クリーンウッドかグリーンウッドか……と昨夜書いて気づいた。
グリーンウッドというのは木材関係者の間では未乾燥材のこと。つまり生木だ。同時に(乾燥させていないから)安い木材を意味することもある。
一般に木材は乾燥させないと、強度も劣るし狂う、腐るからダメだと言われている。グリーンウッドを使ったら、よい建築物にならないから不人気。国産材が外材より使われないのは、いまだに乾燥材の割合が低いことも大きい。
さて「日本の木造建築技術はスゴイ」と持て囃す声もあるが、古代の人はちゃんと木材を乾燥させたのだろうか。技術的には、きっちり乾燥材を使わないと「スゴイ」建築はできないはずだが……。
縄文時代によく使われたのはクリの木だが、クリ材は乾燥すると堅くなる。金属刃物がなかった時代、それを利用するのは大変だった。しかし、生木は逆に柔らかく割りやすい。石斧でも伐採できるし、尖らせたり割って板にしたりもしやすい。だからクリは生木で加工したとされる。クリの木で建物や道具を作ってから乾燥して、堅くなるのだ。
当時は、乾燥で縮んで隙間ができたり曲がっても気にしなかったのか。。。。と思っていた。
だが、金属が普及してきた奈良時代でも乾燥させなかったらしいことがわかってきた。
現在、奈良の薬師寺の東塔が解体修理されているが、そこで表皮のついた板が見つかった。ヒノキ材だろう。その材を年輪による年代測定法で計ると、伐採されたのは西暦729年と730年であることがわかった。ほかにも720年代の伐採だとわかる白太(辺材)付きの木材がある。
東塔の建設は天平2年(730年)と確定している。
薬師寺。東塔は右手だったと思う。
これは何を意味しているか。
伐採してすぐの木材で建設を始めたということだ。
当時は人工乾燥(加熱して木材を乾燥させること)なんてない。天然乾燥、それも製材していない状態なら、ほとんど乾かないだろう。少なくても5年くらい寝かさないと含水率は下がらない。
古代人の寿命は今よりはるかに短い。庶民は平均寿命が20歳代だったという。栄養状態のよい貴族でも30~40歳程度。そんな時代に木材を乾燥させるために何年も寝かせる余裕はなかったのかもしれない。
あるいは寺院の建築計画を何年も先まで立てて、それに合わせて木材調達も何年前から行なって貯蔵していた……ということもないだろう。
つまり今は国宝になっている日本の伝統建築とされる木造建物は、伐採直後のほとんど生木を使って建てられたわけである。
おそらく建てていると、派手に狂ったのではないか。ただ建てる最中にその狂いを手直しして最終的に落ち着くように計算したのかもしれない。その後も修理を繰り返しつつ現代に至ったのではないか。
木材はグリーンウッドで使う。クリーンではないかもしれない(環境破壊したかもしれない)が、伐ったらすぐに使って、後に修正を加える。これが古代建築の常識だったのかも?
今日の話題少し気になりコメントします。
昔は運搬が今ほど容易ではなかったので、架線・トラックが入るまで、少なくとも伐採から数ヶ月は枝葉を付けたまま、現地に置いて葉枯らししたので、かなり水分は抜けたと思います。
また、伐期は旧暦の「木六・竹八・塀十郎」と水揚げの少なくなる時期を選んだ。
馬力では特に積める量に差があったと古老から聞きました。
投稿: 仁藤浪 | 2017/02/28 11:29
古代の建築技法は、まだまだわかっていないことが多いので、これは推定の問題と思います。
ただ、年輪から伐採年が特定されていて、同年に塔が建設されているので、1年しか空いていない点については間違いありません。
1年では天然乾燥は無理です。板にしても、反りが出ないほど乾燥させるには数年間かかります。
戦後でも、通常の大工はグリーン材で一般住宅を建築していましたが、約半年かけて乾燥による狂いを修正しながら建てたそうです。
投稿: 田中淳夫 | 2017/02/28 23:48