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2016年5月

2016/05/31

兵庫県立森林学校だって

以前、紹介したと思うが、いよいよ来春には兵庫県に林業大学校が開校する。

そして生徒募集を始めたようだ。名前は「森林大学校」になっている。
 
 
兵庫県立森林大学校 第一期生募集
 
要項を並べると、
 
● 設置場所 兵庫県 宍粟市一宮町能倉(H29.4~H30.3 宍粟市一宮町安積)
● 募集定員 20名(平成29年4月入学)
● 就学期間 2年間
● 入学資格 高等学校卒業又は同等程度、40歳以下
● 入学試験 推薦入学試験、一般入学試験(詳細は後日決定)
● 入学考査料 2,200円
● 入学料 5,650円
● 授業料 月額9,900円(その他教科書代、被服費、宿泊研修費用等は別途負担)
● 就学支援 国の給付金制度が利用可能(最大150万円/年・2年間、給付要件あり) その他無利子貸付金や奨学金貸与制度が利用可能(資格審査あり)
 
 
この学校の特徴とすれば、まず法的には専修学校であることだろう。最近開校するところは、各種学校扱いのところが多かった記憶がある。
どちらがいいのか一長一短があると思うが、専修学校となると、いわゆる一条校として学校教育法の範疇にあるということか。
 
もっとも気にかかるのは、国の給付金制度によって最大150万円の支給が可能ということ。実質的に無料で、また生活費用の補填にもなる。 
 
 
次々と林業教育施設ができることは、基本的には望ましい。
いきなり現場に連れて行かれて、ちゃんとした指導もないまま「習うよりなれろ」で危険を林業作業に従事するより(即戦力の養成を謳っているが、それは無理)、最低限の基礎知識と基本技術を身につけることができるのだから。
しかし、課題は卒業後の進路だろうなあ。
 
以前、卒業間際の林業大学校の生徒と話したとき、「林業には就職しません」と断言されてしまった。
なぜなら林業事業体や森林組合の待遇が悪すぎたから。せっかく技術を身につけても、十分に活かせる場とそれに見合う待遇がなければ居つかない。
加えて、古くさい慣習を引きずっている職場では、せっかく学んだことが活かせない。セクハラ・パワハラの横行も心配だ……。
 
最近は、保育士や介護士の待遇見直しが叫ばれているが、林業界もなんとかしないと。今後、続々と林業大学校やそれに近い施設が誕生するはずだが、本当に進路は大丈夫か。
 
 
そういや、兵庫県には、以前「山の学校」という林業を教える学校?塾?があったはずだが……なぜ、それがなくなり、今度の森林大学校はその点をどのように考えているか示してほしい。
 
 
 

2016/05/30

ボルネオと違法伐採

昨日の朝日新聞2面に大きく熱帯雨林の破壊問題が取り上げられた。

 
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具体的に取材されたのは、マレーシア連邦サラワク州(ボルネオ島)だ。熱帯雨林からメランティなどフタバガキ科の大木を伐採して合板にして、その大半を日本が輸入している……という記事である。
 
私にとってこの記事は、20年ぐらい前、いや30年ぐらい前の既視感。
 
そう、随分昔からボルネオでは伐採が問題となり、その木材を購入している日本が「熱帯雨林破壊者」として矢面に立たされていた。そして私は、その頃からボルネオに通い続けたのである。
 
その頃と記事の内容もほとんど変わらない。言い換えると、20年経っても、問題は何一つ解決せず今も続いているということか。
 
あえて言えば、当時は日本企業そのものが取り上げられたが、ここでは現地企業を違法伐採の疑い濃厚として取り上げている。実際、日本企業は当時からあんまり関わっていなかった。あくまで丸太か合板を輸入しているだけだった。違法伐採は現地企業が行い、日本はそれを輸入する……。またいくら酷い伐採をしていると言っても、現地州政府の「合法証明」は出ていた。
だから、こうした自然破壊を伴う手段で伐り出された木材を扱わないようにするには、輸入する企業が木材の素性を調査して問題ないか確認する必要がある。だが、日本は何もしてこなかった。
 
さて、今回の記事の眼目は、むしろサイド記事だろう。
現地の証明あれば「合法」』と見出しがついているところと、下段の「違法流通規制 日本は1年後施行 確認、努力義務どまり」のところ。ここでは、とうとう国会で可決した「合法木材利用推進法」のことが紹介されている。
 
後者をアップしておく。
 
Img001
 
この法案が提出されたときも記したが、どんなに言い訳しても、努力義務に留めて罰則がないものに何の威力があるだろう。ザル法である。結局、今後も日本は違法木材に対して消極的な態度が続くということだ。
 
 
実は、このところ私は、過去から現在までの森に関する体験談の洗い出しを進めている。なんか老い先短いから自分の人生を振り返っているような気持ちになるが……やはり大きな比率を占めているのがボルネオだった。通った回数はともかく、異常でヘンでオカシナ体験をしたのは、ボルネオが多いのである。
 
その頃訪ねたサラワクの各地の事情と、今回の記事はだぶる。
このところボルネオ詣でも行わなくなっているのだが、事態は変わらんという点を確認した次第である。そして日本は間接ながら破壊に関与し続け、何も改善しないのである。
 
 
 

2016/05/29

平成27年度森林林業白書

このところ、森林・林業基本計画とか、森林・林業白書など、次々と公表されている。

 
森林や林業に関することを扱う仕事しているんだから、目を通さなくてはいけないなあ、と思っている。思っているが……年々意欲が落ちてくる(~_~;)。
 
 
それでも一応白書には目を通した。
 
正直、今年はあんまり変わり映えしない。今更、というものばかりで、新たな動きを捉えているな、と感じさせるものが見つからない。
 
せっかくだから紹介したくなるようなところを探したのだが……。
 
 
絞り出すと、こんなところ。
 
Photo
 
伐期に達した山林はあるが、主伐をする気はない、が60%を超えている。
 
私は、「主伐」という概念から疑っていて、主伐という名目の皆伐なんてしなくてよいと思っている。皆伐で樹木を全部なくせば生態系が激変するからだ。それに見合う収入が林家にもたらされるのなら救いはあるが、現在の木材価格ではそれも望めない。
 
こんな項目もあった。林業所得の内訳である。
Photo
 
 
中身によくわからない項目が多いが、ようするに材積151立方メートルを出荷して、純利益は11万円なり。。。
 
151立方メートルの木材を伐りだすのは、面積としてどれぐらいだろう。林齢や間伐率および主伐など要素が不確定すぎるが、少なくても数十年間木を育てた森が数ヘクタールは必要なはずだ。その結果が、この程度の利益しか生まないのである。
 
 
Photo_2
 
そして主伐後の更新に関する意向調査では、約3割が「天然更新」。
天然更新とは、伐採後勝手に木が生えてくるのを待つことだ。ヨーロッパなどでは普通の技術なのだが、日本では難しい。それでも本気で「天然更新」に取り組み、広葉樹林化を狙って天然林に近い森を再現することをめざすのなら興味深いのだが、正直、ほぼ全部が「再造林しない」「放置」を言い換えたのだろう。
苗を植える再造林には金がかかるから、そのままにすることを「天然更新」と言い換えているのだ。
 
だいたい、このグラフには3択しかない。再造林を自分でやるか、誰かに任せるか、「天然更新」。そんな選択肢しか設けなかったのだ。しかも「~行いたい」という希望だけだから、本当に実行するのか怪しい。
おそらく意向調査では「天然更新」という言葉を使わなかったと思う。ちゃんと「再造林の予定なし」という項目をつくらないのは意図的だろう。
 
せこい意向調査だ。
 
 
 

2016/05/28

蔓植物の意地

我が家の玄関で見かけた蔓植物。

 
002
 
えっと、、、何という植物なのか観察し忘れたのだけど(~_~;)、写真はヤマイモのような……。この蔓の伸ばし方は凄い。
にょろちょろと何も支柱のないところを伸び続けたのか……。
 
そういや子供の頃、「ジャックと豆の木」のマメノキは、どうして天まで伸びられたのか、と考えたことがあったっけ。いくら生長が早くても、地面を張っていては雲の上の世界に届かない。
 
003
 
種明かしすると、なんとクモの巣に引っかかっていたのであった。
クモの巣も利用して高見に登っていく根性というか、意地はたいしたもんだ?
 

2016/05/27

枯れないナラ枯れ木はどれぐらい?

