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2016年2月

2016/02/29

廃車の森

これは吉野の某山中で見かけた風景だが、結構各地の山村・山林によく似た情景が存在するように思う。

 
 
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人工林の中にたたずむ廃車群……。なんか、絵になりそうにも思うが、やはりイカンだろ。
山林所有者自ら行ったものだとしたら犯罪にはならない。捨てたのではなく、敷地に置いたということになる。あるいは誰かが不法に放置しても、それを処置する手間も経費も面倒ということかもしれない。
 
しかし……林道沿いにだってある。
 
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なんか後者なんぞはまだ使えるように感じるのだが……ナンバーは外してあるなあ。
 
極めつけは。
 
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荷台に乗用車積んだまま捨てられたトラック。ようするに2台分の廃車か。
 
山林がどんどんゴミ捨て場になっていく現状をかいま見た気になる。

2016/02/28

秩父のカエデ商品群

秩父を訪れて、もっとも楽しみにしていたのは、聖地巡礼ではない。ほかにもオタクネタはたくさんある。

たとえばパワースポット・三峰神社にニホンオオカミと役行者伝説。石灰岩採掘で削られた武甲山、秩父鉄道も鉄ちゃんには欠かせないだろう。もちろん本多静六も……。
が、忘れてはならないのがカエデの樹液だった。
 
そう、秩父ではカエデの樹液を採取して「樹液林業」「広葉樹林業」をめざしている。……まあ、この話は、最近はテレビのワイドショーでも取り上げられているほどだから、知る人は多い。
 
いやいや、樹液を絞るのはカエデだけではなくて、キハダも絞っているよ、と詳しい人は応えるかもしれない。またカエデと言ってもいろいろ種類があって、メグスリノキの樹液は、漢方にもなるかもしれない。
 
 
だが、肝心のカエデの森では「将来木施業」をやっていることはご存じか? しかも、残した将来木の周りにカエデを植林して、将来は複層林・混交林にする計画だ。
 
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将来木施業(優性木残存間伐)の現場。
 
 
043  雪の中の樹液採取。
 
この点も興味深かったのだが、私が本当に驚いたのは、その後帰る前であった。
 
秩父を去る前に、やらねばならないのは、何か。やはりお土産購入だろう( ̄^ ̄)エヘン。
というわけで、秩父のヤオ百貨店を訪れ、さらに駅前の仲見世通りの店を覗いたのだが……。
 
そこで見てしまったのは……。
 
1
 
2  
 
2_2
 
Photo
 
おおお、カエデの樹液関連商品がいくつもあるではないか。
写真が撮れなかったものもたくさんある。もはや、秩父と言えばカエデがトレードマークになる勢いなのだ。そのうち秩父市の旗は、カナダのようにカエデの紋章が入るのではないか……とさえ思う(^o^)。
 
実は、この点がもっとも優れた点だと感じ入った。日本全国、地方振興だか地方創生の旗を振り回して、特産品づくりに取り組んでいる地域は数多い。だが、ほぼ99%が破綻している。なぜなら、特産品が売れないから。いや、売れないようなものを特産品と言わないのである。補助金食いつぶし商品だろう。
 
特産品をつくるのが地域づくりなのではなく、特産品を売って地域に金を落とさせることが地域づくりなのだ。
 
そのことは、聖地巡礼でも同じこと。アニメの舞台、映画の舞台になって人が来るのはよい。しかし、訪れた人が金を落とさないと無意味なのだ。落とすのはゴミだけ、というのは自虐ギャグでしかない。
 
まあ、聖地巡礼をするのは高校生とか大学生が多くて、あまりお金を落としてくれないそうだが……それでもさまざまなお土産品を用意している。
 
加えて樹液を絞ってシロップや飲料にするだけではダメで、いかに多くの土産物をつくるかがポイントだろう。
 
秩父は、その壁を乗り越えたようだ。もちろん、まだまだ地域全体が利益を享受できるほどの規模にはなっていないが。
 
※あえて文句つければ、もう少しパッケージデザインにこだわった方がよいよ。今の商品群のデザインは、ちょっと素人ぽい。高知県の「ごっくん馬路村」のようなデザインを備えたら、次の段階に進めるだろう。
 
 
ちなみに私の購入したお土産の一つに、これがある。
 
3  イチローズモルト!
 
世界最高に選ばれたこともある国産シングルモルトなのである。(このパッケージのデザイン力を見よ。) 
 
他にもワインづくりもすすめているそうで、秩父は日本酒、ワイン、ウイスキーと、酒のメッカになるかもしれない。商品あっての地域づくりだよ。
 
 

2016/02/27

Yahoo!ニュース「新国立競技場の木椅子に思う……」書いた裏側

Yahoo!ニュースに「新国立競技場の木椅子で思う 経済発展が森林増やす!説 」を書きました。

 
この記事は、思わず延髄反射か、というほどの思いつきで書いた(笑)。
だって、今頃になって木材使ったら森林破壊だろ、みたいな意見が出てくるのだもの。あまりに見識不足。いえ、別に素人ならいいんだが、多少ともネットに記事書いている人だったんで。(ブロゴスにあります。)
 
とはいえ、単に反論書くのならコメント欄と一緒になるので、一捻りした。
 
まあ、U字型仮説は、結構古くから言われているので、決して珍しい意見(仮説)だと思わないけど。
 
まあ、本当なら野外の観客席に木製の椅子を設置しろ、という自民党議員の見識のなさを突っ込むべきだったかもしれない。木材使って林業振興を言っている割には、木材の性質を知らないのだろう。
 
文中にも書いたが、木材、それも針葉樹材で野外施設をつくるのは無理ではないが、それなりに大変だよ。歪んで座ると尻が痛いじゃないか! とクレームが続出したら、日本文化もケチョンケチョンにけなされるだろうし(笑)。
 
やっぱり木製といいつつも、合成樹脂でガチガチに固めた椅子になるかなあ。

2016/02/26

秩父・聖地巡礼

は秩父に行っていました。

 
到着してすぐに気がついたのだが、秩父は“聖地”だったのね……正確には“聖地巡礼”のメッカなのね。
 
ここでいう“聖地”というのは、アニメの舞台のことであり、“聖地巡礼”とはアニメの舞台となった土地をファンが回ること。
 
秩父では、以前「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(通称・「あの花」)の舞台となって人気を呼び、昨秋は「心が叫びたがってるんだ。」(通称・「ここさけ」)が劇場公開されて、またもやブームになっているという……。
 
そんなこと言っても、知らない人は何も知らない(~_~;)。私も、一応「あの花」とか「ここさけ」というアニメがあったことは知っているし、それが聖地巡礼を呼び込んでいることは聞いていたが、その舞台が秩父ということは忘れていたのである。 
 
しかし……。
 
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町の居酒屋、ラーメン屋にも、こんなポスターは張られており、「ここさけ応援スタンプラリー2015秋」とか「ここさけお散歩マップ」がつくられている。もちろん、町上げての聖地巡礼情報を伝えるサイト まであった。
 
こうしたあにめの舞台を聖地巡礼するのが人気を呼んだのは、同じ埼玉県を舞台とする「らき☆すた」が始まりと言われているが、実はその仕掛け人が、現在秩父にいるらしい……。
 
私は、アニメを見ていないけれど、今回聖地を訪れたことで、アニメを見てみようかな、と思ってしまうのだから、逆の聖地巡礼になるかもね。
   
 
もっとも、私にとっての秩父の“聖地”は本屋さんの店頭だ!
 
