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森と林業の本

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2016/05/05

「木材価格は、なぜ下がり続けるのか」

「山林」4月号に目を通していると、巻頭に元森林総研の外崎真理雄氏が、「日本の木材需給と国産材利用の将来」という一文を書いている。

 
外崎氏の専門は木材物理学とのことだが、日本の木材利用のフロー・ストック解析なども手がけてきたそうで、今回も木材需給表などのデータを元に日本の林業の戦後史と将来を分析しているものだ。
 
その細かな内容は山林本誌をお読みいただきたいが、いろいろ記した最後の方で、山元立木価格がいかに下落したのかを説明して、
色々な人と話したが、何故こんなに下がり続けるのか説明できる人はいなかった」とある。
 
その後に「資源量と価格は反比例する」という原則からは、資源量の増え続ける国産材は今後も下落し続けるとするものの、「それでは救いがない。」「やはり木材製品の需要を拡大し、製品価格が上昇すれば山元立木価格も上がると思いたい」という。
 
「救いがない」から原則を外すというのは納得がいかない(笑)。やはり原則どおりに資源量が増え続ける今は、下がり続けるのだよ、と見立てた方がよいのではないか。
 
 
とはいえ、それでは私も面白くない。なぜ木材価格が下がり続けるのか。この命題に応えてみようと思う人はいないだろうか。
 
もちろん細かく見ていくと、さまざまな要因が絡み合っているわけで一概に「これが原因だ」とは言えなくなる。林業界と木材業界の足の引っ張り合いとか、川上と川下の間で情報が共有されていないとか、為替の変動とか。
 
しかし、そんなみみっちい業界の話より、もっと原理的な問題点をえぐれないか。
 
 
そこで私は、木材という素材に魅力がないから、という仮説を立てた。
 
考えてみよう。人間の社会活動を行ううえで、素材は木材でなけれはならない、といえるものはいくつあるだろうか。
住宅など建材は、木材でなくても十分だ。鉄骨や鉄筋コンクリートでも建つ。それどころかコンクリート製の方が頑丈だ。住み心地うんぬんも、今や代替措置はいくらでもある。
 
家具や道具類も、金属や合成樹脂、ガラス……などいくらでも代替素材はある。それらは安く、安定供給しやすく、また強度や耐久性なども優れたものが多い。
 
は、今のところ圧倒的に木質繊維に頼っているが、代替がないわけではない。草の繊維もあるし、樹脂製の紙も登場している。何より電子デジタル媒体の増大は紙の必要性を下げている。 
 
さらに燃料としても、いうまでもなく化石燃料に適わない。
 
木材でなければ、という図抜けた特徴がないのだ。
 
もちろん、木材の方が優秀な点も多少あるが、それもバランスの問題。価格や安定性、使いやすさなどと比べた上で木材を選ぶ、というほどの魅力だろうか。
 
 
ここで、木材というマテリアルと競合するのは、金属やシリコン(珪素)、石油系の合成樹脂……などだということに気づく。
木材は林業で、農業や水産業と一緒にしてしまいがちが、実はマテリアル商品としては鉱物系素材こそがライバルなのだ。国産材のライバルは外材、という次元ではない。
 
たとえば木材価格を上げるために、全世界の林業界が一斉にカルテル結んで木材の生産制限を行えばどうだろう。木材供給を絞れば木材価格は上げる……だろうか。
多分無理だ。消費者は木材が高くなるとすぐに鉱物素材に移るに違いない。どうしても木材でなければ、という機能も魅力が見つからないのだ。
 
供給を絞ると需要も絞られて、結果的に外材・国産材ともにより売れなくなって、さらに価格が下落するのではないか。
 
……ここまで思考ゲームを続けて気づいただろうか。
 
実は、あるのだ。木にしかない、木材でなければならない魅力と機能が。
 
それは皆さん、考えてください
 
それに気づいたうえで、その魅力を強調した商品づくりをするべきではないか。
 
それなのに、今進められている新しい木材需要の開発が、大規模なバイオマス発電だぁ? 非住宅建築物を木造化しようだぁ? 土木分野に木材をどんどん使おうだぁ? 
それは量としての需要を増やすだけで、質・つまり木材価値は高まらないのだ。逆にコンクリートより安く済むなら使ってやるぜ、と足元見られて買いたたかれ、山元立木価格は上がらない、いや、さらに下がり続けるだけだろう。
 