昨年、生駒山はナラ枯れが大拡散したのだが、その結果が今春によく出ている。

その中で、ナラ枯れ状態だったのに枯れずに若葉を芽吹いている木があることも報告してきた。
 
今回観察したのは、これ。
 
1
 
根元にある木粉の量を見ると、かなり派手にカシナガに侵入されたようである。
 
2
 
が、上を見ると、なんと若葉が開いていた。
 
6
 
こんな具合。残念ながらモサモサと不定芽が出たような状態なので、あんまりみっともよくないが、まあ、枯れずに済んだことの証明だ。
 
どうやら、結構な割合で生き残れるようだ。この割合を調べた人がいたらよいのだが、私の感覚では、1~2割といったところか。
 
しかし、これはそんなに低くもない。まずナラ枯れにやられるのが太いナラ類を中心に、半分ぐらいとしたら、そのうちの1割以上が助かるわけだ。
 
もちろん山には、ナラ類以外の木も生えている。いくら生駒山はほとんどコナラ林と言っても、コナラは全体の半分以下だろうから、その半分が枯れて、さらに復活できる分を引き算すると、枯れるのは2割ぐらい? 
ちなみに枯れた木は、そのうち倒れて空間ギャップをつくり、そこに光が射し込めば別の草木が生えてくるだろう。それがナラ類なのか別の種類なのかはわからないが。
ギャップに生えるのはソヨゴなど低木が多いという調査結果もあるが、長い目で見たら、きっとその間から高木も出てくるだろう。
少なくてもナラ枯れの跡に裸地が増えるほどではなさそうだし、カシナガも減少していけば、若返って新たな森が広がるのではないか。
 
 
これは推定というより感覚的なものを数字に置き換えただけだが、案外森のダメージは低いかもしれない。これぐらいなら生態系が狂う、と心配するほどではないように思えてきた。
 
もちろん、ナラ枯れ以前の植生とは変化が出るし、昆虫とか鳥獣、土壌生物まで含めた森林生態系も変わるかもしれない。しかし、それは自然界の摂理に沿ったものではないか。むしろ自然の遷移として捉えられる。
 
ナラ枯れは納まったのかどうかは、今夏の様子まで待ちたいが、とりあえず安心感が漂ったのであった。
 

2016/05/26

「大林業」から「林業分割」へ

ちょっと思考メモ。

 
以前私は、「大林業」構想を展開したことがある。それは、『森林異変』にも記したのだが、林業を「木を植えて、育てて、伐採して……」という山の仕事と小さく見るから上手く経営できないのではないか、という理論だった。
 
林業とは、森づくり-木材生産-木材流通-一次加工(製材)-二次加工(建築、木工など)と全体を通して経営しないと、いつまで経っても経営が安定しないし、川下の利益を川上に還元できない。
だから全体をまとめた「大林業」を打ち立てる。昨今では六次産業化などとも言われているが、全体で利益を生んで適性分配するシステムをつくれないか……という発想だ。
 
 
だが、このところ、それとはまったく別のモデルを考え始めた。
むしろ林業を分割して考える。
 
まず森づくり業。植えて育てるまで。せいぜい伐採まで。
次に木材生産業。伐採から造材、搬出・流通、製材まで。
そして木材利用業。製材品を加工して建築や家具など最終商品に仕上げる。
最後に、木質リサイクル業。山に残された残材のほか、廃棄された木材製品をチップやボード、土壌、そして燃料としてリサイクルする。
 
これらは、一体として経営する点では「大林業」的だが、経営主体は違う。というか、一緒にはできない。なぜなら、人間の才能の問題だ。
 
森づくりが得意(好き、熱心)な篤林家は、伐採や造材、搬出が必ずしも上手いわけではなく、ましてや製材はわからない。わからないというのは技術としてできないというのではなく、売れ筋を調べて、臨機応変に造材したり、高く買い取ってくれる先を見つけて販売ルートを変える……ということが苦手だろう、という意味だ。
 
そこで木材生産のプロが別に必要なのではないか。
 
最終商品は、工務店(大工)による建築や職人による家具、グッズ類。それにリサイクル木材商品である。
この最終商品の生産者と山元(森づくり業)を結びつけるのが、木材生産業の役割とする。ここで適正な使い道を探って割り振りする木材の商社的な役割を果たすから、木材配分業とか木材調整業の方がいいか。
 
このように考えると、適性人材について考えやすくなる。
 
森づくりは好き(得意)だけど、伐採は苦手とか、伐採はできるけど、売れ筋探って造材寸法を考えるなんてわからん。逆に伐採とか搬出のようなガテン系の仕事は好きだけど、植林なんて仕事は辛気臭い……と思っている人もいるのではないか。建てた家の廃棄とリサイクルまで考えて森を育てる人もいないと思う。
 
もちろん一人(山主)が、全部できたらいいのだ。森づくりも伐採も造材も、その後の木材商品販売ルートもみんな把握して差配できるのなら、すべて一人で完結する。
しかし、そんなスーパー山主は極めて少数だろう。
 
やはり仕事の分担をしなければならない。その区分法を考えたのである。結果的に、川上の森づくりと川下の建築・木工業は職人的な世界であり、間に入る木材生産業はコーディネイトを担う。
 
 
Photo
 
たまたま今年の森林・林業白書にあったイメージ図。これは森づくり業と木材生産を分離せず、全部川上にまとめているが、木材産業の位置づけは私の発想と似ている。

2016/05/25

ホームページの移設なんて……

今頃気づいたのだが、ホームページを移設しなければならないらしい。

 
 
私のホームページ は、プロバイダのニフティが提供する@homepageのもので、大昔に開設してから10年近くそのまま使っている。
 
ところが、ニフティからの連絡で、今年9月29日をもって閉鎖する、ときた。
その代わり、これまでのホームページは、@niftyホームページサービスに移設してくれ、というのだが、それがわからん。
 
方法を列記したページを見てもわからん。
 
というのは、私のホームページはホームページビルダー(ver6)でつくっているからだ。これも開設以来続いているのだが、説明にはこのソフトを使っている場合の移設方法は、一切触れていない。
 
このまま放置したら、3カ月後には私のホームページは完全消去されてしまうらしい。
それは困る。たしかにブログやSNSのよって利用量は減っているが、まだまだ私にとっての基礎プラットフォームである。
 
もともと趣味でつくったので、最初は「安楽椅子探検家のヴァーチャル書斎 」として始め、「知られざる探検家列伝」シリーズを長く続けていた。
やがて著作紹介のページとして、「森林ジャーナリスト田中淳夫の仕事館 」を併設し、,こちらが主力となった。
 
また生駒日誌を付け始めたのだが、今はそれを「生駒ジャーナル」として生駒に関した話題提供を続けている。
 
ま、そこにブログを裏と表の2つ開き、さらにツイッターにフェイスブックと広げているから、一体いくつになるんじゃ、と私自身がどこに何を書くのか混乱状態なのだが、やはり自身のホームページは根幹だろう。過去の記事を収録した部分もあるし、こっそり書き下ろしもしている。
 
ここに書き下ろした記事を、あとから出版につなげることも実はある。
 
たとえば、『ゴルフ場は自然がいっぱい』は、元記事をホームページに載せていた。それは一度は出版がかなわなかったため、ヤケクソ?でアップしていたのだが、それを読んだ読者から出版を勧められ、再びアタックして実現したわけである。
しかも、それが絶版になったので、今度は電子書籍『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』として昨年末に出版したのだから、ホームページあっての展開なのである。
 
 
 
さて、本当に消えては困るから、なんとか勉強して移設しなくちゃならん。悩みの種が増えてしまった。
 
ほかにも私が愛用している親指シフトというキーボードの使えるパソコンがほとんどない(正確にはドライバーとそれに合うソフト)ため、Windows10の新パソコンに移ることも簡単ではない。うるさくヴァージョンアップを迫るMSは、大変な厄難となっている。 
 
そのうち、このブログだって移設しろ、さもなきゃ消えると脅されるかもしれん。その時は投げ出すかもね。
 
日々、進化しているネット世界。いや、進化というより先走りすぎて落ちこぼれをつくっている裸の王様じゃねえ? と思ってしまう。
 
 
 
 

2016/05/24

遭難~敗退記

ちょっと仕事が立て込んだので、森に入った。

森は書斎。森を歩いて、アイデアを寝る……いや、練るのでした。
 
考え事をしながら歩くつもりだったので、足元はサンダル。コースも遊歩道を選んだ。ここなら目をつぶっても歩ける、まではいかないが頭を空っぽにして歩ける。森の道なき道に入る気など毛頭ないのである。
 
なかなか気持ちよく歩き始めた。陽射しは強いが、このコースは木陰になっているのだ。風も涼やか。この環境で3、4本重なった原稿の中身を考えると、次々とアイデアが。。。。
 
目の前からハイカーの団体がやってきた。おばちゃんハイカーだ。よくしゃべるなあ。いかんいかん。人に出会うと頭がかき乱される。アイデアが飛ぶ。
 
とはいえ、逆方向に歩いているので、すれ違うだけだ。この一瞬だけ我慢すればよいのだ。
 
さて。次の原稿の出だしはどうするか……おっと。またハイカーが現れた。今度はじいさんか。まあいい。すれ違うだけだ。
 
テーマはこれにして、オトシドコロはこれにして。。。うん、森の景色を眺めていると、アイデアが湧くぞ。
 
なんと。目の前に男一人が現れた。道脇から出てきたのだ。しかも、進む方向が私と一緒。
 
ということは、ずっと並んで歩くことになってしまう。歩行速度を速めて抜いても、多分、しばらく平行してしまう。ならば私がゆっくり歩くか。ちょっと脱線して、切株の上でも眺めておくか。
 
しかし、姿が見えなくなったからと私が進み出すと、すぐに姿が見えてくるのだ。あちらも結構ゆっくり歩いているのか。間を10メートルばかり保ちつつ歩く。
しかし、他人の姿が常に目に入るのは楽しくない。森の中を歩いている気分が壊れる。しかも、彼からは何か甘い臭いが漂ってくる。なんだろう、煙草のような。。。
 
