秩父を訪れて感じたことの一つに、紀伊半島とくに吉野と似ているところが多いな、ということだった。
まずは地形。その急峻さは紀伊半島に匹敵する。どちらも山の高さは最高峰が標高1000メートルを越える程度なんだが、その谷は深く襞が複雑に入り込む。日本アルプスよりも山深さを感じさせる。
そして伝説の数々。
とくに三峰神社を訪れたが、今はパワースポットとして有名になり、山奥すぎるにも関わらず参拝客が絶えないよう。その点も、数々のパワースポットがある吉野と似ている。どちらも役行者の開いた修験道の地なのである。宮司によれば、もともと「東の熊野」と呼ばれていたそうだ。
きらびやかな拝殿・本殿だが、塗り直す前の建立は200年、340年前。
具体的に吉野で似ている神社を当てるとすれば、名前もよく似た修験道の大峰山寺蔵王堂のほか熊野の本宮、新宮などもいいが、私は十津川村の玉置神社を当てたい。ここは、熊野の奥の院とも言われるが、秘境の村として知られる十津川村の中でもさらに奥にある。神武天皇が熊野から大和に攻め上る際に参ったと伝承もある地で、別格のパワースポットとして知られる。
三峰には樹齢700年、800年を歌う重忠杉がパワースポットだが、玉置にも樹齢3000年の神代杉や大杉、常立杉などが並ぶ。
そのほかにも日本武尊の伝説があり、巨大な立像があること(^^;)や、ニホンオオカミ生存伝説があること……など、秩父と吉野が対応する点が数々ある。
ほかにも埼玉と奈良は、ともに海がないとか(^^;)、大都市(東京・大阪)の隣にひっそり立地するとか……。
狛犬代わりのオオカミと、日本武尊像
もっとも見た目はかなりちがう。なったって、三峰神社は、参拝者が増えてお金があるのか、全部金ぴかに塗り直していた。玉置神社は古色蒼然。
ちょっと脱線気味になったが、もう一つ比べたいのは、土倉庄三郎と本多静六だ。
同時代の人物ながら、土倉庄三郎は大滝村(現・川上村)に生まれた山林王であり、その財力で明治という時代を動かした。所有する山林は、吉野だけで最大時9000ヘクタールに達したという。が、晩年は破産同然となり逼塞する。
一方で本多静六の実家は貧乏に苦しめられた農家に生まれ育つが、苦学しつつドイツに留学して林学博士となって明治の林学をリードした。そして財産をなして秩父の山を購入し、晩年は1万ヘクタールもの大山主となった。山林の多くは大滝村(現・秩父市)にあった。
なんとも対照的な人生ではないか。
実は拙著『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』は、当初、この二人を対照させるように執筆していた。二人は明治の林学・林業を通して日本の森を動かしたからだ。しかも、本多は庄三郎に日本の林業の実際を教わった、いわば弟子であった。
だが、出版にこぎ着ける過程で本多静六の部分をごっそり削り落とす。あまりに分量が増えてしまい、このままでは出版が危ぶまれたからだ。その点は、今も心残りだ。
本多静六は、晩年に、秩父の山の大部分を埼玉県に寄付し、それで奨学金をつくった。彼もまた財産を投げ出して教育に力を注いだのだ……。
ところが、秩父を訪れてわかったこと。寄付した山(3000ヘクタール弱)よりはるかに広い6000ヘクタール近くを、東京大学に演習林として売りつけていた(笑)。なんだ、ちゃんと儲けているじゃないか。
秩父と吉野の差はこんなところにも。。。。
雪の東大演習林。
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