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2016/12/15

北方領土の知られざる探検家

ロシアのプーチン大統領が来日した。なんのかんのと言われても、注目されるテーマは北方領土問題だろう。

 
来日記念として、ちょっと北方領土に関したウンチク。
 
 
北方領土(歯舞、色丹、国後、択捉の4島)の領有権が問題になっているわけだが、その根拠としているのは、「歴史的に日本の領土だった経緯」。それはなぜだろう。
 
もちろん、これらの島々に最初に住んでいたのはアイヌ人、そのほかのオホーツク系民族であることは間違いないし、縄文遺跡も発見されているのだが、その点は脇に置くとして、最初に日本人(和人)が訪れたのはいつか。それが早いのか。。。
 
まず日本人より先に国後島を訪れたのが、オランダ人であることは、意外と知られていない。千島列島を探検して(東インド会社として)領有宣言をしている。またロシア人も頻繁に訪れて、住み着いていた時期もある。つまり、この点で日本が先有を主張するのは無理がある。
 
結局、日本が「ここはうちのモンだ」と主張するのは、1798年に幕府派遣の探検隊が、択捉島の南端の丘に「大日本恵登呂府」の標柱を立てたことにある。
 
この際の責任者は、近藤重蔵と最上徳内。どちらも有名な蝦夷地探検家だ。ただ、この標柱の文字を書いて建立したのは、木村謙次だ。この人物、ほとんど無名の探検家なので、ちょっとだけ紹介したい。
 
 
木村謙次は、水戸藩(1752年生まれ)の農家?出身のよう。少なくても武士ではなかった。ただし裕福だったようで、学問が好きで儒学や医学を京都まで行って学んでいる。その後、農村救済を訴えたり、植林して木材や木炭の生産を奨励したり……と産業振興を取り組んだ。
 
ところが40歳になって、突如ロシアの南進に気づき、蝦夷地探検に目覚めるのだ。
 
そしてラスクマン事件があったことから、水戸藩から蝦夷地探偵を命じられる。探検ではなく探偵であることがミソだ。ロシアの情勢を探るのが目的で、松前藩で多くの人から聞き込みをして実情をうかがったのである。地理的探検をしたわけではない。
 
その報告書が優れていたのだろう、1798年に幕府が蝦夷に探検隊を派遣する際に、水戸藩
推薦で木村も参加することになった。(なぜか、名前を下野源助に変えている。)
この隊には、近藤重蔵、最上徳内らそうそうたるメンバーが参加していて、木村もそれに列したことになる。
 
そして3隻の小舟を漕いで、択捉島まで渡るのだが……無茶ですな(~_~;)。あの海域、潮流が速くて荒れるので有名。それでも、なんとか成功したのだからスゴイ。
 
おかげで先の標柱を立てられたわけだ。それなのに、近藤、最上と比して、名前が現在に知られていないのは残念である。
 
ちなみに水戸藩は、蝦夷・樺太・千島など北方にかなり関心が強い。なんたって水戸光圀が蝦夷探検隊を送り込んでいるほどだ。
 
 
ま、探検家ジャーナリスト(謎)としては、北方領土問題に注目が集まる今、ちょっと彼のことを紹介したくなったわけである。
 
 
ところで拙HPには、「知られざる探検家列伝 」があり、ここにロシアや蝦夷・千島絡みの探検家を幾人か紹介している。
これ、10年以上前につくったまま放置しているので、そろそろ復活させないといけないなあ。今回の木村も登場させていないし。 このブログを転載するか(~_~;)。
 

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