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森と林業と動物の本

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2015年3月

2015/03/31

新入社員になった日~あるいは文筆業の始まり

気がつけば、3月31日も過ぎようとしている。2014年度も終わりだ。

 
明日、4月1日から新たな道を歩む人も少なくないだろう。
……と、妙に感傷的になったのは、生い先短いと感じるからだろうか(~_~;)。私にとって何回目、なんて野暮な回想はしないが、たしかにン十年前の4月1日から実社会に出たはずだ。
 
小さな会社に勤めて、小さいなりに入社式があって(今振り返ると、やたら新人が多かった)、学生から社会人と呼ばれるようになったのだ。
 
最初の仕事は、花見の場所取り? だったかどうか。ともあれ、その会社で名刺の出し方から電話による取材の申し込み方、取材の仕方まで覚え(教わったような記憶がない。積み重ねたのだ)、そして原稿の書き方を鍛えられたのだ。原稿の書き直しは通常3回、ああ、今日は2回で済んだぞ、とか、4回目じゃ(泣)とか。
 
最初に書いた原稿が何か、思い出せない。多分、企業の短い紹介ページとかのように思うのだが……。 
 
そう考えれば、今の私の原点は、やはりその日にあるのだろう。
ただ、その会社は1年目は新人、2年で中堅、3年いたらベテランで幹部候補生。5年以上勤めている人は何人いるのか? という世界だった。新人が多いわけである。
 
今風に言えばブラック企業のお仲間なのかもしれないが、帰宅するのは毎度午前様。週に1度は会社に泊まるのが当たり前で……という生活を送ったのだった。
 
まあ、それでも、新しいことを知ったり経験するのはワクワクして、取材に行った先でさぼる方法を結構身につけて、気がつけば原稿はイッパツOKを取れるようになり。ブラックな会社でも学べることはある。
 
 
結局、その会社には1年3カ月しか在籍しなかったし、決してよい印象を持っているわけではないが、今となっては文筆業のスタートを切ったという点で感謝すべきなのかもしれない。
 
 
もはや骨の髄から会社勤めはできなくなったと感じるが、もしあのまま勤めていたら……いや転職しても、会社に勤める働き方を続けていたら、どうなっていたか。もしかして安穏な生活を送れたのか。それとも胃に穴を開けて、しょぼくれていたのかもしれない。
 
 
今や就職相談(森を守る仕事に就きたい!)なんてメールを受け取る立場になったが、あんまりアドバイスすることはない。思うように進んでくれ。そして挫折してくれ。できたら、その挫折ぶりを私に報告してくれ。それを聞いたり読むのも私の楽しみである(悪趣味~_~;)。
それも自らは経験できなくなったことを知る機会なのだ。
 
 
でも、あの4月1日に感じた不安と期待と野心がカオスになった初心は、今や羨望である。
 
1_2                    新宿歌舞伎町の夜。
 

2015/03/30

廃車のある森

里山を歩くと、意外なところに意外なゴミがある。

 
テレビや冷蔵庫、洗濯機といった家電が林道わきに捨てられているのはよくあることだ。
ときにバスタブなんぞがあって、なぜ、こんな大きなものをあえて山の中に運び込んだのか不思議に思うこともある。
そういや、道路のない、人でも岩を乗り越え段差をよじ登るような山道の奥にバイクが捨てられていたことがあった。どのようにして持ち込んだのか不思議。
 
 
そして、先日の吉野・川上村では、こんな風景を見てしまった。
 
2  スギの巨木が林立する森に、廃車。
 
どうやって、ここまで持ち込んだのか。わざわざ運んだとは思えないから、やっぱり走らせたのだろうが、周りに道はない。かつては作業道か何かを入れてあり、そこに無理やり乗り入れたのだろうか。そして道も、年月とともに今は消えてしまったか。
 
年月を物語る落葉の量だし。
ナンバーははずしてあるから、廃車したものを業者に引き取ってもらうのを面倒、あるいは手数料をもったいながって、山に放置したのだろうか。
 
……本当は山に巨大な廃棄物を放置するなんて、と怒りたいところだが、ここまで廃墟風になると、なんだか風景に溶け込んでいる。
 
 
 
ところで人工物は薄汚いが、それが自然に飲み込まれる姿は美しくもある。
 
巷では廃墟の写真集が人気を呼んでいるそうだが、それが単に崩壊した建物だったら、やはり汚い。朽ちた合板、さびた鉄、黴の生えたコンクリート。空き缶や空きビン。紙が散乱していたり、プラスチックの生活グッズが散らばっていたり……。
しかし、その上に苔がつき草が繁ったり蔓が巻きついたり、雨風に侵されて表面が風化してくると、味が出る。ビンの中に草が生えたら神秘的でさえある。
 
自然というのは、人工物を飲み込むことで「美しさ」も演出する力があるのだろうか。。。。

2015/03/29

助手席の楠木さん

現在、私の車の樹主席……じゃない、助手席に座っているのは。。。

 
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楠木さんでした。楠木正成の子孫……なんてことではなく、本物のクスノキ。
 
昨日、タナカ山林で伐採した木の中にクスノキがあって、伐るなり樟脳の香りが萌え立った。カシノキなどほかの木では味わえない爽やかな気分。こりゃ、スゴい。
 
というわけで、その一部を切り落として、自動車に積み込んだわけである。
助手席の足元に転がしたのだが、車の中野密室にクスの香りが漂い、気持ちいい。ただ運転すると、ブレーキをかけるごとにゴロゴロと足元を転がる。
 
そこで助手席でシートベルトもしてもらいましたとさ。
 
葉の付いている部分を切り取ったのだが、どの程度もつだろうか。いつか萎れるだろうが……。
 
水に漬けるなどしたら、長持ちするのかなあ。
 
クスノキの幹部分はまだまだあるから、刻んで仕事部屋に転がしておこうかなあ。
でも今は、ヒバのチップが転がっているからなあ。これは手に入れてから1年ぐらい経つが、水に浸すと、まだまだ匂う。
 
木の香りも馬鹿にならんねえ。

2015/03/28

Yahoo!ニュース「栽培される山菜は……」書いた裏側

生駒山で山菜探しているわけですよ。

 
この前、伊賀の直販所で購入したフキノトウでつくったバッケミソが美味かったので、生駒産でつくれないかな、と思って。
フキノトウは、以前の家では庭で採れたんだが、現在の家には生えてこない。悔しいじゃないですか。しかし、今の家の裏山では土地勘?がなくて、どこで採れるのか思いつかない。
 
そんでもって、ラッキーガーデンに行って、その周辺を探したのだけど、そこでも見つからん。
 
……そんな愚痴を店の人に言っていたら、「山菜は、みんな朝から来た人が採っていったわよ」
 
ああ、生駒山は今はハイカーだらけ。土日はもちろん、平日でも中高年がわさわさ歩いておる。そして手には、どこで取ったのか山菜を詰め込んだ袋が。
 
こいつらが採るからなくなったのか(泣)。。。
 
そういや、今日もタナカ山林で伐採をやっていたのだけど、こともあろうに私の土地からリュック背負ったオヤジが出てきた。幸い手ぶらで何も採っていなかったので見逃したが、きっと山菜かタケノコを探していたに違いない。
 
もはやタケノコはイノシシが早いか、ハイカーが早いか……私は遅いのか(泣)。。・°°・(>_<)・°°・。
 
 
……というわけで、山菜の記事をYahoo!ニュースに書きました。
 
 
です。実は、随分前だが、山菜については結構な取材をしているのである。
 

2015/03/27

関大生協誌の『森と日本人の1500年』書評

一般に書評が書かれても、紹介された本の版元、あるいは著者のところに、その書評が通知されることはない。だから、いつ、どこに載ったのかわからないことが多い。

 
まっ、それは諦めているのだが、ひょんなことから“発見”されることがある。
 
今回は、拙著『森と日本人の1500年』の書評が、関西大学生協の『書評』誌に紹介されているよ、と思いがけない人から連絡をいただいた。
 
それは版元ではない、京都の出版社の編集者から。
 
その会社が発行した本の書評が載っていると知って目を通したところ、私の本も載っていたよ、と連絡をいただいたのである。
 
143
 
学生が書いたらしい。かなりの分量で内容を紹介?要約?してくれている。
学生も編集に参加しているのね。
 
有り難いことである(^o^)。
 
 
最近の書店をチェックしたところ、今も平凡社新書の棚では店頭に、ときに平積みしてくれている。発行から半年近く経っていることを考えると、まずまず良好な扱い。
 
ちなみに版元情報によると「地道に売れています」とのことです(~_~;)。

2015/03/26

スギ林皆伐でアセビ園に?

