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2018年1月

2018/01/31

畑の廃棄物

本日、畑で見たもの。

 
 
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見た通り、キャベツの外側の葉をむしって捨ててある。
まあ、収穫したら食べない部分を剥がすことはよくすることだが、それをここまで大っぴらに散らかすとは……。
 
これ、畑に漉き込んで肥料にでもするつもりなのか。が、その前にイノシシの餌になるでしょうね。そしてイノシシを誘引するきっかけになる。
 
農家は、作物を獣に食べられると怒るが、農業廃棄物は気前良くやる人が多い。廃棄物食べてお腹一杯になって、作物狙うなよ、という気持ちかもしれないが、それ反対だから。作物の味と場所を教えたも同然で、しかも餌を与えて繁殖にも協力していることになる。
 
こういう農家ばかりだと獣害はなくならないだろうねえ。
 

2018/01/30

Yahoo!ニュース「今年は里山命名600周年」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「今年は里山命名600周年! 改めて里山について考える 」を書きました。

 
いうまでもなく、この記事の元は、2日前のブログ記事『言葉としての「里山」と「棚田」』である。ほんと気まぐれに、今読んでいる本の話を書いたのだが、それにフェイスブックのコメント欄に「里山命名600周年ですね」と書き込まれた。
 
それでハッと気付く。たしかにもっとも古い「里山」という言葉が出てきた古文書は1418年であった。きっかり600年前ではないか。
 
里山命名600周年。この言葉の響きが気に入って、Yahoo!ニュースに書いてしまおう、と思ったのである。ほとんどタイトルだけだね(^^;)\(-_-メ;)。
 
まあ、1月はYahoo!ニュースをまだ1本しか書いていないから焦っていた面はある(笑)。
 
 
そして、もう一つ。実は『里山の成立』の著者、水野さんにはお会いしたことがあるのだが、そのときに「もっとも古い里山という言葉は、山国郷の文書(1670年)だ」と聞いていたのである。
それから九条文書を発掘して、より古い記録を見つけ出したのだろう。おかげで、600周年を祝うことができた\(^o^)/。

2018/01/29

Wedge2月号の“反響”

ようやく風邪が落ち着きだした。
この1週間、ひたすら安静にしていたので運動不足も甚だしい。なまった身体を少しずつ動かすことにする。と言っても、まだ完全復調とは言えないので、軽く森歩きなどを。
 
そこで近隣の森林公園の中に分け入ったのだが、冷えた林間の空気が思っていた以上に心地よい。これで心機一転、遅れに遅れている執筆に取り組もう。
 
 
さて、Wedge2月号に私が執筆した記事が掲載されている。
もし新幹線を利用する機会があれば、ぜひグリーン席のポケットに入っているWedgeに手を伸ばしてほしいのだが(グリーン席を購入しなくてもOK)、こんな記事。
 
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タイトルにあるとおり、「山を丸裸にする補助金の危うさ」、つまり主伐補助金問題である。元をたどれば昨年11月にYahoo!ニュースに記した拙文である。より詳しくなったが、内容は変わらない。
同時期に東京新聞の記事にもなった内容とも同じだ。
 
 
で、本日、某所より電話がありました(笑)。政策を説明したいのだそうだ。
 
そりゃ有り難い。より詳しく知りたい。が、東京に来たときに……。。(・・?) エッ?
そちらが来るんじゃなくて、足を運べと。交通費は……出ませんか。そうですか。
 
それならギャラも出ないでしょうね(笑)。
 
私が東京に行くときは、別件の用事があるときで、当然滞在中はその用件に時間を割くわけである。泊まった場合は、夜に旧友とお酒を飲むのを楽しみにしているわけである。時間を割くには相応の対価と理由が必要なのである。
 
 
さあ、どうする……。思いついた。いっそ、その説明を「取材」と位置づけたらどうだろう。
聞いたことを記事にする。いや、こちらから思い切り質問する。それで私は何がしかの原稿料を稼ぐ。これで辻褄が合う。
 
でも、どうせならもうすぐ掲載されるWEBRONZAの記事も抱き合わせた方がいいんじゃないかなあ。こちらでは森林環境税を取り上げているし。ぜひ、こちらの「説明」も聞きたい。
 
 

2018/01/28

言葉としての「里山」と「棚田」

いまさらながら里山について勉強し直している。そこで気になったのは、里山という言葉が登場したのはいつだったか、ということだ。ご存じだろうか。
 
比較的知られるのは、林学者の四手井綱英氏が、奥山に対して里に近く農業の営みに関わる山を「里山」と名付けたことだ。この場合は、山にある農用林を指す。里山という呼び方を提唱したのは、たてしか1960年代ではなかったか。
 
