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2016/11/22

「吉野林業は世界一」は危険な言葉

先日、奈良森林総合監理士会の主催で、「NEXT奈良の森」というイベントが開かれた。

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その基調講演に、泉英二・愛媛大学副学長が立った。テーマは、「吉野林業の発展過程に学ぶこれからの吉野林業」。
内容は、前降りの世界文明発展理論が半分くらい占めたのだが(^o^)、後半の吉野林業のところで幾度も繰り返されたのは、「吉野林業は世界一」という言葉である。
 
江戸時代という経済社会の停滞期に吉野林業は精緻なシステムを作り上げ、決して街の大資本に飲み込まれることなく、むしろ手玉に取りつつ、山村民が利益を守った、また森林環境も持続的に維持してきた……というのである。少なくても18世紀19世紀の吉野林業は、世界的に見ても類を見ない林業として自慢できるという。
 
私も長年吉野林業に触れてきて、また学んできたことと比べても大きなずれはなく、吉野に生れた世界にも稀で精緻な林業システムの意義は納得している。そして、持続的な林業経営を考えるうえで、かつての吉野システムを探ると大いにヒントになる。
 
 
が、同時に危険な言葉だと感じる。
 
というのは、私が学生時代から何かと「日本の林業は世界一」的な言われ方をしてきて、その源流が吉野林業だった。私もそれを信じていことがあったからである。
が、残念ながら吉野を離れると、まったく別の林業に出会う。そして、その内容は「システムのない林業」である。その場その場の都合で動く林業。吉野以外はほとんど同じだった。
 
吉野は、決して日本林業の代表ではなく、孤立した峰、特異で孤独な林業地ではなかったか。江戸時代から明治、そして昭和まで吉野を見本にしようと多くの視察と研究が行われ、政策的な誘導も行われたが、どこも真似することはできなかった。
個別に育林技術がどうの、搬送技術やルートがどうの、と言えば頑張った地域や人は存在するのだが、地域経済と結びついて十分に機能したシステムにはなれなかった。
 
もっとも吉野自体も、戦後は巨大な社会のパラダイムの転換の中で長年築いたシステムが崩れていき、今はさんさんたる有り様だ。崩れた当初は、逆に木材バブルを生み出して大儲けしたのだが、それが改革気運さえ潰してしまった。
 
現在の日本林業は世界的に見ても遅れている、と言わざるを得ない。
 
それなのに「吉野林業は世界一」が「日本林業は優れている」に転用され、いまだに一人歩きしている。あげくに、日本の木工技術が優れているだの、日本の伝統建築は世界一だの、何の裏付けもなく語られている。なんかこの手の「日本スゴイ」という言葉は、聞いているとミジメさが漂う
 
 
私自身は、もはや林業自体が必要かどうかさえ疑問に感じている。
 
頭をひねって林業を持続的にしようとガラス細工のようなシステムを考えるのではなく、今そこに木があるうちは伐って使い、なくなったら使うのをあきらめて、自然が森を取り戻すまで禁伐にする……という単純でおバカなシステムに頼るのが人間には似合っているのではないか? だいたい森林の歴史を追うと、世界中でずっとそんな繰り返しだったのだから。
 
精緻なシステムは、必ず壊れる。単純なシステムほど強い。人の時間に樹木を合わせようとするのではなく、樹木の時間に人が隷属すればよいのだ。
 
 
かつては木材というマテリアルは最重要だったが、今は代替品がいろいろあるから、消費者はそんなに困らないだろう。
 
 
……とまあ、「持続的開発」を唱える世間に喧嘩を売ってみたくなったのだった(笑)。

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コメント

地球に植物は必要ですよ。人間が居なくなったとしても。
人間の都合に合わないものはなくなってもいいと考えて、そのとおりにしたら、一気に気温が上がって、酸素が蒸発して、地球環境はなくなります。
人間が自然に合わせるのでないと、地球を滅ぼしかねないところまで人の数は増えてしまったのではないですか?
気温や水分、水蒸気の調節装置として、必要です。
そして、地域経済にとっては地域にあるものを、役立てることが必要です。
たしかに、世界一を連呼しないでもいいと思いますが。

今、緑に覆われている山も、ほとんどが昔ははげ山でした。幾度も幾度も、はげ山と緑の山を繰り返してきた歴史があります。日本だけでなく世界でも。

海水温は2、5度上がって、北海道まで南の魚が来てるそうです。人間が生産活動をしなければ、はげ山でも地球は残るでしょうが、人間がいる限り、そうはならない気がします。砂漠は広がり、大陸の内陸の巨大な湖はアラル海などすべて干上がって、内陸にはもう水がありません。
単純な循環や繰り返しにはならないのではと恐れています。
空気がまず、大気圏を離脱する熱エネルギーをもつことを、一番恐れます。そういう警告が科学界から出ているようです。

日本の「自国自賛」が広がっていますな~(^^;)
TV局でもへんな、つっこみ満載の「日本ってスゲー!」を
連呼するような番組が増え、幻滅していますが、
私はいつも某監督の「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに
不思議の負けなし」を思い出します。
今の日本の社会や林業の問題点など、「負け」には
理由があるのに、目をつぶり、必死に「我々は凄い!」と
言うのは本当に見苦しいとしか思えないのだけど・・・

田中先生先日はお忙しい中ご参加いただきありがとうございました。
泉先生のお話は私は大変勉強になりました。歴史の中における発展期と停滞期に、先人がいかに工夫を重ねてきたかということに深く感銘しました。「吉野林業第一」というより一見林業を極めているように言われる吉野も、それに関わる人々の計り知れない情報収集と工夫があったからこそ、「今も関係者はもっともっと社会を見て知恵を絞りなさいよ。」という励ましに聞こえました。
近頃は、木を出せ!木を出せ!と、とかく、生産性やハード整備にばかり気を奪われるような気がしますが、森を、地域産業を持続させるという「精神性」が今の我々に必要なのだと思います。この「精神性」の話は後の谷さんのスイス報告にも繋がり大変意味のある学習会になったと思っています。
しかし、こうして、田中先生とダイレクトに意見交換でき、今回の活動も意義深いものであったと喜んでいます。
今後ともよろしくお願い致します。

泉先生の言っていた「江戸時代の吉野林業は世界一」という言葉に私も異論はないですよ。完全に世界中の林業と比較したわけではないけれど、精緻なシステムで経済も環境も、そして地域社会も両立させていた。

それを「日本の林業は世界一」と置き換える言説がちょっと前に出回っていたのがおかしい。さらに現在の情勢では「精緻なシステム」自体が成り立たないのではないかと思います。

>今そこに木があるうちは伐って使い、
>なくなったら使うのをあきらめて、
>自然が森を取り戻すまで禁伐にする

すいません。この部分に反応しました。

今日本の美林と言われている森林も
そうじゃないか?
と常日頃思っていました。
そんな立派な目的で成立した訳ではないのでは
ないかと・・・

美林と言ってもいろいろありますが、当初から将来の美を見越して森づくりしたところは少ないでしょうね。結果的に美しくなるか、見苦しくなるか……。

今、見苦しい森も、さらに放置を続けたらいつか美しい森に化けるかも。アヒルが白鳥になるように……(^^;)\(-_-メ;)。

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