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2016/02/25

切株からササ

戦う植物シリーズ。って、以前は虐待される植物だったりスキマ植物だったりと、名称をしょっちゅう変えているけど(^^;)。

 
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生駒の某神社前にあった切株……ん?
 
切株からササが生えていたのであった。おそらく切株が腐って中が空洞になってから、内側にササが伸びてきたのだろう。
しかし、周りにはササが見当たらない。神社の清掃で刈り取られたのかもしれないが、切株から伸びた分だけが生きのびたのか。
 
一見、生育に不利な切株の空洞の中に伸びたからこそ生きのびたという皮肉な結果。生存競争は何がプラスになるかわからない。条件に恵まれたものが生き残るとは限らない。強いものが生き残るとは限らない。
 
私は、この切株を掘り起こしたら、中が空洞のオブジェにならないかとよからぬ想像をしてしまったが……。
 

2016/02/24

林業応援ハッカソン

こんなイベントがあるようだ。

 
 
 
林業支援アプリやサービスを開発するのが目的というが、開催は3月12、13日。場所は熊本県人吉市。詳しくはサイトを見てほしいが、少し引用すると、
 
「林業従事者だけでなく、プログラマーやデザイナー、クリエイター、一般市民、次世代を担う学生など、多様な職種と世代が集まってアイディアを出しあい、林業のまち人吉市のちょっと先の未来を一緒につくる2日間です。」
 
「人吉市から、テクノロジーを使って林業にイノベーションを起こし、未来を作ることにチャレンジしてみましょう! 参加者同士でアイディアを出しあい、2日間でアプリケーションやサービスをつくりましょう!」
 
ちなみにハッカソンとは、「ハック(hack)」と「マラソン(marathon)」を組み合わせた造語で、参加者の対話で生まれたアイディアをもとに、マラソンを駆け抜けるように、2日間でアプリケーションやサービスを開発するイベントです。技術やアイディアをチームで競います。」
 
 
私が注目したのは、宿泊費は主催者持ち。さらに交通費も一部負担してくれるという点だ。
 
「食事・宿泊は、主催者側にて準備します。人吉市までの交通費についても一部負担しますので、市外、県外など遠方地からの参加も大いに歓迎します!
※九州圏からお越しの方には1万円。九州圏外からお越しの方には3万円(一律)支給します。」
 
この力の入れようはただごとではない(笑)。
どこがスポンサーなのか。いや、金の問題ではなく、誰が企画したのか。
 
思わず私も参加を考えてしまった。微妙に日程は空いているのだが……。
 
ともあれ、奇想天外・質実剛健・論より実行のアイデアを出してもらいたい。
 

2016/02/23

「原油価格が暴落する理由」から考える

我が家の町のガソリン価格は、とうとう100円を切った。98円、99円のガソリンスタンドがいくつも登場している。

 
ガソリンがこれほど安くなったのは、世界的に原油価格が暴落しているからだ。数年前まで1ガロン100ドル前後に達していたのが、今や30ドルまで落ちている。そして、まだまだ下げ止まらない。アメリカのシェールオイルの登場や、中国経済の減速などで原油が市場にだぶついたことが理由とされている。
 
石油が安くなれば、日本経済に朗報だ、とつい最近まで言われていた。発電費、輸送費、暖房費、みんな安くなるからだ。石油の輸入費が日本の貿易収支を赤字にした元凶のようにも語られていた。しかし、今では原油の暴落が世界経済を悪化させて、それが日本の場合は株安・円高を引き起こしたと問題視する声が強まっている。
 
妙な話だが、簡単に言えば、産油国は世界中にオイルマネーを投資していたということだ。だが原油安は産油国の経済を傾かせ、投資していた金を引き揚げ始めた。それが世界経済を恐慌に落としている……と。
 
ならば産油国が団結して生産量を絞れば価格は上がるはず……だが、逆だ。価格が落ちたため収入が減った産油国は、量で減収分を穴埋めしようと増産しているのである。利益が半分になれば2倍生産して収入を維持する、という理屈だろうか。
加えて各国の内政事情も大きく影響する。ロシアなど史上最多の生産状態だ。
 
 
……さて、こんな状況を俯瞰して、「何か似ている」と感じたのは私だけだろうか。日本の木材事情と、である。
 
木材需要は減少し続ける中、政策的に伐採増を進めて、材価が暴落したら、より増産する。
将来の立派な森林より、明日の小さな利益を求めて、どんどん伐って、どんどん出す。すると市場でだぶつき、より価格は落ちて行く。
 
出てきた木材は、なんとか消費しなければならないから、燃やしてしまえとバイオマス発電を推進する。石炭石油などの発電と対抗させるため、木材は高く買い取る。その差額は、FITでユーザーの電気料金から取ればよいか。
 
 
幸い日本の林業界に、木材収入を投資に回す余裕はないから、ウッドマネーが日本経済を混乱させる要因にはならないが。。。(それが可能だったのは、戦後の一時期の吉野林業界だけだ。吉野マネーが証券界の投機筋に流れ込み、市場を振り回した。)
 
さて、行き着く先はどうなるだろうか。
 
 
私は、基本的に石油はもっと高くなれ、と思っている。その方が消費に慎重になって無駄が減る。それは地球環境にもよく作用するだろうし、科学技術も発展するだろう。そして産油国は、少量を高く売って利益を確保した方が資源を大切にするだろう。
 
同じことは、木材でも思っている。木材は高くなるべきだ。高付加価値の木材を少量売って利益を確保すべし。その方が森林も守られる。燃料にするため山から木を出すなんて馬鹿なこともしなくなるはず。ただし、材価が高いうちにもっと儲けようと増産したら馬鹿丸出しだけどね。
 
 
しかし、日本人(の林業家)だけでなく、世界中が目先の利益しか考えずに動くことを証明したからなあ。高付加価値少量戦略は、期待できないか。

2016/02/22

飯田謎のログハウス?

せっかくだから飯田の目を引く建物を。ほぼ駅前、つまり街の中心にあるのだけど。

 
1 (・_・)...ん?
 
3  おお.。ooO(~へ°)
 
4  ちょっと横に回り込むと(°Д  °)y-
 
わかるだろうか。台車線路の奥に製材機。
そう、これは製材所だそう。なかなかこだわりの建物(~_~;)。
決して立派な銘木を使ったわけではないのだろうが、ものすごいオーラを発信している。木の持つパワーだね。
一応、丸太を横に組んでいるのだからログハウスに入るのだろうか。もっとも構造材はどうなっているのかな。
 
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これが全景。
 
 

2016/02/21

飯伊森林組合の木材市

先日訪れた長野県飯田市。翌日が地元・飯伊森林組合の木材市が開かれるというので、見学させてもらった。

 
思っていた以上に広くて材も出ていた。この地方はヒノキが主流らしい。もちろんスギもあるし、カラマツもある。カラマツは、私はあんまり目にすることが少ないので興味深い。ほかにも広葉樹が少し出ていた。ケヤキ、コナラ、クリ、サクラ、カンバ……。
 
8
 
が、ちょっと意外だったのは、人気がないこと。午前中なのに……。どうやら、競りは行わないらしい。
 
みんな、事前に椪を確認して、事務所で入札するのだそうだ。
「以前はしていたけど、競りをすると競り下がるんです。それなら入札でイッパツ勝負の方がマシということになって」
 
ありゃりゃりゃ。最近は競りで誰も手を挙げないから値段が下がっていく現象が各地で起きていることは聞いていたが、それが市の風景まで変えてしまったか。 
 
それでも、今回はよい出物があるそうだ。
 
2
 
ヒノキの何十年ものかな。80年以上はありそう。
 
「これは立米7万~10万円を狙える」ということである。実際にはいくらの価格がついただろう。
 
ここでも少し驚いたのは、この一角は1本椪であること。
通常の競りは椪積み~何本か積み上げた山(椪)で売買するが、1本ごとに入札する。
吉野ではよく見かけるが、あれは吉野の木材市の特色だろうと思っていたので、ここでもやっていることに新鮮さ(^o^)。やはり銘木級じゃないとできないからなあ。
 
木材市の賑わいは感じることはできなかったが、なかなか参考になりました。
 
 
 
 

2016/02/20

浅子に大隈を紹介したのは誰か?