実は言葉としての「里山」が現れるのは、もっと古い。今見つかっている最古の例は、播磨の国の「九条家文書」である。1418年9月書かれた部分に里山という言葉が登場するらしい。意味も、里の人が使う山、ということで、ほぼ現在の意味と重なっている。
 
 
一方で棚田という言葉はどうだろう。
 
紀伊の国志富田荘の検注帳に棚田という言葉が登場するのがもっとも古い。1338年である。なんと里山より古かった。
 
もちろん、文書に記されるのと、実際に里山や棚田が成立するのとは全然別で時間的ズレは大きいと思う。傾斜地の水田という意味なら、万葉集にも登場するのだから、もっと古いだろう。その際は山田と呼ばれていたらしい。
 
 
また里山の科学的な定義(二次的自然)からは、縄文時代から人が森林に手を加えてきて里山と言える環境は存在していたはず。
 
棚田も同じで、山の中の1枚2枚の水田だったら、古代にもつくられただろう。もともと水田は谷間につくられたとされることからも、棚田の形態になりやすい。
しかし、それが何枚も重なって棚田景観となるには、営々と築いていくわけで、千枚田が成立するには、ときに数百年かけたのかもしれない。
 
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里山の典型である生駒山の棚田。山の中腹を超えるところまで棚田が広がっているが、ここまで開墾するのに何百年かかっただろう。

2018/01/27

フェア(トレード)の限界

先進国による後進国・発展途上国の搾取は、古くて根深い問題である。

 
昨今のグローバリズムも、この問題の一角を占めていて、強い国・企業が独占的に価格や買取量を決めたり生産量の調整まで要求する。
 
それに対抗して生まれたのがフェアトレードだ。正しく公正な取引を標榜して、生産地の利益を確保できるように、現在の市況(国際相場)よりも高い価格で買い取る仕組みである。
 
ある意味、消費者の「善意」を元に、NPOなど比較的小さな組織が国際市場を通さない取引を行う。この場合、当然ながら末端価格は高くなる。
 
この理屈を援用して、最近ではフェアウッという言葉も聞くようになった。木材価格が下落する中で山元にフェアな利益を渡せるような木材価格で取引するのだ。加えて、木材の生産現場で自然環境を破壊していないか、先住民や労働者の社会環境も公正か……というフェアさも求められる。そして、こ」さらの動きは反グローバリズム運動にもなっている。
 
もちろん、こうした動きは悪いことではない。
 
ただ最近私が某テーマで取材をしている中で、ちょっと疑問符を抱き始めた。
 
フェアトレードがどうもちゃんと機能していないのだ。
 
たとえば市場価格より高く買い取ることが最初に決めてあるから、生産者は品質にこだわらなくなった例がある。どんな品でも高く買ってくれると思うと、創意工夫がなくなるらしい。
 
加えて、フェアトレード団体は概して小さいから、扱う量は多くはない。そこである国の産地の中の一部の村の品だけになる。すると、フェアトレード団体と結んだ村だけが利益を上げて隣村との格差を生じさせる。それが地域社会を壊すこともある。
 
そしてフェアトレード商品を購入する消費者にとって、品質がよくないのに高く買わされるわけで、消費者側にフェアではない
 
結果的にフェアトレード商品があまり売れず、せっかく仕掛けた村に還元されなくなる……。
 
フェアトレードは,しょせん消費者の善意にすがっているだけで持続的なビジネスモデルになっていないのである。
 
ここでフェアウッドに話を当てはめると、違法木材を締め出したり、森林環境の保全や持続をチェックする機能は結構なのだが、材の品質という点から見ると、消費者にフェアな木材とはなんだろうか。そして最終商品(住宅だったり家具だったり)がよく売れる価格と品質を追求しなければ、成り立たないのではないか。
また質には、木材の品質だけでなく、流通サービスや加工サービスも含まれる。
 
ビジネスはフェアであるべきだが、フェアだけでは売れない。
ここで高値にするのは、フェアな価値ではなく、フェアにするため努力したことに価値を漬けるべきではないか。
 
たとえばフェアな木材にするため森林認証制度を取得したとする。取得するための手間や費用にコストが2割増しになったとする。その材を4割増の価格で買い取る。
無節で通直な材を作り上げるためのコストが5割増だったら、買取価格は2倍にする。
注文したら翌日には届くシステムをつくった、天然乾燥材を生産している、といった努力にも価格をつり上げる。 
 
……とまあ、こうした価格の累進性を設けられないかと考えてみた次第である。
単に合法木材だからと材質もサービスも変わらない材に高値をつけてはイカン。そんな気がしている。
 
