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2015/01/26

高齢化医療と集落の活性化事情

本日のお客さんは、日本社会の医療体制の研究を手がける人。

時折訪れて、研究内容を楽しそうに話してくれる(^o^)。
 
ちょっと難しいが、面白いので紹介しよう。
まず大発見をしたのだそうだ。それはかい摘んで言うと、日本社会は2030年ごろに、人口の半分以上が50歳以上になるということだ。かつて「人生50年」と言われた時代からすると、「余生」を送る人が人口の過半になってしまう。
 
人生50年時代は、生まれて学んで育つ第1期、社会に参画して家族をつくり義務と責任を追う第2期までで大半だった。子供が成人し巣立った後に訪れる自己実現と自由の時期(第3期)は、ほんのわずかだった。
 
実は、日本のみならず世界中の国・社会は、この原理で構成されている。ところが、日本はついにその枠からはみ出ることになる。ほんの数年~十数年で終わるはずの第3期が数十年も続くのである。平均寿命からすると、30~40年もある。
 
医療福祉も、過去のパラダイムから新しい世界に作り直さなければならない……。
 
そんでもって、こんなグラフを見せてくれた。
 
Photo (長谷川俊彦氏作成)
 
これまでの医療は、病気になって治療して回復し安定する……というサイクルだった。ときに治療しても障害が残るか死亡するということもあった。それは(病の)単一エピソードである。
しかし高齢化社会になると、病気になって治るまでに次の病気になって……と繰り返し、徐々に弱って終末期に入る。その間に介護も必要になる。介護も在宅から施設ケアへと重度になっていく。それを繰り返して、確実に死に向かうのが高齢者医療なのである。
 
だから医療福祉体制も、新たな仕組みに組み直さないといけないのに、今も単一エピソードを前提としたままだから、多くの齟齬が生じる。それは医療だけでなく社会システムの問題となるのだが、余生を送る人の方が多くなる社会では、どうしなくてはいけないか。
 
なんとか余生でも働いてもらう、介護も軽い在宅期間を延ばす……ようにしなければならない。そして、その中で重要なのが農山村社会だというのだ。
 
この辺りの理論は一気に端折るが、ようするに余生を農業や林業に従事してもらう必要があるという。これを将来の農山村社会のモデルにならないか、というのである。
 
ちなみに実証的な調査は、岐阜や滋賀で行ったらしい。
 
 
しかし、私は余生の仕事ではフルタイムの本業にならないし、収入も十分に確保できないことを指摘した。年金の受け取れる年代も先のばし必至の事情では、いかに生活を維持するか。
一つの可能性としては、空き家利用によって住宅コストをゼロに近くすることを考えるべきだろう。さらに自給的農業で食費を抑えることも考えないといけない。
 
 
……だが、その前に上記のグラフを改めて見てほしい。
 
この高齢者の段階的な医療ケア事情は、そのまま限界集落事情に当てはまらないだろうか。
行政の施策も、徐々に変化する。
高齢者ケアは、最初は一過性の病気対策から在宅、施設の介護と移って行くように、集落も当初は起業で活性化とかIターン誘致なんて言っている段階から、交通確保のためコミュニティバスを走らせたり、移動スーパーによる買い物難民の救済を行うようになる。そして、追い詰められると集落移転、あるいは個別移転という撤退を迫られる。が、最後は消滅(死)を迎えるのである。それは必然として。
 
地域社会は、全体が高齢化しつつあることを自覚しなければならない。人はいくら最先端医療を受けても若返らないように、集落も過去の華やかりし時代にもどることはないのではなかろうか。
 

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