朝ドラ「あさが来た」では、いよいよ女子大設立に、あさが動き出した。

 
そこで、いきなり大隈重信に手紙を出して直に訪ねるというシーンがある。
 
広岡浅子が大隈に支援を求めたのは史実だ。ただ、誰が紹介して大隈重信(当時・元総理)を訪ねたのか、という点は謎である。いきなり手紙、アポなし突撃、というのはドラマならではのストーリーだろう。
 
もちろん渋沢栄一など東京の財界人や、実家の三井家なら大隈との伝てはあっただろう。彼らを通じて、ということも考えられる。
 
ただ私は、浅子とともに女子大設立運動を展開していた土倉庄三郎なのではないかと思っている。何も土倉贔屓だからだけでなく、客観的にも可能性が高いと思えるのだ。女子教育の理念を共有して一緒に運動していたわけだし、しかも庄三郎と大隈は昵懇だからだ。
 
 
そこで早稲田大学図書館のライブラリーから借用の写真を。
明治32年6月13日に庄三郎から大隈に送られた書翰だ。
 
1
 
 
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正直、読めない(^^;)。達筆すぎる。
 
ただ1枚目の後半に「女子大」という言葉は読み取れるだろう。「厚配」なる言葉も。どうやら女子大設立への尽力を感謝する内容ではないかと思うのだ。(完全に読める専門家がいたら、全文の内容を教えてほしい。)
 
つまり、大隈が日本女子大の設立に手を貸したことを庄三郎が御礼の言葉を述べているわけで、彼が助力を申し込んだとも想像できる。それは広岡浅子に大隈を紹介した可能性を高めているのではないか。
少なくても、土倉側からの直のアプローチもあったのだろう。
 
 
ちなみに土倉家に祐筆がいたとは思えないので、この書は庄三郎の直筆だと思う。ホント、達筆だ。土倉の土の字に点が打たれていることにも注目。これが正字なんだが、明治以降は活字にないからと消してしまったらしい。
 
 
大正3年に、庄三郎は自天王問題(後南朝の歴史的な話なので割愛)の解決のため、アポなしで総理に復帰した大隈重信を総理官邸に訪ねている。
その際に同行した村人の証言では、大隈はすぐに顔を出すと、庄三郎に椅子を勧めて座るまで直立不動だったという。
 
 
※ドラマでは、あさが暴漢に襲われ生死を彷徨う……という展開になっているが、これは創作である。そうした史実は確認されていない。
 

2016/02/19

土倉家と広岡家の見合い話

朝ドラ「あさが来た」では、いよいよ日本女子大学(に相当する大学校)の設立に向けて動き出したようだ。

 
まあ、ドラマの展開は、どんどんフィクションの世界に広がっていくので気にしないでおこうと思うのだが……土倉庄三郎がモデルとされる工藤徳右衛門の扱いは酷いなあ(-_-)。女子教育にまったく理解のない明治の男の代表のように描かれている。
実際は逆で、庄三郎は先進的な女子への教育を推進している。さもなければ自らの娘に加えて親戚の娘まで大阪・京都の女学校に入れなかっただろうし、さらにアメリカ留学も許可しなかっただろう。
 
それはともかく。
 
先日、日本女子大学に足を運んだ。成瀬記念館で開かれている広岡浅子展を見学に行ったのだが、正確には展示を見る以上に期待したのは「広岡浅子関連資料目録」の購入である。
 
ここに土倉家と広岡家の関係を伺わせる書簡が掲載されていると教わったからだ。
 
その部分を借用して紹 介する。
 
3_3
 
わかる? なんと、広岡浅子の娘・亀子と、土倉庄三郎の次男・辰次郎(龍治郎)の見合い話があったようなのだ。
しかも、長男鶴松や次女真佐子(政子)の名前も出る。土倉内房とあるのは奥さんか。つまり、家族ぐるみで広岡家と土倉家は親密につきあっていたことが想像できる。
 
この時期、龍治郎と台湾に渡って1万町歩の山林を総督府から300年間租借して林業を始めたばかりの頃。もし実現していたら亀子は台湾に渡ったのだろうか……。
 
結果的に見合い話は立ち消えになったようだけど、両家は私の想像以上に親密な関係だったようだ。
 
 
おまけ。
 
こちらも「資料」より借用。
 
2
 
広岡信五郎名義が、実質的に浅子の寄付だろう。
それにしても、この土倉庄三郎の署名はちと、下手だけど……。(庄三郎が達筆だったことを示す資料は改めて。) 本当は土の上に点がある漢字が正しいので、本人が書いたのではないかもしれない。

2016/02/18

「知的な怠け者」の森の進化論

先日、奈良の桜井市で開かれた「スイス森林管理有識者交流会」に参加。

基調講演をスイス・ベルン州の元上級フォレスターのマルティ氏が行った。上級フォレスターってどんな仕事をするのか、なかなか想像しづらいが、現場のフォレスターとは違って、森林管理署長(いや局長?)とか、林政部長みたいな行政職だろうか。 
 
014
 
 
ここで内容を子細に記すのは遠慮しておく(そのうち奈良県のホームページにアップされるだろう……)が、私の琴線に触れた言葉は、最後に登場した。
 
 
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下部にある ハンス・ライブントグートの言葉。彼は、マルティ氏の恩師だそうである。
 
で、彼から教わった言葉が、「森づくりをするなら、知的な怠け者にならなければならない」だそうである。「できるだけ自然に仕事をしてもらい、時々その方向を修正するようにてをいれるだけ」……。
 
私は林学者の言葉を少し集めている。そこから人と森の根本的な関係を連想できるのではないか、という気がするからだ。
 
たとえば
ゲーテ「自然は常に正しい。もし誤るとしたら、それは人間が間違えたからである」
コッタ「森づくりはなかば科学、なかば芸術である」
ケーニヒ「最高の状態にある森林は、もっとも美しい」
ザリッシュ「技術的合理性のある森は最高に美しい」
パイル「愛が森林を育てる」 「愛がなければ,どんな豊富な林業知識も十分ではない」
野中兼山「人間の営みは、自然が行うことを補完することだけである」
 
 
上記の言葉も、このコレクションに加えよう(^o^)。結構意味するところは似通っている気がする。怠け者であることを肯定されているようで有り難いし(⌒ー⌒)。ただし後半はあまりいらない。
 
 
人と森の歴史を追いかけると、人は森に関与し続け、人の時間が早くなりすぎると森は劣化する。そこで人は投げ出して森の時間に委ねるのである。すると森は、再び回復する。すると人はまたも人の時間で森を搾取しようとする……この繰り返しだ。
そこでは人の時間と森の時間をいかに摺りあわせるかだけが課題ではないか。 
破壊した森というのも、たかだか1000年もすれば回復する。いや回復と見せかけて植生を遷移させ、環境と生命の新しい相互関係を構築する。それは、種としての樹木ではなく、森林生態系そのものが進化したのかもしれない。
 
 
結局、森の世界とは、人がどのように手を加えればよいのか、考えて考えて考え抜いて、手を出さないのが、もっとも正しかった……というような世界の気がする。
 
 
 
 
 

2016/02/17

『樹木葬という選択』書店で発見!