昨日は、照葉樹林を皆伐したのに、萌芽は照葉樹ばかり……ということを記したが、こんな森も紹介しておこう。

 
吉野の立派なスギ林(一部ヒノキ?)をほぼ皆伐したところ。
 
 
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少しだけ立木も残しているから、一応「強度間伐」か。
むしろ傘伐(母樹を残して、天然更新をめざすもの)に近い。つまり、伐採跡地に種子が落ち、再び森になることを狙う状態なんだが、この場合はスギやヒノキの種子が散布される確率が高い。もっとも、そんなに遠くなく広葉樹もある。
 
……それを狙ったわけではないだろうが、結果は。。。
 
2 こんな状態だった。
 
 
 
林床に生えているのは、アセビばかり。
 
おそらく、ほかの広葉樹などの芽や苗は、全部シカに食べられたのだろう。アセビだけが残って、将来はアセビの純林になるのだろうか……。
 
これがシキミだったら、まだ売り物になるんだが、アセビではなあ。。。
 
花の時期はわりとキレイだから、アセビ園として客を入れる、なんて。
 
4
こんなピンクの花を咲かせている個体もあった。
これを生け花用に販売するとか(~_~;)。
 
しかし、植生を人の力で誘導するのは難しいものである。

2015/03/25

タナカ山林の植生再生は

久しぶりに、タナカ山林の様子を紹介しよう。

 
昨年は春までにほぼ皆伐状態にして、その後どのように再生するかを観察する計画だった。
具体的には、照葉樹ばかりになっていた山林に落葉樹を増やし、美しい雑木林にしたいと願っていた。
 
そろそろ1年を迎えるわけだが……。
今日行ったのは、石垣から生えている木の伐採。これは昨秋から進めていたが、まだ残っているのだ。それをを処分してしまおうというわけ。
 
私も久しぶりのチェンソーだ。
石垣の上に登り、伐り方を考える。(石垣の上の所有者とは許可をもらっている。というか、その人の要望で伐るのだ。)
 
石垣の途中の石の間から伸びた木を伐るのは難しい。下からでは届かないし、上から伐るしかないのだが、私の足の置き場もしっかりしていないし、木も石垣と密着しているわけではなく、少し離れている。つまり、私は石垣の上ギリギリに立って、手を延ばすようにチェンソーを奮わないといけないわけだ。
 
枝振りも複雑に伸びているから、重心がどちらにあるかわかりにくい。
 
こりゃ、怖い。ビビリの私は、逃げ腰で、少しずつ受け口を入れて、様子を見ながら可能な角度から追い口を入れていく。
 
 
……ふう。結果的に4本の伐採を成功させた。どれも直径は20センチばかりまで太っている。あんまり一人で伐りたくない代物だ。まだ残っているが、ともかく一安心。
 
倒した木の枝を刻んである程度処分した。 
 
今日は疲れた。まだ残る中にはトンデモナイ大物もあるのだが、これはお手上げ。石垣の途中から直径30センチ以上の幹がニョキニョキと枝もいっぱい伸ばしているのだよ。高さも10メートル近い。倒してよい方向だって限られているし。誰か、この伐採に挑戦したい人はいないか。腕試しになります(笑)。
 
3_2 この写真は下から。
 
しかし、以前伐ったものを見ると、
 
3_9
結構、萌芽が出ているではないか。
 
このまま生長したら元の木阿弥だ。
だが、完全に枯れるまで伐ってよいのかも迷う。枯らしたら腐るだろうが、すると石垣に大きな穴を空けてしまう。それが石垣を崩すかもしれない。
 
 
それにしても、伐採地の多くから萌芽などが出ているが、どれも照葉樹である。
落葉樹らしき芽がない。このままだと、また照葉樹林として再生してしまうのではないか。
 
 
3_5 アオキ。各所に出てきた。
 
伐採しただけでは、植生を変えることは難しいのかもしれない。さあ、どうする。

2015/03/24

樹木を知らない造園家・論

そろそろ各地でサクラ(ソメイヨシノ)の開花宣言が出始めたが、こんな記事を見つけた。
 
 
毎日新聞 3月23日  桜・開花したけれど……東京の名所ピンチ
 
 
JR中央線・国立駅前から延びるサクラ並木が有名な国立市。それと交差する「さくら通り」は、約50年前にソメイヨシノ約180本が植えられ、春は花のトンネルが目を楽しませる。だが11年、腐った木が倒れて車を直撃する事故が発生。歩道も盛り上がった根によるでこぼこが目立ち、市は道路改修に合わせて16年度までに並木の半数を、残りは10年以内にすべて植え替える計画を立てた。
 
これに市民の一部から「歴史的な景観が失われる」と反発の声が上がった。市は伐採を倒木などの危険がある34本にとどめる計画に改めたが、今年1月にはサクラ4本を切ろうとした市職員らに約20人が抗議し、作業が中断した
 
一方、沿道の高齢者からは「歩く時に危ない」との声もあり、市は今月に入って、今季の花見シーズン後に伐採を再開する方針を決めた。だが、木の延命策などについてさらに話し合いを求める住民側との溝は埋まっていない。
 
 
記事はまだまだ続くが、私が引っかかったのは、この太字箇所である。つまり、サクラの伐採には反対がつきものということ。「サクラ1本、首一つ」と言われる通りだ。
 
このケースの詳しい事情は知らないが、腐って枯れ掛けたサクラも伐るなと言うのはどうしたものか。根が伸びたら舗装も盛り上がるだろうし。反対する市民は、実はサクラのことも樹木のことも、さして興味なく、普段見ている「景観」が変えられることを嫌がっているだけではないか。 
そういえば、私は昨年のYahoo!ニュースの記事の冒頭に同じことを書いた。
 
 
 
 
 
実は、樹木のことを知らないのは、市民だけではない
 
そもそも論になるが、ソメイヨシノを街路樹にするのは問題が多いのだ。寿命もさほど長くないし、成長は早いし。そして、根の広がりを十分に確保していないことも問題だろう。
にもかかわらず、ソメイヨシノばかり植えてきた行政の担当者、助言すべき造園関係者ともに責任はあるだろう。
 
 
先日造園関係者に聞いたのだが、「造園家は、樹木のことも土のことも知らない」そうだ。
庭師がエラソウな表情で、依頼主に話しかけにくくしているのは、樹木のことを聞かれたら困るから。
「最近、木に元気がないのはなぜ」と聞かれても、「水のやりすぎ」「水が足りない」「肥料が足りない」ぐらいしか応えない。応えられないのである。
 
加えて、土のこともまったく知らない。庭でも公園でも街路樹でも、土に気を配ることはない。仕様書どおりに真砂や赤玉土と堆肥をテキトーに混ぜるだけ。だから植えてから何年経っても生長しない樹木だってある。
 
……以上は聞いた話で、本当かどうか私は確認のしようがないのだが(~_~;)、たしかに造園家の誰もが樹木に詳しいようには思えない。
我が家に出入りする庭師は、樹木の生長に無頓着に剪定してしまいげっそりした。
また、道路際の緑地にマツを植えておきながら、その下に草花を植えている現場もあって、苦情を言ったことがある。貧栄養土を好むマツの下に肥料たっぷりなんだからマツは枯れてしまう。……実際、後に枯れてしまった。
 
そもそも庭が好き、草木が好きだから造園の道を選んだ人より、単に勤めた職場が造園関係だっただけ、というケースが多いようだ。
 
樹木医も増えているし、本当に草木が好きで生理や生態に詳しい人もかなりいるはずだが、適正配置ができていないようだねえ。

2015/03/23

フォーラムから見えてきたもの

ようやく、自伐型林業フォーラムにたどりついた(~_~;)。

 
内容を細々と紹介するのも時期を逸しているが、まず最初にレジュメをもらって気づいたのは、最初の告知ビラにあったのと出席者が違うこと。
 
まず栗山家からの出席はなくなり、司会の泉氏の代理発表。ポロの高井氏も父と交代。そして柏田氏、森田氏という林業家と、山守の南本氏と演壇に並ぶ。ほか岡橋家、谷家、永田家、中野家は予定通り。林業家は、みんな数百~千数百haの山主だ。なんとも豪華である。
 
037  
 
ざっと聞いて感じたのは、吉野林業も多彩であること。(一部、宇陀の林業も混じっていたが)みんな各人各家各会社の事情や立場や成り立ちに違いがあり、展開方法はそれぞれだ。その意味では、非常に多様性のある林業が紹介された。
私としても、25年(四半世紀!)も通っている吉野にも、知らないことばかり、と感心(~_~;)。
 
 
結局、これが林業なんだよね。山が変われば、林業の形も変わるのだ。
 
いみじくも、来賓の田野瀬太道衆議院議員が語っていたが、さまざまな形があっていいじゃないか、ということである。大規模委託型林業で上手くいっているところもあれば、自伐型が似合っている地域もある、というわけだ。
 
そして吉野は……と考えてみると、山守制度は委託型と見ることもできるが、同時に代々引き継ぐわけだから「自分の山」感覚をもって取り組める面もある。そして機械化があまり進んでいない点は、ローテクの自伐林業に通じている。
 
ただ今回の参加者は、山主自ら経営に乗り出した、あるいは乗り出す準備を進めているという点で、新たな動きが始まったと言えるだろう。
 
 
 