 
我慢できずに、私が逸れることにした。前から見つけていた、遊歩道の脇にある踏み分け痕に入った。サンダル履きなんだが、なんとかなるだろう。どちらに進めば車の置いてある公園に出るか頭の中の地図ではわかっている。
 
が、踏み分け痕はすぐに消えた。急斜面を降りると沢がある。そこを進む。これもまた面白いかもね。刺激になって、またアイデアが。。。
 
泥沼になった。イノシシの足跡がいっぱい。サンダルがめり込む。足を取られぬように倒木の上を進んだり、堅い地面を探して飛び跳ねたり。わ、泥がズボンを汚したではないか。サンダルの中にも入った(泣)。
 
前方に池が見えてきた。これでは真っ直ぐ進めない。迂回路を探す。あきらかにイノシシの獣道をかき分ける。イノシシと出くわしたくないよお。身体に引っかかる蔓を引きちぎる。これぐらいではめげないよ。
 
しゃにむに進む。一つ池を超えたら、また池だ。こちらは巨大だぞ。これを迂回するとなると……。
 
ちなみに、私はいつも森の中を遭難していると思いこんでいる人がいるが、そうではない。私の脳内には、生駒山の地図が入っていて、自分がどこにいるのか常に把握しているのだ。しかも、自分がどこに向かっているのか方向も感じ取れる。
だから、迷ったように見せかけているだけ。ちゃんと目的地まで進める。途中の経路に、想定外の谷や尾根が相次ぐことはあるが、方向がわかっていれば大丈夫だ。
たまに地形の関係で迂回しても、脳内地図で方向を修正しつつ目的地に進める。
 
心配ないのだ。私が生駒山中で遭難することなど有り得ない。
 
 
池に沿って、藪をかき分け進む。途中、釣り人のつくった道もあって、わりと簡単と思っていたのだが……なんか、気がつくと池が見えなくなっていた。
 
池の斜面は急傾斜すぎるので尾根を進んだのだが、池を取り囲む尾根から離れてしまったか……。
 
大丈夫。これぐらい。尾根沿いに行けば、すぐに知ったところに出るさ。。。。
 
前方にスギ林が見えてきた。この辺りでスギ林があるのは……と頭の中の地図を検索する。
ちょっと、ちょっと池から方向が違うのではないか。
 
だんだんサンダルで進むべき斜面ではなくなってきた。おかしい。池から遠くなってしまった。もどるか。いや、どっちが来たルートなんだ?
 
何、大丈夫ですよ。これぐらい。少々遠回りしても、ちゃんと池の端に出て見せる。
 
進む。池は見えない。見知らぬ地形が広がっている。
 
もしかして、方向を間違えた? 自身の位置を勘違いしている? これって本当の遭難?
有り得ないでしょ。私が遭難なんて。。。。しかし。
 
はあ。時間がない。森林散策には時間制限があるのだ。このまま森の中を方向がわからないまま彷徨しても~洒落じゃない~どこかには出るだろうが……。
 
意を決して、スマホを取り出した。今度は落とさないぜ。
 
グーグルマップを立ち上げる。禁じ手だよ……。
 
あっさり現在位置確認。ほんのわずかの距離のところに遊歩道が伸びていた。なんだ、ぐるりと回って元の分岐点に近づいていたのだ。ただ間に深い谷がある。
 
仕方ない。急斜面を滑り降りて谷底に降り、今度は急斜面を登る。遊歩道にもどる。
 
しかし、グーグルマップを使った時点で敗北だな。初めての敗退かもしれん。
 
ぐやじい(- -;)。
 
ああ、そういや、原稿どうしようか。。。。
 
 

2016/05/23

Yahoo!ニュース『「奈良のシカ」大異変? 』を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに『「奈良のシカ」大異変? 外国人客増えて悩みも噴出 』を書きました。

 
ちなみにタイトルは、最初『「奈良のシカ」大異変? 外国人客も増えて悩みも噴出』でしたが、後で読み返すと、「も」が重なっていたので、最初の方を省きました。こんなことできるのが、ネット記事の特徴よ(笑)。
もっとも、ブロゴスに転載された分や、ツイッター、フェイスブックなどにリンクしたものは、最初のタイトルがそのまま生きている。こちらには反映されないのね。
 
ま、適時、誤字や誤表現があると直している。こっそり、ともいう(~_~;)。
 
 
内容は、土曜日に参加したシンポジウムを受けたものだが、実は私もここ20年以上、なにかにつけて奈良のシカについて取材する機会を持っている。だから、知識的には20年以上の時代の変遷を追いかけていることになる。
 
昔聞いた事情が、今やすっかり様変わり、というのは実感でもあるのだ。
 
ただ感触として、奈良県および奈良市は、奈良のシカに関して頑張っていると思う。
もちろん、市民にも「奈良のシカ」に対する強烈な想いを持つ人は多くて、だから奈良の鹿愛護会のほかにも民間団体がある。さらに外野の応援団もいるようだ。
シカの写真集もいくつか出ているから、手に取ってみるといい。
 
林業家に言わせれば、「奈良のシカ」以外はしっかり駆除しろよ、という気分になるんだろうが……。
 
 
以前、何かの会合で奈良県知事と隣り合わせに座ったことがあって、その際に「シカ害の駆除」が話題になって、「獲って食べたらいいんですよね」と今のジビエブームの先駆け?になることを放言していたら、「あ、奈良ではシカを食べるのはマズいか」と笑い合った記憶がある。
 
ま、奈良はことシカに関しては特殊なんである。とはいえ、獣害も放っておけないわけだが……。
 
この微妙なさじ加減と割り切り方を、少し調べてみようかという気になってきた。

2016/05/22

切株の上の生態系

新シリーズ! 切株の上の生態系!

 
えっ、これまでシリーズあったっけ? と思われる皆さん、ほら、戦う植物シリーズとか、あったじゃないですか(~_~;)。
 
今日の森林散歩で、目にした切株では、切り口の断面の上にさまざまな動植物がいることに気づいたのでした。それに注目しても面白いかな、と。
 
010 こんな切株ですが。
 
008 アップすると……。
 
009 苔の世界がきれい。
 
 
もちろん、苔以外にも何種類もの植物が倒木更新ならぬ切株更新している。
 
021
 
これは、すでに古い切株で、苔もたっぷりで、芯が腐って空洞ができている。
 
が、それもよく見ると……。
 
022
 
頑張って、穴の底から伸びている芽もあるのであった。
果たして、この芽がどこまで生長できるか。あっさり息絶えるか、この切株を乗っ取ってしまうほどの木になれるか。
 
案外、ライバルが少なくて、腐った木が栄養となり、苔が水分も溜め込んでくれるから、生きていくには好都合なのかもしれない。

2016/05/21

天然記念物「奈良のシカ」に関する公開シンポジウム

奈良教育大学で、『天然記念物「奈良のシカ」に関する公開シンポジウム』が開かれるというので出席。

 
奈良県主催で、「奈良のシカ」(このように言った場合、奈良県のシカではなく、奈良公園のシカ、を指す。正確には奈良公園周辺のシカ。天然記念物指定のシカ、である)の現状と問題点、そして今後の展開について語り合うものだ。
 
非常に内容は濃くて、8人7つの講演が行われた。残念ながら参加者数はイマイチだった模様だが、ちともったいない。奈良人は、奈良のシカに飽き飽きしているのか……(~_~;)。
 
とはいえ、先日はNHKの歴史秘話ヒストリアでも取り上げられたし、外国人の奈良観光ではシカは最大の人気アイテム。このところ注目株なのだ。
 
実は、私も奈良のシカについて勉強し直そうという想いを持って参加した。いつか奈良のシカについての本を書きたいと思っているほどだ。実際、人と自然のあるべき関係を考えるに際して、奈良のシカは実によいモデルと感じている。
 
 
ま、そのことは、しばらくシンポジウムの内容を咀嚼してから考えるとして、印象に残ったこと。
 
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奈良のシカが天然記念物指定を受ける際、仮指定には生駒郡も全部入っていたんだなあ。
そして生駒山にはシカはいないとされるが、時折、奈良公園から追われたのか、冒険の旅に出たオスシカが現れるらしいこと。
戦争直後は、大阪の御堂筋に現れたこともあったらしい。。。
 
一方、奈良のシカは、遺伝子の調査によって、基本的に隔離されていることがわかっているだが、近年は京都府から乱入するシカも見つかっているらしい。三重からも来ているかもしれない。
とすると、奈良のシカが2000年余り綿々と引き継いできた万世一系の血筋はどうなる! と思ってしまった(笑)。
 
もっとも奈良のシカが京都など各地に流れていくのは、流浪の皇統なのかもしれんが……。

2016/05/20

ニセアカシアもアジサイも

ものすごく、ドーデモよい話なんだが、私の住む住宅街の中野緑地の樹木が白い花をつけていた。

 
これまで、深く考えることなくコナラかなあ、と思っていた。幹の肌がそんな感じの筋が走っていたからだ。しかし、白い花とは……ニセアカシアだった?
 
