気がつけば、3月31日も過ぎようとしている。2014年度も終わりだ。
明日、4月1日から新たな道を歩む人も少なくないだろう。
……と、妙に感傷的になったのは、生い先短いと感じるからだろうか(~_~;)。私にとって何回目、なんて野暮な回想はしないが、たしかにン十年前の4月1日から実社会に出たはずだ。
小さな会社に勤めて、小さいなりに入社式があって(今振り返ると、やたら新人が多かった)、学生から社会人と呼ばれるようになったのだ。
最初の仕事は、花見の場所取り? だったかどうか。ともあれ、その会社で名刺の出し方から電話による取材の申し込み方、取材の仕方まで覚え(教わったような記憶がない。積み重ねたのだ)、そして原稿の書き方を鍛えられたのだ。原稿の書き直しは通常3回、ああ、今日は2回で済んだぞ、とか、4回目じゃ(泣)とか。
最初に書いた原稿が何か、思い出せない。多分、企業の短い紹介ページとかのように思うのだが……。
そう考えれば、今の私の原点は、やはりその日にあるのだろう。
ただ、その会社は1年目は新人、2年で中堅、3年いたらベテランで幹部候補生。5年以上勤めている人は何人いるのか? という世界だった。新人が多いわけである。
今風に言えばブラック企業のお仲間なのかもしれないが、帰宅するのは毎度午前様。週に1度は会社に泊まるのが当たり前で……という生活を送ったのだった。
まあ、それでも、新しいことを知ったり経験するのはワクワクして、取材に行った先でさぼる方法を結構身につけて、気がつけば原稿はイッパツOKを取れるようになり。ブラックな会社でも学べることはある。
結局、その会社には1年3カ月しか在籍しなかったし、決してよい印象を持っているわけではないが、今となっては文筆業のスタートを切ったという点で感謝すべきなのかもしれない。
もはや骨の髄から会社勤めはできなくなったと感じるが、もしあのまま勤めていたら……いや転職しても、会社に勤める働き方を続けていたら、どうなっていたか。もしかして安穏な生活を送れたのか。それとも胃に穴を開けて、しょぼくれていたのかもしれない。
今や就職相談(森を守る仕事に就きたい!)なんてメールを受け取る立場になったが、あんまりアドバイスすることはない。思うように進んでくれ。そして挫折してくれ。できたら、その挫折ぶりを私に報告してくれ。それを聞いたり読むのも私の楽しみである(悪趣味~_~;)。
それも自らは経験できなくなったことを知る機会なのだ。
でも、あの4月1日に感じた不安と期待と野心がカオスになった初心は、今や羨望である。

新宿歌舞伎町の夜。
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