もう一つ、土佐の森・救援隊の中嶋健造氏が丸くなった(~_~;)と感じましたよ。
これまでは、自伐以外の林業はみんなダメ、という勢いだったのだが、今回は「委託型とミックスで」と口にしたのだ。びっくり(^o^)。
 
それに日本の林業事情を語る際も、「吉野以外は~」と何度も口にした。もちろん、吉野の事情はほかの林業地と違うのだが、こうした表現自体が「丸くなった」と感じるねえ。
この言葉を付け加えたおかげで、吉野の林業家たちもしらけずに聞いておられただろう。どこよりも長く続き、誰よりも経験豊富な技術を磨き上げ、最高級の木材を生産している人たちなんだから。
本気で林業をよくしたいと思うのであれば、多様な林業への理解と、それを守ってきた人々への敬意が欠かせない。
 
 
一つ、オマケの指摘。
民主党のつくった森林・林業再生プランが大規模・委託型林業を推進した、と説明されたが、それは違う。大規模な機械化林業を推進するきっかけは、その以前の新流通・加工システムと新生産システムだ。これは自民党時代に推進されたのである。
 
そして森林・林業再生プラン自体も、実質的につくったのは自民党。ところが発表前に政権が交代してしまったから、民主党名で法案を通して発表したのだよ……と熱心に語ったのは、自民党の某代議士であった。
ようするに、この林業政策に関しては、民主党も自民党もないのだ。
 
 
 
江戸時代の吉野は、天領でありながら幕府の施政がほとんどなかった。一度、幕府が補助策を提案したところ、地元は断ったという記録もある。そして明治以降も民営であり続けた。私は、吉野林業が発達した理由は、この点が大きいと感じている。
そして戦後の日本林業の衰退は、政府の過度の保護策がもたらした。
 
政治の介入は、残念な結果をもたらすことが多い。
 

2015/03/22

「おすぎ」を買った女?のテレビ出演

さて、21日午後は、いよいよ自伐型林業フォーラムin吉野である。

 
始まりは、午後1時半。
 
ところで……午後1時からの関西テレビの「ウラマヨ」に、川上村地域おこし協力隊の鳥居由佳さんが出演している。例の「吉野杉の「おすぎ」を買った女」である。
 
この記事は大反響で、FBのシェアは2万件を越すほどだったのだが、とうとうテレビ出演にまでつながったか。感慨深いものがある……。(と保護者の気分(^o^)。)
 
おかげで会場の駐車場内でも,車の中でテレビ(ワンセグ)を見ている人、多数(^o^)。彼女の知り合いにとって、フォーラム以上に気になるのであった。
私だって、これを見ないでどうする。いえ、私は録画セットをしておきましたから大丈夫なのです(⌒ー⌒)。
 
見ていない人に簡単に紹介すると、扱い方は、「関西どうかしてるぜニュース」の人物編で、スギが好きすぎて吉野杉を丸太で購入した女、であり、杉ガールと命名している。ある種、笑いネタ扱いなのだが、いや、よくやりました。
 
鳥居さんは、笑いを取りつつも、しっかり伝えるべきツボを抑えて語っている。お見事な演技だ! これ、簡単にはできないよ。
 
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ちゃんと、視聴者の興味とウケを狙っている。
が、ここんところをよく見てほしい。
 
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そして、この言葉。
 
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ちゃんと木製品の紹介までした。それなりの影響力はあるだろう。
 
 
番組中には、一部ツッコミドコロモもあったのだが、小さな間違いなどは気にしないでよいと思う。テレビって、誰もそんなに厳密に見ていないから(笑)。
 
ちなみに、彼女のブログ「恋する丸太 」を読めばわかるが、彼女は、山が好きなのではない。海が、沖縄の海にはまっているのだ。そして海をよくするには、川を山を森をそして林業を……と連想して川上村にたどりついた。
だからスギが好きな「杉ガール」「丸太女子」の姿は、戦略的な演出なのだ。
 
番組内に、その思いをしっかり表現しているではないか。
 
これは、相当な高等テクニック。私の苦手とする作戦だ(笑)。   
 
 
実は、同時期私にも某テレビ番組に予備的な出演依頼というか、(出演のための)私のスタンスを確かめるメールが来て、幾度かスタッフとやり取りした。
それは日本林業の政策的な面を扱う議論というのだが、どうしても2極化した賛成・反対論を展開しようとする。この政策には反対だが、こちらは賛成……とか、賛成だけど運用がオカシイ、といった論調を取るとテレビ的にはなじまないのだ。はっきり(林野庁の政策に)賛成! 反対! の論者になりきらないといけない。
 
結果的に、出演は流れた。
 
まあ、私も出たいと思わなかったし。よだれが出れるほどのギャラなら自らの趣旨を曲げても飛びつくんだけどね(~_~;)。
その点、鳥居さんは、テレビ局の期待に応えながらも、ちゃんと伝えたいことを伝えさせたのだからすごい。私も、立米50万円のヒノキに抱きつくべきであったか……。
 
 
とはいえ、多くの人の注目を集めた後が勝負だ。第2弾はどうする?
 
……さあ、フォーラムの始まりである(^o^)。
 

2015/03/21

吉野で眼福(^o^)

今日は、待ちに待った? 自伐型林業フォーラムin吉野

 
というわけで吉野に朝から行ってきました。朝からというのは、東京からの客人に、吉野林業を少し見てもらうため。
 
あまり時間がないので、選んだのは、川上村大滝のダムの上。
ここの一角は、かつて土倉家の山があり、今は谷林業や清光林業(岡橋家)などの山となっている。実に端正な森づくりが行われているところだ。
 
吉野林業に精通した案内人(^o^)も同行願って、1時間ばかり歩いてきた。
 
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こんな森が広がっている。
 
この木で120年くらい? もしかしたら、土倉庄三郎が植えた木々かもしれない。庄三郎50代の最盛期に当たる。
 
杉だけでなく、ヒノキもある。スギとヒノキを混植しているのだ。ヒノキはスギより生長が遅いが、一緒に植えると、スギに負けまいとせっせと上に伸びる。おかげで早くまっすぐな幹ができる。それでもスギに上部を覆われそうになると、周りのスギを間伐すると、ヒノキは大きく伸びるのだそうだ。
 
いつスギを伐るか、そのタイミングが難しい。遅れるとヒノキは生長を止めるか枯れる。早すぎると混植の効果が出ない。もちろんスギも材として出荷するのだから、こちらもよく生長していないといけない。……そんな話を聞きながら歩く。
 
絶妙な森を見る眼を持たないと作れない森。美しいだけでなく、その森を100年以上前から人が作っていたという事実に心を打たれる。
その森を、そして幹を見るのは眼福じゃ(^o^)。
 
006 岡橋家の山であることを示す書き付け。
 
 
さあ、フォーラムの会場へ。
 
と、その前に吉野の木材市場も見学。
 
 
おお、逸品が集まっておるぞ。今や吉野材も価格が下落して、5万、6万円(1立米当たり)なんて金額が当たり前になっているが、この一角のヒノキは10万越えがズラリと並ぶ。
 
028
 
こ、これは! 50万円! ひえっ!やっぱりこんな材も出るんだ。
 
しかも伐った人の印は知り合いだった。大径木伐採の名人である。このクラスになると、誰でも伐れるわけではない。単に経験を積むだけでなく、プロとしての才能が必要なんだろう。同時にそれを求める地域産業の土壌がないと技術は磨けない。
下手に切ると、材が割れて無価値になってしまう。
 
これも眼福じゃ(泣)。。。。
 
曲がり角を迎えた吉野林業、伝統に自縄自縛で危機に陥った吉野林業、地獄の底も抜けた吉野林業……いろいろ言われているが、腐っても吉野林業、老いても吉野林業、やっぱりずば抜けた実力を見せつける吉野林業であった。
 
 
市の人に挨拶したら、「いいもん見たか」と言われた。見ましたとも!
森を見て眼福、木を見て眼福、材を見て眼福(^o^)。
 
 
 
ああ、フォーラムのことを書く余裕はなくなったよ。。また明日\(^o^)/。

2015/03/20

ミツバチの季節

例によって、生駒山をほっつき歩く。

 
実は、生駒の養蜂家が巣箱を置いている場所がある。そこを訪れた。そろそろ準備に取りかかっているのではないか……。
 
すると、巣箱はずらりと並んでいたが、まだ封印されていた。おそらく輸送が終わったばかりなのだろう。今は、ハチの数を増やす時期。そして花が咲き始めたら一気に飛び始める。
 
……と思ったら、何のことはない、足元にハチはたくさんいた(^o^)。
 
1
 
わかるかな? 水たまりに集まっている。
 
2    
 
こちらは、拡大したもの。本当に水を飲んでいるみたいだ。ちょっと意外。ミツバチがこんな風に水をすするなんて。
 
生駒では、山桜やアカシア、それにソヨゴの蜜が採れる。セイヨウミツバチなので、花の種類を限定して集中的に採蜜するから、それぞれ味が違う。山桜の蜜は、本当にサクラの香りがするのだよ。
 
