日本の山が、日中~太平洋戦争において大伐採されたことは、折に触れて記してきた。
それを拙著『森と日本人の1500年』には、次のように記した。
1940年 「国有林産物増産方針」
1941年 「国有林臨時植伐案」
1944年 「決戦収穫案」
ようするに軍需物資として国有林を伐採して木材を得ようという政策だ。かくして、日本の戦後は、はげ山からスタートせざるを得なかった。そして大造林が実施されるのだが……。
この度、たまたま読んでいた資料で、付け加える法律がつくられていたことを知る。
1945年 「戦時森林資源造成法」。
伐採跡地が放置されたままでは、銃後の国土保全が危ういとする意見が強く、しっかり跡地に植える法案が提出されたそうである。これは、そして4月2日の通常国会で可決している。戦争もいよいよ末期、本土決戦を覚悟する土壇場に成立したのだ。
実際にどれほど実行されたのかはわからない。終戦後は、反故にされた可能性も高い。しかし、林政担当者には「伐ったら植える」精神が非常時でも根付いていたのだろう。当然、政治家、軍部にさえ。
現在、日本各地で皆伐施業が広がっているが、果たして林業関係者に「伐ったら植える」思いは、どれほど残っているのだろうか。
「総量としては、日本の森林蓄積は増えている」から、この程度伐っても「森林は減らない」という言葉(言い訳?)ばかりが目立つのだが……。
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