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森と林業の本

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2016/08/25

「自然科学」の進歩(笑)

随分前になるが、日本の自然に関する学問の変遷を調べたことがある。
 
当初(江戸時代始め)は名物学が重要だった。
これは、物の名前を定めること。というのも、当時の文献のほとんどは中国からもたらされるが、そこに登場する動物や植物、さらに鉱物も含めて、それが日本のどの種類か突き止めないといけなかったからだ。さもないと、せっかくの文献が使えない。
当時は、地域によって動植物の分布が違うことを知らなかったので、中国にあるものは日本にもある、と思い込んでいたのだろう。
 
そして、次が本草学。これは主に薬になる植物を研究するものだった。つまり医学と重なっていたし、担い手の本草学者は医者でもあった。ある意味、実学だった。役に立つ知識を学ぶ学問だったのだろう。
 
それは江戸時代を通して本草学として発展したが、徐々に役立つ学問から逸脱してくる。興味の赴くままに動植物を収集したり生態を研究する人物が現れる。
 
これは博物学だ。ナチュラルヒストリー、自然誌学の世界に踏み入れたのではないか。
 
そして江戸後期になると、蘭学として西洋の生物学が入ってきたこともあって、日本の生物学の萌芽が生れてくる……。あきらかに趣味としか言えない研究が行われているからだ。
ここに至って、ついに近代の自然科学の域に近づいたのだろう。
 
私は、さらに日本独自に環境と生物について考えた生態学の片鱗も登場してきたのではないか、と想像しているのだが。さらに分布について気づいたり、品種改良から遺伝学へと至る道もあったようだ。
 
ちなみに『森と日本人の1500年』を執筆する際に調べたのだが、(主にヨーロッパの)林学のスタートは、官房学だそうだ。官僚が行政を行う上で必要な学問。もっと具体的に言えば、国家運営のための財政とか国土管理の手法について考えたものらしい。
 
なぜそれが林学に発展したかと言えば、林業が重要だったからだ。もっと言えば木材資源が必要だったのだ。しかし、木材を得るために野放図に伐ると底をつく。そこで計画的な伐採を考え、一方で回復を自然のままに任せるのではなく、人が手を加えて早く回復させる、森林づくりを始めた……その技法を考えたのが林学の出発点だった。
 
だから森林経理学とか林政学、造林学とか、また法正林とか恒続林とか。。。土地純収益説とか森林純収益説なんてのが考えられるようになったのだろう。
 
それが今では森林生態学の分野にも広がってきた。そこでは木材生産は森林の効用の一部に過ぎず、地球環境や砂防・治山も重要視されるようになる。。。
 
 
世の中、実学から趣味の学問、そして純粋科学へと変遷していくものなのだろうか。
となれば、自然物を扱う林業が、現実社会の経済から外れて観念的なものになっていくのも仕方ないのかもしれない……なんて思ってしまった。外れちゃ困るんだろうけど(笑)。

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コメント

生態学は、Eltonがキツネとウサギの個体群動態から開拓したように、定量性が必須なので、明治以前の日本には無かったと思います

もちろん完全な生態学が誕生したとは思いませんが、植物単体、動物1個体ではなく、群で見たり、生育生息環境に目配りした記述が見られるのです。

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