生駒産ハチミツを味わうまで、あと少し。
 
006

2015/03/19

林業雇用~山村が過密から過疎になった理由

かつて拙著で、「山村はかつて過密だった」というテーマで記事を記したことがある。(『伐って燃やせば「森は守れる」 』、『森林からのニッポン再生 』ほか)

 
過密だった時代とは、太平洋戦争直後を想定している。あきらかに山村は、キャパシティを越える人口を抱えていた。
この点を解説し始めると長くなるので省略するが、簡単に言えば、戦災で焼けた町から仕事と食料のある山村へ移り住んだ(疎開ほか)人が多かった上に、海外植民地(台湾、朝鮮半島、樺太、満州、南洋諸島……)からの引揚者が入植したからである。 
 
それが昭和40年代以降、再び減少へと転じて、ついには過疎と言われるようになるのはどうしてか。
 
これまた詳しく論じ出すと長くなるので省略する(~_~;)が、ここでは一つの要因として林業の技術革新があったことに焦点を絞って考えてみたい。
 
 
具体的には、伐採にチェンソーが導入されたことと、搬出に森林鉄道、さらにトラック輸送が広がったことだ。
 
それまでの手挽き鋸と、修羅、木馬、筏流しが廃れる過程で、生産効率が飛躍的に上がった。当然、生産量が同じなら雇用が減らせるわけだ。
たとえばチェンソーの効率は、鋸の10倍以上と言われる。言い換えれば、これまで10人で行っていた伐採を一人で行えるようになった。修羅を組み立てたり、木馬を曳いたり、筏を組んで流したり……の人員も林道を入れてトラック輸送になれば削減させられるだろう。
つまり山村は人口が減っても、林業は十分維持できた。むしろ人口減少は山村の扶養人口を適正値にもどす過程だった。
 
ただし当時は、木材生産量を増大させていたので、効率が上がり余剰となった雇用を切らなくてもよかった。より木材生産の拡大に注ぎ込めたのだ。
チェンソー自体も、十分に使えるまでに性能がアップするには時間がかかり、鋸を使っていた杣人が徐々にチェンソーを扱う技術を身につけて扱う余裕もあった。
さらに町の復興と、高度経済成長の始まりから商工業の労働力が求められ、農山村から出る
人々を吸収できた(町が人材を強引に吸引した)から、余剰人口はだぶつくことなく村を出たのである。
 
 
だが、現在進めている林業機械化……高性能林業機械の導入などを見ると、より生産効率を高めることを目指しているわけで、さらに林業の雇用を奪っていくだろう。しかし、代わりとなる仕事口は山村内にはない。より一層の人口減を押し進めることになる。
 
 
そこで、自伐林業のようにローテクにした方が、林業雇用を増やして山村の活性化になるという声が出る。機械化・生産性アップのアンチテーゼだろう。
 
もちろん生産効率が落ちるわけだから、利益も減る。それをどう維持・確保するかが課題だ。請負ではなく自伐にすると、外注代がそのまま収入に振り返られるという論法もある。しかし、その策は万能ではない。小規模・家族的経営ではマネジメントの低下を招き、ロスを増やすだろうし、材価下落への対抗策にはなり得ない。材価を上げるような生産を自伐で行うのは至難の業だ。
 
しかも日本の木材需要が縮んでいるうえに、技術革新のスピードが極端に早まっている。また求められる木材の質も、流行によって早く移り変わる。
すると現在の機材や材質がすぐに陳腐化する。作業や販売のシステムがガラリと変化すれば高価な機材も搬出ルートも、すぐ古くなるだろう。売れ筋の商品もすぐ移り変わる。かつては高値だった磨き丸太など役物も流行遅れになって売れなくなったように……。このスピードに、林業人が適応することができるだろうか。
 
 
林業の機械化が行き着く先は、無人林業かもしれない。機械(ロボット)が伐採搬出を行う。そして造林までやってしまう。
そんな世界になれば、林業に必要な人材は、ロボットの管理者と企画立案部門だけだ。加えて交渉・営業部門ぐらいかもしれない。山村に人がいなくて林業が可能になるだろう。
 
林業人として生き残るには、クリエイティブな部分(企画)とコミュニケーション部門(営業等)を強化しないといけないだろう。いや、両分野のスキルを身につけた人だけが、林業人=フォレスターになれる。
 
Photo 明治時代の林業現場。
 
もちろん、それでよいとは少しも思っていない。
むしろ、そこまでして林業は専業で生き残らねばならないのか、とさえ思う。ならば山村に暮らすことと林業を営むことは、切り離して考える時代が来ているのかもれない。
 
……実は、こうした雇用の崩壊は、林業だけの話ではない。21世紀は、この世の中の職業すべてが、従来型のスキルでは生き残れないのではないか、と感じている。もちろん、ライター・ジャーナリストも……。
 
 

2015/03/18

「自伐型林業フォーラムin吉野」の登壇者

今週末、21日に吉野で、こんなイベントがある。

 
自伐型林業フォーラムin吉野
 
Photo
 
これを知ったとき、ああ、自伐林業の動きが吉野にも押し寄せて来たのか……と思いつつスルーした(笑)。
 
いや、興味がないわけではないが、参加するかどうかは先のばししてしまった。吉野(下市)はそこそこ遠いし、果たして新しい知見が得られるだろうか、という点で躊躇したのだ。
 
が、よく内容を読むと、まったく別の興味が湧いてきた。
 
討論会~ようするにパネルディスカッションなんだろうが、この出席者の顔ぶれを見てほしい。
 
 
 永和実業㈱       永田晶三氏    
               栗山武久氏
 清光林業㈱      岡橋清元氏    
 清光林業㈱      岡橋清隆氏    
 谷林業㈱        谷茂則氏    
 中野林業㈱      中野利昭氏    
 ポロ・ビーシーエス㈱ 高井洋一氏    
 森田林業        森田哲爾氏
コーディネーター:
 愛媛大学名誉教授     泉英二氏
 
わかるかなあ。会社名ではわかりにくいが、名前で見ると、栗山、岡橋、谷、中野……これって、吉野5大林家のうちの4家じゃない?
 
この4つの林家に北村家(北村林業)を加えたのが、吉野の大山主なのだ。この5家が動かないと吉野林業は動かない……とまで言われていた。
 
ただ現状を語れば、単純ではない。岡橋家の清光林業は、積極的に発言しつつ林業も行っているし、谷家も代替わりしつつ新たな動きを見せている。しかし、中野林業と栗本林業は、このところさっぱり動きが見えなかった。実際に施業をしているのか、山を眠らせているのかさえ、伝わってこない。
 
またポロ・ビーシーエスや森田林業などは、新興勢力?(笑)で、こちらもあまり知られていない。(私もよく知らない。)
 
これらが一堂に会するのである。これは、すごい!
 
……まあ北村家がこの手の集まりに参加しないのは、通常のこと(家訓らしい(^o^))なので、現段階でベストな吉野の林業家の集まりだろう。
ちなみにコーディネーターの泉氏も、吉野林業の研究をされている方である。
 
というわけで、参加することにしました\(^o^)/。
 
かなりディープで、オタク的な吉野林業の世界に触れられるかもしれない。

2015/03/17

Yahoo!ニュース「パッと散るサクラの原点…」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに「パッと散るサクラの原点が発見された?」を書きました。
 
今回は、冷や汗(;^_^A。
 
そろそろサクラの季節だからサクラの話を一本、ちょうどソメイヨシノの原木が見つかったかも、というニュースもあったし。
 
という安易に書き始めて、ソメイヨシノはクローンで、だから一斉開花も怒るのだよ、とさらさらと書き上げたものの、ふと「あれ、前にもこんな記事書かなかったっけ?」という不安が。
 
で、Yahoo!ニュースを調べると、ほぼ1年前にもソメイヨシノの一斉開花について書いているではないか。こりゃマズい! と焦って書き直し。
1年前の記事とダブっているところを極力省いて、新発見話に絞って書いたのだけど…。
 
タイトルも、今度は散る話にしてしまったりして(~_~;)。
 
 
なんか、趣味で書く範囲を越えて時間を費やしてしまったぜ。

2015/03/16

シカの力

久しぶりに奈良公園に行った。

 
奈良公園なんて、幼稚園児の頃から、いやもっと前から行っていたはずだ。今だって、お客さんを案内したり、何らかの用事で奈良に出たら一人でもぶらつく。なったって退屈しない。だって……シカがいるから(笑)。
 
だから、よく知っているつもりだった。が、今回思い知ったのは、シカの力である。
 
何もシカに頭突きされると意外と痛いとか、シカにリヤカー引っ張らせたらよく曳くとか、そんな力ではない。人の吸引力が凄まじいのだ。
 
 
ちなみに、今の奈良公園で圧倒的に目立つのは外国人である。もちろん、昔から奈良と言えば国際的観光地であり、外国人は少なからずいたが、イマドキはちょっと仰天するほど多い。中国語に韓国語、そして欧米人の姿が半端なくみく見かける。
 
