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森と林業の本

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2016/05/07

首都・伏見の「樹霊碑」

NHKのブラタモリで、「伏見は日本の首都だった」と取り上げていた。
 
そう、伏見桃山は、豊臣秀吉政権下の首都だったのだ。秀吉と言えば大坂と思われがちだが、実際は伏見を拠点としていたわけだ。
 
せっかくだから伏見城を紹介。
 
013
 
この近くに明治天皇御陵と、森林総研関西支所があるv(^0^)。
 
ところで、この城の陰に、気がつかないような碑がひっそりと立つ。
 
007
 
樹霊碑。文字を読むと……。

永遠とおもえるながき時のなか樫かし立てり黄なる彩雲あやぐもの果て

 
引野收という歌人が詠んだらしい。   
 
永遠と思えるほど長く生きる樫ノ木が夕陽に雲の果てまで輝く……という意味らしい。(この碑の隣に説明文があった。)
引野収については、「昭和の正岡子規」と呼ばれたそうだが、実はこの城の北西の桃山町正宗坂で40年にわたり絶対安静の寝たきり生活を送っていたらしい。樹霊というのも、そうした生命への想いを託しているのだろう。
 
 
 
話は脱線するが、意外と各地に「首都だった」ところは数多い。首都とは、一つには天皇の御在所という意味もあるが、主に政権の中枢とすると、決して奈良-京都-東京だけではないのである。
 
まあ、奈良は平城京の前に飛鳥時代には各地に遷都しまくったからいっぱいある。
奈良時代の途中でも、聖武天皇はあちこち遷都している。
 
 
3 滋賀県の紫香楽宮
 
7 南京都の恭仁宮
 
また南北朝~後南朝時代、そして応仁の乱から戦国時代にかけても数多い。南朝の後醍醐天皇が隠れた旧西吉野村賀名生も御所。
 
吉野の川上村の山の中にも、後南朝の自天王が原生林の中に「御所」をつくっている。
 
そして生駒山にも、かつて首都があったのである。
 
それは、大阪側の飯森山山頂。
 
2 飯盛城址の碑が立っている。左の建物は戦時中の防空監視小屋。
 
ここは戦国時代に足利将軍から実権を奪った三好長慶の城跡だ。わずかの期間だが、ここに政権の中枢があったのだよ。もっとも戦国時代だから実質的に支配していたのは畿内だけだったが。
 

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