まだ思考中なので、この辺で。ゴホゴホ。

2018/01/26

みどりのマルチの正体

引きずっている風邪は、ようやく今日になって鼻づまりから解放された。
快方に向かっているのかと思いきや……喉が痛い。
ゲホッゲホッと咳が出る。喉がひきつる。
 
鼻水から咳に症状が移っただけじゃないか(泣)。ゴホゴホ。
身体はまだだるさが抜けないし、節々の違和感も依然と続く。
頭も朦朧として、深い考え事ができなくなる。すでに執筆した原稿の推敲をしようと思ったが、文章が頭の中に コホ 入ってこない。ゼイゼイ。
 
もう仕事は放り出して、早く寝るに限る。
 
というわけで、さっさとブログを書いてしまおう。

昨年の今頃、大坂城公園でツタによる地表のマルチを紹介した。

 
調べたところ、ツタではなくキヅタであったのだが……。
 
今年になって、こんなマルチも発見。
 
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緑の絨毯状態で、なかなか気分がよい。が、こちらの種類はなんなんだろう。
 
拡大してみると。
 
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わからんなあ。フジの葉っぱみたいに見えるが、そうではないし。。。
 
この厳冬期に青々しているのは気持ちよい。しかも密生しているから春夏にも雑草は生えないだろう。誰かこの植物の名称を教えてください。ゴホゴホ。
 
自分で調べろって、ゲホッ、風邪を引きまして(^^;)、頭が惚けて考え事ができない……ゴホゴホ、なんですよ。
 
私の心は、こんな状態ですわ。
 
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2018/01/25

木材輸出は好調だが

日経新聞にこんな記事。

 
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昨年の木材輸出額が320億円前後に達して、40年ぶりの高水準なんだそうだ。
この記事を読んで最初に思ったのは、40年前というと1970年代だが、その頃に今より多くの木材輸出をしていたことに驚いた(笑)。
 
ともあれ国内木材生産額の約1割を占めるという。ここまで伸びたと見るか、まだまだ小さいと見るか。
 
それ自体は結構なことなんだが、量が書いていないので、山元の立米当たり木材価格がわかりにくい。輸送費込みで、これまでより10%値上げした価格が130~135ドルとあるが、中国までの運賃はどれだけかかるのか。。。
単純に総額をこの価格で割ると、220万立米くらいになる。
 
2000年頃に初めて宮崎が中国へ木材輸出を始めた時は、めざせ100万立米だったから、気がついたら超えていたというわけだ。
 
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鹿児島県志布志港の輸出用原木。
 
 
ただ中国向けは梱包材とあるから、上等な木ではないだろう。やはり量で稼いだ金額だと見る。ニュージーランド材より安いともある。
 
早生樹種で工業的なニュージーランド(多分、ラジアータ)材より安いというのは、しわ寄せを山主に被せて安くしているのではないか。
このままだと、日本の木材はブラックに安いと海外に情報発信していることになるだろう。
 
ただ、国内でもバイオマス材のようにFITで下駄を履かせて高くした用途があるのに、あえて輸出するのは、中国需要はバイオマス燃料よりは高いということ?
それならそれで歓迎すべきかもしれない。本の少し前に中国が日本の森を買い占めていると決めつけて大騒ぎしたのに、木材を買ってくれるのには文句言わないのね(^^;)。
 
ただいつまでも安い梱包材では持たないだろう。早く高価格用途を見つけ出さないと、本当に誰かが「中国が日本の山を丸裸にした」と言い出すかもしれないよ。

2018/01/24

女王蜂か蜂蜜か

風邪、風邪を引きずっている。

身体が重い。鼻水がじゅるじゅる。目がしょぼしょぼ。関節がちくちく。熱は出ていないのが救いか。  
布団に潜り込んで本でも読んでおこうと思ったが、横になると余計に目がしょぼついて読みにくい。
 
それ、インフルエンザじゃない? と某氏に言われたのだが、だったらインフルエンサーになれるかも。で、ユーチューブで乃木坂46を聞く……(笑)。この歌は、インフルエンザにかかった人のこと歌っているんじゃなかったのか。。。
 
 
一応、売薬は飲んでいるのだが、精力をつけねば、と通常は遠慮がちのお菓子をバリバリ食べているので、太るかもしれない。
 
で、こんなものも試す。
 
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これ、年末にいただいた四国(愛媛)土産。
 
オオスズメ蜂 女王蜂の蜂蜜漬け」。これは効く気がする(^o^)。
 
ただし、これは何を食するのか。名前が「女王蜂の蜂蜜漬け」なんだから女王蜂が主役なのだろうか。あくまで、蜂を食べろっと?「女王蜂を漬けた蜂蜜」ではないのだね。
となると、スズメバチを取り出してバリバリと食べるべきなのか。
 