これまで「大仏商法」などと、何もせずして人が集まると手抜き商法のように呼ばれたが、最近では結構頑張っていて、新しい店や土産物も増えている。外国人向きの案内やイベントも多くなった。
 
そして相も変わらず人気は、大仏とシカなのだ。
 
外国人に古い歴史と寺院だ神社だというより、そのものズバリ、巨大な建築と仏像を目にするのは醍醐味だと思うが、実はそれ以上にほかにないものは、人に慣れたシカではないか。
 
あきらかに野生のシカが寄ってくる。触れられる。餌を与えられる。シカにも表情がある。それでも、さして危険はない。
キャアキャア言って喜んでいる人々(外国人が圧倒的)の姿を見て、こちらが感動した(笑)。
 
4  飛火野の鹿寄せ
 
野生動物相手にこんなことができるところは、世界でもそう多くないのだろう。ウサギやネコのような小動物ならあるかもしれないが、それでも触らせなかったり、可愛げがなかったり……。コアラだって、勝手に触れられない。インドのハヌマンラングールは、都市に住む野生動物(しかも神扱い)という点では奈良のシカと同じだが、近づくと危険だし。
 
シカのような大型動物が群をなしているのである。街中に溶け込んでいるのである。横断歩道を渡っているのである。
 
このシカパワーをもっと活かせたら、奈良は世界で稀な大人気観光地になれるだろう、と思えた。
 
 
山間部ではシカと言えば獣害だが、いっそ突き抜けたらいいのかもね。ジビエばかり注目されるのは不憫じゃ。

2015/03/15

コの字酒場の割り箸

生駒の駅前に、コの字酒場ができた。

 
コの字酒場とは、ようするにフツーの居酒屋なんだが、カウンターがコの字形に設置されていて、真ん中に店主がいる形態。客同士が向かい合うことになるし、店主の手元も見えるので相互の会話が弾みやすいと言われている。
 
まあ、昔は当たり前にあったオヤジ御用達酒場だったのだが、どんどん居酒屋がオシャレ化する中で減っていた。ところが、近年見直されているのである。しかも若者や女性のファンが増えて、流行っている……と聞く。
単に飲むだけ、仲間うちで話すだけ、ではなく、酒場空間での交流が魅かれている、と分析されているが。
 
コの字酒場案内という本も出ている。筆者は、コの字酒場探検家の加藤ジャンプ氏。
 
 
 
そんな酒場が私の地元にできたのだ。こりゃ、覗いてみなくちゃいけない、とは前々から思っていた。
 
そして、ついにチャンスが。ほんのわずかな待ち合わせ時間に入る。
 
食事は終えていたし、多分30分くらいで出なくてはいけないので、簡単に酒と肴を頼む。
店内は、そこそこ賑わっていた。開店して数カ月なのに、もはや常連さんが何人もいる様子。また女性一人で入ってきて、さささと飲んで出る姿もあって、なかなかカッコいい。
若い店主と若い女性の店員が、わりと手際よく客を捌く。料理を作っている様子が見えるが、簡単なようで手づくり感があってよろしい。
 
 
さて、出た。
001 
 
注目してほしいのは、お箸だ。
 
割り箸が出たのはよかった。この手の安い店ではプラ箸が出ても文句がいいにくいのだが、ちゃんと割り箸。もちろん中国産シラカバ製元禄だ。
 
だが、箸先を千代紙で巻いてある。店の手づくりだろう。これだけで安っぽい割り箸も、ちょっとスマートに映った。
 
安い輸入割り箸も使いよう。こんな店で高い吉野杉の割り箸を出せとは言わないが、ひと手間で客をほっこりさせる。
 

2015/03/14

書評「猪変」

「猪変」(中国新聞取材班・編  本の雑誌社)を読んだ。

 
81mjfuaek1l 2015年2月刊行
 
獣害問題がクローズアップしている近年、なかなかタイムリーな本ではないか、資料になるのではないか、と思ったからだ。
 
さすが新聞社、それもイノシシ害の先進地!中国地方を舞台とする中国新聞社だけに、幅広いテーマで取材している。
まずは海を泳ぐイノシシの話題から始まり、山里で人を追い出す獣害現場、さらにフランスに飛んだかと思うと、食肉(ジビエ)としての可能性、歴史や文化面からの切り口と、なかなかの幅広さだ。中国地方だけでなく、フランスのほか北海道のエゾジカや九州、神戸の街中をほっつき歩くイノシシなどの範囲まで取材する。個人では厳しいだろう。
 
またイノシシトリビアとして、イノシシの常識を覆す事実も紹介している。
たとえば、土をほじくり返すのはミミズを探して食べるため、という常識も、実際にはミミズを好んで食べないという。
さらに春に子を生むという常識に対して、秋の出産例も紹介している。
 
いやはや、イノシシは謎の動物だったのだ。いかに研究が進んでいないか思い知る。
 
そうした点から専門書ではないが、イノシシと獣害問題に興味を持つなら、一読する価値はある。それに新聞的文章なので、読みやすいのも好感だ。
 
 
 
……褒めるのは、ここまで(笑)。
 
ここに、はっきり不満を記しておこう。
 
本を手に取って、しっっぱなから落胆したのは、これが10年以上前の新聞記事をそのまま本にしたものであることがわかったからだ。新聞記事を元にするのはよい。しかし、連載したのは、2002年~2003年前半なのだ。それをそのまま本にするとは……。
 
小説はもちろん、ノンフィクションでも記録的な価値を見出すのなら古くてもそのままでよいが、現在進行形だよ、獣害は。
 
読んでいても、「今から10年前は……」とか「今年は……」なんて表現が出てくる。それはいつのこと? いつを起点に何年前と語るの? 
 ゛
そして、わりと豊富に出てくる図表や数字。(駆除数とか対策費、被害額など)も、全部当時のまま。十数年前の数字を見せられても、何の参考にもならない。防護柵も今の知見と照らし合わせるとちぐはぐだったり、本文で紹介している事例が現状には当てはまらなくなっている点もある。
 
たとえばカナダから飼育イノシシの肉を輸入している話などは非常に興味深い。イノシシ肉を普及させれはさせるほど、実は輸入や飼育が増える可能性を示しているのだ。それをサラリと流してしまうのはもったいない。現在はどうなっているのか。 
なぜ本にする際に、改めようとしなかったのか。手抜き、不親切である。
 
 
一応、巻末に「猪変」その後という章を設けている。出版を前に書き足した部分だ。
そこでは近年のデータや研究成果も紹介している。しかし、それが本文の記述とずれていたりする。量もわずか。せめて章ごとに、新情報の注釈を付けるなりできなかったのか。
 
 
 
それに筆者が複数のせいだろうか、全体に散漫な印象があって、幅広いテーマが最後にどのように収斂するのか、オトシドコロが見えない。ちょっと残念であった。

2015/03/13

花粉症対策には、苗より薬の開発を

林野庁が、花粉の少ないスギ苗の普及に「本腰」を入れるそうだ。

 
 
新年度予算案では、従来のスギを切って、新しい苗に植え替える場合に支給する補助金を盛り込んだ。伐採や除去、植栽などの経費に対して国と都道府県が合わせて約七割を負担する。
 
 
花粉症対策の苗は全体の約1割とあるが、正確には、2013年度に供給されたスギ苗は1581万本で、そのうち少花粉苗は201万本。全体の12,7%である。これを2年後には1000万本供給体制にするというのだが……。
 
少花粉苗とは、花粉の量が1%未満まで下げた品種のことで、なんだか「草食性男子」ならぬ草食性スギ!(……ちょっとオカシイか。)のことを指すらしいが、挿し木で増やすにしろ、そんなに簡単ではあるまい。穂を採れる母木は限られているから、無理な大量生産をしても、苗として役に立つかどうか怪しい。
 
それに品種が開発されて20年ほどしか経たないから、生長力や成長後の材質だって未だ確定していない。通常の苗は、樹齢80年以上の木から優良木を選んで、種子なり穂なりを採取する。20年未満の母木からつくった苗では、林業家だって導入に不安なのは仕方あるまい。
 
とはいえ、補助金目当ての植林も増えそう。今植えた苗が育った先を考えるより、目先の補助金を求める人が多いのが現状だ。
 ゛
 
花粉症の季節には、林野庁にクレーム電話が殺到すると聞くが、どんな返答をしているのだろう。「少花粉苗を植えていますから」と言っているのだろうか。
本音は「今から植え替えても、全部のスギが入れ代わるまで数百年はかかるので、気長にお待ちください」だと思うが(笑)。 
 
それに花粉症はスギだけでなく、ヒノキの花粉症も増えているわけだし、シラカバだススキだブタクサだと対象花粉の種類は増える一方。全部の花粉を抑えるには、1000年かけても無理だろう。そもそも実行不可能だけど。
 
 
それにしても、花粉症対策と名がつけば、どれほどの金を注ぎ込むのか。
 
 
基本は人間(プラス猿やら犬やら猫やら……)の体質の問題があるのだから、そんな体質を改善する、あるいは花粉症を一発で抑え込む薬を開発する方がまだ可能性がある。
 
ならば、林野庁が抗花粉症薬の研究に取り組んではどうだろう。スギのエキスから花粉の免疫を作る成分を抽出するとか。スギアロマで花粉症を抑えこむとか。自前で研究できなければ、研究機関を応援すればよい。
そんな抗アレルギー薬の製造のために、材料のスギを栽培する時代だって来るかもしれない。そうしたら新たな林業ビジネスになる。木材を売るより効率的で利益も高そうだ。
 
しかも林業に対するイメージアップになる。よし、林野庁予算を製薬会社に注ぎ込め!
 
