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2015/02/12

毎日新聞の源流は土倉庄三郎にあり

本日の毎日新聞東京本社版と北海道版は、5万号を記録したそうだ。

 
それで私も確認してみたら、大阪版は4万7581号であった。
なるほど、東京版は東京日日新聞(1872年3月29日創刊)からの号数を引き継いでいるのだ。発行元は、日報社である。
 
一方で大阪版は、1882年創刊の日本立憲政党新聞を起源とする。それが85年に大阪日報、88年に大阪毎日新聞へと改名(正確には、少し複雑な経緯がある)する。この会社が、1911年に日報社を買収した。つまり東京日日新聞を傘下に納めたわけである。
 
だから経営的な系譜で言えば大阪なのだが、古さでは東京日日新聞なのである。東京・大阪で違っていた紙名を同じ「毎日新聞」にしたのは、1943年のことだという。
 
さて、こんな毎日新聞史をなぜここに記すかというと、現在の毎日新聞の源流となった日本立憲政党新聞を創刊する際に、吉野の山林王・土倉庄三郎が大きな役割を果たしているからだ。
 
 
1880年代、日本は自由民権運動のうねりが広がっていた。土倉庄三郎も弟たちと運動に邁進し、自由懇親会を開催している。そして板垣退助や中島信行ら自由党の幹部らが近畿を遊説して回る。庄三郎はそれに同行したという。
この際、中島らは政党新聞創刊の必要性を熱心に説いたそうだ。
 
そして自由党の近畿別動隊として結成された日本立憲政党は、日本立憲政党新聞を創刊したのだ。これは1876年に創刊された大阪日報社を買収したものだ。(ただし大阪日報そのものは残して休刊とし、立憲政党新聞を新創刊している。この当たり、非常にややこしいが、政府の弾圧を逃れるためであった。政党新聞が発行停止になった際、大阪日報に切り換えて発行を続けた。)その資金として庄三郎は3000円を拠出したという。今なら数千万円だろう。
形の上は借用だったらしく、礼状が残されている。
 
もっとも、その後も出資し続けるから、実質的に大半をだしたのが庄三郎なのである。本人は「5万円まで出せる」といったとか。岐阜日日紙は、土倉庄三郎が6万円出したという記事を載せている。
 
ほかにも吉野の富豪はも多く出したそうだ奈良では、北部より南部の吉野に熱心な人が多かった。そのため「自由民権運動の台所は大和にあり」と言われるほどだったのである。
 
この時代の新聞事情を追いかけると、政府の弾圧に耐えつつ、つぶされてはつくり、創刊しては発行停止を繰り返しながら論陣を張っている。そして実業家も敢然と立ち上がっていた。今の新聞にそれだけの気概があるだろうか……。
 
ともあれ、今につながる毎日新聞の源流の一つは、土倉庄三郎が事実上スポンサーであり、吉野林業の資金力がバックにあったことは、チラリとでも知っておいてほしい。
 
 
 
 

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