ちょっと今日は、遠出の買い物。

 
訪れたのは奈良市のイトーヨーカドーなのだが、ここを選んだのは、大きめの書店が入っているから。クマザワ書店である。わりと専門書も多い。
 
まず冠婚葬祭の場所を見る。。。
 
樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』はない。
 

その時、乳母車を押した若い女性が来た。棚に手を伸ばして取り、開いたのは「離婚の手続き」だった……。

 
あきらめ気分的に、いつも覗く環境や生物の棚へ。
 
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(・_・)...ん? 下の方に……。
 
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おおお、あった(^o^)。お初の発見である。
 
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ちょっと両隣の本より飛び出して見えるが、それは目の錯覚でしょ。。。私は何もいじっていないから。ええ。
 
ちなみに周りを囲んでいる本がなかなか(笑)。この並びだと、タイトルを目にしてもお墓本とは思わないかもしれん。
 
 
しかし、この棚に置くのは正しい。樹木葬という内容からすると、冠婚葬祭、とくに葬式やお墓本の並びに置かれて当然なのだが、もし中を多少とも確認すれば、これは樹木本であり、森の本なのがわかるはずである。
 
もちろんお墓選びのハウツウ的な要素もあるのだが、どちらかというと時事的なルポというより民俗的な切り口のスタンス。でも、本当は緑とか森に関心のある人にオススメしたい。
 
できれば生物~森林系の棚と、民族学系の棚と、冠婚葬祭や葬儀・お墓本の棚の3か所に置くのがもっとも嬉しい\(^o^)/。 

2016/02/16

ヒノキのCLT

長崎見聞録3

 
 
長崎は、スギよりヒノキの方が植林面積が多いそうだ。これは気づかなかった。
 
で、研究しているのが、ヒノキのCLT。
 
1
 
 
3
 
断面を見ると、なんとなくよさげ。すぎのCLTより可能性を感じた。もちろん、データ抜きの感覚だけど。
多分、集成もスギよりは楽なはずだ。含水率も低いし、強度もある。木肌もスギよりきれいに見える(私の見たスギのCLTは、表面が汚かった。。。)。このまま壁にしても違和感ない。
 
 
問題は、ヒノキのラミナはスギより高くなるだろうことと、量だろうな。でも、長崎特産ヒノキのCLT!とかなんとか売り出し方でなんとかならんだろうか。
 
使い道も、丸ごとCLTのビルディングなどと欲張らずに、壁だけ、床だけという需要を生み出せるはずだ。そもそもヨーロッパのCLTは、そんな使い方が主流らしいし。
 
木造ビルでなく、木装ビル。コンクリートビルの一部の建材と割り切れば、人気呼ぶような気がする。これもデータなしの感覚(^o^)。
 

2016/02/15

Yahoo!ニュース「輸入菌床のシイタケは国産か」書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「輸入菌床のシイタケは国産か 」を執筆しました。

  
 
読めばわかる通り、昨日のブログ記事の続き(笑)。
昨夜長くなるので書けなかったことを書こうと思って改めて調べていて、これ、Yahoo!ニュースに書いたらいいか、と閃いた(^o^)。
 
ま、私にとってはどちらに書いても同じようなもんなのだが、ブログで続けるより読者層が違うYahoo!ニュースにも記した方が広がる。
 
ただ同じ写真使うのがいやだったので別の菌床シイタケの写真はないか探したが、意外とないのね。菌床シイタケの現場は何度か覗いたことがあるのだが、写真に納めなかったようだ。
 
ようやく使った1枚は、すでにシイタケを収穫済みで、ほとんど出ていない。まあ、菌床が話題なのであるからよしとした。
 
 
ちなみに、今年は我が家で原木シイタケに種コマを打ち込まない。
理由は、単に私がホダキにする原木を伐りださなかったから。通常なら年末から1月に伐って出し、3月までに父が種コマを打つのだが、珍しく年末が忙しく、1月はころりと忘れていた。
2月に伐っても、かなり条件が悪くて発芽が期待できない。
 
それに、肝心のホダギに向いたコナラがなくなってきていることも理由の一つだ。なによりナラ枯れのせいだ。
昨年は、生駒山のコナラが軒並みやられたのだ。ホダギ用の細いものは大丈夫かもしれないが、ちょっと見て歩くと、かなりカシナガが穿入した孔が開いている。カシナガが入れば、ナラ菌が繁殖しているはずで、そこにシイタケ菌を打つのも馬鹿らしい。
 
そんなわけで、来年はシイタケの収穫が危ぶまれるなあ。
 

2016/02/14

菌床シイタケの菌床産地

長崎見聞録その2

 
 
シイタケと言えば、コナラやクヌギのホダキ(原木)で栽培するものというイメージが強い。しかし今や菌床シイタケが当たり前になった。いわゆる原木シイタケよりずっとコンパクトで早く栽培できる。原木は調達も大変。
 
とくに原木の国内主要産地だった福島県が原発事故で壊滅してからは、全国各地のシイタケ産地は原木の調達に困るようになる。そこで頼りがちなのが菌床である。
 
長崎県農林技術開発センター菌床シイタケの研究現場を見学した。
 
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そこで思わず担当者に注文。
「菌床の元になるオガクズは何がつくっていますか?」
 
「コナラから」
 
(笑)。原木のコナラが足りないから菌床に移ったと思えば、その菌床づくりにもコナラがいるという。。。
 
もちろん基材はコナラだけでなく、ほかにシイやカシなど落葉樹はいろいろ使えるそうだ。
いや、そもそも菌床には米ぬかなどを混ぜており、それがシイタケの栄養源になっている。本当はチップにした木質も分解して栄養にするのだが、まずは米ぬかなのだ。そして、米ぬかの栄養が尽き、いよいよ木質に菌糸を延ばして……という時には、発生が悪くなるので菌床はお役御免。
 
 
つまり菌床シイタケは、厳密には木質から栄養を吸収して生えてくるのではないわけだ。
 
ならばチップ抜きで米ぬかだけで菌床つくれば長持ちしていいんじゃない? という疑問を持つのだが、それはなかなか成功しないとか。やはり菌糸を延ばす床としてのチップは必要なのだ。
 
 
この用済み菌床の処分は結構大変らしいのだが、最近はバイオマス発電所に回されるとか。乾燥させればよい燃料になるらしい。なんだか因果な話だ(-_-)。。。
 
では菌床の元になる基材は足りているのだろうか。福島の放射能問題に加えて、ナラ類はナラ枯れが広がるということはナラ菌が繁殖するということで、そんな木は菌床には使えない。
 
 
……実は、菌床の輸入が増えている。主に中国からだ。おそらく大手メーカーでは、中国産菌床をたくさん使っているだろう。
 
 
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意外なことに韓国がやたら多いのだが、日本も急伸中。約9000トンにもなる。
 