そして安い木材を供給するには大量に生産しなければならず、森を荒らすだけではないか。
 
 
さあ、改めて問う。なぜ木材(山元立木)価格は下がり続けるのか。
 
 
 
 
 
 

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林業・林産業」カテゴリの記事

コメント

いいかた かな。

 読者各人がそれぞれに気が付いたら、その点を究めてゆけば道がひらけるのだよ と往なすつもり みたいな。
 

森、樹林、林、里山、海には松林、、。
庭に木々、歩道に街路樹、往来は並木道、、、。

まな板、お盆、お箸におわん。ちゃぶ台仏壇、欄間に大黒柱、、、。

このところの日本、日々の暮らしが、森や林から離れた遠いとこに暮らしてきてしまってますよね。少しの前まで、学校林の下草狩りが、学校の授業の大事な要素だった、、、。娘が生まれると、桐の木を屋敷の角に植えた。防火とタンスのために。二十年三十年のあとの嫁入りの支度のために。五十年百年あとの学校の建て替え修繕の用材のために。。。・小学校から、学校の畑を耕し米を作り、木々の育ちに触れて育った、いや、そうした「カリキュラム」を必須必然の要素に、学校は経営されてきた。ついさっきまでは、、、。

「照葉樹林文化」(正・続)。今西学の綺羅星の方々のシンポジウムのこの名著。新書版で発行されていることに、この国の良識の生きていることに、少しの安堵をしているところです。
ボクは、この本(や、いろいろありますが)に出会い、生き方の「文法」を学びました。どれほどの多くの方へ、紹介したことでしょう、、、。

田中様のこのブログ(?というんですか?)の投げかけに、こうして、この国の直面している「危機』に向き合われておられるお姿を知り、とっても嬉しくなりまし
た。
ありがとうございました。こんしん合掌05062017

以前から分からないことがあります。
林業が基幹産業として機能している国々と、日本とどこが違うということで、書物などでは林業の生産性の違いと言われています。
林道の整備や機械化などがその主な主張です。
木材製品の価格は1立米いくら、原木価格も1立米いくらと比較ができます。
しかし、山の木々1本当たりの価格の比較ができていません。同じ太さと高さの木がはたしていくらなのか。その比較ができて、そう変わりがなければ出材の生産性の問題と決めつけることができます。しかし、山にはえている木、丸々1本の価格に違いあれば、林業の産業の形態事態に違いがあることになります。
木材利用の歩留まりに違いがあるのではないかと考えていますが、もしそうであれば今までの政策がすべて失敗した理由が判明するのですが。

立木価格がさがり続けているとは思いません。しかし、これから上っていくとも思いません。我われは山里から離れた生活圈になったことで、木との関りが極端になくなりました。その結果、一本一本性質が違い種類も違う木材のことをあまりにも現代の日本人が知らないで、工業製品と同じように捉ていること。良い木はそれなりの値がつくことはあたり前ですが、それがあたり前でなくなっている。木を住宅で使っても壁で隠し、それが国産か外材かもわからない。無節かそうでないか、そんなのどうでもよいと思われている時代です。
苦しい大変な思いをして木を出しても利益がなく赤字なんてバカバカしいです。そもそも本業としての林業はそんなに昔から盛んでなく副業としての林業だったのだと思います。地域で、自分で、消費するレベルがいいのかなと思います。

林野庁は木材の良さをPRしようと頑張っているようですが、これまでもやってきたんじゃないでしょう。頑張ってもこの程度。木材なんて一部のマニア向けの素材と割り切った方がいいんじゃないでしょうか。酷な言い方ですが、一般国民はその程度の認識しかないように思います。

照葉樹林文化論は、私もはまった一つですが、あれから40年くらい経つのかな。最近では、また新たな知見が得られて照葉樹林文化の構造も変わりつつあるようです。

そして今やグローバル化が進み、木材価格は基本・国際標準になっています。外材と国産材を区別すべきではないかもしれない。
実際、ヨーロッパの木材も、意外や山元では安くて、これでは経営が成り立たないと言われます。効率もそんなに高いわけではない。むしろ機械化せずに、生態系保全に気を遣っているケースも少なくない。それでもやっているのは、一つには農林兼業だったり、木材もさまざまな用途に細かく販売して、小さな利益を積み上げていること。ある意味「百姓」(100の仕事を持つ)なのでしょう。

