8月15日。敗戦記念日というより、お盆の真っ盛りというイメージが強くなった今日この頃。
昨日、お墓をつくらない方法 あるいは自由に“お墓”もどき(=記念碑)をたてる方法、を提案したわけだが、やはり後世に伝えたいお墓もある。お墓があるから記録が残り、発掘できる真実もある。それが後世に影響を与えることもある。
ふと、サンダカンの墓を思い出した。
私の初めて海外、つまり40年近く前になるのだが、訪れたのはマレーシア連邦サバ州。いわゆるボルネオだ。州都コタキナバルから旧都サンダカンに入り、そこの森林局を訪ねて、野生のオランウータン調査を行うことをお願いした。するとゲームレンジャー(狩猟官)を二人付けてくれて、調査地に選ばれたデン半島深くの森を訪ねた。
その調査活動に関しては割愛するが、その後サンダカンにもどってきて、しばしの休暇となった。有体に言えば、のんびり町を楽しんだのだ。
サンダカンは、戦前から港町として栄えたところだ。私が訪れた当時は木材景気で潤っていたが、まだ古い町並みが残っていた。コロニアル様式というのか、イギリス風の建築と中華系の町が混ざって異国情緒が漂っていた。
そんなサンダカンで訪ねたいところの一つは、やはり日本人墓地だった。
『サンダカン八番娼館』をご存じだろうか。
山崎朋子のノンフィクションである。 不朽の名作として今も読み継がれているし、映画化もされた。
天草出身の日本人女性がサンダカンには多くいて、娼婦になっていた時代がある。いわゆる「からゆきさん」である。その一人サキさんの生涯を描いた作品だ。彼女はサンダカン八番娼館で働いていたのだ。
ボルネオに行くのなら読まねばならない作品だった。そして、この続編も。山崎朋子が現地を訪れた記録が『サンダカンの墓』としてまとめられていた。
そこには戦前、現地でなくなった日本人の墓があることを記している。その多くは娼婦たちのものだ。
この本が出てから、戦後のサンダカン在留邦人たちは荒れ果てた日本人墓地の整備を行ったらしい。
そこで、私も訪ねてみたのである。交通機関はなく、てくてく歩いてサンダカン湾を見下ろす丘に登った。
墓地は広く、中国人や欧米人の墓は立派だ。なかには家一軒分の大きさでエアコンの聞いた墓まであった。現地人の墓もあったはずだが、あまり記憶にない。
その墓地の奥の奥、山頂に近いところではなかったか。
日本人墓地という門が設けられていた。草は刈ってあった。高台にいくつかの墓石が並ぶ。
一部は戦後の船乗りの墓もあった。が、ほとんどが娼婦のもののようだ。
本当は、当時の娼婦の墓はほとんど墓石がなかったそうである。高くて買えなかったのであろう。木の卒塔婆だけでは、朽ちて消えてしまう。ただ、いくつかの例外と、娼館の経営者?(記憶が定かでない)の木下クニが立てて上げた墓があるらしい。
かろうじて「木下クニ建立」と読める。
写真も40年の月日が流れて色落ちしてしまっている……(~_~;)。
現在はもっと整備されたと聞くから、ネットで検索してみてほしい。わかりやすい写真もあるだろう。
ちなみに日本人墓地は、サラワク州のクチンでも見学した。各地に日本人女性の娼婦がいたのである。
かつての日本は貧しく、海外への出稼ぎは珍しくなかったが、実は男より女の方が人数は多かったようだ。つまり「からゆきさん」である。多くがだまされて連れ出されたというが、意外や海外は遠くなかったようだ。
(日本人が初めて訪れたアフリカ! みたいな冒険旅行記が明治に出されているが、そこに日本人娼婦が登場することをどのように考える?)
彼女たちの墓の存在は、隠された歴史を今に伝える大きな役割を果たした。山崎さんが記録を掘り出した際に石塔の墓だから発見できた。樹木葬でなくてよかった、のかもしれない。
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