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結構大きい。というか、ハリも残っていて、かなりリアル。むしろグロい。
 
しかし、開け口が小さくて、スズメバチは出てこない。パッケージにも、「蜂蜜を2、3滴焼酎に落として飲む」なんてレシピが書かれている。
 
と、とりあえず、数滴をなめる。。。。。濃厚だが、ハチの味はしない(ハチの味ってどんなのか知らんが)。やはりハチミツをお湯に溶いて飲むことにする。
 
スズメバチを食すのは次の機会に回すとして(^^;)、今回はこれで許してください(泣)。。

2018/01/23

施政方針演説

どうやら風邪を引いてしまったようだ。

 
身体の節々が痛い。鼻水が出る。だるい。熱っぽい。
 
こんな日はひたすら寝るに限る。だから原稿は後回しにして……なんでブログを書いているんだ?
 
とりあえず簡単に。いよいよ通常国会が開幕した。安倍総理が施政方針演説 をしている。
 
その中の地方創生の項目の「農林水産新時代」に森林バンクについて触れている。いよいよ本決まりなのだろうか。国会審議はあるのだけど。
 
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 戦後以来の林業改革に挑戦します。豊富な森林資源を有する我が国の林業には、大きな成長の可能性があります。

 森林バンクを創設します。意欲と能力のある経営者に森林を集約し、大規模化を進めます。その他の森林も、市町村が管理を行うことで、国土を保全し、美しい山々を次世代に引き渡してまいります。

だが、私が注目したのは、「おわりに」である。
 
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この冒頭に登場する人物に注目していただきたい。
 
 「五十年、八十年先の国土を富ます。」
 百五十年前。天竜川はたびたび氾濫し、村人たちは苦しめられてきました。子々孫々、洪水から村を守るため、金原(きんぱら)明善(めいぜん)は、植林により治水を行いました。
 六百ヘクタールに及ぶ荒れ地に、三百万本もの木を植える壮大な計画。それでも、多くの人たちが明善(めいぜん)の呼び掛けに賛同し、植林のため、共に、山に移り住みます。
 力ある者は、山を耕し、苗木を植える。木登りが得意な者は、枝を切り落とす。女性や子どもは蔦(つた)や雑草を取り除く。それぞれが、自身の持ち味を活かしました。
 多くの人たちの力を結集することによって築き上げられた森林は、百年たった今でも、肥沃な遠州平(えんしゅう)野の守り神となっています。
 多くの人の力を結集し、次の時代を切り拓く。あらゆる人にチャンスあふれる日本を、与野党の枠を超えて、皆さん、共に、作ろうではありませんか。
 
なんと、金原明善が登場する。もともと治水に力を注いできた豪農だが、後半生は森づくりに邁進する。そこで関わったのが土倉庄三郎だ。天竜に吉野式の林業を取り入れさせたのである。それに金原と土倉は似ている。
 
そのうち土倉庄三郎も施政方針演説に登場させないとイカンなあ。。。。
 
しかし、この金原の事績から、未来の国づくりを謳い、それを憲法改正に結びつけようとするというのは、牽強付会だ。誰の入れ知恵だろうか。 
 
 
なかなかよいこと言っているんだよ。文面だけ読めば。それを聞いていると、薄っぺらいペラペラの言葉になるのはナンだろうね。やっぱり総理の教養のなさに起因するのかね。読み終えたら、すぐに内容忘れてしまうんじゃないか、と思わせるんだよ。あるいは、自分は植林に参加せず他人に植えさせる側と決めているように聞こえるんだよ。
 
さあ、寝よう。

2018/01/22

森の思想生態学!

本日、お会いした研究者は、東南アジアの某国でアグロフォレストリー系の某プロジェクトを進めているのだが、過去の経歴を尋ねると、「神社の立地」とか「鎮守の森」だという。それもラオスなど海外にも広げている。森にカミさまを感じる、いわば森林空間利用を研究対象としているのだ。

 
しかも出身は建築学で……これ、専門としては何という学問なんですか?
 