こうして輸入された菌床からシイタケの菌を打ち込んでシイタケを発生させれば、国産シイタケなのである。シイタケそのものの産地は日本なのだから。
 
が、産地呼称だけの問題で済むかどうか。。。
 
この点については、もう少し考えてみたい。

2016/02/13

シーボルトとバードの「この国のかたち」

NHKスペシャルの「司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち」を見ていた。

 
レポーター香川照之が長崎の出島(復原)を歩いていた。あれ、このシーン、私は見たぞ。生で。そうか、この番組の撮影だったんだ。
 
先日長崎を訪れた際、時間をつくって復原中の出島を見学したのだが、そこにテレビ局の撮影隊が入っていた。何かと面倒で、私が自由に見て歩けなくなってムカついていたのだが、そこに現れたのが香川照之であった。何かしゃべりながら通りを歩くシーンが撮影されていた。
私は、大人しく、2階の階段の陰から見ていたのだが(隠し撮りしたい誘惑に耐えた)、そのシーンがテレビで流れていたのであった。
 
2  出島の中のミニ出島。
その後のドラマ「逃げる女」も見たが、これもロケは、大半が長崎のよう。ちょっと長崎を振り返りたくなった。
 
 
私が出島を歩いていた時、頭の中にあったのはシーボルトである。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。出島のオランダ商館の医師として来日し、鳴滝塾を開いて多くの知識を日本人に伝えたことで有名だ。が、彼の正体は、スパイだった。……と言って語弊があるなら、諜報員とか日本の情報調査員。もっと端的に言えば日本探検家だった。
 
それこそ莫大な日本の資料を持ち出しているのである。彼が日本人に与えた以上に日本の情報を収集していた。それも、よく知られる動植物とか民俗的なものだけではない。シーボルト事件の発端となったのは日本地図だが、実は各地の軍事上の要地を実測している。関門海峡の水深まで計測していた。驚くのは、江戸城の設計図まで持ち出している! 
もちろん彼自身は、そんなに自由に国内を動けないから、日本人学者たちを手下として情報収集に勉めた。
 
シーボルトとは何者なのか? そして情報を提供した学者(政府の要人も含む)は、何を考えていたのか。
まさに私は、出島で「この国のかたち」を考えていたのだ。
 
 
そして先日もう一つ知った仰天情報。明治初年に日本を訪れたイサベラ・バード。彼女は当時の東北地方を旅して「日本奥地紀行」を記したことで知られる。ただ一般的には普通の女性の旅行者として紹介されてきた。
 
だが、違うのだ。彼女も日本をスパイしていた。スパイが語弊があるなら、諜報員とか情報調査員とか……日本探検家だったのだ。
 
そもそも彼女は単なる旅行者なんぞではない。すでにオーストラリア、ハワイ王国、ロッキー山脈など世界各地を歩いて詳細な記録を発表していたからジャーナリストとかルポライターと呼んでもよい。日本の後には、朝鮮や、マライ、ペルシャ……と秘境ばかりを探訪している。そして地誌や民族・民俗を調べて記録した。
 
問題の日本訪問は、イギリスのパークス公使の依頼によって訪れており、その旅の行程は、イギリス政府も関わって詳細に準備していたというのだ。 さらに日本政府要人・外務省もかかわり、積極的に許可を出している。
 
しかも驚いたのは、バードの目的地は、東北というより北海道であったし、その旅が終了後、すぐに関西から伊勢神宮まで訪ねている。伊勢神宮では正殿まで入っている! 日本人でも滅多に入れない場所である。
また奈良も足を踏み入れており、三輪大社や長谷寺も訪れた。どうやら神道を調べていたのである。
 
京都では新島襄と八重と会っていた。ここではキリスト教の布教について議論したようである。
 
 
シーボルトとバード。二人とも日本に西欧の知識を授けてくれたり、当時の風俗民俗の記録を取っていたことから「恩人」扱いされている。だが、彼らは与えるだけでなく、日本を調査していた。日本を探検していたのだ。
それに日本人も積極的に情報提供していたとは。当時の日本人には、知りたいという思いと、知ってくれという思いが交錯していたのだろうか。
 
そんなところから「この国のかたち」に思いを馳せてしまったのだ。
 
ついでに記すと、バードの北海道調査を手伝い、事前に現地の手配までしてくれた人の中に、オーストリア公使館のハインリッヒ・フォン・シーボルトがいる。彼こそ、フィリップ・シーボルトの次男(小シーボルト)である。シーボルトとバードが交わっていたのだ。
 
歴史とは、ときに偶然を装って粋なことをしてくれる。
 
 
 
……ところで、本日、なんとチョコレートが届きました!
 
048
 
皿うどんチョコレート……(@_@)。。。長崎、恐るべし。
 
 
 

2016/02/12

『樹木葬という選択』のHP

今だ拙著『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』を書店で見ない日々……。

 
ところで、築地書館のホームページにはできました。
 
 
さらに、版元ドットコムにも。
 
 
となれば、私もつくらないといけないでしょ!
というわけで、大急ぎで作りました。こちらでは「はじめに」「おわりに」の一部が読めます……と書いてから、築地書館のホームページでも「はじめに」は読めることに気づいた(^^;)。こちらは全文やんか。。。
 
ともあれ、ちょっと急ごしらえなので今後少しずつ修整を加えていくつもりだが、とりあえずこんなのになりました。
 
 
 
もちろんネット書店にも、各サイトに窓口はできています。
 
Jumokuso
 
 
 
……あっ!
 
忘れてた。。。。
 
ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』のページをつくっていなかった。
電子本なのに(泣)。。。
 
また大急ぎで作ります。。『ゴルフ場は自然がいっぱい』のページの中に追加しよう(;^_^A。
 
Photo

2016/02/11

Yahoo!ニュース「増え続ける墓地が……」書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「増え続ける墓地が森と国土を蝕む 」を執筆しました。

 
 
これは『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』の最初に記した現代の墓地事情の部分を要約というか、改めて紹介したもの。
一応、立場上は森が削られる! と書いたが、それ以前の国土利用の問題だろう。
 
 
もちろん面積の数字も、そんなに意味はない。本当の日本の墓地総面積は、いくら各所の統計を探しても見つからなかった。もし知っている人がいたら教えてほしいが、私の推計とどれほど違うだろうか。
 
もっとも昔は、お墓も無縁になったら自然と廃れて消えて行ったようだ。だいたい土葬しても、何年か経つとどこに埋めたかわからない状態だったそうで、次の埋葬で土地を掘り返すと、前の遺体や遺骨が出てくることはよくあった。
 
……田舎に行くと、よくそんな話を聞く(^^;)。いや、うちの父も経験したそう。私の中学時代の友人は、墓を掘って昔の骨を掘り出して並べて遊んだ話(写真付き)をしてくれた。
 
今はほぼ火葬だから、そんな経験はさすがにしないだろうけど、自然と消えていくものを法律で「墓とは」「埋葬とは」と定めたことで、処理しにくくなったような気がする。
 
今や無縁になっても墓を撤去するには官報に告知出して何年経ってから……と面倒な手続きができてしまった。しかも石塔の処理には結構なお金がかかる。そのため墓石の不法投棄が増える有様である。
 
