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森と林業と田舎の本

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2017/08/15

かつて「砲台山」があった

終戦の日だからというわけではないが、最近思い出して気になっている所がある。

 
私が中学・高校時代を過ごした北九州市門司区のことだ。
 
私は生涯で初めての引っ越しをして、門司区のもっとも端に位置する町に住んだ。北九州市は100万人都市だったが、当時の第一印象は田舎町だった。家は小高い丘の上にあり、関門海峡を見下ろすことができた。まだ関門橋は完成していなかったが、海峡を行き来するたくさんの船を毎日見ていた。今思えば、「コクリコ坂」の世界と似ている。
 
Photo_3
 
関門海峡。住んでいたのは地図の「手向山公園」の右隣の緑地辺り。
 
一方、国鉄も走っていて、蒸気機関車が何十台と集結していた。なんだ、消えるSLと騒がれたが、こんなにあるじゃないか、と思った記憶がある。毎日SLが見放題。近づくこともできた。もっとも鉄ちゃん趣味は私にはないので、さほど嬉しくもない。それは九州中のSLが最後に集まってきていたからであり、その後一斉に姿を消すのだけど。
 
さて、住んだ家は、すぐ横が森になっていて、そこから山になってきた。
住みだして何カ月経ってからか、意を決して森に分け入った。道はない中を登りだしたのだ。これこそ、現在の生駒の森歩きのスタイルの原点だ。ブッシュをかき分け、木と木の間をがむしゃらに登るのだ。
もちろん急坂もあれは窪地もある。手を地面につくこともあったが、ひたすら登る。すると、急に視界が開けた。光が射し込んで、森から道の一角に出たことに気づいた。
 
地道だったと思うが、わりと幅はあったように記憶する。そこからは起伏のある草原だった。その頂上部分に浄水施設が設けられていたから、そこへ行くための道だったのだろう。
 
森から出て草原を歩くのは異世界のような気分だったが、眺めはよかった。そのうちに妙な工作物があることに気づいた。上部は土に埋もれているのだが、レンガを積んだ地下式の建物が3つほど並んでいたのだ。中に入ると、湿った空気の匂いがしたが、ガランドウだった。それは倉庫……というより弾薬庫だったらしい。
 
その後徐々にわかってきたが、この山には陸軍の陣地があって、砲台が備えつけられていたのだ。なるほど、関門海峡に侵入する敵船を監視して、攻撃するのにはもってこいの場所なのだ。おそらく明治時代につくられたのだろう。
だから地元の人は「砲台山」と呼んでいた。
 
その後、砲台跡も発見した。大宝は撤去されているが、砲台を設置した丸い陣地があったのだ。その下に何かあると睨んだ私は、スコップを持って行って掘った。すると砲台跡の下にはちゃんと陣地があった。ここで大砲への砲弾込めをやっていたのだろう。
そんな空間は、中学生の私と友達の間では、まさに秘密基地だった。
 
当時、写真を撮っていたら貴重だったのだが、どうも撮影した記憶がない。ネットで調べてみたら、同じ門司区でも先端部の和布刈砲台跡の写真を見つけた。
 
Photo
 
弾薬庫はこんな感じだ。もっとも私の見たのは石組みではなく壁か全部レンガだったと思う。しかも整備されず放置状態だから、もう少し荒れた雰囲気だった。
 
そのことを思い出したので、ネットで確認できないかと見てみた。
 
Photo_2
 
……なんにも見えない。というより、草原だった部分もみんな森になってしまっている。逆に、私が道なき道を登った部分は宅地造成されて家が建っているよ。
わずかに浄水場の上が草原のままだが。もはや弾薬庫も砲台跡も撤去されてしまったのだろうか。。。戦争遺跡としても貴重だったと思うのだが。
 
なんと、思い出からの戦跡探しから、植生遷移を確認してしまったのだった。

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