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2015/09/27

土倉庄三郎を取り巻く女たち

やっと、朝ドラの「まれ」が終了してくれて、明日から「あさが来た」が始まるようである。

(「まれ」は、近来まれにみる不出来であった。あれほどの俳優を動員して、ここまで出来を悪くした脚本家の責任は重いだろう。……もっとも、第1回目以降は真面目に見ていないのだが(笑)。)
 
さて「あさが来た」の主人公は広岡浅子。彼女が土倉庄三郎と関わりがある……一緒に日本女子大学設立に奔走したことは、すでに記してきた。それに関して、関連本を製作する編集部から問い合わせもあったのだが、厳密に浅子と庄三郎がどのように交わったか資料がなくて困っているようだ。
まあ、ないよなあ。調べてみたいと思うが。私自身は土倉翁と成瀬仁蔵(日本女子大創設者)との関わりを追うなかで広岡浅子の存在を知り、多少かじった程度なのである。
 
 
実は、土倉翁の足跡を追うと、魅力的な女性が何人も登場した。本当は、そちらも取り上げたかったが、するとどんどん土倉翁と離れていくし、翁の輪郭が薄まるので断念したケースも多い。
そこで、ちょっと「土倉庄三郎を取り巻く女たち」を紹介したい。(取り巻く女」と書くと、色っぽいイメージが湧くが、全然違うのだよ。直接関わった人ばかりでなく、背景を調べる過程で登場した同時代の女性たち、という意味ですわ。。。)
 
 
私がもっとも興味を持った女性陣は、庄三郎の娘である富子と政子である。
とくに政子は、アメリカに7年間も留学し、中国公使夫人となってからは西太后と親しくなった唯一の外国人女性とも言われる。彼女の寝室まで入って語り合った仲なのだ。そして日露戦争時には、日本の外交の中で重要な役割を果たすのだが……。
 
Photo  土倉(内田)政子
 
富子も原六郎の後妻として超金満家人生を送って、何かと大きな役割を果たしている。
さらに世代は下るが、土倉麻という庄三郎の孫に当たる人物は、1932年のロスアンゼルス・オリンピックの陸上競技(リレー)に出場している。彼女は同じ陸上選手田島直人と結婚して、日本陸上界に大きな足跡を起こした。
 
まあ、身内はあまり触れないでおこう。
 
 
私が注目したのは、新島(山本)八重である。
いわずと知れた会津戦争において狙撃手として戦った女性だ。老幼女子しかいない若松城に籠城して最前線に立った女性が、京都で新島襄の妻となり、さらに新島の死後、明治の世を闊歩する実話はドキドキするほどかっこ良かった。(NHKの大河ドラマ「八重の桜」は、前半の幕末編・会津戦争の迫力に胸打たれたのに、後半の京都編がすっかり色あせて、八重が単なる新島襄の妻としてしか描かれなかったのは残念だった。)
土倉家とは、土倉翁の息子たちの養育も含めて非常に深い関係を持つ。
 
 
次に興味深い女性として、岸田俊子(中島湘煙)がいる。
彼女は京都府生まれで、山岡鉄舟らと知り合いで、明治天皇の皇后に漢学を進講したほどの才媛だったが、自由民権運動の志士・中島信行と結婚して、運動の中でも紅一点の弁士として名を馳せた。婦人運動家の嚆矢であるとともに、大学の教師や小説の執筆など多彩に活躍している。ちなみに土倉翁と中島信行は肝胆相照らす仲であった。
 
彼女の演説を聞いて目覚めたのが、影山(福田)英子である。
彼女こそ、婦人運動と自由民権運動に精根傾け、土倉翁に自ら支援を申し込んで、勉学に励む。ところが運動にのめり込むがゆえに、荒唐無稽な李氏朝鮮の打倒運動に足を踏み入れ、とうとう爆弾運搬の片棒を担ぐ形で投獄されてしまう(大阪事件)。そのため元祖・過激派の女性闘士扱いされている。
その後の彼女は、苦労ばかりを重ねる人生を歩んでしまうのだが、異彩を放った明治女性である。私は、彼女に多少の憐憫とともに人生の美しさを感じてしまう。
 
ほかにも翁と直接の関係はないが、本多静六の妻・本多詮子も興味深い。彼女は幕末の彰義隊の隊長・本多晋の娘である。12、3歳の頃から英語が話せて公使館で通訳を勤めていたという。
さらに長じると、日本で4番目の女医になる。これほどの才媛が、婿を取る形で折原静六を迎えるのだが、その後は専業主婦となってしまう。それが残念なのだ。ちゃんと調べたら、彼女の別の足跡も現れるのではないかと思っている。
 
また直接の関わりではないが、次男の龍次郎が台湾で樟脳を開発した時期に総合商社・鈴木商店も進出して樟脳で大きな財を築いている。両者に関係がないわけがない。そして鈴木商店には、「お家さん」こと鈴木よねのような人物もいるのだが……。
 
 
 
明治時代は、実は江戸時代以上に女性に厳しい面があるのだが、その中でも羽ばたいた人は少なくない。土倉庄三郎が生きた時代を追うなかで、そんな人々が浮き上がって来たのは、私にとっても嬉しい誤算であった。

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