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こんな具合。花の部分をアップすると。
 
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ちゃんと調べたらいいのだけど、ま、いいかあ、という気分なので(笑)。
 
しかし、ニセアカシアは外来種として、駆除対象になっている。それを緑地に植えたのだろうか。まあ、開発したのは40年くらい前だから、ニセアカシアは生長が早いから、という軽い理由で選んだのかもしれない。
 
しかし、ハチミツも採れるから、安易に駆除するのもどうかと思うなあ。
 
 
 
ところで、現在自宅でアジサイの苗づくりをしている。挿し木だが、梅雨前にはタナカ山林に移植の予定だ。
 
タナカ山林をアジサイ園にする計画(^o^)。
 
すでに数年前から植え始めたが、同じ木から挿し木を取っていたら、みんな同じ遺伝子になってしまうので、各地から分散して採取している。一部は、ホームセンターでも購入した。
 
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挿し木は、個人宅のものを切らせてもらったり、根ごともらったり。さらに所有者のいなさそうな山に眠れるアジサイを探す(~_~;)。かつて民家があった空き地や、道端からも採取。
 
ただ、これらも元をたどれば園芸品種も混じっている可能性は高い。園芸品種を無碍に否定はしないが、外来種も多いし、山に植えてちゃんと育つかどうか心配もある。
 
ニセアカシアだって、元はすべて人の手で植えたものだからなあ。
 

2016/05/19

土倉庄三郎翁没後100年記念シンポジウム

今日で、ちょうど1カ月前になりましたので発表です。

 
今年は、土倉庄三郎没後99年です。そして来年が100年。そこで「土倉庄三郎翁没後100年記念事業」がスタートします。(約1年間)
 
そのトップバッターとして、来月6月19日に記念シンポジウムを開催します。
 
 
記念式典(シンポジウム)
基調講演は森林ジャーナリストの田中淳夫(^o^)。
だが、本当に凄いのは、その後の『土倉翁の功績をたどるリレー対談』登壇者。
 
日本女子大学                  佐藤和人学長兼理事長
同志社                 大谷 實 総長 (対談は、本井康博元教授)
NPO芳水塾          古瀬順啓理事長
吉野かわかみ社中     下西昭昌代表
日本女子大の学長に同志社総長! 
 
日本女子大の創立に広岡浅子とともに関わった土倉翁、そして同志社の新島襄・八重の話が中心となるはずだ。なんかNHKの朝ドラ『朝が来た』と、大河ドラマ『八重の桜』を合わせたような取り合わせなのである(笑)。
 
また芳水塾は、ずっと土倉翁の顕彰を続けてきた組織で、古瀬氏は土倉家の菩提寺・龍泉寺住職でもある。
そして吉野かわかみ社中からは、吉野林業の新たな挑戦が語られる予定。これも、私がちょっと聞いたところ結構面白い話が出るはず(^o^)。いや、なかなかやるじゃないか。
 
なお、ほかに農林水産大臣や地元国会議員、奈良県知事、林野庁……なども出席予定。(代理の可能性もあるが。)
 
 
日  時…平成28年6月19日(日) 13:00~16:00
開催場所…川上村総合センター やまぶきホール
主  催…川上村
協  賛…土倉庄三郎翁没後100年記事業実行委員会
後  援…農林水産省、奈良県(予定)
連絡先…川上村地域振興課
〒639-3594 奈良県吉野郡川上村迫1335-7
TEL 0746-52-0111
E-mail info@vill.nara-kawakami.lg.jp
 
よろしければ、申し込んでほしい。会場は300人のホールなのだが、すでに同志社OB会などが多数来る予定で、入りきるか心配している。
 
 
ところで、このシンポジウムに先立って、午前中は龍泉寺で百回忌法要が営まれる。
こちらは、基本的に関係者向きだが、希望者は拒まないので申し込んでほしい。なお、こちらに参列すると、拙著『樹喜王 土倉庄三郎』が配られる。
 
土倉翁に興味のある人はもちろん、そうでなくても楽しめると思う。川上村の吉野杉の山を見るだけでも元は取れるはずだ。
 

2016/05/18

紫蘇の「間伐」

仕事部屋にあるベランダで紫蘇を育てている。

 
正確には、プランターに紫蘇の種子をバッとばらまいて放置していた。すると、もさもさと若葉が出て繁りだした。
 
このままではイカンなあ、と思い切って間引きした。いや、ここは間伐と呼ぼう(^o^)。
 
どのように間伐するか、視線を低くして紫蘇の根元から見上げてみる。なかなかのジャングルなのである。これを空かして間伐シソの収穫と残したシソの生長がよくなる方法を選ばねばならない。
その気で見ていると、人工林の間伐をどのようにするか考えることに通じて勉強になる(^^;)。
だから、「私も林業家」気分を味わうように伐る紫蘇を選んだ。
 
日本では、一般的には劣勢間伐法が主流だろう。細くて生長のよくないものを除く。近頃流行りの育成木施業でも、残して大きく育成するつもりの木を選んで、その生長を阻害しそうなものを選ぶ点では、劣勢間伐と言える。
もっとも、質ではなく量、つまり間伐率を決めて機械的に抜き伐りするような、嫌われているものの列状間伐も主流と言えば主流。
 
さて、今回の私は列状間伐を選びました\(^o^)/。
ばっさばっさと伐る。時間がなかったこともあるし、一本ずつ選ばなくてもいいから楽。
 
と言っても、それだけでは面白くない。そこで、優勢間伐も施した。とにかく早く大きく育ち、周りの紫蘇を抑圧しているもの。
これ、やってみると、目に見える効果がある。一本優勢なものを伐り抜くと、いきなり中が明るくなるのだ。気持ちいい。同時に、伐った紫蘇は十分に大きな葉を付けていて、料理に使えるではないか。
 
もともと私は優勢間伐、づいわゆるナスビ伐り論者だ。今高く売れる木は今伐って売り、残っている劣勢のものを今後の優勢にできたらよいと思っている。大きな木を除いた方が、光がよく入って生長もよくなるはずだ。
それに将来もっと太ってから収穫するつもりの木が、来年台風で倒れたり、落雷受けて枯れることだってあるのだから。
 
もっとも、優勢木(紫蘇)ばかり伐って、残りは形質が悪いものばかりになっても困るのだろう。幾本かを残そう。もっとも紫蘇は、刻んで使う場合は葉っぱの形状や大きさは関係ない。ならば劣勢木でもいいか。量さえ採れれば……。これ、バイオマス燃料用D材発想だな。
 
そんなこんなで、刈り取ったアフターの姿は、このようになった。
 
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真ん中をごっそり、列状に伐るとともに、大きなものを中心に全体的に空かすようにした。今後も何回か「間伐」を繰り返すつもりだ。そして残したものが大きく育てば、次は「枝打ち」だ。葉だけを収穫することにしている。
 
ちなみに、写真ではあんまり見えないけど、このプランターには模型の家屋や、小さな石像などが並んでいる。森の奥に小さな集落があるよ(^o^)。
 
 
ま、家庭菜園もこんな気分でやれば、林業の真似事ができる(笑)。なんたって紫蘇は生長が早いから、結果を見るのも早い。
 
ちなみに、紫蘇のプランターとは別に、アジサイの挿し木苗も進めていますよ。こちらは、根が出て強くなった頃に、本当の山に植えるつもり。

2016/05/17

台湾の樹木葬

不意に台湾の樹木葬について気になり、調べてみた。

 
もともと台湾でも樹木葬墓地があることは知っていたが、『樹木葬という選択』の執筆の際は重視しなかった。
韓国の事情を比較的詳しく把握していたことと、中国でも広がっていることについて触れたので、それ以上手を出さなかったのである。
 
 
今回、簡単にググったところによると、台湾でも地域によっては墓地不足は深刻化しているらしい。中国人ならではの面積を取る墓地が多いことが理由だろう。沖縄の亀甲墓に似ているところもあるが、とにかく巨大なのである。
台北などの大都市圏では、価格が上昇しすぎて貧乏人は墓地の取得が不可能になっているという。その点は、東京など日本と似ているようだ。
火葬率も年々上昇して、今や9割を超えたとのこと。
 
 
訪ねた方によると、空間としては日本の樹木葬墓地と似ていたが、「どちらかというとヨーロッパにあるアノニム(無名)墓地のように埋葬者の名前などは見られないもの」だったそうである。また、樹木も新たに植えるのではなく、すでに生えてあるものの下に埋葬する形式だったという。
規模も、日本より大きいようで、樹木葬を行うところは、増えているらしい。しかも法的な整備の点でも、日本より進んでている。
環保葬」(環境保護葬の略称だろう)と定義づけられて、「樹葬」「花葬」「海葬」などがあるらしい。中国で行われているものと同じとすれば、樹葬が樹木葬のこと。花葬は埋葬した土地の上に花を付ける低木を植える、日本的には庭園葬に近いもの。必ずしも火葬後の遺骨とは限らず、土葬の場合もあるらしい。海葬は骨壺を海に流し沈めるものだ。この場合、海洋散骨も含むのかどうかはわからない。
 
そして台湾では「樹葬」に関して「殯葬管理條例」という法令があるらしい。公共墓地の敷地に遺骨を埋め、その上に花や樹木を植えるか、あるいは樹木の根元部分の周辺に遺骨を埋める埋葬方式だそうだ。新たに樹木の苗を植えるか、すでに生えている樹木の根元に埋めるという2種類あるのは、日本の樹木葬と同じだ。ただ日本の場合は前者が圧倒的に多いし、明確な定義づけはされていない。
 
