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2015/12/08

金原明善記念館にて

浜松を訪れて一泊した理由の一つは、金原明善記念館(生家)を訪れることだった。

金原明善を知っているだろうか。 明治時代の静岡の偉人にして、天竜林業の立役者である。(天竜林業自体は長い歴史があるが、吉野林業に酷似した現代の天竜林業の礎は、ほぼ彼がつくった。)

もともとは天竜流域の豪農の生まれだが、毎年氾濫する暴れ川をなんとかしたいと治水事業に取り組み、後半生は治山のための植林を始めた。林業のためではなかったのだ。

しかし、山のことは何も知らないと、その技術を学ぶため吉野の山林王・土倉庄三郎の元に手紙を送り、使用人を派遣する。ここに、明善と庄三郎のつながりが生まれたのだ。

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築200年くらいの金原家の生家が現在記念館になっている。

立派です。そして資料がいっぱい。膨大な書簡など文書関係の資料が残されているのだ。

実は、私の狙いもそこにあった。庄三郎のところに明善からの書簡は1通残されている。しかし手紙を交わしたのは一度だけとは思えない。また庄三郎も返事を書いただろうし、静岡を2度訪れているはずで、もっと密に交流しているはずだからだ。

その資料が明善側に残されていれば……と期待したのである。明善側にあるとしたら、もしかして庄三郎直筆の書の可能性だってある。

突然訪れた私だが、記念館側は新設に応対していただき、資料を探してもらえた。だが、残念ながら、見つからない。書簡集も出されているのだが……。

なんでも、戦前に重要資料1万点が東京に送られており、それが関東大震災で焼けたのだそうだ。もしかして、その中に含まれていたのかもしれない。

それでも両者の交わりを証明するものはないか、と探してもらったところ、住所録に目をつけた。明善は各地を旅することが多かったが、その旅先で手紙をたくさん書いたから住所録をつくって持ち歩いていたらしい。膨大な人数の住所がイロハ順に書き込まれているのだ。

あった。2冊あるのだが、両方に土倉庄三郎が記載されてある。

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こちらは2冊目。真ん中に大和国吉野郡大滝村の土倉庄三郎がある。赤丸がつけられているのはなんだろうか。頻繁に住所を繰った一人を意味しないだろうか。。。。

とりあえずの新資料発見!である。ほかにも、ヒントになる話をいろいろ聞けた。金原家を引き継ぐ金原利幸さんとも、現在の林業状況について話せたし。

 

それにしても、金原家は莫大な資料を受け継ぎ、記念館も開いて維持していることが羨ましい。土倉庄三郎には記念館そのものがないが、あっても展示できる資料がどれだけあることか。……いや、各地を漁ればそれなりに出て来そうだけどなあ。

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コメント

私の親父の話では、曽祖父が川上村の学校の初代の校長になったと伝え聞いております。

曽祖父は元々は五條市に住んで居たらしいですが、川上村に先生が居てなかった為、奥さんと一緒に五條市から川上村まで行ったそうです。

その「学校」が土倉翁の私財で奈良県に一番最初に作った小学校かどうかは分かりませんが、年代的には合ってる可能性もありますね~。

川上村の小学校でしょうか。当時は集落ごとにつくられたので幾つかあります。奈良で一番古かったわけではありませんが、都市部に創設されたのとほぼ同時期に山里につくられたのですから、たいしたものです。
土倉翁の関与した大滝の小学校の校長には、佐久間ゆう斎の名が残されています。

教育に力を入れた点は、金原明善も同じですね。

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