すると、「思想生態学」という言葉が返ってきた。
 
なんと、思想と生態学が合体するとは。しかし思想とはなんだろう。そこでこの「思想」を英語でいうと、何に当てはまるのか聞くと、イマジネーションがもっとも近いという。アイデアなどではないのだ。
 
イマジネーション。直訳すると、想像、想像力になるが、人間の思考の広がりを指すと考えたらよいかもしれない。その延長に森の中に神様を感じる心も含まれるのかも。
 
言い換えると、人と自然の接点を探るというのだが……もしかして、これ私が取り組んでいる「人と森の関わり方」に通じるものがあるのでは。。。哲学・歴史・文化・心理・社会といった人文科学と自然科学の融合だ。
 
 
思想生態学。こんな学問分野があったんですね、と私が感心すると、「言ったもん勝ち」。
造語だそうである(笑)。 
というわけで、思いついた。 
 
イマジネーション・エコロジー。想像の翼の生態学。
 
よし、私もこれを標榜しよう。私は森の思想生態学者(見習い)だ!
 
森の空間でいかなる想像を羽ばたかせるか。林業や観光のような分野も包含するが、それで収まらないもっと広い概念を扱うのだ。
 
 
たまたま   生駒山で私が追いかけているのが、森に鎮座する現代の神様。
 
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2018/01/21

森林環境税に対する論説

森林環境税がいよいよ本決まりになって、各マスコミが扱いだした。

 
森林環境税に関する論説」を集めたコーナーがつくられている。論説と言っても新聞記事だが。単に新税構想を紹介した記事ではなく、ちゃんと内容を論じたもの、という意味だろう。
 
 
 
この中で読みごたえがあったのは、日経かな。
 
森林税はなぜ年1000円なのか。斎藤健農相は「伐採に必要な資金だ。従来の予算で対応できない森林がどれくらいあるかというところから積算した」と話し、需要からの逆算と説明する。
林野庁は山奥など手入れが難しい私有林の面積を基準にしたという。同庁は手入れすべき私有林は年十数万ヘクタールあり、間伐に1ヘクタールあたり40万~50万円かかると試算。所有者の同意取り付けや測量など関連経費を加え、約600億円の必要額をはじいた。
林野庁の18年度予算は2997億円。新税による税収はその2割に当たる。
 
この計算、本当かな。林野庁が一人当たり1000円にするため、基数を設定したようにも感じるが。フェイクニュースになっていないか、誰かファクトチェックしてほしい。(私? 私は数字弱いから……。)
 
 
ちなみに私の記憶だと、ほかにも森林環境税を扱った新聞はある。まず東京新聞がそうだし、地方紙もまだあったはず。
 
171215  東京新聞12月15日
 
 
もっとも早く論説記事として発表したのは、多分私である(^o^)。Yahoo!ニュース にアップしたのは、11月18日だ。
 
そして、実はもう1本執筆中。もうすぐなので事前予告しておくと、WEB RONZA に森林環境税についての記事を予定している。内容はより詳しくなる、はず。
 
ここで問題となるのだが、私はこの原稿の一部に「まだ反対の声があまり強く出ていないが」と記した。しかし、こうして新聞の論説記事を読んでみると、わりと批判的な論調も増えてきた気がする。まずい。来週入稿のつもりたったが、書き直そう。
 
 
もう一つ、冒頭に紹介した「勉強部屋」には<<森林環境税の海外への情報発信>>も行っている。そこで税制大綱の森林環境税の部分を訳して、The Forest Environmental Tax in Japan will start in FY 2019というページを創ったそうだ。
 
世界中で、環境対策、それも森林に関する目的税をつくった国はないと聞いているので、反応が知りたいところ。しかも、通常の環境対策は「規制」か「課税」なのだが、これは逆に金のバラマキだからね。そして税金で木を伐らすのだから特異と言えば特異だろう。
 
いよいよ第196回通常国会が22日に招集される。森林環境税の審議がどのように行われるか注目である。
 

2018/01/20

巨大枝うち

某公園で見かけた樹木。

 
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ううむ。デカい切り口。枝を打ったというよりは二股の幹の片方を落としたような断面だ。サイズがわかりにくいかもしれないが、幹の直径は30センチ弱で、切り落とした枝の太さはそれに優るとも劣らない太さ。
 
 
吉野で枝打ち体験した際に、「力枝を打ってはいけない」と教わった。下方の枝ならなんでも落とせば枝打ちになるかと言えばそうではなくて、力枝と呼ぶ元気のある枝を打つと本体を枯らしてしまう……というのだ。
それはヒノキの場合らしいが、広葉樹(そういえば樹種を見るのを忘れた)の場合は、これほど太い枝を伐っても大丈夫なのかね。
 
まあ、切り口の樹皮が少しずつ巻いているようだから、枯れる心配はなさそうだが。(でも、完全に傷口がふさがるかどうか。。。)
 