一応、この条例をググッてみると、全然読めないので翻訳してみる。
 
(原文)
第 1 條 
為促進殯葬設施符合環保並永續經營;殯葬服務業創新升級,提供優質服務;殯葬行為切合現代需求,兼顧個人尊嚴及公眾利益,以提升國民生活品質,特制定本條例。

第1条 
質の高いサービスを提供するための技術革新とアップグレード葬儀サービス、;環境と持続可能な開発の遵守を促進するための葬儀施設サービス;葬儀動作が国民生活を向上させるために、アカウントに個人の尊厳と公共の利益を取って、現代のニーズに応えます。
品質は、規制を策定しました。
 
第2条 
次のようにこの条例の用語は、定義されています。
まず、葬儀施設:墓地、葬儀、セレモニー会場と会場を指し、火葬場及び灰(スケル​​トン)ストレージ施設。
第二に、墓地は:公共のキャンプは、約ツリーの施設の遺骨を埋葬や火葬、死体を埋葬するための手段。
第三に、葬儀場:治療のために外に病院を参照し、葬儀の遺体を開催し、施設の葬儀、神酒、儀式の犠牲。
第四に、式典会場と会場:葬儀パーラー外側は別々に提供またはレイ、儀式のために開催された葬儀に取り付けられたことを意味します。
 
 
なんとなく、わかった気になる(^^;)。
この後、細かな定義がされているが……。
 
興味がある人は、挑戦してください。中国語が読める人は、内容を解説してください。

2016/05/16

キリとアカメガシワ

タナカ山林で、アカメガシワが見上げるほど育った。

そこで、その葉を下から見ると、見事だった。
 
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ここまで透かし模様になるとは(笑)。葉の中に星空が広がっているぞ。
どんな虫が食ったのだ。虫にとっては、アカメガシワの葉は重要な餌場なのかもしれない。
 
ほとんどの葉が、こんな状態。それでも元気に育っている。植物側にしたら、この程度は想定内なのかもしれない。
 
 
そこで、キリの葉も見上げてみた。
 
2
 
昨秋は枯れ落ちて、もう伸びないかと思ったが、しっかり復活した。
こちらは食われていない。葉っぱは大きくて立派なのだが、虫にも好きずきがあるのか。
 
ところで、キリと言って思い出すのは、『真田丸』のきり(笑)。長沢まさみが演じて、時代劇なのに現代の口語をしゃべり、現代女性的な発想と行動を取る“うざい女”という特異なキャラクターを与えられていることで嫌う人もいるようだが、私には脚本家・三谷幸喜の凄味を感じさせた。
彼女の存在は、従来なかった手法で物語の輪郭を変えしまうのだ。物語の展開(どちらかというと陰惨)に引き込まれつつ、はっと現代からの視点にもどって、客観視させられる。もちろん、長沢まさみも好きだし(^^;)。
 
私も、小難しい森林論や林業事情を唱える中で、ブログ文体を取り入れよーかにゃあ。

2016/05/15

『樹木葬という選択』書評・天台ジャーナル

『樹木葬という選択』の書評が届いた。

 
Photo
 
媒体は、天台ジャーナル。<広報天台>ともあるが、天台宗の広報誌でもあるのだろう。
 
私が書きたかった点をよく押さえてくれている。中に「天台宗寺院など」とあるが、そこはさすが(笑)。登場する12の樹木葬墓地で天台宗が行っているのは1か所であるが。
 
話は少しずれるが、天台宗は、寺院の後継者を本山から送るシステムがあるそうである。だから住職の身内に後継者がいなかった場合も、比較的寺院が廃絶されにくいと聞いた。
 
ただし、檀家が少ない、もしくはいない状態であれば、送り込まれた後継住職も食うに困るし、そもそも宗教行事が行えない。樹木葬は、そんな時に地域外に信徒を見つける手立てとして有効ではないか……。
 
そんな想いを持ったことがある。
 
 
ところで、同日にメールで『樹木葬という選択』の感想を書いて送ってくださった読者がいた。さらに樹木葬に関する記事を書いてくれという依頼もあった。
同じ日に3つも『樹木葬という選択』に関わることが届いたのは、驚くとともに嬉しい。
 
じわじわ広がってくれることを期待する。
 
 

2016/05/14

六文銭と木製ストラップ

仕事部屋を隣の部屋に引っ越し、という難事業に取り組んだのだが、その過程で出てくるのは木製の品の数々。コースターのような簡単なものから、単なる木片まで。。。結構、寸足らずの板が多い。それは、仕事部屋改造に役立っている。

 
 
まあ、なんでこんなものが……というほど木片や木工品が次々と出てくる。小さなものではあるが、ある意味コレクションか。
 
そんな中で、久しぶりに目にしたのが、六文銭ストラップ。
 
1
 
おお、これは信州上田市に行った際に手に入れたものだ。これは売り物だったかな? もしかして貰い物だったかもしれない。
 
裏は、このように彫られている。
 
2
 
たしかクリの木と聞いた。スギ材製、いやカラマツ材製もあったと記憶しているのだが、針葉樹材は柔らかくて向いていないようだ。
なかなか精巧な造りなのだ。今なら「真田丸ブーム」に乗って、大人気になるのではないか。
 
またスマホに付けようか。注目を浴びるかもしれない。
 ゛
そういや、同じことを古いブログに書いていた。探してみると、裏ブログだったが……。
 
 
 
もっとも、先日スマホを山で紛失して、新しくしたばかり。現在のスマホには、手製のストラップを付けたのだった。
 
これも、引っ越しで見つけた木片を加工したもの。
 
Dsc_0039
 
何も芸のない、単なる木片なのだが、スマホをいじりつつも木肌に触ると、結構気持ちよかったりする。
 
これはこれで、油を塗って磨いているので、愛着が出てきたから交換しづらいね。。。

2016/05/13

ヒメネズミの思い出?

近隣の森林公園を散歩中、ふと目の前を動く小動物。

 
おっ、ヒメネズミだ。
 
あわててカメラを取り出したが、写せたのはこの程度だった。
 
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かなり拡大しても、わずかに、これ? と思える程度にしか写っていない(^^;)。
 
が、ヒメネズミに間違いないだろう。森林性ネズミの一種だが、私はかつて随分お世話になったのだ。
 
と言っても、実は罠を仕掛けて捕らえていたのだが。
 
卒論に動物を扱いたかったが、カモシカやシカ、サルなどをやりたいと思ったものの、とても1年間で結果を出せそうにない。それで悩んで地元の林業試験所の人に相談したところ、森林性ネズミの生息調査を勧められた。これなら、一夏で可能だと。
 
具体的にはアカネズミを狙ったが、実はヒメネズミと生息域が重なるために両方を捕らえることになる。いや、ヒメネズミの方が多いほどだった。
 
場所は静岡県の井川。標高1000メートルくらいの森林地帯だ。ここにキャンプを張って、夕方には森の中にピーナッツバターを小麦粉とこねた餌を仕掛ける。パチンコ式の罠を100ぐらい仕掛けて、翌朝回収すると10~20匹くらい捕獲できたと記憶する。
 
ネズミは餌をかじったところを弾かれるわけだから頭を潰されて死んでいる。その腹を割いて、アルコール漬けにしたっけ。
夏中幾度も森にこもって、100匹くらいは捕獲したわけで、随分殺したわけだ。その半分以上がヒメネズミ。だから思い出深いのである。いやはや。
 
しかし、アカネズミもヒメネズミも、生きているものは可愛いのだよ。ネズミと言っても、クマネズミやドブネズミと違って、小さく色も美しく、しぐさも可愛い。それが夜のテントの中まで出てくる。そこでテント内にも罠を仕掛けた(^^;)。これで何匹か捕まえた。
 
 
一度、食事に辛いカレーをつくった。少し残ったのだが、それを置いておくと、夜ガタゴトと音がする。ライトをつけると、彼らが来ていた。カレーの鍋を見ると、蓋が開いて、中の肉の塊にかじった跡がある(笑)。
 
しかし、カレーの辛さに食えずに逃げ出したらしい(⌒ー⌒)。
 
ちょっと悩んだが、翌日、残ったカレーはきれいに食べてしまいましたよ。
 
 
 

2016/05/12

ラジオ出演

山梨放送のラジオに出演した。

 
「YBSラジオ 木曜キックス」という番組で、パーソナリティーは「髭男爵」の山田ルイ53世とアナウンサー・三浦実夏さん。時間は午後3時15分すぎ。
 
テーマは「木を食べる」。
 
そう、先月Yahoo!ニュースに書いた記事の内容だ。こんな反響もあるのだね。
もっとも私は、どうせなら樹木葬の話がしたいとごねた(笑)。ギャラも出ないし、自分の本の告知にならないと価値がない。
 
結局、テーマは変わらないが、番組の中で触れてくださることになる。聞いた人いるかなあ。
 
一応、台本は送られてきた。
 
006
 
が、これは出だしで、私の出番はほほ空白(笑)。アドリブである。
 
 
 
しかも生放送だから、3時すぎから待機しておかねばならない。
 
これ、結構辛いのである。私の毎日の動きは、だいたい午前中はパソコンに向かい、午後はどこかに出かける……山とか買い物とか……のだが、午後3時台に自宅の電話の前にいなければならないとなると、なかなか身動きが取れない。
 
