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森と林業の本

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2016/02/19

土倉家と広岡家の見合い話

朝ドラ「あさが来た」では、いよいよ日本女子大学(に相当する大学校)の設立に向けて動き出したようだ。

 
まあ、ドラマの展開は、どんどんフィクションの世界に広がっていくので気にしないでおこうと思うのだが……土倉庄三郎がモデルとされる工藤徳右衛門の扱いは酷いなあ(-_-)。女子教育にまったく理解のない明治の男の代表のように描かれている。
実際は逆で、庄三郎は先進的な女子への教育を推進している。さもなければ自らの娘に加えて親戚の娘まで大阪・京都の女学校に入れなかっただろうし、さらにアメリカ留学も許可しなかっただろう。
 
それはともかく。
 
先日、日本女子大学に足を運んだ。成瀬記念館で開かれている広岡浅子展を見学に行ったのだが、正確には展示を見る以上に期待したのは「広岡浅子関連資料目録」の購入である。
 
ここに土倉家と広岡家の関係を伺わせる書簡が掲載されていると教わったからだ。
 
その部分を借用して紹 介する。
 
3_3
 
わかる? なんと、広岡浅子の娘・亀子と、土倉庄三郎の次男・辰次郎(龍治郎)の見合い話があったようなのだ。
しかも、長男鶴松や次女真佐子(政子)の名前も出る。土倉内房とあるのは奥さんか。つまり、家族ぐるみで広岡家と土倉家は親密につきあっていたことが想像できる。
 
この時期、龍治郎と台湾に渡って1万町歩の山林を総督府から300年間租借して林業を始めたばかりの頃。もし実現していたら亀子は台湾に渡ったのだろうか……。
 
結果的に見合い話は立ち消えになったようだけど、両家は私の想像以上に親密な関係だったようだ。
 
 
おまけ。
 
こちらも「資料」より借用。
 
2
 
広岡信五郎名義が、実質的に浅子の寄付だろう。
それにしても、この土倉庄三郎の署名はちと、下手だけど……。(庄三郎が達筆だったことを示す資料は改めて。) 本当は土の上に点がある漢字が正しいので、本人が書いたのではないかもしれない。

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