樹木の剪定も下手にやると逆効果だろう。造園業者はちゃんと技術を持っている……と信じたい。

2018/01/19

生駒山の棚田と里山講演会

毎日新聞奈良版に載った記事。

 
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写真がモノクロなのが残念なので、カラー版空撮写真を。暗峠である。真ん中をスカイラインが延びて、両側に棚田がある。
 
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記事が読みにくかったら、こちらのサイトへどうぞ。
 
 
生駒山には、こんな巨大棚田があるんだぞ、という内容だが、ちょうど生駒市で里山の講演会を開くことに決まった。私は講師を引き受けることに。
 
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3月3日(土)13時~である。場所は生駒駅南側のセイセイビル(生駒市コミュニティセンター)4階。
 
主催は、「いこま棚田クラブ」。今回の記事にぴったりだろう(笑)。
 
 
タイトルは、多少煽り気味だが、「ちょっと……」と言われたのを押し切った。おとなしいタイトルでは、興味を引かない。
もちろん、参加者は別に生駒市民でなくてもよいし、誰でもどうぞ。
 
 
内容はこれから考えるのだが、この連載で取り上げるテーマが予告編みたいになればよいかな、と思っている。隔週だが、なんとか3月まで生駒山ネタでつなげるだろうか。

2018/01/18

Yahoo!ニュース「日本の森の闇。……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「日本の森の闇。所有境界線がわからない 」を執筆しました。

 
実は、林野庁が創設を目論んでいる森林バンクの仕事を考えているうちに、所有者不明土地問題の解決をめざすのだろうか……と思い、でも名義以前の境界線の方が大変だよな、と思い、それについて書き出した。
 
途中、情報の裏取りで検索したら「法務局の登記官に調査権限を……」というニュースに出くわした。おお、こちらの方がタイムリーやん、と出だしに使わせてもらったわけ。
 
昨年は、こちらの問題の取材もわりとしたので、ネタとしては揃っている。
 
ただ本来、未登記問題と境界線問題は別なんだけど、世間的にはごっちゃになっている気がする。しっかり相続していても境界線が未確定のことも多いからね。
 
もっと簡単に調査できないのかとも思うが、個人情報保護と所有権について現在の規定を変えるのは至難の業だろう。よほど使命感を持った豪腕政治家が現れるか、本当ににっちもさっちもいかずに大事件になって世論が動かないかぎり。
 
よく不明の土地は国に寄付と言う意見があるが、国もいらないだろうし、国有になったらもっと複雑で利用が難しくて荒れるよ。。。

2018/01/17

報道の意味~震災とチモールと森林

2018年1月17日は、阪神淡路大震災23年目。発生時刻、私はやはり夢の中でした(^o^)。

 
以前も記したかもしれないが、関西人(少なくても私にとって)は震災としては東日本大震災よりも阪神大震災の方がショックを受け、後々まで影響を与えた。もちろん年齢や当時何をしていたのかどんな体験をしたのかによって変わるだろうが……。
 
やはり距離の差、町など土地や人に関して、自らの知っている知識・記憶のレベルが違うからである。
 
 
そんなことを考えていると、私が執筆した『チモール 知られざる虐殺の島 』のことを思い出した。この本を刊行した際に、どこだったか、図書新聞? だったような記憶もあるが、とにかく拙著を紹介してくれるそうで、そこに著者の執筆した理由や思いを書いてくれ、という依頼があった。
 
Photo  1988年発行・1999年増補改訂版発行。
 
そこで私が記したのは、以下のようなことだった。肝心の記事がどこに行ったのかわからないので記憶に頼るが……。
 
「地球の裏側に住む少年が交通事故にあった」ことに、どれほど共感するか。多分、ほとんどの人はお愛想で「可哀相だね」というかもしれないが、興味は湧かないだろう。
今の自分からもっとも遠いところに住んでいる、まったく見知らぬ少年が交通事故で怪我をした、亡くなったと知らされても、多分悲しくはならない。関心外である。
 
しかし、もし少年が日系人で、その祖父の出身地が自分の住む町だったらどうだろう。
あるいは彼のあった交通事故と同じような事故に、自分も巻き込まれた経験があったら。
それどころか少年は昨年日本に訪れていて、自分と知り合い一緒に遊んだ記憶があったら。いやいや少年が自分の家にホームステイしていたら。。。。
彼の容貌や癖や生活態度を知っていたら、彼の将来の夢を聞いていたら、他人事ではなくなるのだ。
 