忘れないよう、2時にアラームをかけていため、それから気になりだす。1時間と区切られると原稿も書けない、本も読めない。30分となれば、まとまってすることもない。パラパラと資料に目を通したり……。
私、こう見えてもテレビやラジオの出演では緊張しない自信があったのだが、今回はなぜか緊張した。
というのも、まず電話で顔が見えないことが大きい。話す相手の顔を見ながら、あうんの呼吸を探らないと話しにくいものだ。
 
そこに空白の台本があると、余計にどーしよーと考えてしまうのだよ(~_~;)。
 
 
ま、結果的には反射神経でしゃべってしまった。「日本唯一だから日本一の森林ジャーナリストです」という定番の挨拶はしたし(~_~;)。
 
とりあえず「木を食べる」の著者・志村史夫教授の名前と、川根の「おがっティー」の紹介はできたし。樹木葬に関しても木を使って、じゃない気を遣って話を振ってくれたから本の宣伝もできた。
 
次は樹木葬をテーマにどこかの番組に呼んでくれないかなあ。
 

2016/05/11

西ドイツから見た日本林業

ある事象について確認したくて、オーク・ヴィレッジ代表の稲本正の本を開いた。 

以前、読んだときに、今私が探している内容について触れていた記憶があるからである。
 
とはいえ、あまりに昔の記憶なので、本がどこにあるのか(タイトルも覚えていない)、ようやく見つけた本もどこに載っているのか(そもそも、その本で間違いないのか)、なかなかわからない。
 
結局、見つからなかった。。。
 
まあ、どうしても必要なことではなかったのだが……ただし、その過程でちょっと面白い記述を発見した。今回は、そちらを紹介しよう。
 
まず本は「森からの発想 サイエンスとアートをむすぶもの
 
その序章にあった一節だ。
 
一昨年来日した西ドイツの林政学者、フレーザー教授も
ドイツの古い様式をずいぶんしっかりと守っていらっしゃる
と苦笑気味であった。聞けば山を皆伐し、杉なら杉の単層林をつくるというのは、ドイツでは過去の林業になっているそうで、また単層林は急峻な山の多い日本では向きそうもないとのことだ。
 
すでにドイツの林業は方針を大転換していたのだ。皆伐とか単一樹種の一斉造林はやっていなかった。これこそ今なら合自然林業、近自然林業と呼ぶものである。
 
ここで注目してほしいのは、フレーザー教授は西ドイツからやってきたこと。西ドイツ? と言っても、若い者はピンと来ないかもしれない。
 
ちなみに、この本の出版は1988年9月。そして序章は、「Asahi Journal」1988年1月29日号に掲載されたものだというから、執筆はおそらく前年1987年の年末。
 
その時点で、一昨年来日したということは、1985年と考えてよいのではないか。仮に掲載年を慮っていたとしても1986年だろう。
 
この頃、まだドイツは東西冷戦の真っ盛りで、再統一していないから西ドイツ、東ドイツに分かれていたというわけだ。(ベルリンの壁崩壊は1989年、統一は1990年)。 
 
1985年に来日したドイツの学者に、日本の林業は時代遅れ……というより、戦前のドイツ林業のモノマネをまだ続けている、と指摘されたんだなあ。
 
それから30年以上経っても、まだ続けている(笑)。いや、笑い事ではないのだけど。
 
それにしても古い本をひっくり返すと、まったく目的外の発見があるものだ。
 
 
※目的としていた情報は、その後ネットで検索しまくって、なんとか発見しましたよ。

2016/05/10

Yahoo!ニュース「木の柱はもういらない?…」を書いた理由

Yahoo!ニュースに「木の柱はもういらない? 木材は建築材から撤退しよう 」を執筆しました。

 
この内容は、先日の「木材価格はなぜ下がり続けるのか 」から連想したものなのだが、私としてはさほど目新しさはない。
 
それを今書いたのは、実は別の理由がある。
 
それは……ネット言語、ネット文体の実験……。
 
お気づきの方もいるだろうが、今回の書き方は、「少々」過激で、「少々」挑発的(^o^)。そして、わざと「極端」で「無茶」で、ツッコミドコロも残したままにした。
ある意味、お怒りの方がたくさん出ることを期待?して書いたのだ。
ついでに写真も、本筋とは関係ないツキ板で、その造形がちょっと目を引くもの。
 
そして、ツイッターやフェイスブックの反応を楽しみにした。
 
ネットの読者は、どこまで問題点を指摘してくるか、あるいは拙文をどこまで読み込むかということを試してみようと思ったわけである。
 
いやあ、だいたい想定どおり(^o^)。トンチンカンなツッコミもあれば、真正面から受け止めた人も、ひたすら怒り狂っている人も……。そして理解している人もいる。 
 
おかげでアクセス数も伸びた。炎上効果みたいなものか。
 
 
一応、最後を以下のように締めくくった。
 
……そんな夢想をしてみる。木材の使い道を変えることで、林業の自縄自縛から解き放たれるのだ。そして建築構造材から木材が消えたとき、初めて世間は木材の建材としての本当の価値に気づくのかもしれない。
 
 
そう、これは夢想である。本気で実現を願ったわけではない。
 
ただ思考実験としては、木材を構造材から排除して建築を考えてみたら、何か新たな世界が見えてくるのでは、という提案をしてみたのだ。
そう匂わせたことに気づいてくれただろうか。
 
 
もともと私はブログと書籍の文体が違う、とはよく指摘されるのだが、文体を雑誌向き、書籍向き、そしてネット向きと考えて書き分けねばならないだろう。それぞれの特性を知るとともに読者の反応特性も知っておきたい。
 
……同時にこれらの媒体が融合していく可能性も視野に入れている。
それらの動きを把握しておかないと生き残れないかもしれない。そんな危機意識がある。
 
そのうち、ブログ文体で本を書き下ろすこともあるよ……(;´д`)。
 

2016/05/09

環境に優しい?マングローブ炭

某ショッピングモールで、こんなものを見かけた。

 
1
 
そうか、早くも木炭が棚に並ぶ季節になったんだな。ゴールデンウィークに、どこかでバーベキューに興じる人もいただろうし……。
「計画的に伐採したマングローブを使用」と書いているところが気づかっているか。
 
2
 
横を向けてみた。
 
「自然環境を守るマレーシアの木炭」か。
「老木だけが計画的に伐採」「伐採後は植林が義務づけ」。
 
なるほど、なるほど。これで守れたら幸いなんだけどねえ。
 
ご存じの方はご存じだろうが、熱帯の汽水域に生えるマングローブとは、独特の生態系を持つ世界。多くの樹種が混ざり、昆虫や動物の宝庫であり、水の中は魚類だけでなく、さまざまな貝類、甲殻類などのゆりかごだ。マングローブクラブは、美味いカニである。
 
同時に海による陸上の侵食を防ぐ防波堤の役割も果たしているのだが、近年はマングローブを切り払って埋め立てたり、エビの養殖場にしたりするため激減している。そのため環境破壊として懸念されているのだが……。
 
マングローブの木は、非常に緻密で、堅くてよい炭が焼ける。そのため木炭に焼く事業も一時期広がったのだが、国際的な問題になっていた。
 
実は、私は幾度も訪れたボルネオでも、実際、マングローブはすばらしい。ボルネオにしか生息しないテングザルを見学に行ったこともある。ホタルの大発生を見に行ったこともある。
 
当時にマングローブの開発が問題となっていた。最近は、あまり聞かなくなったが……。
 
 
イオンモール(あ、書いちゃった)で、かつて訪れたマングローブの景色に思いを馳せることになるとは思わなかった。
 
この木炭が、環境破壊につながっていないことを望む。
 
 

2016/05/08

「お墓の行方」と「最古のお墓」

昨夜、Eテレで『お墓の行方』という番組をしていた。

これは、現代の埋葬事情と地方のお寺事情を重ねつつ、社会の変化が新しいお墓の形態が次々と登場している状況を紹介した番組で、なかなかよかった。とくに海外事情まで取材している。

たとえば韓国は、墓地面積があまりに膨らみすぎたので、国家的に樹木葬を推進していること。

3

中国も同じく、墓地の拡大を防ぐためにさまざまな新しいお墓が登場しているとこ。

3_2

写真は海葬。骨壺をそのまま海に流す。散骨とは少し違う。

アメリカに至っては、ブック型の納骨とか、宇宙葬。ほかに月面葬も計画中。

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そしてスウェーデンの「森の墓地」(スコーグスシュルコゴーデン)。

6_2

これは世界遺産にも指定されているの。樹木葬とは少し違うにしても、実に魅力的だ。

そして日本の新形態墓として、散骨と桜葬、樹木葬を紹介している……のだけど、残念なことに樹木葬とするのは小平霊園の樹林(合葬)墓地。そして桜葬も樹木葬の一つとしてしまった。

樹木葬について、誤解が広がるようで残念。森の中、あるいは森をつくるのが樹木葬なのであって、桜葬も樹林墓地も森とは関係ない。むしろ合葬墓の一種である。

樹木葬という選択』をもっと読んでほしい(-_-)。

 

ところで、人は、いつから死せる人を儀式をもって埋葬したのか。 

 
これは、『樹木葬という選択』を執筆する際、もっとも最初に浮かんだ命題だった。人類が葬儀とか埋葬という作業を行うことになったから、その形式として石墓やら樹木葬やらが登場するわけだから。
 
