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森と林業の本

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2017/04/06

日本初の「登山愛好家」は誰?

今、ちょっとこだわっているのが、日本初の登山家は誰か、ということ。

 
ただし、登山と言っても日本では宗教的(修験道など)な開山が行なわれていて、役小角が葛城山や大峰山を開いたといわれる。また、大宝元年(西暦701年)に佐伯有若が立山を開山されたとされる。奈良時代より前、飛鳥時代である。
 
その後も山岳信仰が盛んになって、日本の各地の高山は、意外と早く初登頂が行なわれている。しかし、そんな修行的な意味合いではなく、山を登ることを楽しむ「近代登山」はいつから始まったか。
 
一般に言われるのは、幕末の鎖国を解いてから入国した外国人である。1860年には、イギリス公使オルコックが富士山に登った。その後も外国人による日本探検が行なわれて、各地の未踏?の山々を登っている。
 
そして1890年代にウェストンが日本の各地の山々に登って世界に紹介したことで、「日本アルプス」が知られるようになった。そして彼の著作によって日本人も目覚めて登り始め、1905年に「山岳会」を設立、これが日本の近代登山の幕開けとされ、ウェストンは日本の近代登山の父と呼ばれる。。。
 
ま、それはいいのだが、イマイチ面白くない。日本人だって独自に登山に目覚めた人がいるのではないか。宗教的、あるいは狩猟や林業、あるいは軍事目的のような、なんらかの職業的な登山でなく、山々の景色に憧れて登った人がいるのではないか? それも低山でなく、そこそこの高山で。
 
とまあ、イマドキの「日本スゴイ!」に迎合して外国人なんぞに関係なく山が好きだった記録のある人はいないか、と思ったのである。
 
 
で、ちょっとヘンな人を見つけた。
 
現在の大分県竹田市に江戸時代にあった豊後岡藩。ここの3代藩主中川久清である。京都に生まれて、徳川光圀とともに学んだとか、藩主になってからもなかなか名君と言われて、家老制度や奉行制度を制定したほか、水路開拓や検地もしている。
植林政策も熱心で、岡山藩から熊沢蕃山を招聘して植林のほか郷村制度の強化、ついでに?キリシタン摘発を行なったという。日本の森林学の祖とも言える熊沢蕃山の足跡と施策をたどる意味でも岡藩は重要なのだ。
 
そんな久清は久住連山が好きで、とくに大船山へと続く鳥居ヶ窪によく登ったのだ。久住連山は1700メートル級の山々が並ぶ火山群である。最初に登ったのは゛1662年8月23日という記録が残っている。
 
ただ、笑うのは自分の足で登ったのではなく、村人の背中に「人馬鞍」を付けてそこに座って担がれたのだという。ちゃんと藩主を乗せる家が決められていたというのだが……。
 
これでも登山というのか、と言われると困るのだが、少なくても信仰とか職業的な山登りではない。登って景色を楽しんだのなら、近代的?ではないか。
 
そして中川久清は、自らの墓を標高1400メートルのところに設けている。それが入山公廟と呼ばれる中川墓所だ。日本で一番標高の高い藩主の墓、というが……。子孫や家臣も、墓参りは大変だったはずだ(笑)。
 
 
ちなみに私は、高校生のときに、久住連山を縦走し大船山に登っている。当然、その頃はこんな話は知らなかったが……。
 
探してみたら、こんな写真があった。春山なんで、雪が残っていた。というか、雪の中のキャンプは寒かった思い出がある。だって、私が持ってきた寝袋を女子部員に取られたからだ。。。
 
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