そうした関係性があると、少年の悲劇は自分の心にも響く。
 
 
東チモールで起きている(当時)植民地支配と独立戦争による大きな被害、虐殺された人々のことについて日本人のほとんどは知らない。だから関心を持てない。
だが、その東チモールを、かつて日本軍が占領して3年半支配していた歴史があったことを知ったら。駐留していた日本兵と現地の人々との交流や、あるいは戦いを知っていたら。そして戦後も少なからず日本は東チモールに関わっていた事実を知ったら、どうだろう。
 
 
とまあ、そんな書き出しで、東チモールのことを知ってほしい、これほど日本と関わりがあった島とその住民のことを調べたから……という記事にしたのであった。(これ読んで、本に興味を持って買ってくれた人がいたかなあ。。)
 
 
情報を発信する報道の役割とは何か。かつて日本は中立国ポルトガル領東チモールまで侵攻したのだよ。そして軍政下において先住民を強制労働に動員したり慰安婦にしたり、何千人も死に追いやったのだよ、同時に日本兵も悲惨な経験を積み上げたのだよ、その中には密やかな日本人とチモール人の交流もあったのだよ。。。
 
すべての報道の意味は、そこにあるのではないか。震災のこと(阪神も淡路も東日本も熊本も)を具体的に知って、自らとの関わりを感じ取れなければ23年も、7年も、1年前でさえ、忘れてもいいんじゃない?という声も出てくる。記憶として忘れるというより、何の教訓も活かそうとしないということだ。
 
 
そして、森林問題も同じなんだろう。
 
 
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チモールで知り合った少女ミミ。彼女は可愛かったなあ(~_~;)。と思い出に浸る(⌒ー⌒)。

2018/01/16

バイオマス丸太

ふと訪れた生駒山尾根沿いにあるバイオマス発電所……と燃料置き場。

 
外から見ると、えらく丸太が積み上げてある。どうにも気になって(~_~;)、近づいてみた。
 
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なかなか大量の丸太だ。これが1ヘクタールぐらいの敷地にびっしり積まれている。発電所が稼働して1年以上が経つが、燃料となるてD材集めは軌道に乗ったのか、ずいぶん量が増えた。
 
それにしても、結構立派な丸太が混ざっている。素性がよいとはいわないが、長さも3メートルあるものが多いし、そんなに曲がっていない。多くが合板用B材としても通用するように思える。通常、バイオマス発電の燃料チップにするといえば枝や梢、切株、タンコロなどが目立つものなのに。……。
 
005  
 
独特の積み方をしている。これをどこから持ってきたのかが気になるところ。大阪の、それも県境の山の上に発電所をつくったのだから、近くに産地があるわけはなく、もっとも謎の部分だ。誰か、知らないか?
 
 
013  011
 
こんな荷札のついた丸太を発見。でも、これでは仕入れ先がわからんなぁ。
切り口の印は、どこかの木材市場の競りでも通ったのだろうか。
誰か、解読しませんか(笑)。
 

2018/01/15

『“道”を拓いた偉人伝』に土倉庄三郎

なんと、ブックオフで“道”を拓いた偉人伝』(イカロス出版 永冨 謙著)を発見。

サブタイトルが、「道をつくり、道を愛した5人の軌跡」とある。この5人のうちのトップバッターが、土倉庄三郎である。
 
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この本の存在は知っていたが、これまで手にすることはなかった。
 
実は、著者の永冨氏は「日本の廃道」というサイトを主宰して、電子本を発売しており、私もそうち土倉街道の掲載されている号は所持している。
 
ちなみに、今回の本に載っているのは、電子本(PDF版)とは、少し違うようだ。
それにしてもよく調べて、実際に歩いた記録でもあるのだからスゴイ。
 
 
私も土倉庄三郎を調べている際には、全体に土倉道と呼ばれる各所に建設した道についてそれなりに調べたし、歩けるところは歩いた。が、あまりに道ばかりに時間と労力を割くわけにはいかず、終わらせている。
 
それでも、著書『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』(『樹喜王 土倉庄三郎』)を出版後も気になっていて、幾度も川上村に土倉道の調査を行わないかと打診していたのだが……。
 
なにしろ、そのルート探索と距離を考えると、単独で行うのは厳しく限界もあるからだそれだけで何年も費やすと、庄三郎全体を追えなくなる。ほかにも調べるべきことが山積みだったから。加えて、ちゃんと報告書をまとめて役立つようにするためには組織的な取り組みが必要だと感じているからである。
 
残念ながら、未だに「土倉道全調査」は実現していないのだが……。
 
 
本書は、さすが廃道の専門家?、よく消えかかっている道筋を調べて実際に歩いている。
また文献調査も相当行ったようだ。
 
奈良県行政文書から五社峠の開削関係の資料まで見つけている。そして庄三郎が計画した五社トンネルについても多くの事実を発掘している。(ただし、トンネルを断念したから峠道をつくったというのは間違いだろう。先に峠道を開き、トンネル計画は還暦時である。)
 