 
歴史をたどると、 縄文時代は集落の真ん中に墓があったそうだ。死者とともに生きる感覚だったのかもしれない。

2016/02/10

土器発掘

生駒の森の中を歩いていたら、土器を発見した。

 
思わず、発掘開始。
 
しかし、まったく道具類はないので、近くの枯れ枝を使うぐらいしかできない。後は素手。指で土をほじくる。
 
出た出た。ぼろぼろ出てくる。
 
1
 
こんな感じ。ああ、もっと掘ればまだまだ出てきそうだ。
 
 
小学生のときは、縄文式土器をたくさん掘ったが、これらは須恵器に近いだろうか。(須恵器は弥生時代だが、これは奈良時代だから、ちょっと時代が違う。)
 
実は、以前も土器の発掘を行って、かなりの量を掘り出した。バケツ2杯か3杯か。今も我が家の押し入れに眠っている。。私の宝物として扱っている(^o^)。
 
いやあ、まだまだあるのだね。だって生駒山だもん(笑)。
 
この辺りは、奈良時代に都で使う土器類を焼く窯がたくさんあったらしい。以前、博物館に発掘品が展示されてあったが、私の持っている土器の方が立派だと思った(笑)。
 
ま、私のは破片だけどね。
 
 
家に帰って洗う。
 
Photo
 
かなり分厚く、大きな器の底を思わせる部分と、焼成が弱くて、濡らすと溶けそうな破片もある。ようするにできそこないや割れたものを捨てたのだろう。そんな場所を灰原という。
 
森の中の楽しみは、樹木や草、菌類、昆虫……などだけではないのだよ。
遺跡や遺物だって楽しめる。人の痕跡を知ると、歴史や時間を感じて、森も奥行きが増すというもんだ。

2016/02/09

『樹木葬という選択』、配本…

東京へ行っていた。

 
仕事はともかく、今日は『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』が配本される日。
版元によると、午前中に問屋に卸されて午後から各書店へ配達が始まるそう。だから東京都内なら夕方には……との話だった。
 
まず新宿・紀伊国屋本店。冠婚葬祭の棚、植物の棚、実用本に民俗学……と見ていくがありましぇん。。。
 
_20160209_194355
 
ナビでも在庫ゼロの表示。ま、本の表紙は出てくるが。
 
 
帰りがけに東京駅前のMARUZENへ。
 
……ありましぇん(;_;)。
 
20160209_194602
 
残念でした。店頭ではまだ見られなかった。
でも今週中には全国に配本されるはず。13日までに誰が、どこで、最初に発見するか?
 
勝負だ! (なんの? 誰と? )

2016/02/08

KKIKORI祭

なんか、巨大な封筒が届いた。

 
A3サイズなのである。もっともその割には薄っぺらい。しかも差出人が書かれていない……。私の宛て名が小さくひっそりと(シールで)張られている……。
 
 
なんか怪しげじゃねえ?
 
と思って恐る恐る封を切ったら、なんのことはない、チラシではないか。ただしA4版をわずかに超えているので、通常封筒には入らず、A3封筒になったのだろう。
 
これ、スキャンすることもできないのでスマホで撮影したが……光が反射してなかなか難しい。
 
_20160207_162436
 
北海道中川町のKIKORI祭のチラシであった。
 
内容はイケメンKIKORIコンテストなんてキワモノ(笑)もあるが、メインはきこり丸太レースらしい。3人一組で参加して、トビやガンタ、バチなどによって引っ張るらしい。ちなみにガンタとは何か知らない(~_~;)。バチは橇のことらしい。
 
2月28日開催だ。……う~ん、行けないよなあ(笑)。遠すぎるし。雪の中だし。
 
 
詳しくは、こちらを見てほしい。KIKORI祭
 
 
ようは林業の技を取り入れたレースだ。
 
以前、吉野の川上村でも「そまびと選手権」という山仕事の技を競い合う大会をやっていたが、こちらは伐採の正確さや丸太きりの速さなどを競った。こちらは雪の上で丸太を引っ張るところが北国らしい。
 
そういや、以前訪れた士別でもよく似た過去の林業の再現をやっていたな。
その写真を探してみると、ありました。
 
 
6  
 
 
こんな感じかな?

2016/02/07

『樹木葬という選択』のカバー裏

いよいよ今週から書店に並びだす『樹木葬という選択~緑の埋葬で森になる』。

 
表紙カバーはすでに公開しているが、その裏表紙や折り込み部分も紹介しよう。
 
3  裏表紙。
 
 
樹木葬の歴史や現状をルポしつつ、埋葬の世界を論じ、さらに樹木葬希望者向けのガイドも兼ねるという、苦しい、幅の広い立場を示している(笑)。
 
 
Jumokusoucover  折り込み部分には、なんと「樹木葬チェックリスト」!
 
このブログを読んでいる人なら、最後の一項目に引っかかるであろう(笑)。
 
 
せっんかくだから、表紙もアップしとくわ!
 
Jumokusou_2

2016/02/06

ツイートまとめ・広岡&成瀬&土倉と娘たち

このところ、ツイッターで土倉庄三郎と広岡浅子、成瀬仁蔵のつながりについて連投している。どんどん脱線して庄三郎の娘の人生にも広げているが、ツイッターでは読んでいない人も多いだろう。
 
そこで、ここに再録する。誤字等、わずかしか修正していないが、まあ、ガールズトークだのストーカーだの゛ツイッター的に筆走ったところはご勘弁(~_~;)。なお、いくらか説明を加筆しておく。
 
 
・「あさが来た」に土倉庄三郎に相当する人物が登場しないことが確定したので、ムカついて少し広岡浅子-成瀬仁蔵-土倉庄三郎につぶやこうと思う。
これは、成瀬仁蔵に相当する成澤泉とあさの出会いのシーンに、土倉翁が登場しない点を指摘している。
 
・成瀬仁蔵に広岡浅子を紹介したのは、吉野の山林王・土倉庄三郎である。そして日本女子大の設立を強力にプッシュしたのも浅子とともに土倉だった。
 
・土倉は、浅子とともに5000円を寄付しただけでなく、ほかの出資者の元本保証もしている。だから多くの出資が集まった。とくに成瀬をずっと支えたのは庄三郎だった。
 
・成瀬と土倉が知り合ったのは、庄三郎の娘ら6人を大阪の梅花女学校に入学させるために訪れた時。当時19歳だった成瀬が教師をしていた。
 
・当時、梅花女学校は資金面で存続の危機に陥っていた。そこで土倉は100円を寄付する。学校の借金の3分の1に相当する。おかげで学校は危機を脱したが、成瀬はそのことに激昂。梅花を止めてしまう。
 
・成瀬にとって、クリスチャンでない人からの寄付は「自給精神」に反するという理屈だった。ちなみに梅花は「自給学校」のため、海外からの寄付も受け取っていない。学校存続が大変だったわけである。
 
・この点を見ると、成瀬と土倉は仲が悪そうに見えるのだが、どうもそうではなかったようだ(^o^)。その後、成瀬は土倉にいろいろ頼ってくる。……その点はまた後で。
 
・浅子と成瀬と土倉の話続き。梅花女学校に娘を入れた土倉庄三郎だが、実は1年後に娘たちを同志社女学校に転校させる。別に成瀬がいなくなったからではなく、同志社には先に息子たちを入学させていたからだ。
 
・土倉は息子たちを同志社に入れるときに新島襄に面会した。そして大学を作りたい希望を聞いて、即座に応援すると5000円の出資を申し出た。いまならざっと1億円くらいか。その後も新島を支援して同志社大学づくりを応援した。女学校はその間に作られたので娘を移したのだろう。(当時の金額の現代的な価値は換算が難しいが、同じ頃、板垣退助が洋行するのに2万円寄付した時換算額と同じとして、このぐらいという金額。別のレートを使うと半額ぐらいになる
 
