「あさが来た」放映のおかげで広岡浅子に注目が集まり、おかげで私も土倉家と広岡家のつながりについて、いろいろ記してきた。
ここに、また新しい事実が発掘された。よく調べておられる津某読者から情報が寄せられたのである。
広岡浅子の娘・亀子と、土倉庄三郎の次男・龍治郎(龍次郎、辰二郎……表記はいくつかある)の見合い話があったことは先に紹介したが、彼らの子供たちもまたつながっていた。
亀子は、結局、一柳恵三と結婚(婿養子に入り広岡恵三)して3人の娘と一人の息子・喜一をもうける。
龍治郎はりゑと結婚して四男をもうけるが、長男は冨士雄。
この二人は、つまり広岡浅子と土倉庄三郎の孫である。
喜一と冨士雄は、成城学園の一回生。そしてともに京都大学経済学部に進学していた。つまりこの二人は、高校・大学の同級生なのだ。
ちなみに成城学園は、成城小学校の小原國芳が、中学校や旧制高校を設立したことで誕生している。小原は、成城高等学校の土地購入費を広岡家から借金していた。
その教育方針は全人教育として知られるが、生徒を家族のようにつきあったというから、喜一も冨士雄も兄弟のようだったのだろう。当時は少人数だったから、二人も深い交流があったのではないか。
ちなみに小原は、後に玉川学園を設立する。ここに多少の経緯が書かれている。ちなみに家系図の「広岡一樹」は「広岡喜一」の間違い。
土倉家と広岡家は、見合い話話が消えても、また土倉家が逼塞した後もつきあいは続いたようだ。とくに見合い話の主役であった龍治郎は、見合いが行われなくても広岡家とつきあいがあったのか。お互いの息子が同じ学校に進学したのは、偶然かもしれないが、やはり示し合わせたように感じる。
広岡喜一は、後に大同生命の取締役になった。
土倉冨士雄は、カルピスの社長を務めている。……彼が手がけたカルピス提供のアニメシリーズには、ムーミンのほか、アルプスの少女ハイジとかフランダースの犬等もある。
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