無料ブログはココログ

森と林業の本

« ホワイトアウト | トップページ | 森林組合の不正問題 »

2015/02/02

「イスラム国」に赴く気持ちは…私の東チモール潜入体験

ジャーナリストの後藤健二さんが「イスラム国」で殺された件について、マスコミもネットも沸騰している。後藤氏について、「イスラム国」について、人質になったこと、政府の対応、中近東情勢、イスラム教……みんなが、それぞれの意見を開陳している。

 
もちろん私も、思うところはいっぱいある。「開陳」したい気持ちもある。
 
だが、ここでは止めておこう。とはいえ、まるで興味ないようにスルーするのもシャク……というか、そのように思われることが悔しい。
 
 
そこで思い出話。今回の事件で甦った記憶である。
 
私は戦場に行ったことはない。安全第一主義なんで。そもそも、専門分野が違うし。
 
ただ独立前の、つまりインドネシア占領下の東チモールを目指したことはある。
 
なぜか。何より、謎だったから。
 
1970年代後半の国際的な関心時は、カンボジア情勢だった。ヘン・サムリン軍がポルポト政権をタイ国境に追放し難民を続出させていた。その時期に、カンボジアより多くの虐殺が行われ、多くの難民を出している島がある、として紹介されていたのがチモール島だったのだ。
スハルト政権下のインドネシアが、当時はポルトガル領で独立間近だった東チモールを軍事的に併合したことで抵抗運動が起きていたのだ。一方で掃討作戦も相当な規模で行われ、数万人と言われる多くの犠牲を出したという。
ただし、ほとんど情報はもれていなかった。島国ゆえ閉鎖されていたからだ。もちろん、当時はネットもない。
 
それで、潜入してやれ、と思った。知りたい。それが原動力だ。
 
実行に移したのは、1986年。まずバリ島に渡る。そしてまずは西チモールに行く計画だった。ところが歴史的にインドネシア領である西チモールでさえ外国人立入禁止。それでもあの手この手で潜り込み、一路、国境の街アタンブアに向かう……。いよいよ東チモールは目前だ。
 
が、町についてすぐ、軍隊の事務所に連行された(泣)。。。。
 
尋問を受ける際の頭の隅がチリチリする緊張感。オーストラリアのジャーナリストが3人殺されたそうだ、という情報が甦る。この島の情報は、国際的には完璧に閉鎖されており、何が起きても隠蔽できるはず。
 
拘留か。国外追放か。それとも……。
 
一つ幸運だったことは、尋問する軍人は英語が堪能ではなかったことだ。そして私のインドネシア語も極めていい加減。かくして意思疎通は難航した。インドネシア語の辞書を使いながらの会話である。
 
それでも難局を打開するには、笑いを取らねば。
 
いかにくだらんことを言うか。笑わせればきっと助かるぞ。まずは仲良くなることだ。
 
いろいろ下らない話をしたと思う。
銃を一度見てみたかったんだ。私は手を後ろに回しておくから見せてくれ。と頼んでみたり。
 
軍人はズボンがほしいと言ったので、私のズボンをあげたら、下半身裸で帰らなくてはならないと手振り身振りで訴え大袈裟なアクションしてみたり。。。
 
私はバリ島観光のついでに寄った観光客なのですよ。とアホになりきらねばならない。一世一代の演技である。決して本当のアホではない(と思う)。
 
 
……ま、なんだかんだとあったが、なんとか翌朝の追放となった。よかった。
 
で、その夜から翌日にいろいろと街を回り、いろいろな出来事を経て、十分町を見学してから引き返すのだが、真っ直ぐチモール島を出たわけではない。そこから西チモール内にある東チモールの飛び地オクシをめざすのだ。こちらなら、警戒がゆるくて潜入可能ではないか。。。
 
またドタバタしたが、結局「潜入」してしまった。
 
7 国境(当時はインドネシア州境)。この奥が東チモール。
 
ついに東チモールに入った!
 
2
 
1  3
(写真はオクシの街。看板に「東チモール」と書かれている。)
 
ところが、入ったレストランに軍人がいた。
私を見ると、すぐに外国人と見抜いたのだろう、有無を言わさず同じテーブルに座らされて、尋問が始まった……。しかも、今度は高級官で英語も上手い。くらくらした。言い逃れできるか?
 
 
 
なんとか帰国できたのは、インドネシア軍人のある意味いい加減さ……もとい優しさゆえである。
でも、尋問受けながら、テーブルの下でカメラから撮影済みのフィルム抜いて、新しいフィルムに入れ換えるのはスリルがあった。もちろん「新しい」フィルムは没収されたけれどね。
残念ながら、その後はほとんど撮影できなかったのだが。
 
 
……安全第一主義の私としては、こんな取材は誰にもお勧めしない。ただ、当時の思いは忘れたくない。
 
 
ジャーナリストが戦場をめざすのは、一つにはそこで起きている戦乱と悲劇を世に伝えたいという使命感があるだろう。スクープ取れば自らのステータスが上がるという功名心も潜んでいるだろう。が、根本には、「知りたい」という思いがあるはずである。
 
そこに未知があれば。そこに謎があれば、知りたい。現場を見たい。
 
そういう思いに憑かれて行動を起こすのだ。おそらく後藤さんも……。
 
もし、今回の「イスラム国」の所業で萎縮することがあってはジャーナリストは務まらないだろう。
 
 
幸い、東チモール(現在は東ティモールと表記する)は、21世紀最初の独立国となった。今は多くの日本人が訪れているはずだ。私も、もうインドネシアのレッドリストから外れたと思うが、まだ訪れていない。いつか、ちゃんと土を踏みたい。
 
※私のチモール体験に関しては、『チモール 知られざる虐殺の島』参照のこと。
 

« ホワイトアウト | トップページ | 森林組合の不正問題 »

取材・執筆・講演」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「イスラム国」に赴く気持ちは…私の東チモール潜入体験:

« ホワイトアウト | トップページ | 森林組合の不正問題 »

October 2024
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

森と筆者の関連リンク先