「徳川の歴史再発見 森林の江戸学Ⅱ」 を読んだ。
徳川林政史研究所編 東京堂出版
タイトルどおり、「森林の江戸学」の続編である。前回は基本、林業・林政史だったが、今回は、「暮らしを守る森林」だそうだ。つまり、今風に言えば保安林。治山や水源涵養、海岸の防風防砂……などの森林とその政策である。(実は、前作でも取り扱っているが、大きくクローズアップしている。)
各地の藩などの政策も交えて、森づくりの方策が紹介される。それらを追うと、どうも日本の森づくりは「暮らしを守る」ことが主眼で、木材調達は二の次だったのではないか、とさえ感じる。
しかも荒れ地に森を創った人は、大明神として祀られているケースも多いだ。森づくりに、いかに感謝したのか彷彿させる。
そして、現在「森林の公益的機能」とかその治山・砂防技術、そして森づくりの方策として語るものは、ほとんどこの時代に出尽くしている感さえある。
「林業だけじゃない森林」に興味を持つ人は、ぜひ読んでもらいたい。そして、林業により興味を持つ人は、その原点でもある森づくり史を知るために読んでもらいたい。
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目次を追うと、こんな感じ。
まえがき
総論“暮らしを守る森林”へのまなざし
一.日本の森林と暮らしへの活用
二.江戸時代の森林観と国土の保全
三.江戸時代の“暮らしを守る森林”
Ⅰ 山を治める―土砂扞止林―
一.諸国山川掟と畿内・近国の土砂留制度
二.岡山藩における「はげ山」の様相と対策
三.尾張藩の砂留林と水野千之右衛門
Ⅱ 水源を育む―水源涵養林―
一.秋田藩における水野目林の保護・育成
二.弘前藩領における田山と村々
三.熊本藩の水源涵養林と山役人
Ⅲ 風や波に備える―防風林・砂防林・防潮林―
一.屋敷と耕地を守る防風林
二.越後国新潟町の海岸砂防林と新潟奉行川村修就
三.仙台藩領の海岸林と村の暮らし
Ⅳ 暮らしの危機と森林
一.都市江戸の火災と植溜と御庭
二.江戸時代の凶作と森林
三.安政の大地震と地域の対応
Ⅴ 時代を越える“暮らしを守る森林”
一.井之頭御林と江戸・東京の水源
二.天竜川流域の治山治水と金原明善
三.森林法の制定と保安林制度の成立
私が一番面白いと思ったのは、17世紀に入ると新田開発が進み、肥料としての刈敷、さらに牛馬の飼育が敷き藁(これも肥料になる)を求めさせ、草需要を増大させたというのだ。そして、森林の減少が下草をも減らしたため、採草地をつくるため火入れによって草山を生み出したという。
さらに草が足りないから草の根まで採掘するようになり、山は荒れていった……これが治山政策や事業を行わせたとある。
つまり、森林減少は農地開発や木材(用材・薪炭)を得るために過剰伐採が進んだだけでなく、草を生やすために積極的に森林を草地に替えた……?
この視点はなかった。もっと注視すれば、人と森との関係を見直せるかもしれない。
もう一つ。明治4年に民部省によって「官林規則」が設けられ、そこでは乱伐禁止の項目があったらしい。ところが制定直後に民部省は廃止され、引き継いだ大蔵省によって官林は積極的に払い下げられて大伐採が進む……後者は拙著『森と日本人の1500年』でも触れた部分だが、その前段階に乱伐を止めようとした動きがあったというのは面白い。知識として治山の重要性はあったのに、政策に翻弄されたとも言えるだろう。
なお、後半に「天竜川流域の治山治水と金原明善」の項目があるが、その参考文献には拙著『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』も入っているよ。金原翁は、実績の点では土倉翁より(現代に引き継いでいるという点からも)大きいかもしれない。
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