益田孝をご存じだろうか。明治時代の財界人だ。
一般には三井財閥の大番頭と言われているが、むしろ本人自身が巨頭として活躍したと見るべきだろう。彼がいてこそ、三井財閥が築かれたと言っても過言ではない……という評判もある。
彼の自叙伝(と言っても彼が書いたのではなく、彼と同時代に生きた長井実がまとめたもの)を古本屋で手に入れた。
『自叙益田孝翁伝』
なぜこの本に目を止めたかというと、益田は土倉庄三郎と交流があったからである。そして庄三郎は益田を通じて三井に山林経営を勧めたのだ。つまり現在日本で4番目の山林主である三井物産の原点なのだ。
そのエピソードはすでに私も知っていたが、その点に触れているかな? と思って本を手に取ったのである。
さて、本の目次を繰ると「山林」という項目があった。たった3ページしかない。
ところが、それを読むと実に興味深いエピソードがいくつも書かれているではないか。
全部披露するのは惜しいので(^^;)、少しだけ紹介しよう。
冒頭部分である。庄三郎が山林経営を勧めたことが記されている。いきなり三井家として山林を購入したのではなく、まず自分が試みに500ヘクタール!買って、植林したという。
が、私が注目したのはその事実ではない。そこまでは知っていた。むしろ驚いたのは、その際の庄三郎の言葉だ。
「素人は木が大きくなるのを待ってそれを伐って売ることばかりを考えているが、何も木を伐って売るには及ばぬ、売るなら山を売ればよい……」
どうだ、すごいだろう。
えっ、何がすごいかわからない?
だって、木を伐って売るのは素人と書いてあるのだよ。木を植えた山は、年々育つから価値が増す。その山を売買するのだ。これこそ、吉野の森林ビジネス!と感じたのだよ。
実際、吉野では、山で売り買いした。山を売買と言っても、価値は土地ではなく立木に置く。つまり立木権の売買である。
植林して下刈りして、10年もしたら売る。買った人は除間伐を施して20年したら売る。何も植えてから80年~100年間、金にならないのではないのだ。
これを今風に言えば森林の証券化みたいなものでみないか?
いわば金融資本主義もどきを行っていたのが吉野林業だったわけだ。
まあ、今だと木が育っても価値は上がるとは言えず、下手すると下落しかねないけれど。。。
ただし「金持ちの事業としてまことに適当」という言葉も紹介している。つまり、目先の上がり下がりは気にせず時間をかけるのが山林経営の要諦ということか。
もう一つ。
これは読めばわかるとおり。
明治時代でも伐採と搬出の経費がかかりすぎて利益が出ないことを示している。そしてアメリカから木材持ってきた方が安い、というのだ。
これは大井川流域である(吉野は、河川運搬組織が整備されているので利益が出たのだろう)が、いかに運搬方法の改善が林業に重要か、明治時代に指摘している。
日本の林業は、当時よりさして進歩していないようだ。。。
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