……不可能だろうか。不可能だろうな(笑)。 
 
 
 

2015/03/12

震災後の街

東日本大震災4周年から一夜明けた今日、私が訪れたのは神戸だった。

 
何も震災を意図したわけではなく、たまたま神戸市東灘区に取材先があったから。
 
取材後に少し歩いたのだが、取材先からほんの数分のところに私の友人の家がある。別に寄るつもりはなかった(だいたい昼間から友人は家にいない)が、ぶらぶらと近在を歩く。
そして思い出した。
 
20年前。阪神淡路大震災の時、私はこの街を訪れている。もちろん交通が途絶しているから原付バイクで吹田(北大阪)から延々走ってきたのだ。そして見た街の風景は……平面だった。
 
その地域は、完全な住宅地で、しかも古い一戸建て住宅の並ぶ「閑静な住宅地」である。
だが、友人の住む地区全体がへしゃげて、家はことごとく倒壊していた。何丁目だか忘れたが、友人の家のある地域で立っているのは2軒だけだった。
 
それは、1軒は鉄筋コンクリートの家(低層マンション?)。そして友人の家である。
なぜ゛友人の家が潰れなかったのか。それは震災の2年前に建て替えたからだ。ツーバイフォー構法の家に。
 
おそらく潰れた家は、ほぼ戦前から昭和30~40年代に建築された在来工法の木造住宅だった。それが2階建ても平屋も、見事に潰れていたのを目の当たりにした。
いかに木造住宅が地震に弱いか、誰もが感じたのではないか。
 
もちろん後々の調査からは、それは古い在来構法の家は耐震構造になっていないからであって、建築基準法が改正された以降の新築や、逆に寺院建築のような伝統構法は強かった……などと説明されている。
しかし、現実に自宅が潰れたら、とても木造に住む気になれなかったのではないか。あるいは見事に生き残ったツーバイフォーやパネル構法の建築法に流れたのかもしれない。
 
 
さて、本日歩いた街は、完全に復興していた。
住宅が潰れて空が広く見えた地域も、再び家が建ち並んでいる。
 
1 こんな具合に。
 
……マンションもあれば一戸建てもあるが、みんな鉄筋コンクリートだ。在来の木造住宅はほとんど目にしなかった。
 
阪神大震災後、新築では木造住宅が激減したと言われる。「木造は地震に弱い」と言われ続けた。
しかし、そのおかげで逆に木構造に関心を持つ建築家が現れた。そして耐震を強めた木造建築が提案されるようになった。建築基準法も改定された。
さらに国産材・地域材をもっと使おうという運動も起き、しばしの時を置いて再び木造への回帰が始まったような気がする。
 
幸い? 東日本大震災では、地震で住宅が潰れた例はさほど多くなかったものの、被害の多くは津波が引き起こした。一方で仮設住宅も、木造で建てられたところが多い。復興住宅の構法はどうなっているのか詳しくは知らないが、木造住宅忌避は起きなかったのではないか。
おかげで木造を見直す契機にもなっている。
 
 
震災が街をどのように変えるか、長いスパンで見守りたい。
 
 
 

2015/03/11

ニホンミツバチ偏愛?

先日の日曜日、生駒市で養蜂家による巣箱づくり体験イベントがあったという。
不覚にも知らなかったのだが、その読売新聞の記事を読んで、ちょっと疑問に思った。

ミツバチで森再生 ナラの養蜂家

 
ここで取り上げたのは、在来のニホンミツバチらしい。別にそれはいい。(ニホンミツバチを使う養蜂家と言われてもなあ……。それって、趣味でしょ……とは思うが。)
 
ニホンミツバチは、群が小さい上に集める蜜の量は少なすぎるし、巣になかなか居つかず突然逃散するなど、ビジネス的には成り立たない。ただ大人しくて危険が少ない、スズメバチに対抗措置を持っているので飼いやすい、などの理由から、趣味と副業レベルには向いている。
 
それに気になるのは、次の箇所だ。
 
 ニホンミツバチは自然林の木のうろなどに巣を作り、多種多様な草木の花の蜜を集める。その際に花が授粉して実をつけ、動物の餌となったり、落ちた実の種から新しい芽がでたりして森の再生に貢献していた。しかし、植林や宅地開発で自然林が減少し、ニホンミツバチも減っているという。
 
加えて、次の発言。
 
ニホンミツバチには森を作る役割がある
 
もちろん、これは記者が書いたので、当の本人の意図なり知識がどうかわからないが、ニホンミツバチだけを持ち上げるのはどうか。
 
そもそも自然林が減っているというのは誤解だろう。人工林に負けず劣らず面積は増えているはずだ。
 
セイヨウミツバチだって、多様な草木の花の蜜を集めて受粉する。受粉能力の点から言えば、ニホンミツバチより高い。つまり「森を作る役割」とやらは十分すぎるほとあるのだ。
 
よくニホンミツバチの密は、百花蜜と呼んで、多くの花の蜜が混じっているから美味しいとか香りがいいというが、これは雑味があるということだ。
セイヨウミツバチは季節によって咲いている花の蜜を集中して集めるからレンゲ蜜とかアカシア蜜、トチ蜜、アザミ蜜……とさまざまな蜜の味と香りを楽しめる。もっとも花の量が足りないと、多くの花から蜜を集めるから百花蜜になるのは同じだ。ニホンミツバチの蜜より味か劣るとは思わない。(むしろピュアな味を楽しめる。シングルモルトである(^o^)。)
 
どうも在来というだけでニホンミツバチを持ち上げすぎではないか。
これって無駄な愛国心? 在来種の存在は大切だが、下手な理由付けをしたらいけない。
現在、セイヨウミツバチの養蜂が、果樹や野菜はおろか日本の里山の草花の交配も支えていると言ってよい。
 
 
私は、セイヨウミツバチこそ、もっとも理想的な外来種だと思っている。
 
在来より集める蜜の量は多くて味も多彩、交配などの利用価値も高い。採る蜜も、ニホンミツバチやほかの昆虫と棲み分けしている。それでいて、自生しない。なぜならスズメバチに弱いという点から野生化できないのだ。だから外来種が野生化して、在来種を圧迫するような問題は発生しないのである。人の管理の元で役に立つ昆虫である。
 
 
どうも最近、世間のニホンミツバチへの偏愛が目立つので、ちょっと物申したくなった。
 
1 セイヨウミツバチのプロの養蜂
 
001 ニホンミツバチが棲みついてくれることに期待する趣味の養蜂
 
 
 
 
ところでミツバチと言えば,、「銀座みつばち物語」の田中淳夫さんだよなあ。
いつか対談してミツバチ談義をしてみたいもんだ(^o^)。
 
Vs_1 田中淳夫さんと名刺交換(^o^)。

2015/03/10

Y!ニュース「森のようちえん…」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに、「「森のようちえん」の広がりと認証制度の可能性」を執筆しました。

 
森のようちえんに関しては、これまでも折に触れて記してきた。ブログでは、昨年の春に長野県の動きに触れて記したはず。
 
今度は鳥取県(^o^)。こちらの方が進んでいるようだが、徐々に広がっていくと思う。
 
 
 
ところで、最初は記事に写真を付けなかった。そのものズバリ、森のようちえんの写真がなかったから。これまで現場に出くわしたことはあるのだが、撮影していなかったんだなあ。
 
ところが、Yahoo!ニュース記事に写真を載せないと、それがツイッターやフェイスブックに転送された時に、私の顔写真が出るんだね……。
 
これ、イヤだ。
 
そんでもって、あわてて写真を入れた。森のようちえんではないが、子供が森で遊んでいる写真を。これをもう一度転送すれば、顔写真から解放されるに違いない……。
 
 
ダメだった。なぜか写真は以前のまま(泣)。やめてくれえ。
 
もだえております。

2015/03/09

第3の獣害被害地

三重県のゴルフ場に行ってきた。

ゴルフに行ったのではない、ゴルフ場に行ったのだ。私は、ゴルフをしない。
 
で、そこで見学したのは、こんなもの。
 
12 丸刈り(~_~;)。
 
シカに食われたのだそうだ。これ、まだわずかに葉が残っているが、おそらく近く食べられてしまうだろうとのこと。
 
獣害被害地と言えば、まずは農地。そして林地だと思っていたが、第3の被害地があったのである。
 
ゴルフ場も獣害に悩まされているらしい。対象は、やはりシカとイノシシ。シカのいる山とイノシシの出る山は別々にあるらしい。それぞれが場内に進入して波状攻撃?する。
 
それも、想定以上に激しい。 これに松枯れ、ナラ枯れも起きているそうだ。
しかし、獣害の被害額にゴルフ場は含まれていないだろう。そもそも被害額の算定は、保険などへの申告を元にしているから、家庭菜園とか林地などは含まれないことが多い。
 