 
ナショジオ にも記事がある。
 
 
イスラエル北部にある現在のカルメル山の集落にあった1万1700~1万3700年前の墳墓を、調査したところ、野生の花々(ミントやセージなど)を敷きつめた上に故人が埋葬されていたことを確認したという。
 
花で飾られた墓は4基並び、1つには2遺体が埋葬されていた。2人の故人は、成人男性と性別不明の若者だそうだ。花が飾られていた2人の墓は、穴の壁は泥の薄板で覆われて、底にはピンクやラベンダーの草花が並べられていた。また動物の骨も多数見つかったという。
 
花が埋葬時の副葬品として使われたとしている。遺体(遺骨)の下であるから、かなり意図的に埋葬したのだろう。現代の我々が花に抱く感情と同じ感覚を前史時代人も持っていたことが推測できる。
もし、人が死ぬことを嘆くことが葬儀の始まりとしたら、花を手向けることは植物によって感情が鎮静させられることだと言えるだろう。
 
※実は、以前にネアンデルタール人の遺骨にある洞窟から花粉が大量に出土したことから、ネアンデルタール人の墓の花が供えられていた、と発表されたことがある。もっとも、これは後に否定された。その根拠は、草花を集める習性のある齧歯類の動物の住んでいた痕跡があるから怪しくなったのだった。その点、今回は確実である。
 
 
 
花を手向けることを埋葬儀式とするのなら、樹木をシンボルとする埋葬法も、埋葬儀式として時代を遡れるのではないか。もしかして有史前の可能性だってある。
 
 
 

2016/05/07

首都・伏見の「樹霊碑」

NHKのブラタモリで、「伏見は日本の首都だった」と取り上げていた。
 
そう、伏見桃山は、豊臣秀吉政権下の首都だったのだ。秀吉と言えば大坂と思われがちだが、実際は伏見を拠点としていたわけだ。
 
せっかくだから伏見城を紹介。
 
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この近くに明治天皇御陵と、森林総研関西支所があるv(^0^)。
 
ところで、この城の陰に、気がつかないような碑がひっそりと立つ。
 
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樹霊碑。文字を読むと……。

永遠とおもえるながき時のなか樫かし立てり黄なる彩雲あやぐもの果て

 
引野收という歌人が詠んだらしい。   
 
永遠と思えるほど長く生きる樫ノ木が夕陽に雲の果てまで輝く……という意味らしい。(この碑の隣に説明文があった。)
引野収については、「昭和の正岡子規」と呼ばれたそうだが、実はこの城の北西の桃山町正宗坂で40年にわたり絶対安静の寝たきり生活を送っていたらしい。樹霊というのも、そうした生命への想いを託しているのだろう。
 
 
 
話は脱線するが、意外と各地に「首都だった」ところは数多い。首都とは、一つには天皇の御在所という意味もあるが、主に政権の中枢とすると、決して奈良-京都-東京だけではないのである。
 
まあ、奈良は平城京の前に飛鳥時代には各地に遷都しまくったからいっぱいある。
奈良時代の途中でも、聖武天皇はあちこち遷都している。
 
 
3 滋賀県の紫香楽宮
 
7 南京都の恭仁宮
 
また南北朝~後南朝時代、そして応仁の乱から戦国時代にかけても数多い。南朝の後醍醐天皇が隠れた旧西吉野村賀名生も御所。
 
吉野の川上村の山の中にも、後南朝の自天王が原生林の中に「御所」をつくっている。
 
そして生駒山にも、かつて首都があったのである。
 
それは、大阪側の飯森山山頂。
 
2 飯盛城址の碑が立っている。左の建物は戦時中の防空監視小屋。
 
ここは戦国時代に足利将軍から実権を奪った三好長慶の城跡だ。わずかの期間だが、ここに政権の中枢があったのだよ。もっとも戦国時代だから実質的に支配していたのは畿内だけだったが。
 

2016/05/06

潰れそうな「林業」を潰さない方法

昨日のエントリーの続きみたいになる。

 
日経新聞に潰れそうなあの店が潰れない秘密 」という記事が掲載された。会員限定だが、登録すれば読める。
 
その記事は、「閑古鳥が鳴く店内、時代遅れの外観。だが、潰れそうで潰れない──」と始まる。
ここで記事をざっくり要約してしまおう。閑古鳥が鳴いても経営が安定している理由は、
 
①不動産収入などがあるケース。つまり別の収入源がある。
 
②外部から見えないが客はいるというケース。店に来なくても地域の学校や病院などと取引している。あるいはネット販売をしているとかも当てはまるだろう。
 
③極めて限られた顧客に、高利益率の商品・サービスを提供している。
-1) 競合相手が極端に少ないため、全国から客が来る。
-2) 事業コストが極端に低い。ほとんど技術料で粗利益がほぼ純益になる。しかも単価が高い。
 
④地域と助け合っている。利益を出そうとせず、地域への利便と雇用を提供するために存在する。沖縄の共同店のモデルだ。
 
 
このように4つ5つの理由を並べている。これを「潰れそうな林業」に当てはまるとどうかな、と思った。
 
①は、実は結構多い。林業とは別の儲け口を持っている。ある意味、林業が副業だ。それは大きな会社経営もあれば、農業と兼業したり、勤めている場合もあるだろう。不動産系の経営したり株の配当が潤沢にある……といったケースもある。
 
②これに相当する林業は、別の事業という点は①と同じだが、林地を使うビジネスであることだ。キャンプ場とか遊戯施設、花園経営もわりと大きい。サクラやアジサイを育てて客を招くのだ。
 
③-1は、競合相手が少ないものというのは、たとえば銘木生産。広葉樹材もありえる。カエデの樹液を絞って商品化、なんてのも該当するだろうか。とにかく特殊な商品を用意することが重要だ。
 
③-2は、技術力を仕事にする支障木伐採や特殊伐採。そしてアーボリカルチャーかもしれない。伐った木を売り物にするのではなく、伐ることが仕事なのだから。
 
④。これは、特殊すぎて……しかし、山村にもっとも当てはまる業態かも。村の維持のために、補助金などを使い、利益も出ないのに山仕事をする。もっとも、そのためには林業は副業となり、本業が必要だ。
 
 
 
いかかだろうか。 これで「潰れそうな林業が潰れない秘密」になるだろうか。 ただし、林業全体ではなく、個別の経営体として生き残る術だ。
 
 
 

2016/05/05

「木材価格は、なぜ下がり続けるのか」

「山林」4月号に目を通していると、巻頭に元森林総研の外崎真理雄氏が、「日本の木材需給と国産材利用の将来」という一文を書いている。

 
外崎氏の専門は木材物理学とのことだが、日本の木材利用のフロー・ストック解析なども手がけてきたそうで、今回も木材需給表などのデータを元に日本の林業の戦後史と将来を分析しているものだ。
 
その細かな内容は山林本誌をお読みいただきたいが、いろいろ記した最後の方で、山元立木価格がいかに下落したのかを説明して、
色々な人と話したが、何故こんなに下がり続けるのか説明できる人はいなかった」とある。
 
その後に「資源量と価格は反比例する」という原則からは、資源量の増え続ける国産材は今後も下落し続けるとするものの、「それでは救いがない。」「やはり木材製品の需要を拡大し、製品価格が上昇すれば山元立木価格も上がると思いたい」という。
 
「救いがない」から原則を外すというのは納得がいかない(笑)。やはり原則どおりに資源量が増え続ける今は、下がり続けるのだよ、と見立てた方がよいのではないか。
 
 
とはいえ、それでは私も面白くない。なぜ木材価格が下がり続けるのか。この命題に応えてみようと思う人はいないだろうか。
 
もちろん細かく見ていくと、さまざまな要因が絡み合っているわけで一概に「これが原因だ」とは言えなくなる。林業界と木材業界の足の引っ張り合いとか、川上と川下の間で情報が共有されていないとか、為替の変動とか。
 
しかし、そんなみみっちい業界の話より、もっと原理的な問題点をえぐれないか。
 
 
そこで私は、木材という素材に魅力がないから、という仮説を立てた。
 
考えてみよう。人間の社会活動を行ううえで、素材は木材でなけれはならない、といえるものはいくつあるだろうか。
住宅など建材は、木材でなくても十分だ。鉄骨や鉄筋コンクリートでも建つ。それどころかコンクリート製の方が頑丈だ。住み心地うんぬんも、今や代替措置はいくらでもある。
 
家具や道具類も、金属や合成樹脂、ガラス……などいくらでも代替素材はある。それらは安く、安定供給しやすく、また強度や耐久性なども優れたものが多い。
 
は、今のところ圧倒的に木質繊維に頼っているが、代替がないわけではない。草の繊維もあるし、樹脂製の紙も登場している。何より電子デジタル媒体の増大は紙の必要性を下げている。 
 
さらに燃料としても、いうまでもなく化石燃料に適わない。
 
木材でなければ、という図抜けた特徴がないのだ。
 
もちろん、木材の方が優秀な点も多少あるが、それもバランスの問題。価格や安定性、使いやすさなどと比べた上で木材を選ぶ、というほどの魅力だろうか。
 
 
ここで、木材というマテリアルと競合するのは、金属やシリコン(珪素)、石油系の合成樹脂……などだということに気づく。
木材は林業で、農業や水産業と一緒にしてしまいがちが、実はマテリアル商品としては鉱物系素材こそがライバルなのだ。国産材のライバルは外材、という次元ではない。
 
