10月16日の読売新聞の書評欄に、拙著『森は怪しいワンダーランド 』が紹介された。
「木を見て森を見ぬ人には…」「本の森で森林浴をするように…」。素敵なフレーズが並んで批評してくださった。
主題を「森の不思議さ」と捉えて、「情緒と科学のバランスが絶妙」とある。これは、私が伝えようとした「森は科学と芸術が半々」ということに掛けているのだろう。
この書評は、読売新聞の記者が本を選んで書く欄のようだが、それで思い出した。
私の探検の第一歩となった大学時代のボルネオ遠征。この件については『森は怪しいワンダーランド』の序章に記したが、私にとって始めての海外旅行であり、本格的な探検活動の始まりだった。
これを企画して動き出したのは2年生の冬だったと記憶するが、学内・クラブ内でドタバタしている時に、最初に取材で訪れたのが読売新聞静岡支局の小田記者だった。
彼が、どこで探検部の海外遠征の情報を得たのか、いまとなっては覚えていないが、静岡大学探検部が創部10周年を記念して初のボルネオ遠征、オランウータンを探しに……といった記事が掲載されたと思う。(当時の記事は行方不明)
反響は大きく、地元の静岡新聞もすぐに取材に来たし、読者からもいろいろな問い合わせがあった。なかには貴重な資料や人物を紹介してくれたケースもある。なぜかラジオのディスクジョッキーをやらないか、という依頼まであった。(これから遠征行くんだってば!)
読売新聞には予備調査、本調査と続き、また帰国後の報告や探検部のほかの国内活動も含めて、いろいろな記事にしてもらったうえに、日常的にお世話になった。食い切れないほどの豚カツを御馳走になった思い出もある。
逆に彼が取材のためか、私の四畳半の下宿に来て、コタツに入りながら話をした記憶も残っている。
青臭い熱情だけで、社会のことを何も知らない私が、ボルネオ遠征を介して、あれよあれよと世間に押し出された気がする。
思えば、青春だった(笑)。おそらく、こうした読売新聞の記者とのつきあいが、私の目をマスコミの世界に向けさせたのだろう。
それは卒業後の進路としてマスコミ界に入ったら、探検の延長みたいなことができるんじゃないか、という儚い?希望につながり、紆余曲折を経て今に至ったのかもしれない。
そんな思い出が、奇しくも私のいいかげんな探検話を中心にした本の書評で甦った。それが読売新聞だったのも何かの縁だろう。。。
『森は怪しいワンダーランド』を読んで、探検や遭難の話が面白いとか森の不思議と似非科学に納得することに加えて、ほんの少しでいいから森へ向けた切ない熱情を感じ取ってくれたら幸いである。
※私の初原稿料を稼いだ蛍雪時代1979年11月号の記事。
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