今後は、林野庁に期待する(というよりすがる)のではなく、自分で考えていくべきでしょうね。林野庁だってアイデア枯渇してますから(笑)。バイオマス発電で林業振興なんて子供だまししか思いつかない。

「鉱物系素材こそがライバルなのだ。」との指摘。その通り、と思う。


一、コンクリート  伊吹山の西側、コンクリートの原料の石灰岩採取のため、木の生える場所、山が削られてしまいました。山があれば、木は少ないが永遠的に、採取することが可能。その山が消えていっている。
一、アルミ精錬   窓枠は今、ほとんどが、アルミサッシです。アルミ精錬には、大きな電気エネルギーが必要らしい。一昔前は、木でした。建具屋等、雇用の確保になっていたものと思います。

「鉱物系素材」のコンクリート建造物、アルミサッシ、にしろ、皆、炭酸ガス排出を伴っています。
木の形である、木造建造物、木の窓枠、は、炭酸ガスを蓄積しています。


だが、元々、木なんてものは、季節生産物でして、農林に携わる人間にとって、主な生産物ではなかったのでは、と推測してます。
つまり、山の木によって生活を考えるから、困難になる。

現在、水力発電(アルミサッシは電力の塊)でも電力会社は利益を得ているでしょうから、その部分(利益)を山村の農林家に譲り渡してくれれば良いのです。

私は、現在の生産体制の基本を、批判的に見直す必要がある、と思っています。

田中様
お久しぶりです。
私も、木材にしかできないと言うか、木材が本物と言うものを探していくつか商品にしてきました。
「木製鳥居」のそのひとつです。
今回も熊本地震で壊れたコンクリートの鳥居や倒壊した石の鳥居をみると自分の今までの取り組みが間違いなかったと確信に変わってきています。
さらに付加価値をつけ、インターネット販売にもできるようにして、自分なりにこれからの木材に対しての道筋は、モデルケースを作ってみました。
まあこれからも、地道にやりますが・・・。

世の中、なんだか森や樹木を有り難がる人は多くて、木材も好き♡といいつつ、実は扱いがぞんざいという……。
そんな中で木材の価値をどこに見つけるかが勝負です。

鳥居のような、「聖なるもの」には似合いますね。少なくてもコンクリート製よりは確実に。そこに「地震に強い」とか「倒れても、すぐに直せる」なんて機能もつけると完璧かもしれません(^^;)。

ただ、量は出ないでしょう。量がなくても利益が多ければいいと思うのですが、どうしても量にしか目を向けない輩が多いんですね、この業界&官僚は。

ホームポッタリー(家庭内規模の陶芸==造語)の目的で赤松の『薪』を買いました。

長さが40センチの所謂『ストーブ用薪』の状態の薪の価格は100円(1本)でした。
本格的な薪窯陶芸所から分けて貰ったのですが、薪窯陶芸用の燃料材は、相当な手間を掛けて作っている事を聞かされ、納得して支払いをしました。・・・着火性が良いし、『火持ち性』にも優れており、灰釉薬効果(発色面)までを考えると、赤松薪の優位性は抜群でしょう。

間伐材(支障木含む)を燃料として日用・工芸品を作り、皿やカップなど、生活道具としても使い続ける『木の文化?!』・・・「森林資源有効利活用に供する薪窯陶芸」にも目を向けていただきたいです。

田中様
おっしゃる通りです。お役人では、警察だけですよ。末端価格で仕事をしているのは!笑
利益率で、話をしなければ、今のビジネスではついていけなくなる。と感じています。行政の考えでは、高級な価格高い材の消費は、伸ばないのです。
私なりにビジネスとして上手くいった鳥居でイメージしていただければと思い投稿しました。
確かに量ですよね。
先日、良品計画と内田洋行の国産材家具の発表会に行きました。耳川流域の杉材で中空木材で無印商品にあったデザインです。無印の幹部の方も話していましたが、「うちの商品がぴったり‼️」
材料を全て産地で生産する手法を提案して採用していただきました。この製品は、量も吐けると思います。次は、○○が、課題ですね。
事業の諮問委員として結構、しっかりとアドバイスさせていただきました。

