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森と林業の本

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2017/12/29

森林ジャーナリストだからって、森が好きだと思うなよ。

今読んでいる本は「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」(新潮社刊・川上和人著)。
 
鳥類の研究のために絶海の孤島やジャングルを走り回る話だが、この本のタイトルをパクれば、私も「森林ジャーナリストだからって、森が好きだと思うなよ。」と言いたくなる1年であった。
 
 
森林が好きだからこそ森林環境の素晴らしさを強調し、森林のもたらす機能を謳い上げ、森林に関わる仕事である林業に肩入れする……というスタンスの人も多い。
それらの多くは、なんとか森林・林業のよい話題を見つけて紹介する……というものではないか。その点、私は反対の立場を取る。
 
振り返ると、森林林業に関して非常に不愉快な1年だった。
今年私が多用した言葉は「絶望の日本林業」だ。何から何までがんじがらめで前へ進めない状況を感じるからだ。出口が見えない、直しようがない。。。
現在のシステムの根幹を変える改革には背を向けて、量の林業、競争の林業ばかりを推進する。イノベーションに背を向けて、目先の利益を餌にばらまく補助金投入林業も断末魔の様相。林業従事者の待遇をよくしようという動きは潰す。もはや身動き取れなくなってきた。そこに将来の森を夢見ることはできない。
 
何が問題かって、絶望的であることに気付かない人々ではないか。問題点を指摘すると、今は悪くない、成長産業だと信じようとして、現状維持バイアスが強烈に発動される。新しいことに取り組もうとする足を引っ張り、リスクを嫌がり、目先の利益に終始。批判には敵意剥き出しになる。
 
とにかく今が良ければよい、100年後どころか10年後20年後のことも考えない……。
 
ちょっと実例。
 
Photo森林林業白書の図。
 
現在の状況を表わす水色の盛り上がっている部分をドンドン伐っているわけだが、50年後(黄色)100年後(草色)の齢級構成を見てほしい。「林齢の平準化」を掲げてコアな蓄積部分を皆伐したあげく、森林蓄積の絶対量を激減させるのだ(;´д`)。
 
 
ここ数年のキーワードでとしてよく使われる反知性主義とか不寛容社会は、林業界にもすっかり浸透してきたようだ。不都合な将来予想や地球環境や生物多様性がどうたらというと嫌われるようになった。揚げ足取りや感情的な反論が増えた、いや反論というより考えるのがイヤなんだろう。
 
それよりもいい面を見つめて気持ちよくなりたい。「日本スゴイ!」と一緒で、頑張っている人や、新たな取り組みを探し出して、林業は成長産業だ!と叫ぶ。例外的な人やケースをクローズアップして「日本の林業は素晴らしい人がやっている」「こんな斬新な取り組みを行う地域もある」と主張しても虚しさを感じないのだろうか?
 
 
 
自身のことを振り返ると、手がける分野の幅を広げた。加えて取材を受ける側に回ることも増えた。肩書も増やした(^o^)。
 
最近だけでも砥石ジャーナリストやミツバチ・ジャーナリスト、ベンチ・ジャーナリスト、森の伝統工芸ジャーナリスト……といろいろつくったなあ(笑)。ほかにもナラシカ・ジャーナリスト、獣害ジャーナリスト、生駒山ジャーナリストもやっている。
 
いずれの分野でも、私はケシカランことには悪態をつき続け、キレイゴトを言い続ける。これが私の来年へ向けた所信表明です(笑)。
 
 
本日を持って今年のブログの更新はオシマイとする。年末年始は休むものだよ(~_~;)。
(と言いつつ、ツイッターやインスタはアップするかもしれないけど~_~;)。
 

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

日本は山の国だ。その山により水が豊かな国だ。山と水で豊かな森の国になるとは限らない。自然に任せておけば豊かな森になっていたが、それを人々が破壊している。もちろん人々が生活するためには森を利用しなければならない。利用し続けることができるためには知恵を生み出さなければならない。それがこの国には全くない。
はたしてこの国の人々は自然の猛威に潰され続けたために、どうせ人間の知恵や努力には自然には太刀打ちできないという、あきらめのDNAが形作られているような。
国の絶望的な経済と、そして絶望的な森と、どうしようもないむなしさを感じた一年でした。

日本は気候などには恵まれていて、少々破壊しても修復する力があります。日本人はそれに甘えて、壊しては治るのを待ち、また破壊することを繰り返してきたけど、そろそろ限界のような。。。
 
目先の利益をぶら下げたアベノミクスはそう遠くない時期に破綻し、補助金を失った林業も破滅するでしょう。国破れて山河もなくすかも。

問題を先送りするのは良くない、悪い事ほど早めに示せよ(報告)。また、重要な課題の解決の実施実行とか大きなお金を使うことには、ひと晩置いて(考えて)翌日に実行せよ・・・母の遺訓です。

方や森林問題ですが、思えば40.年50年前から取り組んでいたのに、その間で問題が解決してないとすれば、「やり方が悪い、関わった人がダメだった・・・などなど、もはや現体制の一新しか、手は無い!!」。旨く表現できてませんが、要するに「新しい酒は新しい袋に(器)入れるべき」!!これでしょう。

「林地残材で電気を作る」は、単なる美談だったようですので、「森林の資源の有効な利活用」に於いては他の手法を考えるべきですね。当方は色々とトライしてます。田中さんの発想を戴いて実行した《間伐角材サイコロのミニプランター作り》は今年のエコプロでワークショップしました。好評でしたので、商標登録化を目指しています。来年も変わらず、《刺激》を宜しくっ!!

ありがとうございます。

私は行き着くところまで行ってから、次の展開が見えてくるのではないかと思っています。行き着いた姿がどのようなものか漠としていますが。
くしくも明治150年だそうで、この先何が起こるのか不安と楽しみをもって見守りましょう。

イロイロと楽しませていただきました。勉強にもなりました!ありがとうございます♪ 何かお礼をせねば よいお年を~(^o^)/

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