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2017/05/07

村尾行一著『森林業』は、森林文化論である

村尾行一先生の新著『森林業 ドイツの森と日本林業』、ようやく読み終わった。

 
1537 築地書館 2700円+税
 
さて、何から紹介すればよいか。この本の感想を記してまとめると、別に1冊の本になりそうな気がするのだが……。
 
Dsc_0498
 
とにかく、気になるところに付箋をつけていくと、こんな感じになるわけ。内容的には村尾氏のこれまでの主張や著作の集大成であり、そして私は大半の著作を読んでいるのだが、それでも、こんなに付箋をつけてしまったのだ。
 
それなりに林業のことを知っている(つもりの)人が読めば、おそらく愕然とするに違いない。一体、これまで学んできた林業の理論や林業史は、さらにヨーロッパの森林史はなんだったのか、と。
 
目次は以前にも紹介したが、大枠だけ記すと
 
第1部 ドイツ林業の個性
第2部 ドイツ林業前史
第3部 ドイツ人にとって森とは何か
第4部 最高の頭脳の集まる森林業の人材育成
第5部 日本林業再興への処方箋
 
タイトルでわかる通り、ドイツの話題(一部スイス)が多い。またドイツ語も多出する。さらに膨大な見出しがある(詳しい目次は、版元ホームページへ)。
ただ見出し数に比して、全体は300ページあまりだから一文は短めで、読みやすい。文体も、村尾節ともいえる調子(^o^)なので楽しめる。
 
また一応テーマは林学・林業なのだが、ドイツ人の森に対する思いの変遷や、森とのつきあい方にもかなりのページを割いており、いわば文化論ともなっている。むしろ林業・林業史というより森林文化論と思って読んだ方がいいだろう。
 
 
全体を総括するのは難しいが、いくつか私があえて本文の言葉をいくつか引用するのなら
文化論なくして林業論なし であり、生態学的林学 であり、林業は社会的市場経済 であり、そこから導き出される フリースタイル林業……ということになろうか。
 
ドイツでは、100年以上前に木材栽培業の学問として生れたターラント林学から、生態系を重視しフリースタイル林業へとつながるミュンヘン林学に大変革された。そこでは主伐や伐期という考え方も、法正林や森林経理も否定されているという。
 
それなのに明治時代の日本の留学生は古いターラント林学を持ち帰り、さらに林業改革を打ち出した21世紀になっても古いドイツ林業から離れようとしないという失敗の上塗りをしているわけだ。
 
いくつか意外感のある記述を紹介すると、
 
ヨハンナ・シュピーリの『ハイディ』(日本的には「アルプスの少女ハイジ」の原作と言った方がわかりよいか)はマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』よりもはるかに革命的な思想の転換を記した「ロマン主義宣言」だという。自然賛美を禁止していた従来のキリスト教に反して、初めて自然の美しさを唱えた書だからだ。
 
19世紀までドイツでは林業は賤業、林業従事者は賤民だった、とある。現在のドイツでは林業を憧れの職業だというが、真反対だったのだ。それはわずかな期間で逆転した。
一方で「私たちドイツの森林官はドイツ人の公徳心には全然期待しておりません」という言葉も紹介している。
 
 
私がとくに喝采したのは「保育間伐」「優良材生産」「将来木施業」の否定である。たとえば《優良材》という獣道への逃避 なんて言葉も登場する。やった! と思ったね。
 
私は、上記の施業が納得できずにいた。はっきり言えば間違いだと思っていた。
 
私の考えを簡単にまとめると、間伐はすべからく利用間伐(優勢間伐)であるべきで、保育のために木を伐り捨てる(劣勢間伐)のは労力も経費も無駄である。
 
また優良材とは高く売れる木材のことで、将来何が求められるかわからないのに木目や形状で「優良」と決めつけるのはおかしい。よって、将来に向けて優良材にする木を選んで育てる「将来木施業」自体が有り得ない……と思っている。(その代わりとなる施業の指針に関しては、私なりに考えるところはあるが、別の機会で。)
 
だが、いくら私がこんな主張しても林業界の面々には届かない。そこに村尾節が炸裂したのだ。私的には、溜飲の下がる思いなのであった。
 
 
最後に日本の林業の実態を紹介しつつ、再生の処方箋を示す。これも斬新な発想ぞろいである。その根幹には、森林業の人材育成の重要性を説く。
 
ちなみに私は、すべてに同意するわけではない。村尾氏は列状間伐は劣情間伐とあるが、私は、一部では列状間伐もアリと思っている。
また「日本でも天然更新は容易」とするが、私の意見は可能だが難関でコスト高だから、あまり採用すべきではないと思う。
木屑から野生動物まで全部資源という考え方自体は同意するが、これらの資源を経済の俎上に乗せるのがいかに難しいか、ということも指摘したい。
さらに含水率は9%以下にしろというスギ材の乾燥も簡単ではない。伐採時の方策だけでは厳しいし、普及もしない。
 
もう一つ違法伐採や盗伐を、かつての入会権の視点から敵視していないが、現在問題になっているのは、レベルが違ってあきらかに森林破壊である。あまく見ない方がよい。
 
何よりもドイツにならって行うべきとする林業人材の育成は、私には絶望的に思える。今から取り組んでも50年以上かかるのではないか。
 
ただ、「森林業は情報産業」という言葉は、私も20年ぐらい前から使っていて、我が意を得たり、であった。
 
 
とにかく、森林や林業に対して一家言ある人、興味のある人なら、本書を巡って話題は尽きないのではないか。議論のテーマを提供してくれるだろう。ここは賛成、ここは反対、ここの意味がわからない……等々、議論百出になったら面白い。
 
まずは一読を。
 
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