 
ちなみに、芝生を荒らすのはミミズを食べるからと言われているが、最近の研究ではどうも怪しいそうだ。
イノシシにミミズを与えても、ほとんど食べないという。別の目的で芝生をひっくり返して、たまにミミズが出てきたら食べる程度らしい。
では別の目的が何か。それがわからないのだ。イノシシ研究は、まだまだ遅れている。
 
 
しかし、ゴルフ場に農地ほど餌になるものはないと思うのだが、それでもイノシシはやってくるのだね。森林部分にドングリが落ちているのかもしれない。
 
 
1
これは、ゴルフ場前の農地。完全に柵で覆っている。門は、まるで砦の入口のような。
 
やっぱり獣害は深刻である。

2015/03/08

軽トラの荷台小屋

今日の散歩中。
ニュータウンかと思ったら、新しい住宅は大通りに近いところだけで、その裏手には意外なほど古い町並みが残されていた。どこかの町なら、ここを保存して小京都として売り出そうと考えるのではないか……と思ったほど。
 
もっとも古い江戸時代の町並みというより、戦前の農村建築が残っているような感じ。
実際、面白い木造建築はいくつか発見したのだが。
 
あえて紹介したいのがコレ(~_~;)。

017

 
ん? ……キャンピングカーではないよな(笑)。
 
軽トラの荷台に乗る小屋。何に使うのだろう。いや、そもそもこれは輸送しているのか、荷台に設えたのか。
 
薄汚れているが、妙におしゃれな窓。洋館の一部を切り取ったのか。
 
なんとなく、魅力的に感じたのであった。

2015/03/07

毎日新聞のCLT記事

毎日新聞の3月4日(多分夕刊)に、CLTの記事が載っている。

 
ここに私のコメントも掲載された。実は、まだ掲載記事は届いていないのだが、先にインターネットにアップされていた。。。。
 
 
実は幾日か前に取材を受けた。最近、こういうのが多い。(いや、別にイヤではないのだが、コメントを取られるよりは、私に書かせろ、と思うわけですよ。) 
 
その時、CLTの取材をしていて、将来有望だと思うのだが、反対意見を探していると私のブログに行き着いた……というわけである(~_~;)。
 
バイオマス発電に関しても同じような取材を受けたことがある。何やら横車オヤジみたいだ。世間が「画期的だ」と喜んでいるものに、ケチばかりつけるイヤな奴。
 
ま、それはいい。それはいいのだよ。いいんだってば。気にしてない。キッパリ。
 
 
 
ただCLTに関しては、最初に伝えたのが「CLT自体は私も期待している建材だ」という点だ。
問題は、「CLTによって日本の林業を活性化する」と煽っている点なのだ。
 
この点を記事では、このように表現された。
 

 ただ、衰退する日本林業の救世主になれるかどうかは未知数だ。森林問題の取材を20年以上続ける森林ジャーナリストの田中淳夫さん(56)は、建材としてのCLTは評価しつつ「林業再生に結びつくかどうかは別問題」とクギを刺す。理由の一つは、国産材として使用が想定されているスギは乾燥しにくく、製造上の扱いが比較的難しいこと。もう1点は経済性だ。
 国は1立方メートル当たり15万円の現在の製品価格を半分程度に引き下げれば、鉄筋コンクリート造りと対抗できるとみる。だが田中さんは「そこから原木価格を割り出すと、山の所有者はむしろ損をする。メーカーはビジネスになるだろうが、仮にCLTが普及しても結局は輸入材ばかりとなるかもしれない」と指摘する。
(サイトの記事2ページ目)

 

……実は、毎日新聞の記者も、「CLTが日本林業に益するという点がわかりにくいんですよ」と言っていた。多分、林野庁を取材して、その点が隔靴掻痒だったのではないか。

記事には、技術面と経済面の問題点が紹介されたが、私はもう一つ指摘している。それは木の感性面だ。

CLTをいくら使って建築物を建てても、その表面はクロスなどを張られて木質部を目にしたり触れるわけではない。またむき出しのCLTの表面は、決して美しくない。

だからCLTの建築物が増えても、木肌を楽しめるわけてはなく、木に対する愛着は感じないだろう。木材の良さを伝えないで、林業の活性化にならないのではないか、ということだ。

ま、こんな木のイメージや感性面が国民感情に影響し、それが長い目で見て林業に影響するという発想は、記事にしづらいだろうな。

だから、いいんだよ。理解されなくても。うん、そこまで求めない。気にしないよ。気にしないってば。。。 

2015/03/06

砂防ダム一例

生駒山中にあった砂防ダム。

 
001 少し変わった形だが、最近は増えている。
 
このダムも、わりと最近まで普通の形だったのだが、ある大雨で土砂が流れ込み、完璧に埋まってしまった。
この上流部には、実はボーイスカウトのキャンプ場もあったのだが、全部埋まってしまった。
 
そこで、切り込みを入れたわけ。分厚いコンクリートも切れるのだ。
 
おかげでダム上流の土砂は下流へ流れだして、再びダムとしての機能を取り戻した。この幅の切れ込みだと、土砂は流れるが、巨石などが転がってきた場合は、受け止めることを狙っているのだろう。
 
実は、このダムの下流50メートルほどのところには、すでに人家、それもニュータウンが広がっている。また嵩上げされた土地に、再びキャンプ場もつくられている。
 
こういうダム改良も、「自然に優しい」というのかな……。

2015/03/05

吉野屋根?

生駒山麓で、こんな家を見かけた。

 
001
 
なかなか豪壮な造りだ。石垣といい高い屋根といい……。
 
そこでふと気づいた。この屋根、少し膨らんでいないか?
002 こちらの方がわかりやすい。
前方の入母屋屋根の、上部・切妻の線を見ると、直線ではなく微妙に膨らんだ曲線になっているように思えるのだが……。
 
まさか施工ミスではあるまい。
これは、「吉野屋根」ではないか?
 
いや、正確に吉野屋根と呼ぶ形状があるのかどうか知らないが、以前、吉野の家の屋根は、少し膨らんでいると聞いたのである。 
 
 
たとえば、これは兵庫県播州の清水寺で見かけた坊の一つ。
 
046
この屋根も、少し膨らんでいる。
 
実は、このお寺は、明治の上地令で所有山林を政府に取り上げられた。その返還運動の末に金策のため取り返した山林を伐採するのだが、その後の再造林に土倉庄三郎が関わったのである。
 
庄三郎の晩年で、すでに財産のあらかたを失った時期だが、庄三郎は礼金を受け取らず、全部地元に還元したという。
その際、再造林には吉野から人を送り込んで作業に当たらせた。そのため吉野の人々がしばらく住むために家を建てたのだが、それが現在のこの坊だという。
 
そして、吉野の人たちが建てたから屋根も少し膨らんだ吉野づくりになった……と聞いたのである。
 
和風建築の世界に吉野式の屋根の形があるのかどうか、私も詳しくは知らないのだが、もし生駒にも吉野屋根の家があったのなら、もしかして吉野の人が移り住んだのかもしれない。あるいは吉野の大工が建てたとか。
誰か詳しい人はいないだろうか。

2015/03/04

遊べる?書店

私が散歩するのは、いつも森の中ではない。

 
回数的にはスーパーマーケットの方が多いかもしれない。イオンモールだってよく行く。
ま、私の家から車で30分圏内にイオンモールだけで4つ5つあるし、イオンやマックスバリュー単体のほか複合させたイオンタウンも数か所ある。もはやイオンに支配された地域なのだ(笑)。
 
それはともかく、本日訪れたイオンモールで書店に行きかけたところで、隣の店に目が向いた。これまで入ったことのない店だ。
 
なぜなら、その店は若者向きの雑貨店らしく、ごった煮的というか、ジャングル的な品揃え。店内も迷路のようになっている。ドンキホーテより、もっとマニアックというかディープな店なのである。
 
この日は街中を持ち歩けるリュックサックで良いのはないかな……と思っていたのでフラリと覗いてみたのだ。
 
タウンユースのリュックサックは結構多くの品揃えがあった。なるほど……と思って見ていたのだが、驚いたのは、その奥だ。店のもっとも奥まったところの棚は、ズラリと本が並んでいた。
 
それも、かなりセグメント化されて、中高生向きかと思えば写真集も専門書も並ぶ。
 
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見ていると、ドキドキしてきた。こんな本があったのか! と思わせる品揃えなのだ。これは大型書店の専門棚に行っても、なかなか見かけないラインアップだ。こりゃすごい。隣の大型書店なんか目じゃない。私の好みに突き刺さる。
 