ベンツ仙人さん。たしかに陶芸用の薪は高値ですね。こうした需要を積み重ねていくと、材価も上がるのに……。
 
海杉さんも、次々とアイディアを出されますね。
単価を上げると言っても、希少品にしてぼったくりかと思うほど高くしたら、また需要は落ちます。和装のように。
庶民がちょっと贅沢な気分を味わう木材商品を狙うべきです。それが材価を上げつつ量もはけるゾーンです。私はカジュアルウッドと呼んでいますが。

昨日は母の日でしたが、安物のカーネーションでは気が引ける人向きに、バラではなく、高級なカーネーションを提供する感覚を持ってほしい。

木材価格の低迷は今に始まったことではない。
価格が下がり続けることもなければ、上がることもないでしょう。
多少の価格の上下はあると思う。
確かに木材価格のライバルは、コンクリートや鉄(鉱物)系かも知れないし、外材かも知れません。
しかし、誰かが言っていましたが、木材(山林)だけで商売は少なかったような…
農業と副業的なものでした。農作物の不作を補うような感じでした。
林業に携わる人達が、木の文化やぬくもりなど、地道にPRして行くしかないかな…
あと、勉強不足で申し訳🐜ませんが山元価格が低いのに、製材に🍥高いって印象があります。そのため、🏠を建てるのに外材に負けてしまうことが…
建主さんは余程の理解がないと、国産材(地元材)を使用しようと考えてはいない。
少しでも安くってのが現実で安い外材を使用する。 

私も、再三書いているのですが、日本で農業と林業を分離されたのは、一部の伝統的林業地を除くと、戦後です。それまでは林業が儲からなくても農業もしくは別の事業で補っていたから、そんなに焦らなくて済んだのです。そして何年か一度は木材価格が急騰しましたから、そこで損をとりもどすこともできたようです。

山元価格が下がっているのは世界的傾向のようです。それでも欧米の林業はなんとかやっているのですから、日本も考えないといけない。

過日の続報を記述します。
東京都所有の日比谷公園で開催されたイベントに出展しました。当方出し物は『薪ストーブを使った陶芸体験と焼き芋販売』です。

『都心のど真ん中で、しかも、大衆の目に晒される形であり、「薪焚き」などできるはずが無い』と、周辺で囁かれる程でしたが、見事に成し遂げました。その理由・背景についての詳細報告は割愛しますが、成功ポイントの一つは「薪の選択と、ストーブワークによるもの」と確信します。
一本100円の『陶芸用赤松燃料』が貢献したのです。
(間伐)木材の利用途という面で一つの実例を示せたのではないかと思い、記述させていただきました。

薪ストーブが陶芸窯の代わりになる、というところが売り文句でしょうか。薪ストーブユーザーは都会に多く、陶芸を趣味にしたい人も少なくないはず。
そこに薪の選択などを伝えたら、一定の需要は喚起できそうな気がしますね。

田中様 コメント戴き有難うございます。

都会で使用する薪ストーブの『肝』は、「優良な薪!!」ということになります。あたかも、
茶の湯における「優良な炭」を想起するものです、、、!?

ならば、『100円/一本』もあり得る、と思ったりしています。

続報をお届け出来るようにと、色々と実践していきます。

量ではなく利益、というのは賛成です
家電や自動車で再編が進んでいますが、林業に及ぶのはいつの日か

ここで木材価格と呼んでいるのは、市場での取引価格の平均であって、国内での全取引価格の平均ではないと思います。
つまり、市場を介さない取引=直接取引では、利益が出ている可能性があるのではないでしょうか?
というのは、直接取引の場合には、売り手と買い手が直結しているので、双方の情報(=需給ギャップの解消)が交換しやすいのではないでしょうか

例えば、「陶芸用の薪が欲しい」とリクエストされれば売り手が具体的な手を打てる可能性があります
枕崎では鰹節工場と山師が直接契約していて、山師は近隣で手頃な山を見つけて山主と直接交渉するそうです

統計に表れる木材価格に相対取引の価格が含まれるかどうかわかりませんが、たしかに直接契約するということは利益が出るからでしょう。
ただ安定的に引き取ってもらえることに山元は価値を認める反面、、価格は安めに抑えられるようです。(もし急落した際は、高値になるでしょうが。)それでも採算が合うし、無駄も出ないのが有利なんでしょうね。

山元と消費者のお互いの情報を交換してマッチングする役割を何らかの形で設けることが、重要ですね。

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