである。だって、その地域は昔からの豪雪地帯。1週間ぐらいの食料の蓄えは当たり前で、道が閉ざされることも慣れっこで、たいして心配していないというのだ。
本来、山間で暮らす人々は、危急の際に乗り越える用意ができているのである。いわば日常のシステムとは違うサブシステムを備えている。それでもマイクを向けられて「自衛隊が道を通してくれましたが」と聞かれたら、「有り難いことです」と応えなくては仕方がないではないか。やらせだ! と怒っていた。
 
 
もっとも、今回は豪雪地帯というにはちょっと無理がある徳島県で、しかも12月初旬。想定外であったことは間違いない。それに電線が切れてしまった。何より驚いたのは、そんな山間部なのに、オール電化住宅が結構あったという点だ。おかげで電線が切られたら灯どころか暖房も調理も電話もできなくなった……。
 
で、映像に映るのは、古いストーブなのである(灯油も薪もあった)。「これでは寒くてたまらない」という言葉とともに(^^;)。
これって、里山資本主義で大いに喧伝している「サブシステムとしてのバイオマスエネルギー利用の出番だったのではないか。薪ストーブがあれば、電気が途切れても大丈夫と主張するのにもってこいのシチュエーションだったのに、現実には雪が積もると薪も取れず、暖房としてもひ弱だったらしい。また調理も面倒だったと不評。
 
薪ストーブは、日常時に火を見て楽しむにはいいが、非常時には力不足だったのかもしれない。期待したサブシステムになっていない。
 
やはり里山資本を活かした生活は不便らしい。もっともテレビのインタビューでは、「寒くて不便なのは毎度のことだけど」というセリフも登場したのだが。

2014/12/07

「職人気質」は保てるか?

先日の京都府立林業大学校の講義。

 
私は、全体を通して「林業のイメージアップ」にもっと取り組まないと……というスタンスで話したのだが、最後の質問で
 
林業は、イメージアップしなくてはならないのか」という疑問を出された。
「町工場だって、世間的にはそんなにイメージはよくない。でも、自分たちがトヨタの高級車レクサスの部品をつくっているんだ、的な誇りをもって満足している。林業だって、世間の見る目より自分が誇りをもつことでいいではないか」……簡単にまとめると、そうした意見だった。
 
面白い。もちろん私は賛成しない(^o^)。が、そうした議論をすること自体は大切だろう。
 
 
私は、やはり世間一般の評価が大切だと考える。そもそも町工場だって、本当は世間の評価を求めているのではないか。単に自分の心の内の誇りだけで満足しているのだろうか。
林業も、いくら自分たちが森林を守っているとか、木材を供給している……など誇りを持っても、物足りないはずだ。(そもそも、完全に役割を理解しているのか。そうした事実が誇りになっているのか。。。)
また、世間の評価が給与や待遇、また木材の価格などを左右するところもあって、そこを無視したら報われるものも報われない。結果的に林業界への新規就業者も減ってしまう。
 
それに他者の声を聞くことによって技術も、理論も、経済面でも進歩改革するものだ。
 
今回は、ある意味、世間の目なんぞ気にしない(したくない)職人気質を林業界は保っているのだなあ、という点に感心してしまった。そんな職人ばかりだったら、逆にたくましさを感じるかもしれない。一方で、他人の意見や情報にあまり左右されない。昨日アップしたような「施業方針が、地域ごとにあまりに違う」点と、根は同じだろう。
 
「職人気質」は、自らの仕事に没頭し周りを気にしない……残念ながら、今では「古き良き時代」の話になってしまう。それが許された時代は既に過去のものだ。
 
同じような研究の世界とか、芸術・文化の世界でも、広報なくして存在できなくなってきた。自分の熱中すること(得意とすること)など1本に集中して取り組めたら、どんなにいいだろう。
だが現実は、文楽とか浄瑠璃の仕手が、芸事だけに熱中していたら補助金を削られるし、役立たない地味な昆虫の研究しかしなかったら研究費は出なくなるだろう。
みんな、自分の取り組むことの意義を世間に訴えなくてはならない。本を出版したら、著者自ら売る努力をしなくてはならない……。(ここ、大事(^o^)だよ)
 
では、どうする? 研究者も職人も、苦手な広報をこなす訓練をするのか、あるいは広報マンを別に雇うか。。。しかし、他人任せでは本当に上手く伝えられるのか、あるいは新たな情報を取り入れ活かせるのか。
 
 
……こんな議論を真っ向からしたら面白いと思うが、本当の職人だったら、議論するのもイヤで、ちゃぶ台ひっくり返すのかもしれないね(笑)。

2014/12/06

施業理論と木材

まだ自分の中では結論は出ていないけど、ちょっと気になる話。

 
考える手助けになるようにメモしておこう。
 
19  
 
某林業地を訪れた際、強度間伐をしている林地を見せていただいた。かなりスカスカに抜いていたが、それで林床によく光が入るようになる。それはいい。
 
切り株を見ると、真円に近く、年輪も詰んでいた。樹齢は50年ばかしになるか。
私は「いい材質じゃないですか」と言った。
これほど詰まった材なら、間伐材と言ってもそこそこ値がつくのではないか。
 
