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森と林業の本

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2017/09/05

消える道

このところ、生駒山系や矢田丘陵を歩いていると思うことがある。

それは、山道がどんどん廃道ぽくなっていること。
 
私が歩くのは、もともと人があまり通らないルートなのだが、それでも一応は道として開かれたところが基本。途中、脱線する場合は別として……。
 
ちゃんと標識がある道でも実際に歩いているうちに、草ぼうぼうになってきたり、倒木が前を塞いでいたり、土砂崩れなのか道そのものが崩壊していたりと、まともな道でなくなっている経験が増えているのだ。
 
それもハイキング道ではなく、里道というか、多分昔は交通の要路と思われる道。今は別の車道などが開通して必要度が低くなって山の中の抜け道ぼくなっているが、かつてはこちらが幹道だったと思われるところもある。
 
029 かろうじて道の痕跡を残す
 
 
いやいや、舗装された車道さえも、最近は各地で草に覆われている。両側から伸びた草が道をふさぐかのようだ。草が車に触らずに通れなくなっているのだ。
実は、先日もそんな道を車で走っていたら、草の中からかなりのスピードで対向車が飛び出してきてヒヤリとした。細い道なのに飛ばすな、と言いたいが、実は草のおかげで見通しが悪いことも理由だろう。
 
こうした道は、本来行政が整備しなくてはならないはずだが、財源が減って草刈りの回数も少なくなって来たのかもしれない。
 
 
人口減社会になると、田舎の田畑が消える、集落が消える、さらに相続未登記によって所有者不明の森が、人家が、土地が……と問題化しているが、実は消えると言っても現実に山や宅地が存在しなくなるわけでみない。家だって古くなって倒壊する恐れがあるかもしれないが、基本的に空き家になっても残っている。
 
その点、本当に消えてしまいかねない筆頭は道かもしれ ない。草が生えてもしばらくは踏み跡が残るが、長い年月の間には本当に消える可能性がある。もし崩れたり、路面に樹木が生えて太くなれば通れなくなって完全に道でなくなるだろう。
 
おそらく縮小社会では道路などインフラ維持も厳しくなるから、今後道の消滅は加速するだろう。
 
私は廃道ファン? ではあるが、こうした道の消え方はあんまり喜ばしくはない。道とは、人が通った記憶の残る土地だ。ときに深い歴史があったり、ドラマが展開されたかもしれない。
 
それがかろうじて残っているうちは、廃道としても楽しめるが、完全に痕跡さえ消えたとき、人も消える。
 
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