先日、神戸で植物学者夫婦と飲んだのだが、その際に出たアイデア。
この世の虐待される植物たちについての本を書けないか?
虐待! この言葉には敏感になる世の中だが、その対象は子供ではなく、老人でもなく、ペットや動物園の動物でもない。植物だ。
このフレーズだけで、売れるような気がした(笑)。
その気で見れば、結構あるんだよなあ、植物の虐待。
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これは神戸の街路樹や某神社なのだが、ああ、このスペースいっぱいに広がった根が痛々しい。これ以上伸びるスペースどころか土もないのではないか。それなのに結構な太さに成長しているのがまた痛々しい……。
ほかにも、いわゆる「ど根性植物」の数々。
コンクリートのすきまから生え出たり、光の足りない地下街の植物とか、針金が食い込んだ庭木とか、ときには盆栽も。さらに煤煙の中で縮れた枝葉を伸ばす草木とか、水不足環境の中でひょろりと生える草。産廃やゴミの中で伸びようとしている木々。
破れた砂嚢から芽吹きだした雑草。
さらに進んで、虐待される森。
何十年経っても成長せず、表土も流れてしまった森である。いつも荒れた人工林とか簡単にいうが、これも虐待された植物の集合体ではないか。
これなど虐待されて殺された植物の捨て場というか、墓場。
見方を変えれば悪条件で祖経っている植物は「けなげ」でもあるし、「ど根性」を感じて勇気づけられる人もいるだろうが、やはり植物が生き生きと育っているとは言い難い。
「虐待」という視点で植物の生育環境をチェックしたら、また別の世界が広がるかもしれない。
昔、みかん畑が放置され、枯れる寸前になった実は甘くて美味しいが、残念なことに種が多くある。と聞いたことがあります。
その農家の爺さん曰く、「子孫を残すために甘くなるんだ。そうしたら動物にも食べてもらえるから」
「虐待される植物」が成立するとすれば、当事者の植物は如何思っているのでしょうか。
案外、与えられた環境を精一杯生きているので、条件の良し悪しには関係ないのかも・・・。
投稿: 仁藤 浪 | 2015/08/26 11:00
まあフォアグラを取るためのガチョウの飼い方とか、霜降り牛肉にするための牛の育て方とか……動物でも育て方とニンゲンにとっての有用部分は違っておりますからなあ。
そう考えると、甘い果実や野菜づくりは、みんな虐待かもしれない(笑)。
植物の気持ちはわからないけれど~。
これも、「虐待される植物たち」の1章になるな。。φ(.. )。。。
投稿: 田中淳夫 | 2015/08/26 12:21