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2017/11/01

究極の地産地消建築?

これは、紀伊半島の大台ヶ原に建つ初代の大台教会

 
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大台教会は、古川嵩が神習教という宗教の一派として立てた神道系の宗教だが、その神殿である。建てられたのは明治32年(1899年)である。
もともと1500メートル級の山の中であり、近畿の秘境だったが、教祖・古川嵩がここに建てたいと望んだ際に協力したのが、土倉庄三郎
 
大杉谷開発に取り組んで林道を開いていた庄三郎は、そこから支線を大台ヶ原に延ばし、さらに教会を建ててあげた。庄三郎も、さすがに「えらい金がかかった」と嘆くほどの難工事だったそうだ。
 
この教会は、1990年代に建て直されている。だから今は残っていない(写真の神殿後ろに建つ生活棟は使われていないが、一応残る)。
しかし、豪壮なつくりだったようだ。中には「土倉の間」もあったとか。。。
 
ただ、今回私が感じたのは、庄三郎の尽力のことよりも、どのように建てたのか、という点だ。
 
だって、考えてみてほしい。当時、道を開くだけでも大変だったのに(それも徒歩か牛車の道であり、自動車が入れるわけではない。)、材料はどうしたか。
使った木材は、全部大台ヶ原の木だったらしい。たしかに原生林には大木が多く、木材そのものの調達には困らなかっただろう。しかし、製材はどうしたか。一度山から下ろして川上村、いや吉野のほとりの製材所で板や柱にしてからまた担ぎ上げた? それはないだろう。
 
ということは、現地で製材したことになる。動力機械だってないだろう。ノコギリなどの刃物だけか。
 
どうやったのだろうなあ。雨ばかり降る山の上で、せっせと製材して乾燥させて刻んで建てたのか……気が遠くなる。
 
昔は、どこでもできるだけ近くの木を使って建築をした。地産地消である。
 
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初代の建築の面影が残る裏の生活棟。神殿ではないにしろ、結構太くて立派な材を使い、丁寧につくられた様子が読み取れる。

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