・同志社女学校に入った土倉の娘たちは寄宿舎に入った。そこで舎監をしていたのが新島の妻八重。だから八重と娘たちは一緒に暮らした時期もある。(新島八重は、元山本八重。会津戦争の際に狙撃手として最前線に立って戦った人物。NHKの大河ドラマ『八重の桜』のモデル。
 
001  同志社大学のパンフレットより。
土倉家の娘(三女糸、4女小糸などと写る八重。)
 
 
・同志社で学んだ娘のうち長女富子は、政財界の大物・原六郎に見初められて求婚する。ただ庄三郎は結婚は娘の意志を確かめると応えている。当時としては珍しい?結果、卒業まで待って結婚した。式は新島が仕切り西洋式だった。
 
・次女は、板垣退助の娘との結婚話があったとも伝わるが、アメリカ留学を選ぶ。名門ブリンナー大学に7年間も学んだ。年間1000円の経費がかかったという。さらにフランス留学を望むが、さすがに庄三郎は帰って来てくれ、と(笑)。(金を惜しんだのではないよ。7年も娘と会っていないんだから。この留学時に政子は、津田梅子や新渡戸稲造などと知り合っている。
 
・次女政子は、帰国後に外務省のエリート内田康哉(後の外務大臣)に結婚を申し込まれストーカーされる(^^;)。無事?結婚して、中国公使として清国に赴任した。そこで出会ったのが西太后だった。何カ国語も話せる政子は社交界の華となり、西太后にも気に入られた。
 
Photo  中辻家所蔵。
清国の服装をまとった内田政子。
 
 
・西太后の寝室まで上がり込んでガールズトークを繰り広げたというが、その時期に日露戦争が勃発。そこで政子が日本の命運を握ることになった。最後の決戦となった奉天会戦で、苦戦する日本軍は大迂回作戦を取る。そのルートは中立地帯を抜ける。本来なら清国が許さなかっただろう。
 
・だが、政子は深夜に西太后を訪ねて、暗黙の了解を取り付けることに成功したのだ。おかげで乃木将軍の第三軍はロシアの背後を突くことができた。かくして日露戦争は日本優勢のまま休戦を迎えた。
 
・ちょっと断線しすぎた(^^;)。全然広岡浅子とも成瀬仁蔵とも関係なくなってしまった。ともあれ土倉庄三郎は、娘を見ても女子教育に熱心だったことが伺える。そんな土倉の元にアメリカ留学から帰った成瀬仁蔵が訪ねてきたのである。(成瀬は、梅花を辞めた後、奈良の大和郡山の教会で伝道師となり、さらに新潟に女学校を創立する。その後、アメリカに留学した。
 
・広岡浅子と成瀬仁蔵の本当の出会い。アメリカ留学から帰って、女子大学の設立を計画した仁蔵は、まず内海大阪府知事に話をした。しかし30万円を集める計画に、かなり否定的だったようだ。次に訪れたのが土倉庄三郎であった。以前、非キリスト教徒の寄付に怒って梅花を辞めたことは忘れたようだ。(同志社を大学にする際は、10万円必要と新島襄は言って、土倉は5000円寄付した。時代が進んで30万円になったか。。
 
・土倉庄三郎は、「着眼、教育の主義主張すべてが私の望むことに一致している」と感激して支援を約束した。そして広岡浅子を紹介したのである。浅子は、女子教育に熱意を持っていることを知っていたからだ。
 
・しかし広岡浅子の元には多くの女子教育を唱えて援助を求める人が来ていたので、成瀬の計画に何もいわなかった。ただ「女子教育」の冊子を受け取って、福岡の炭鉱に向かった。その船の途上、「女子教育」を読んで感激する。これまでのいい加減な援助願いの比ではないと感じて3度も熟読した。
 
・その後、土倉と浅子は二人三脚で女子大設立を支援していく。なかには山県有朋や板垣退助、大隈重信ほか近衛、土方、蜂須賀……多くの人を巻き込む。これらの人脈は誰がつないだのかはっきりしないが、みんな土倉庄三郎の盟友である。(山県や板垣は、大滝の土倉屋敷に訪れている。広岡浅子も泊まった。大隈が総理大臣の際に土倉翁がアポなしで官邸を訪れたら、大隈首相は自ら迎えに出て、翁が座るまで直立不動だったエピソードもある。
 
・土倉と浅子は5000円ずつ成瀬に出資しただけでなく、他者の出資者分の保証もしている。これだけあれば運動も進めやすい。ところが、成瀬は病気に倒れてしまう。それを見舞った土倉は驚いた。垢の付いた夜具にくるまって、やせ衰えていた。あれほと運動費が集まったのだからと……というと(続く)
 成瀬は「運動費は一銭でも自分の為に使わないように心がけている」と応えたのである。土倉は感激感涙して、さらに傾倒の念を深めた、と土倉は講演で語っている。
 
 
……まあ、こんなところ。また続編を連投するかもね(~_~;)。

2016/02/05

台湾テレビに土倉龍治郎登場!

奇特な方が、超レアな情報を寄せてくださった。

 
台湾のテレビ番組(のユーチューブ)に土倉家が登場しているというのだ。
 
Dsc_0107
 
台灣演義:台灣電的故事 」という番組だ。
 
もちろんナレーションなどは中国語なのでわからないが、台湾の電力開発の歴史をたどるドキュメンタリーの模様。字幕が出るので、その漢字を追っていると、だいたいの意味はわかる(気がする)。ときどき、日本のニュース映画映像が使われており、そこでは日本語も聞き取れる。
 
ユーチューブにアップされている動画は3分割されているが、その第1部の4分すぎから土倉家が登場するのだ。台湾で最初の水力発電所計画を立案したこと、ところが土壇場で資金繰りが実家(土倉本家)の経済的危機によってストップをかけられてしまったこと。結果的に台湾総督府が事業を引き継いだこと……などが語られている(と思う)。
 
020
 
土倉龍治郎とは、土倉庄三郎の次男であり、台湾へ渡って花開いた快男児である。が、不本意ながら台湾の事業を全部譲り渡して帰国後は、カーネーションの父にして、カルピスの父にもなるという……探検家にして起業家、勇壮な人生を歩みながら悲劇の装飾を施した人物だ。私も、庄三郎以上に興味を持っている。
 
土倉龍治郎について語りたいことはいっぱいあるが、彼の台湾における評価は、「台湾の林業の父」であり、「台湾の電力の父」なのである。
 
 
024_3
 
台湾の水力発電の拠点とした亀山。この湾曲した川の地形は、故郷・川上村の大滝の地形とそっくりである。
 



 

2016/02/04

アメリカの違法木材取り締まり

違法木材の貿易を止めることが世界的な動きになっていることは、本ブログでも再三記してきたと思うが、ちょうどよい実例があった。

アメリカ最大のフローリング材専門小売業者であるランバー・リクイデーターズ 社が、違法木材を輸入したととして1300万ドル以上の罰金を支払うことになったというのだ。ざっと15億~16億円もの罰金だ。