しかし、そこで言われたのは、ちょっと意外な言葉。
 
「詰まりすぎだからイカンのよ。こんなに生長が遅かったら、材積がない。だから伐って、もっと光を入れるようにすると残した木がよく育って太くなる」
 
彼は、強度間伐論者なのである。ときに間伐率70%にするらしい。
 
隣の林地も間伐をしていたが、弱度だ。林床に光は入っているが、数年後には樹冠が閉鎖するかもしれない。彼は、その林地をけなした。あんな伐り方だと、いい森に育たない、と。
 
私は、やはり目の詰まった年輪を見ると、いい木だな、と思う。真円だし、もし曲がりがなかったら、結構な銘木になるのではないか。しかし、最近はいくら材質がよくても市場ではその価値は求められず、細い分だけ安くなるだろう。もっと早く太らせて(年輪は荒くなっても)、材積を稼がないと利益が出ないというわけだ。
 
彼の論は一理はある。たしかに出荷後の売価を考えれば、(今は)その方が利益が出るのかもしれない。
ただ、やはり目を詰まった木目の方が「よい木」のような気がするのだ。値段や人の好みだけでなく、生物としての樹木としても。材質も堅く締まっているので風に強いかもしれないし、ゆっくり生長させると色つやもよくならないか。これは吉野林業の見すぎか?
 
隣の弱度間伐の林地も、たしかに20年に一度しか間伐しないのなら弱すぎるかもしれないが、もし5年ごとに間伐を繰り返す計画だったら、むしろ弱度の方がよいだろう。強度間伐は、林内環境の変化が大きいからリスクが大きくなるような気がする。これも、吉野林業の影響を受けすぎか?
 
施業方針は、間伐の考え方や、主伐の伐期、さらに出荷方法など全部が影響する。
 
 
林業は流域どころか、谷ごと、尾根ごとに違うという。それほど土地環境や地域の歴史的な価値基準、経営上の慣習などは千差万別なのだろう。ある意味、多様性多き産業なのだ。
それ自体はよいことだと思っているが、それぞれの流儀が、必ずしも絶対よいとは言えない。もしかしたら無意味な慣習に引きずられているのかもしれないし、変化する時代に追いついていないのかもしれない。 あるいはもっとよい方法があるのを知らないだけ……とか?
 
隣の谷や尾根の向こうの林業のやり方も知った上で、自分の立ち位置を決めていかないとなあ。
 
102  
 
 

2014/12/05

八王子の書店にて

先日訪れた八王子で、ちょっと空き時間に覗いたくまざわ書店。

 
おお、『森と日本人の1500年』がまだ平積みされているぞ。
 
Photo
すでに11月の平凡社新書の新刊(下段)が出ている中で、生き残ったのだ。拙著と同時に出たほかの新書は、ここでは姿を消している。
ちなみに、この書店の品揃えは、私好みであった\(^o^)/。
 
 
ところで某事情通情報(^^;)だが、現状の消化率は44%ほど。この手の指標数値は、分母が小さいから必ずしも正確な売れ行きを示しているわけではないが、1カ月半でこの程度なのは、まあまあの成績か。ずば抜けた数字ではないが、最初から爆発的ヒットは期待せずコツコツ売れる本と位置づけていたから、悪くない。
 
またリアル書店よりネット書店で売れているよう。
こちらも想定通り。
 
頑張れ! コツコツ堅実に。
 

2014/12/04

Yahoo!ニュース「林業界の差別……」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに「林業界の差別、違法伐採……国際社会の冷やかな目 」を執筆しました。

 
実際に電話取材を受けたのだけど、「林業界の差別問題」って、ホント盲点。しかし、みんなが「知らないふり」しているだけかもしれない。
もし、具体的な差別的な経験や見聞があったのなら、こっそりチクリメールをください。情報源の秘匿は守ります。あなたの情報がセカイを動かすのですよ。
 
今回は、そこに前から気になっている「違法木材」の報告書を読んで、国際社会の冷たいというよりは厳しい目を感じたのであった。
 
 
 
もともと日本の林業界は、国際社会どころか、国内でも尾根一つ向こうの林業を知らない(・・?) エッというようなことが日常茶飯だからなあ。もっと視野を広げて、他者の自分たちに向ける視線を感じないと。そして゛それに反応しないと。
 
