先に、主にYahoo!ニュースの方で紹介した、奈良県で行われたスイス・フォレスターによる森林管理者研修。
その報告が奈良県のホームページにアップされていた。なかなかツボを押さえているから、興味のある人は目を通すとよい。ちなみに「ツボ」とは、スイス林業の「技術」ではない。考え方だ。
報告はこれで終わりではなく、内容は今後も随時更新していくそうだ。
この研修に参加された人は、ブログやフェイスブックなどでかなり情報発信しているので、そちらも合わせて目を通すとより全体像が見えてくるのではないかと思う。
ちなみに私の書いたのは研修報告ではなく、研修を通じて私が感じた日本の林業の問題点である。
それに対して、さまざまな反応があったことを私も確認している。概ね(私の見立てに対して)好意的に捉えていただいているが、なかには揶揄するものもあった。
それを読んで感じたのは、研修内容を詳しく把握した上ではなく、外国を参考にするのが嫌いか、スイスが嫌いか、スイスの林業が嫌いか、フォレスターのロルフ・シュトリッカー氏に恨みを抱いているか、とにかく私の意見を否定したい思いがある、と感じさせられましたよ。
やだねえ。もっと素直に学ぶ気持ちを持てばよいのに。個人的な感情を垂れ流すのは、人間としての器が小さいというか、●○の穴が小さいというか( ̄ー ̄)。
私自身、ロルフの語った内容が全部参考になると思ったわけではない。
たとえば、もっとも時間を割いていた「育成木施業」は、私は日本の林業地に合わないと思う。できないわけではない。吉野の永代木施業や伊勢神宮の宮域林の「将来木施業」は成功している。
ただ、この方法で高品質材を生産できる森にするには、長期的な森をみる目と見守る手間が必要になる。それを日本の多くの林業地で行うのは無理というか、現状に合わなさすぎる。
天然更新も同じ。できなくはないが、日本には向いていない。
ただ、私は放棄人工林や放置雑木林を、多少とも健全な森に変えていく手法に使うとよいのではないか、と感じた。
もともと荒れているわけだから、育成木施業が失敗しても影響が少ないだろうし、低コストに行えるからである。何も考えずに間伐するよりよい森になるではないか。(現実に、この手の森では、生態系を考えずに下層植生だけを刈り取るような整理伐や、機械的な列状間伐、そして皆伐が行われがちだ。)
その意味では、(セミプロ級の)森林ボランティアとか、森林公園を手がけることのある造園業者が学んでもよいような気がする。
もちろん、これも私の見立てだから、正しいかどうかわからない。
ようは、技術を学ぶ前の心構えを学ぶべきだろう。まず受け入れて、咀嚼して、取り入れるべきなのはどれか、合わないのはどれかと判断する……。
この報告を読み返して、そんな「振り返り」をしてみたい。
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