たとえば木材価格を上げるために、全世界の林業界が一斉にカルテル結んで木材の生産制限を行えばどうだろう。木材供給を絞れば木材価格は上げる……だろうか。
多分無理だ。消費者は木材が高くなるとすぐに鉱物素材に移るに違いない。どうしても木材でなければ、という機能も魅力が見つからないのだ。
 
供給を絞ると需要も絞られて、結果的に外材・国産材ともにより売れなくなって、さらに価格が下落するのではないか。
 
……ここまで思考ゲームを続けて気づいただろうか。
 
実は、あるのだ。木にしかない、木材でなければならない魅力と機能が。
 
それは皆さん、考えてくださいheart
 
それに気づいたうえで、その魅力を強調した商品づくりをするべきではないか。
 
それなのに、今進められている新しい木材需要の開発が、大規模なバイオマス発電だぁ? 非住宅建築物を木造化しようだぁ? 土木分野に木材をどんどん使おうだぁ? 
それは量としての需要を増やすだけで、質・つまり木材価値は高まらないのだ。逆にコンクリートより安く済むなら使ってやるぜ、と足元見られて買いたたかれ、山元立木価格は上がらない、いや、さらに下がり続けるだけだろう。
 
そして安い木材を供給するには大量に生産しなければならず、森を荒らすだけではないか。
 
 
さあ、改めて問う。なぜ木材(山元立木)価格は下がり続けるのか。
 
 
 
 
 
 

2016/05/04

ナラ枯れ木は枯れず

昨年来、我がタナカ山林にもナラ枯れは広がっていることを幾度も繰り返して記してきた。

 
実際、昨年の夏には葉が赤茶けて紅葉したコナラやクヌギの大木がたくさん出たのである。そして幹の根元には、小さな孔が無数に開き、木粉がまき散らされていた。
 
158_2 昨年8月撮影
 
これもその一本。クヌギ(か、アベマキ)の幹から粉を吹いている。
ああ、せっかく皆伐する際にシンボルツリーとして残したのに、枯れてしまうのか……と嘆いていたのである。
 
 
が、改めて今春チェックすると、意外や新緑を芽吹いた木がたくさんあった。
 
165_2
 
これは上記の木と同じである。ただし粉を吹いていたのは裏側。今は根元に木々が繁ってしまったので同じ方向から撮れなかった。
しかし、ひと目でわかるだろう。新たな枝葉が芽吹いていることが。
 
どうやらカシノナガキクイムシに勝ったようだ。
以前に記したように、一度カシナガが侵入したものの枯れなかった木は、その後再びカシナガが侵入する可能性は低く、ナラ枯れを起こしにくいという。つまり、当面は安心してよいのでみないか。
 
 
もちろん、完全に枯れた木もあるし、決して手放しで喜べないのだが。なかには緑の葉をつけているが、実は緑なのは巻きついた蔓植物の葉であり、木は枯れているケースもあるから気をつけないといけない。
 
見上げると、樹冠が新緑に包まれている。ただし、幹の部分の緑は蔓植物である……。これ、蔓伐りしないとマズいよな。
 
165_4  
 
こちらは昨年の記録。この木がやられた! 記している。
 
 


2016/05/03

最後のニホンオオカミは福井に?

ニホンオオカミと言えば、ロマン漂う幻の動物である。

 
今も生息を信じている人もいるほどだが、一般には1905年に奈良県の現・東吉野村で捕獲された個体が最後とされている。
アメリカ人のマルコムらの一行が日本の動物調査に来て、東吉野村鷲家口で猟師の捕獲したニホンオオカミを8円50銭で買い求めた記録が最後だからだ。
その個体は、毛皮をロンドンの自然史博物館に納められている。
 
2 剥製というより毛皮の状態。
 
一方で、東吉野村は、ニホンオオカミ終焉の地というのが観光的には売り文句であり、銅像もつくってある。
 
Photo
 
 
ところが……なんと東吉野村の捕獲から5年後、福井県でニホンオオカミらしき個体が捕まえられていたらしい。
それを示す写真などの展示が、福井県立図書館で行われているそうだ。
 
そこで興味を持って調べてみると……
 
 
 
……といった記事が。
 
簡単に記すと、1910年8月3日、福井市の福井城内の松平試農場に、オオカミとよく似た動物が現れたところ、助手らが捕殺したというのだ。
ただ、当時は、同県内で巡回動物園から逃げていたチョウセンオオカミだろう、ということで納まったらしい。
しかし、最近になって詳しく検討すると、この動物の体重が約18・75キロとかなりこぶりで、、巡回動物園の職員が、逃げたオオカミではないと確認しているというのだ。
そこで残された写真から、
 
〈1〉尾の先端が切断されたように丸い
〈2〉前脚や後脚が体長に比べ相対的に短い
〈3〉体重が軽く、小型
――などの特徴からニホンオオカミと断定した。
 
なかなか面白い。が、同時期にチョウセンオオカミが逃げ出していたというのは偶然にしては出来すぎだし、体重が軽いのは飢えていたのかもしれないし(実際、写真を見ると、ガリガリだ)、果たして写真だけで脚の長さなどが十分に鑑定できるのか疑問だ。
 
鑑定したのが、今泉吉典氏(元国立科学博物館研究部長)であることも、ちょっと……(^o^)。
 
彼はニホンオオカミの研究で知られるんだけど、秩父や大分などで「ニホンオオカミが生きていた!」という情報が出る(長年、ニホンオオカミを探しているという人物によって報告。写真も撮っている)度に、「本物だ!」と鑑定していることを私は知っている(⌒ー⌒)。
しかし、その写真には首輪の痕みたいな毛の乱れがあるし、どうもシェパード的なイヌにしか見えないのである……。
 
それに今泉氏は、ニホンオオカミはタイリクオオカミとは違う独立した種だと唱えているが、どうもDNA解析では亜種だと落ち着いたらしい……。
 
 
それでも、この福井のオオカミは剥製にされたそうだから今も残っていたら重要な証拠となるのだが、1945年の福井空襲で焼失したという。
 
残念ですねえ。確実にニホンオオカミとなれば、絶滅時期が5年延びることになる。もっとも、「終焉の地」が変わるわけで、東吉野村としては由々しき事態だろう。
 
 
 
図書館の展示では11点の資料があるという。実際に見てみたいものである。

2016/05/02

六甲アイランドの緑地帯

神戸の六甲アイランドに行ってきた。

 
六甲アイランドとは、ポートアイランドと並ぶ神戸の人工島である。昔言われた、神戸は山を動かして海に土地をつくる、という施策で、バブル華やかなりしときは、この島は物流の拠点だけでなく、高級住宅地であり、国際的な会議なども開く地域にしようという目論見であった。
 
だから、今も島の中心部にはシェラトンホテルがあり、なかなか豪華な雰囲気を漂わせているが……ホテルの同エリア店舗には「サイゼリア」とか「居酒屋百番」とか……。さもなきゃ生き残れない。
 
ただ、目立つのは緑地である。島中が豊富な街路樹と、屋上緑地が広がるのだが、とくに全体を包み込むような緑地帯が設けられている。
 
034
 
人工的な土地ゆえに、より緑に飢えたのだろうか。
 
せっかくだから(^^;)、この緑地帯の中に入ってみた。どうやら土を段々に積み上げて、そこに植林したらしい。結構盛り上げているのは、外周道路の騒音などのバリヤーの役割を果たしているようだ。
 
020
 
もはや造成から20年以上経って、なかなかの森になっている。アラカシ、ヒイラギ、ユズリハ……当初から照葉樹林にするつもりだったと見える。
ただ、よく見ると、樹種に偏りがあって、規則正しい間隔で植えられているのが、自然界の森らしくないのだが……。
 
028
 
おっと、アミガサタケの群生地があった。一面、この奇妙なカサが広がっている。こいつが白いレースの衣を広げている時なら美しいのだろうに。誰にも見られることはなかったのかも。
 

2016/05/01

ナラ枯れ切株の燻蒸

生駒山が、ナラ枯れのメッカになっていることは再三伝えてきた。

 
枯れた木は、山中は放置するものの、道沿いなどは伐るだけの処理が多かったのだが、それだけでは全然ナラ枯れ対策になっていない。
伐採後の切株や、伐採した幹部分をそのままにしては、そこからカシナガキクイムシが繁殖するからである。本来は、伐った木ごと薬剤で燻蒸しなければならない。
燻蒸しているところを初めて見かけた。
 
1
 
ここでは切株をシートで覆っている。
 
2
 
と言っても、ここは生駒市の山麓公園。公園内も派手にコナラなどが枯れていたが、さすがに伐採・撤去していた。そして燻蒸もしたらしい。幹部分はとうしたかはわからない。園内にある野外活動センターで薪として燃やしてしまうといいのだけどね。
 
 
正直、周りの山で膨大なナラ枯れが起きているのだから、公園内だけの木を燻蒸してもほとんど意味はないと思うが、ま、やったことを示すことも必要なんだかなあ。
 

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森と林業と田舎