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2014/12/29

森を保つということ

今年も押し迫ってきた。

 
この1年は、ほぼ休むことなく本ブログを書いてきた。森林や林業、木材、地域……など狭い世界に絞った話題だけで、よくぞ続けたものだ。そもそもブログ自体は、ほぼ9年続けているし(~_~;)。来年は10周年だな。。。
今年書かなかった日は、1年を通して3日くらい、正月休みを入れても1週間にならないだろう。その日は、たいてい旅の空の下で書く時間がなかった時か、人生に悩んでいた時か、酔いつぶれていた時だと思う。
最近は、酔いつぶれても書いているが……。後で読み返して、「あら、酔っていても、わりとマトモに書いているやん」と自分で自分を褒めたい(^o^)。
 
 
閑話休題。
 
今年も最後のつもりで、改めて森について感じていることを。
 
拙著『森と日本人の1500年 』を執筆する過程で、森も時代に合わせて常に変遷してきたことを痛感した。そこには小さくない力で人が関与している。そして、いかに森の持続が難しいか、ということも考えさせられた。一定地域を森として残し続けるためのモデルになるようなシステムはなかなか見つからない。
 
技術的な森づくりの難しさはさておき、問題は人間社会の伐採圧と伐採後に再び森を成立させる意志の有無だ。人が森に手を出す際には、長期的な視点と関与の持続が欠かせない。しかし、その「長期間」を担保するのが至難の業なのである。
森の時間で長期とは、最低でも50年100年単位で捉えなくてはならない。すると一人の人生を超えてしまう。世代を超えて森を維持する意志をどのように維持したらよいのか。
 
すぐに思いつくのは公的機関だろう。昔の幕藩、今の国家や自治体に任せたらよいのではないか。国が続く限り、森林経営を行うはずだ……。
だが、これこそもっとも頼りない。国はそれなりに続くにしても、政策は猫の目のように変わる。役人は同じ役職に就くのは長くて数年、たいてい2、3年で移っていく。自分の担当する年月だけしか責任を負わないし、任期中だけの成果を求めるから、到底森の時間になり得ない。そして自分のものという意識は持てない。
公共という誰のものでもない形態こそ、もっとも信用ならないのではないか。だからコモンズの悲劇が起きるのである。
 
私は、林業は家業ではないか、と考えてみた。(血統ではなく)家系を通じて代々維持していくことは可能だろうか。肉親ゆえに先代の意志が伝わるのではないか。明文化していなくても家訓・家憲のような形で継承されていくはずだ……。
しかし世代によっては、森に興味のない後継者が登場したり、後継者が断たれる可能性だってある。事業に失敗して山林を手放す話は枚挙に暇がない。もちろん10代以上続いている林家もあるが……この先はわからない。
 
いっそ、民間企業はどうだろうか。
意外と長期間山林を保有する会社はある。社長はたいてい10年前後で交代するが、ちゃんと経営は引き継がれる。とくに三井系や住友系のような大企業グループは、社是として森林の保有を掲げているのだろう。グループ総体で山林を支える意志を醸成しており、短期間の赤字は無視できる体力を持つ。
おそらく森を持つことが、広い意味での本業にもプラスとなり、社員の福利厚生や誇りと社会貢献のような使命と考えているのではなかろうか。
 
ただワンマン経営者の場合は、森を保有する意志が固ければよいが、あっさり方針転換することもあるし、本業が傾けばあきらめざるを得ない。後継者の資質も問われる。代替わりした途端に森の経営方針を変えるケースも少なくない。
資産としての保有とかCSRの一環だとかオーナーの趣味では持続しない。手放す決断は案外あっさりやってくる。逆に「事業として経営」されていれば、多少の赤字でも粘るかもしれないが。
 
……ならば、一体、どこに可能性があるのか。
 
宗教はどうだ。
宗教法人が森を所有すれば、長期間の持続が可能になるかもしれない。心の拠り所としての森を維持する。森をつくる。そして先祖が眠っていると思えば、むやみに伐れないのてはなかろうか……。もっとも鎮守の森だって、意外と変容を続けている。
 
もちろん宗教団体も、人が運営する限り方針転換もあり得る。森を転売したり開発してしまうケースも少なくない。それに今後は、宗教法人の消滅も増えてくるだろう。人口減社会は、山林に近い地域の寺院ほど経営が立ち行かなくなって無住化したり、解散に追い込まれる可能性が現実味を帯びている。
 
  
いろいろ考察した結果、一個人・一組織が継続して森林を経営していくのは無理だな、という至極当たり前の結論に達した。
同時に、何がなんでも森林を維持するという発想が、後継者の足を引っ張るように思う。
 
それより常に経営意欲のある個人・組織にバトンタッチしていく方がよいのではないか。
 
   
それに自然は人が小賢しく考える以上にたくましい、そして森林は常に変化する、という視点を持って長いスパンで俯瞰すると、時の流れるままに対応してもよいような気がしてきた。
 
森が減ったら様々な点で齟齬が生じ始めて必死で森づくりを行うし、森が広がると放置して荒らす。さらに「これこそ資源だ、宝の山だ」と木を使うことばかり考える。そして遅れてか伐りすぎたことに気づく……その繰り返しなのではないか。
 
自然も人の世界も、一方に偏れば必ず反動で逆方向にぶれる。森も植える一方の後に伐る一方の時代が来る。政治も左にぶれたら右にもどる。反動が強くて右に行き過ぎたら、必ず左にぶれる時が来るだろう。
 
……そう考えてジタバタせずに長い目で待ってもいいのでは。政治も森も。。
 
もちろん、その前提に維持しておかねばならないものもある。
人が森林に持つ愛着だ。
 
森林が好きだという思いを失わなければ、必ず森は回復する。逆に愛をなくせば、いくら時間をかけても……という気がする。
 
森への愛は、努力して醸成するものだ。私も、そこに役割を得られるのなら幸いである。来年もガンバロー。。。
 

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コメント

毎日記事を書くのは大変だったでしょうね。ネタを見つけるのも大変だろうし、公演や移動で疲れているときもあった中で書き続けていたのは尊敬します。共感・賛成する記事は半分位ですけど、俺には無い考え方や知識を沢山頂きました。ありがとうございました。


森林の保持は難しい問題ですよね。さらに役人を相手の仕事だと人によって言うことが違うので本当に大変です。列状間伐賛成の人も居れば反対の人も居るし、広葉樹を残せって人も居れば切れって言う人も居るし…。去年と言ってる事が違うって事がよくあります。
自分で一から山を作ってみたいけど、結果が見れる頃にはとっくに死んでるからそういう訳にもいかないし…。木の成長が今の10倍早ければ自分で植えた木を自分で収穫出来るし、試行錯誤も出来るんですけどね。
まぁ嘆いていても仕方ないし、考えていても結論も出ないので、俺は目の前の現場現場でベストを尽くします。とりあえず今の所は、間伐が多いので、良い手入れをすればきっと後で自分達にもそれが跳ね返ってくると言い聞かせながら仕事してます。

ま、毎日書き続けるのは大変ではあったけど、実は趣味の領域に達していましたから(^o^)。
  
「共感・賛成する記事は半分位です」というところが肝かな(~_~;)。

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