毎日新聞奈良版(6月27日)に、大和森林物語の第2回が掲載された。
それがネットにも転載されたのでご紹介。
もちろん土倉翁ネタである(~_~;)。
この制服について改めて調べると、もしかして日本で最初の小学校の洋装制服ではないかと気づいた。
そもそも日本に制服という発想は江戸時代まではあまりなかったはずだ。
新撰組が来ていた浅葱色、もしくは黒羅紗の隊服も制服のうちか、それは赤穂浪士の姿を真似たといわれるから、赤穂浪士の姿も制服か、いやいや戦国時代の鎧も武将ごとに赤備え、黒備えなどと言われるように同じ色に染めたから制服の一種か。。。と考えることもできるが、学校教育における制服はなかったのでないか。
そして洋服の制服となると……幕末の官軍の制服を除けばなかっただろう。
そもそも近代の学校というのは、明治5年の学制からスタートするが、翌年よりポツポツと小学校が造られていく。しかし、制服まで揃える発想はなかったはずだ。
私塾、ミッション系の学校も、いきなり生徒たちに制服を求めることはなかったと思うし、洋服を手に入れることもできなかったろう。
つまり明治9年の大滝小学校の制服は、日本のファッション史の一角に残すべきではないか、と思えるのである。
上着も、なかなかのファッション性を備えている。とくに後ろには2つの装飾ボタン付きだ。
村も、これを売り出すという手もありますぜ(⌒ー⌒)。
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