せっかく伊勢神宮で講演すると伝えていたのだから、そこで見てきたものをいくつか紹介しよう、私の興味の持ったものを。。。。
まずは、斎宮。
皇女がいた。。。
斎宮・をご存じだろうか。伊勢神宮のある伊勢市ではなく隣の明和町にあるのだが、伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに都から伊勢に派遣された斎王のいる宮だ。そもそも伊勢神宮の起源として知られる倭姫命(やまとひめのみこと)が関わっている。
敷地面積137ヘクタールもある遺跡である。平城宮跡に匹敵する広さだ。
だだッ広い草原だが、一部に模型の宮がつくられている。これほど広い草原が維持されている点も面白い。
次に外宮の駐車場で見たもの。
これは第2駐車場だが、なぜか駐車場の合間に幾つも植え込みがある。植え込みといっても100年生の大木もあるから、元から森があって、これらの木を除いて駐車場にしたのかもしれない。
が、写真の木はコウヨウザンなのだ。近頃、早生樹の植林樹種として注目されているが、中国原産である。広葉杉と記す。外来種がなぜあるのか。ちょっと場違いであった。
聞いたところによると、神宮周辺の植栽や関連施設は田中芳男が設計したらしい。田中芳男と言えば、貴族院議員であり、博物学者でもある。動物園とか植物園の設立も進めた人物で、大日本山林会の会長も勤めている。ちなみに土倉庄三郎とも親交があった。
彼がコウヨウザンを取り入れたのかもしれない。植えたのは台湾が日本領になった時期かもしれないし、外来種・移入種問題という発想も弱かっただろう。
外宮(豊受大神宮)の参道の脇で見かけたもの。
異種の樹木が抱き合っていた(^o^)。いや、飲み込んでいるのか。こんなところに注目してしまうなんて……。
そして内宮(皇大神宮)。この写真は、宇治橋前。誰もが、ここを参道だと思っているが……。
実は、明治になるまで、ここには御師(お伊勢参りを先導者。今なら旅行業者ですな ^o^)の館が並んでいたらしい。つまり街だったのだ。それが撤去されて、こんな広い参道になったそう。
ついでに言えば宇治橋も、今では遷宮時に掛け替えるが、昔はそうではなかったらしい。つまり20年に一度の作り直しに入っていなかったとか。
意外や、神域は今より狭かったことになる。後世になるに従って広めているのだね。
そういや奈良の飛火野だって、かつては兵舎が建ち並んでいたらしいし。万葉集に出てくる歴史的な飛火野は別のところにあったとか。
歴史をたどると、現在の名所は結構ずれていたりする。こんなところに面白さを感じるへそ曲がりなのであった。
以上、仏都・奈良から神都・伊勢を訪れた者の感想でした\(^o^)/。
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