現在の日本の木材需要量に占める欧州材は、7,6%(森林林業白書28年版)だそうだ。
随分増えたものだと思う。少なくても30年前はゼロと言ってよかった。
たまたま欧州材輸入始めの頃の思い出を語った総合商社マンの話を読んだ。それがすごい。
欧州材が日本に本格的に入ってきたのは1992年である。その前夜、アメリカの木材の輸出に規制がかかってウッドショックが起きていた。一方でヨーロッパではドイツマルク以外の通貨が大幅に切り下がり、とくに北欧では半値になっていた。木材価格も半値である。また日本国内でもプレカットが広がり始めて乾燥材を真剣に探し始めた時期でもあった。
……とまあ、こんな説明をすると、だから渡りに船と日本は欧州材輸入に踏み切ったのだ、と思いがちだ。ところが、そんな簡単ではなかったらしい。
なぜなら日本はバブルに浮かれていたからである。それに国産材に眼を向けたこともあったらしい。
しかし、そこに生き残りをかけたヨーロッパの木材業者が日本に乗り込んできたのだ。なにしろ大不況に陥って木材は売れずに倒産が相次いでいたから。輸出先として希望があるのは日本しかなかったのだ。
そこで行われたのは、徹底的に日本の木材市場を調べて求められているものをつくることだった。降水量や気温・湿度、木の動き……。国際携帯電話(まだメールもインターネットも普及していなかった)を持って、日本の工場を視察すると、その場で日本側の要求する仕様を本国に伝えて作らせる指示を出していたという。全量乾燥材で、寸法も希望通り。即断即決。
最終用途を聞き出すと、それに合わせた製品づくりを行うのだ。
そして、その最前線で走ったヨーロッパのビジネスマンは30歳半ばの若手だったという。
それまで欧州材という認識のなかった日本人、それも慣習に縛られて腰の重かった日本人を動かして、輸入を決めるまでに持ち込んだのだった。
ああ、これは敵わない……と思いましたよ。かつて高度経済生長時代の日本なら、工業製品を海外に売り込むときにはそんな頑張りを見せたのかもしれないが、90年代の頃にはハングリーさを失っていた。
そういや、ノルウェーでも彼らの現場力を感じたな。現場が権限を持っていて、どんどん話を進めていくのだ。
現在の日本の負けは、30年前から始まっていたのかもしれない。
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