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森と林業の本

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2015/08/18

低コスト林業とは「無駄に伐らない」

朝からじっとパソコンの前で仕事をしていると、気が滅入る。現実逃避したくなる。
 
集中力はなくなり、次々と連想ゲームのように考えることがずれていく。
たとえば、こんな風にだ。
 
林業の低コスト化がよく話題になるが、それは具体的にはなんだろうか。
(高価な)機械を入れて大量生産することなのか。ちょっと違うだろ、と思う。
 
では何か。すると思い出すのは、数十年前に吉野の山行きさんに言われたことだ。

その頃私は、林業のことをちゃんと知りたくて、吉野の現場に通っていた。

 
山仕事を一通り経験させてもらうためである。おかげで地拵えから植林、除伐間伐、枝打ち……そして巨木伐採まで一応は経験した。(ちなみに巨木の伐採を私がしたわけではない、あくまで見学とお手伝い。チルホールをせっせと引っ張ったことぐらい。)
 
なかでも枝打ちは丸1日やった。枝と言っても、もっとも初期の小枝を払う「紐打ち」と呼ぶものだったが、落とした枝の後がどんな形状にするのか、一緒に作業する人々に、いろいろ教わった。みんな吉野で林業やること30年40年以上のベテランだ。
きれいに枝の盛り上がりを削らないと後に樹皮がふさがらないとダメだしされた。やり直しもさせられた。暑い最中だったが、結構熱中したものだ。
 
昼飯を食っている時もいろいろ話を聞いた。 
私は貸してもらった刃物(ヨキ)を持つのが嬉しかった。休み時間に研ぐのだか、私の研ぎ方にもダメ出しをされ(~_~;)つつも、切れ味を試したくなる。
 
そこで、目の前にあった立ち枯れしていた木を倒せないかと振り回した。直径7、8センチくらいで、上部はすでに折れている。私のヨキの振るい方にまたダメだしされながら(~_~;)、なんとか倒して悦に入ったのだが。。。
 
「プロは無駄なものは伐らんのだよ」
 
枯れた木がそこにあっても何も邪魔しない。残しておけば、年月が経てば勝手に腐って倒れるだろう。それを力出して伐るのは無駄。そう、あっさり言われたのである(>_<)。。
 
無駄に伐る、無駄に動けば身体も疲れるし、もしかして怪我をするかもしれない。刃物を傷めるかもしれない。刃物を持って喜んで振り回すのは、高コストなんだと気がつかされる。
 
 
そういえば、FSCの審査でも、作業の邪魔にならない枯れた木を伐るのは無駄であり、それにチェンソー使えば燃料代のコストが増えるわ、排気ガスで環境を悪くするわ、作業員を無駄に働かせるから人件費かかるわ、さらに枯れ木は鳥の棲家や止まり木になるかもしれないのに、それを倒すことは生物に悪影響……と判断されて減点対象なんだそうだ。
 
低コストとは、なるべく人が動かない、作業量を落とすことなのであった。もちろん、作業量は落としても生産量は変わらないよう効率を上げないと、単なるナマケモノになってしまうが(~_~;)。
 
そう考えると、日本人は実に無駄によく働いているのではないか。いや、林業だけでなく。
無駄に早く仕上げようとする。無駄にきれいに仕上げたくなる。無駄に時間を費やした方がエライ気持ちになる……。つまり労働生産性が低いのだ。
これは、コストが上がるから経営的にもマイナスだし、労働者は働いた割には収入が増えないし、何より環境に悪い。いいところなし、である。
 
私も、考えてみれば無駄な動きばかりだ。記事にならない取材ばかりしているし、仕事は関係ない資料本を買い集めるし、ギャラの払われないコメントや情報提供ばかりしているし、誘われたら用事もないのに遠くまで船乗って出かける約束してしまうし。
 
よし、低コストになろう。無駄に急がなくてもいいのだ。書かないのにデータの裏取りしなくてもいい。原稿なんてギリギリまで書かないでいいや。   ←今、ココ。
 
 

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林業・林産業」カテゴリの記事

コメント

日本人の労働生産性(特に第3次産業)が意外と諸外国に比べて低いのは、そういう無駄が多いのかもしれませんね。

でも、仕事と関係ない資料集めや取材、それに息抜きとは思えない程に真摯な態度で書かれているこのブログも、物書きでらっしゃる田中さんにとっては、「大切な無駄」とのご認識は当然持ってらっしゃるとお見受けします。

過去に偉い学者さんに「立ち枯れも伐るべき」と言われ、私は「淘汰されたものはそのままでよい。伐るだけ無駄な労力です」と答えたことがあったなぁ・・同感・・

その「偉い学者さん」が誰なのか気になるところではありますが(~_~;)、かつては集約的林業がもてはやされたときもありますね。
もっとも、その代表格が吉野であり、その吉野のプロが「無駄なこと」と言っているのですが。
 
私のやっていることも、無駄なのか、それとも遠い将来の布石になっているのか……無駄の用を追求したいと思います。

はじめまして。

林業の現場の方と話していると、施業後の林分の「見た目が良い・悪い(こちらの言葉では『目ぐさい』と表現します)」という判断基準をたびたび耳にします。

長年の経験から判断されていること故、若輩の自分は何も言えなくなるのですが、細い雑木や枯れ木があっても全然気にならない、むしろ生態学的に正しく美しい状態だと感じる自分にとっては、見た目の良し悪しとはいったいなんだろうと考え込むこともあります。

見た目が「美しい」という場合の基準が難しいですね。
 
私も「もっとも美しい森は、またもっとも収穫多き森である」という言葉を紹介して、美しい森は環境的にも林業的にも優秀だ、と言っているものですから(~_~;)。

規則正しく整然としている美しさと、多様性あふれる美しさ。人工的で幾何学的な美しさと、自然界の曲線とファジーさのあふれる美しさ。
これらを分けて考えたいところですが、林業的には前者ばかり注目しているようです。

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