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2016/02/18

「知的な怠け者」の森の進化論

先日、奈良の桜井市で開かれた「スイス森林管理有識者交流会」に参加。

基調講演をスイス・ベルン州の元上級フォレスターのマルティ氏が行った。上級フォレスターってどんな仕事をするのか、なかなか想像しづらいが、現場のフォレスターとは違って、森林管理署長(いや局長?)とか、林政部長みたいな行政職だろうか。 
 
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ここで内容を子細に記すのは遠慮しておく(そのうち奈良県のホームページにアップされるだろう……)が、私の琴線に触れた言葉は、最後に登場した。
 
 
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下部にある ハンス・ライブントグートの言葉。彼は、マルティ氏の恩師だそうである。
 
で、彼から教わった言葉が、「森づくりをするなら、知的な怠け者にならなければならない」だそうである。「できるだけ自然に仕事をしてもらい、時々その方向を修正するようにてをいれるだけ」……。
 
私は林学者の言葉を少し集めている。そこから人と森の根本的な関係を連想できるのではないか、という気がするからだ。
 
たとえば
ゲーテ「自然は常に正しい。もし誤るとしたら、それは人間が間違えたからである」
コッタ「森づくりはなかば科学、なかば芸術である」
ケーニヒ「最高の状態にある森林は、もっとも美しい」
ザリッシュ「技術的合理性のある森は最高に美しい」
パイル「愛が森林を育てる」 「愛がなければ,どんな豊富な林業知識も十分ではない」
野中兼山「人間の営みは、自然が行うことを補完することだけである」
 
 
上記の言葉も、このコレクションに加えよう(^o^)。結構意味するところは似通っている気がする。怠け者であることを肯定されているようで有り難いし(⌒ー⌒)。ただし後半はあまりいらない。
 
 
人と森の歴史を追いかけると、人は森に関与し続け、人の時間が早くなりすぎると森は劣化する。そこで人は投げ出して森の時間に委ねるのである。すると森は、再び回復する。すると人はまたも人の時間で森を搾取しようとする……この繰り返しだ。
そこでは人の時間と森の時間をいかに摺りあわせるかだけが課題ではないか。 
破壊した森というのも、たかだか1000年もすれば回復する。いや回復と見せかけて植生を遷移させ、環境と生命の新しい相互関係を構築する。それは、種としての樹木ではなく、森林生態系そのものが進化したのかもしれない。
 
 
結局、森の世界とは、人がどのように手を加えればよいのか、考えて考えて考え抜いて、手を出さないのが、もっとも正しかった……というような世界の気がする。
 
 
 
 
 

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