アメリカによる違法木材取り締まりの中核は、改訂レイシー法である。

レイシー法は、もともと魚類や野生生物の取引を取り締まる法律だったが、2008年に海外で違法伐採された木材や木材製品の輸入、輸送、販売、購入を禁止と改訂されたのだ。そして、すべての木材・木材製品の輸入に申告書が必要とした。
その対象は、丸太や製材に留まらず、木枠、木箱、樽桶、工具の柄、木炭、木製まな板、紙の原料のパルプ、新聞紙、トイレットペーパー、化粧用ティッシュ、木製家具まで指定している。

とくに凄いのは、その輸入業者が、違法性を認識していなくても違法とする点だ。ちゃんとトレーサビリィーを持って、違法木材でないことを確認しなかった方が悪い、という考え方なのだろう。

ヨーロッパ(EU)でも、2010年に違法木材法が成立して、2013年3月3日から規制が始まっている。
こちらは、独立した検証機関を設置して、原産国から製品までのトレースできるだけの書類を添付することを義務付けた。対象は、輸入木材だけではなく、国内生産された木材や木材加工品も含む。製材や合板、パルプ、紙までなのだ。そして違反者には罰金が課せられる。

こうした動きに対して、日本は極めて生ぬるい。
グリーン購入法は公共事業だけで民間には強制力はないし、そもそも原産地表示は相手任せで本当に違法ではないか検証できない。しかも間伐材や端材なら確認しなくていい、なんて、トンチンカンな条件をつけている。
 
違法木材対策になり、木材貿易に大きな影響を与える森林認証制度に対しても、かなり腰の引けた対応をとっている。
日本は木材輸入国だから……といういい訳もするが、すでに中国や韓国に大量輸出を始めた今となっては、通らないだろう。
 
すると中国や韓国は、違法木材に対してゆるいから……といったトンデモ発言も出てくるのだが。なめちゃいけない。いつ、中国が全面的に輸入木材について森林認証を求めてくるかわからない。すでに、世界の潮流はそのように動いているのだ。
 
中国の森林政策は、日本より厳しい点も多々ある。それに中国へ輸出された木材は、木製品となって欧米に多く輸出されているが、そこで森林認証を要求されるのだ。当然、それは原木から必要となる。つまり日本の木材に認証がなければいけない。ちなみに中国は世界一、森林認証を取得した事業体が多い。
仮に中国が合法性を証明しろ、森林認証をつけろ、と要求してきたときに、日本の木材輸出は壊滅的になるだろう。
 
 
付け加えると、日本の一部議員では、違法木材対策の法律を模索している動きはある。果たしてどの程度本気の内容にできるかどうかわからないが、仮に決まった際にアワを噴いても間に合わないよ。

2016/02/03

工藤徳右衛門は土倉庄三郎なのか?

今日のNHKの朝ドラ「あさが来た」の最後のところで、工藤徳右衛門という人物が登場した。

 
Dsc_0116
 
説明には、「加野銀行の上客 工藤徳右衛門」と紹介テロップが入る。
 
この人物は架空だが、そのモデルは土倉庄三郎だという。
 
えっ? と思うが、こちらをどうぞ。
 
 
 
このサイトの運営は誰がやっているのかわからないのだが、NHKの歴史ドラマの裏事情に通じている人であることはたしかだ。
 
そこに紹介されているのだから、間違いはないだろう。ただ、ここで紹介される土倉庄三郎の経歴については、ちょっと間違いもあるけど(^^;)。
 
※ついでに記すと、土倉庄三郎の読みを「どくら……」とあるが、正確には「どぐら」ですな。これは私の著書でも間違えているところがある。編集上の問題だ。
長男なのに三郎なのは、真田昌幸の長男・信之が源三郎なのと同じ(^o^)。
 
 
今後、彼がどのような役回りを担うのかわからないが、本来の成瀬仁蔵(成澤泉)に浅子を紹介する役ではなく、別の形で日本女子大設立に協力することになるのだろうか。
この点を外されると、意味ないからねえ。。。
 
名前も、もう少し本名をもじってほしかったな。実在の人物につながらない。
あ、工藤(くどう)と土倉(どぐら)は、2文字まで同じか(笑)。
 
 
ちなみに、このサイトに載せられている庄三郎の写真、なんか私のHPから取ってきたような。。。。いやいや、そんなことはないと信じ・ま・しょう。
 
ともあれ、今後の展開を注視しましょう。
 
 

2016/02/02

森林ジャーナリストの後継者?

長崎には「森林づくり活動発表会」の基調講演に呼ばれたのだが、驚いたことがいくつかある。

 
その一つは運営した長崎県森林ボランティア支援センターの仕事っぷり。
 
講演終了後、約2時間後に親睦会を開くため再合流したのだが、そこで参加者に行ったアンケート内の私宛へのメッセージをまとめた一覧をいただいたのである。
 
実際には会場撤収と移動時間を引いたら、1時間ないはず。その間にこうした仕事を仕上げるとは、たいした手際のよさだ。仕事できる! 
 
 
さてメッセージ一覧で驚いたのは、「後継の森林ジャーナリストを育ててください」とか「森林ジャーナリストの後継者スクールを開いたらどうですか」「指導できる人を増やしてください」……などの文言が多かったこと。
 
後継者? スクール?  これは私が日本唯一だ、と強調しすぎたからか? 私は老い先短いと見切ったのか……。う~ん、シーボルトが鳴滝塾を開いたように異国の知識を伝えるか。。。(森林の世界って、異国かもね。)
 
でも森林ジャーナリストを増やしたら、ライバルになって仕事が減るじゃないか。
 
……と考えた私は、人間の器が小さい(-_-)。
 
 
ただ後継者の作り方については、考えるところがないではない。
 
その原則は、出てくるのを待つこと。
 
次に、足を引っ張らずに見守ること。
 
これだけだ。誰かを○○に養成するなんて考え方はおこがましい。その分野に興味がある人が出てくるのを待てばいい。そして、若手が出てきたらライバルにならぬように最初に叩いて潰す、ようなことはせずに(~_~;)、つかず離れず見守るだけで十分だ。
 
まあ、大きく活躍しだしたら、論戦を挑んで切磋琢磨するのもいいけどね。
 
 
後継者難は、多くの組織でよく耳にするが、無理につくろうとせず、出てこなければ滅ぶのみだなあ。
 

2016/02/01

デジマノキ

長崎から帰って来た。

 
いやあ、いろいろ収穫がありました。強行軍ながら、朝からあちこち見て歩いたし。
 
とりあえず今日は、この1枚。
 
060
 
長崎といえば、出島。今や出島は住所になっているが、本来のオランダ商館跡の復元(途中)施設を覗いてきたのだが、そこにあった大木がこれ。
 
デジマノキ
 
和名はコパールノキというそうだが、学名アガチス・ダマラナンヨウスギ科の植物である。
どうやらインドネシアのジャカルタから移植されたものらしい。アガチスと言えば、南洋材として知られているだろう。日本では南洋カツラ南洋ヒノキなんて呼び方もする。
 
幕末に、オランダ人が持ち込んで植えたというのがちゃんと今も生えている。つまり樹齢は150年くらいになるのではないか。
 
日蘭交流の証としても貴重だが、もしかして日本本土に持ち込まれた南洋樹木の中でも最も古い部類に入るのではないか。しかも現在も生育しているのだから。
 
江戸時代には、中国から樹木を持ち込まれることはあったようだ。コウヨウザン(中国杉)などは有名だ。しかし東南アジアとなると、オランダ以外に無理だろう。
 
デジマノキもいいけれど「日本最古の南洋木」と記したら、林業や木材関係者の間で局所的に盛り上がるに違いない(笑)。
 
 

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