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森と林業の本

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2016/01/17

「使わない資料にも意義がある」

昨日、古書市で大量の本を購入したことは、すでに記した。

 
こうした情報の仕入れは、古書に限らず定期的に行っていることだ。すでにある資料を吟味していらないものを選んで捨て、また新たな資料を入れる。いわば情報の新陳代謝である。
 
新しい資料とは、個人的に興味のある分野や、今手がけているテーマ、今後手がけるかもしれないテーマ……。もちろん単に楽しむための小説やら読み本だってある。選書は、勘としかいいようがない。
 
 
たとえば、もうすぐ刊行される『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』の場合、元から樹木葬には興味を持っていて、その関連本は書棚にあった。
ある時に、少し詳しく調べてみるかと思いつき、樹木葬に限らず葬儀・埋葬・墓の民俗的資料を集めだした。それこそ古書店に行って、目に止まったものをまとめ買いすると、あっという間に数十冊集まる。手持ちの資料の中にも関連本を改めて取り出す。
 
書籍だけでなく雑誌や論文も含めてネット検索し、手に入るものを集める。樹木や里山、あるいは緑化に関する資料は、すでに大量にある。ドイツなどの森林を巡る人々の事情は、前著の執筆時に収集済だ。
 
さらに近隣の墓地を訪ねる。樹木葬を名乗っている墓地にも足を運ぶ。
 
 
ただ、この時点では、まだ樹木葬について本を書くかどうか決まっていない。むしろ、否定的な情報ばかり集まっていた。樹木葬とは名ばかりの墓が多いのだ。それこそ「木のない樹木葬」が日本の場合は主流と化している。
 
ここで諦めたら、集めた資料は全部無駄になっただろう。そうしたケースも実は結構ある。だが情報を探っていると、それなりに森をつくる樹木葬もないではないとわかってくる。海外情報も入ってくる。
 
ようやくゴーサインを出す。現場を訪ねる。取材する。
 
そして執筆する。ただし、収集した資料のうち、実際に参考になるものはごくわずかだった。ほとんどが無意味で役立たずだ。
 
 
では、大量購入した本は無駄だったのか。
いや、そうでもない。執筆に役立たなくても自らの知識になることで、実は執筆時の下支えになっている。多くの無駄に囲まれて核は育つ。
 
無駄を排除すると、核は見えなくなるのだ。
 
そういや「働かないアリに意義がある」という本もあった。通常、アリの巣にいるアリの7割は働いていないという知見があるが、働く3割のアリだけを集めたら、またそのうち7割は働かなくなる……というのだ。そこから無駄に見えるものにもある意義が見えて来る。
 
同じく、遺伝子の7~8割は働いていない、少なくても生命活動に有利にも不利にも働いていないという中立遺伝子説もあった。それでもいずれの遺伝子は必要なのだ。
 
もっと身近な例では、某有名スーパーが売れ筋商品に特化した品揃えをしたことがある。たとえば刺身売り場にはマグロばかりとか。その代わり価格はぐんと下げる戦略だ。
これなら人気を呼び売上もアップ……のはずが、一気に客離れを起こして売上は急降下をたどった。その後、幾度も立て直しを図るが、とうとう倒産。イオンに吸収される……。
 
売れない商品にも意味はあったのだ。
 
 
そんな無駄を積み重ねて完成させた本である。
 
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