 
というわけで、明日は京都府立林業大学校で久々の講義。
たっぷり「世間の目」について語りたいと思いますv(^0^)。

2014/12/03

Yahoo!ニュース・カンファレンスに出席した理由

先日は、東京で開かれたYahoo!ニュース個人のオーサー・カンファレンスに参加してきた。

ようするに、Yahoo!ニュース個人に執筆している人々の集まり。「ニュース個人」がスタートして2年、初めての試みだそうだ。
 
なぜ、奈良に住んでいる私が参加したか。そんな重要な会議なのか。
……実は物見遊山的な気持ちであったヾ(- -;)。
 
最初に案内が来たときは、「わざわざ東京には行けないなあ。忙しい時だし」。
 
で、無視していると、幾度も出欠の返事を求められる。期限を過ぎているのに。だいたい一度東京に行けば旅費で4万5万円は飛ぶのだよ。結構痛い出費になる。
 
そこで「出張費は出ますか」と返信。
「出ません」と返ってきた。
 
そこで「宿泊費は出ませんか」と返信。
 
「出ないのです」と返ってきた……。
 
だったら、行ってやろうじゃないか! と考えた。何を反発しているんだ。
 
いえ、実は同時期に某出版社の編集者から「打ち合わせできませんか」と連絡があったため。それなら抱き合わせるか。それに、遅かれ早かれ取材に行きたいと思っていたところも東京にあるし、これを一まとめにして出張を企てたわけ。
 
……実は、Yahoo!の担当者の返信の書き方が気に入った面もある。事務的な返信メールだったら、あっさり無視しただろうが、私がちょっとからかうように「出張費!宿泊費!」と書いたのに個別にマジメな返信をくれたことに好感を持った。(メールのやり取りは、もちろん経費のことばかりではない。) 
執筆者としては、そうした面に反応するものなのだよ。これは編集者とのやり取りも同じ。
 
ちなみに、カンファレンスは想定以上に面白かった。単なるオーサーの集まるお祭りかと思っていたのだが、ネットニュースを一種の言論の府としての場にする意欲が感じられたのだ。
 
Yahoo_4 ニュース本部長のプレゼン。
 
「Yahoo!ニュースのオーサーからピュリッツアー賞の受賞者を」という言葉さえ飛び出す。
 
そこからは、今の新聞や雑誌界では感じられない「若々しい熱気」とでもいえる爽やかささえ感じられた。常に変化する、またオーサーや読者の声を取り入れる発想がある。パネルディスカッションでは、ライバルに当たるハフィンポスト日本版やBLOGOSの編集長、そしてニコニコ動画のニワンゴ社長まで出席している。
 
それに、さすが主催がIT企業だ、会場からもスマホなどで参加できる。
ただ、私はQRコードの使い方がわからずモタモタ(^^;)。IT弱者だから苦手だなあ。
 
Yahoo_12 それでもアンケートにかろうじて参加できた。
 
そんなこんなの東京。ちょっと疲れたが、いい刺激だったよ。

2014/12/02

東京割り箸!

今日は、なぜか東京八王子を訪ねた。

 
なかなかよい雰囲気の里山が広がっているじゃないか。。。。でも、人と車は多いけど。
 
さて、そこで発見したのが、これ。
 
060 そう、割り箸だよ。
 
そして、これは東京産なのだ。ついに東京でも割り箸をつくっていることを発見したのだ!
つくっているのはあきる野市にある社会福祉法人 山の子会 山の子の家
 
障害者施設であった。そのため量産できないらしいが、まぎれもなく東京のスギ(多摩産)を使ってつくっているそうだ。種類としては元禄箸だが、きれいに磨いてあるので、ちょっと高級感も漂っている。
価格は、10膳入りで250円だから、お世辞にも安いとは言えないが、なかなか箸としては出来は悪くない。木も白身をちゃんと選んでいる。
せっかくだから、裏書きを掲載する。
 
065
  
ほかにも杉卒塔婆もあるらしい(製造元は別)。
 
東京産スギも、コツコツ頑張っているのだなあ。

2014/12/01

会議場

先日、新城市で開かれた「新城設楽生態系ネットワーク協議会フォーラム」の講演会の会場はちょっとドキッとした。

 
002
 
これって……巨大会議場。それも国際会議なんぞで見かける形式だ(笑)。天井も高いし、コの字型に人が座っている。
 
同じものは、以前、衆議院議員会館の会議室で経験したが、そこでは実際に多くの人が並んで順番に発言するので、違和感はなかった。
しかし、前に立つと、ミョーな気分。なんとなく、3方向から視線を感じるし。
 
逆に私の担当が終わって、ほかの人の発表を横で聞くと、間近なんで迫力がある。
 
004 こんな感じ。
 
しかし、講演というより「会議」的で、聴衆と同じ高さで語り合っている感覚になる。各席にみんなマイクを置いて、自由に質問や意見を言えるようにしたら、もっと盛り上がったかもしれないなあ。
 

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森と林業と田舎