中には、建築やインテリア、庭の棚もあった。
 
3
 
おお、「木の家に住みたい」なんて本もあるぞ。「近くの山の木で家を造る運動」本があった。家具や木工の本もある。美しい廃墟の写真集とか、世界の寺院建築とか。。。シブイ。
 
すっかり興奮してしまった。私の近辺にはろくな本屋がないと思っていたが、雑貨の奥にこんな本のコーナーがあったとは。しかも品揃えで私のアンテナに引っかかったぞ。
 
……ちなみに少し調べると、この店のキャッチフレーズは「遊べる本屋」。なんだ、もともと本屋だったのだ。ま、本のスペースは、全体の2割くらいだが。
 
おそらく、通常の書店では限界を感じて雑貨と連動させた店づくりを進めた結果なのだろう。イオンモールに入って全国展開しているのだから、成功していると言える。
 
小売店は、多くのアイテム(本の数)を揃えることも大切だが、絞り込んでそれに合致した顧客を見つけることも重要なんだな。
 
あ、ちなみに私の本はなかったよ……。

2015/03/03

林業スクール続々

このところ、林業関係の教育機関が続々と設立されている(計画)ことに気づいているだろうか。

 
すでにあるのは、全国6つ。長野、岐阜、京都、群馬、島根、静岡。(後半3つは農林学校)
 
もちろん林業大学校は古くから各地にあったはずだが、次々と姿を消していたと思う。
反転するのは、おそらく岐阜の林業大学校が森林文化アカデミーに模様替えしたことが先駆けではないか。実は、この開校時に私も取材に行っているのだが、競争率10倍?とかすごい人気だったと記憶する。ま、最初だけだったそうだが(^^;)。
 
次に3年前、京都林業大学校が開校した。これは新設だ。
 
そして、今春オープンするのが、秋田林業大学校秋田県林業トップランナー養成研修) だろう。
 
ところが山形県も今春から農業大学校に林業コース を新設することになった。
 
そして高知県も新設するそうだ。完全開校は来年らしいが、今年は先行して短期コースと基礎コースをオープンさせるらしい。ここには自伐林業方式を教えることを目玉にしているようだが……。
 
これで終わりかと思ったら、岩手県で「釜石・大槌バークレイズ林業スクール 」なんてのが昨秋オープンしていた。これは民間主体で、釜石地方森林組合のほか、東京大学、そして国際金融グループのバークレイズ(ロンドン)が開校資金として3400万円を拠出して開いたものだ。運営期間は3年間だというし、実習と公開セミナーの2本立てとある。 
 
 
今のところ、各学校の詳しい講義内容はわからないが、なぜ急に林業教育に眼を向けられ始めたのだろうか。
 
一つは、政府が林業技術者をめざす学生に年間150万円の給付金を払う制度をつくったらしく、これが後押ししている点はあるらしい。が、それだけではないだろう。
やはり、林業技術者を養成しなければならないという危機感が強まったことが根底にあると思う。
 
 
こうした動きの詳しい事情や深層も興味あるが、箱つくって魂入れず、では困る。いや、林業を思う魂はありそう(さもないと応募者も就職口も定まらないのにつくらないだろう)だが、教える技術が追いつくのか心配である。
 
昔ながらの「見て覚えろ」「身体で覚えろ」「技は盗め」では困るからなあ。怪我人増やすよ。さらに理論面もビジネス面もチョー大変だ。 
まずは、自分で考える技術者を作ってほしい。いや、自分で考えるように教える教師をつくらねばならないかな(^^;)。。。
 
 
そういえば、岐阜の森林文化アカデミーとドイツのロッテンブルク林業単科大学が教育や学術交流などの協力の覚書を昨秋に交わしていたっけ。 
 
 
ともあれ、健闘を祈る。
 

2015/03/02

Yahoo!ニュース「水素は自動車よりバイオマス発電?」を書いた裏側

Yahoo!ニュースに「水素は自動車よりバイオマス発電? 」を記した。

 
お察しのとおり、昨日の「木製飛行機に学べ!」を書いた最後辺りに、「水素自動車もいいけどさ。木製自動車を作ってよ。」と書いたことから連想したのである。
 
実は、昨夜はなぜだか眠れなかった。別に人生に迷ったわけではないはずだが……。
 
本を読んだり起き上がったり、布団の中でモンモンとしていた。
その中で上記の一文を思い出して、ああでもない、こうでもない、と煩悶しているうちに思いついたのである。
 
おかげで今朝は、すっかり朝寝坊。もはや仕事をする気が失せていた(^^;)\(-_-メ;)。。。
 
その中で昨夜のことを考えると、「水素発電だ!」と思いついた。ほかにも、いろいろなテーマを考えて、それなりにアイデアが浮かんだはずだが、今は出てこない(^^;)。忘れてしまったらしい。
とりあえず覚えていたこれを記したのである。

2015/03/01

木製飛行機に学べ!

松下に木製爆撃機発注 戦時下 軍の機密文書発見

という記事が東京新聞に載った。戦時中、軍は松下電器産業(現在のパナソニック)に飛行機の製造させようとしたが、それは木製飛行機だった。そのことを記した書類が見つかった、というのである。
 
記事を引用しよう。
 
 物資の不足が深刻化した第二次大戦中の一九四三(昭和十八)年、実戦を視野に入れた木製の訓練用爆撃機「明星」を開発し、松下電器産業(現・パナソニック)グループに量産させることを決定した日本海軍の機密公文書が、防衛省防衛研究所(東京都目黒区)で見つかった。松下は航空機の製造技術を持たなかったが、軍は家電製品の大量生産技術に着目して松下を選んだことが明記されており、戦時下の兵器の発注の内幕を具体的に示す史料として注目される。
 ラジオなど民生用電機メーカーだった松下が軍の要請で飛行機を製造したことは知られているが、軍の決定過程を詳しく記した文書が見つかるのは初めて。
 
松下グループ傘下に松下飛行機という会社があり、木製飛行機をつくろうとしたことは知っていた。小学生の時に読んだ松下幸之助の伝記に載っていたのである。掲載分量はわずかだったが、電気メーカーが飛行機までつくった戦時下の話が非常に印象深く、今に至るまで覚えている。これを理由に、終戦後、財閥解体に該当しかけたそうだが……。
 
この点については、次のようにある。ただ作られた飛行機に関しては、かなり問題があった模様。
 
「木製機計画」の「試作実行」を指示。真珠湾攻撃で使われた九九式艦上爆撃機の設計を基に訓練用爆撃機の開発を命じた。実戦を視野に爆弾や銃が搭載できる仕様。軍による試作後、量産させる企業は「松下飛行機」と明記。軍の要請で松下が生産準備のため設立した子会社を指定した。
 
 
ようするに、すでに金属で作られていた飛行機の部材を木製にしようというもので、ジュラルミンが足りないから木材を代わりに……では、無茶もいいところ。実際に試作されたものは金属製より重く、強度は低く、振動も大きくて使い物にならなかったとか。
 
 
ふと思い出した。先日の神戸の講演では、産業界、それも重工業系や自動車の会社の人々が参加していたのだが、終わってからの懇親会で製鉄会社の人たちに「(林業振興と言っても)何十年も先の経済状況を予想して売れそうな材質の木を育てることはできない。今そこにある木材を、いかに利用するかを産業界の方々に考えていただきたいと話した。
そして例として上げたのは、イギリス空軍のモスキートだ。
 
全木製飛行機として勇名を馳せる。なんたって、爆撃機として作られたのに戦闘機より速度が早く、小回りも戦闘機以上というスグレモノなのだ。その後、偵察機型や戦闘機型にも転用されたが、大活躍してドイツ軍を悩ましたという。
木製で優秀な製品を作れば、それは売れるのだ。それが木材の需要を増やすのだ。
 
 
Photo デ・ハビラント・モスキート
 
モスキートは、決して金属が足りないから木材でつくる、といった発想ではなく、木質の優秀さを活かした作品なのである。
何より軽くて製造が簡単だから量産できたし、スピードを出せた、小回りも効いた。密閉性も高かった。また修理も簡単だった。穴が開いても、接着剤ですく塞げたからだ。
 
ただし考え抜いた構造だった。素材は、いわゆるベニヤ板を張り合わせた三層板を使っていて、無駄な装飾はなく、モノコック構造を採用。
優秀な性能を発揮できたのは、よいエンジンに恵まれたこともあるが、ハビラント社が木製飛行機の性質を熟知していたおかげだという。
 
残念ながら、日本の航空機産業界、いや木材業界にも、飛行機に応用できるだけの木質の知識や技術はなかった。だから成功しなかったのだろう。
 
 
 
私は、常々木材は「感性の素材」と口にしているが、モスキートの木質部分は、感性を重視したわけではない。用の美とも言える端正な美しさはあるが……。
 
もしかしたら、機能の面から木質をもっとも効果的に利用した商品開発も考えるべきかもしれない。
 
今の世の中なら、飛行機より自動車だろうか。
水素自動車もいいけどさ。木製自動車を作ってよ。軽くて制動や燃費がよく、耐衝撃にも強いボディを。製造も修理も早くて簡単、値段も安くなるような自動車を。
 

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