また大杉谷開発の歴史もよく調べている。土倉翁は原生林を切り開いて自然破壊をしていた(笑)。
 
 
ちなみに本書の発行は、2011年11月25日。『森と近代日本を動かした男』は2012年11月7日。拙著の1年前である。だから底本は土倉祥子著の『評伝 土倉庄三郎』のようで、全幅の信頼をおいた、とあるが、私の裏取りでは『評伝』には推測による部分が多くて、怪しい部分もあった。丸ごと信用するのはどうかと思う。
 
ともあれ、土倉道に加えて吉野の山を縦横に延びる木馬道などをしっかり調査したら、熊野古道に並ぶ山間の大街道を描き出せる。再び世に出せば、村おこしにもなると思うのだが。
 

2018/01/14

林野庁長官インタビュー

林野庁・沖修司長官インタビュー がサイトに掲載されていた。

 
国の森林環境税の整備について……ということだが、内容はあまり税金のことは少なくて林業事情について語っている。一般向きの記事だからだろう。
 
 
細かなツッコミドコロはいろいろある。たとえば……
 
日本の森林の3分の2に当たる1300万ヘクタールが人工林です。
 
人工林は通称1000万ヘクタールというのだが、増えたのだろうか? 長官が間違えた? それともライターの聞き取りミス?
 
 
幹が太くなると、柱など通常の木材製品よりもサイズが大きくなりすぎます。のこぎりを入れる部分が増え、歩留まりが悪いです。また、現状の製材工場では太い木を加工できる設備が少ないというハード面の制約もあります。ですので、適当な太さで主採した方がよいです。
 
これは納得いかないなあ。「柱など」というが、現在の需要は板に移ってきている。歩留りは太い方がよいはずだ。欧米では、もっと太くしてから伐るのが当たり前だし。それに製材工場の機械に合わせるというのも本末転倒だ。機械を変えるべきだろう。
 
 
管理が難しくなっている人工林を市町村が預かり、林業経営者に貸し出すのが森林バンクという考え方です。
 
これ、森林バンクが所有者を探し出して相続や名義も寄せて、境界線も確定して……という前提なのだろうか。この場合、バンクの主体は誰だろう。もっとも面倒な部分を肩代わりしてくれるのなら喜ぶ人はいるだろうが、ものすごく大変で、努力しても報われない。
そして「管理が難しくなっている人工林」を誰が引き受けるか。この場合の「引き受ける」は、伐採すると同義のように読み取れるが。
 
集約化の人材は民間に得意な人がいたらよいが、引き受け手がいるかな。森林組合だってイヤがっているのに。結局は地元自治体の職員に押しつけることになりそう。でも林業に詳しい人材がいない。業者のやりたい放題になりかねない。
そこで理事など幹部は林野庁から出向という名の天下り……なんてことになったら税金の無駄遣いが目に見える。
 
 
川中の製材工場に安定的に木材を供給することも、林業全体にとって重要です。今回のシステムで供給量も充実されると考えています。
主伐に視点を置くため、高額なA材を切り出せる森林が増えます。
 
やっぱり安定供給の主伐主体。森林環境税は主伐補助金とセットなのだ。森林整備という名の林業振興、木材生産増強が目的である。……でも、本当に10年後20年後も伐る木が残っているだろうか。
ボリュームゾーンである50~60年生の森を伐って大量生産のレールを敷いたら、業者も増えるかもしれない。が、資源が減ってきたらバタバタ倒産するだろう。その前に山を破壊するまで伐り続けるだろう。
 
 
宮崎県に視察行ったらよいと思う。資源が充実していると素材生産業者がたくさん生まれて伐りまくって、一時的に景気がよくなったが、いよいよ資源の底が見えだしたから。これから何が起こるのか。。。先駆的状況を示している。
再造林もする、と言っていたが、現実に再造林されているのか、育林も施して次世代の森が育っているか……見てきてほしい。そこに日本全体の将来があるかもしれない。
 

2018/01/13

これも北欧デザイン?

ふとデスクの上にあるペンを見て、これも北欧デザイン? と思った。

 
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ペンとペン立て。昨秋のノルウェー行でもらった品だ。このペンの形はシンプルだけど、日本では見かけない気がしたので。
 
真横から見ると。
 
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しかも、ペン先を出すのは、日本で多いノック式ではなく、ねじり式。ペンの中がどうなっているのか気になる(~_~;)。インク芯は、上部がくびれている分だけ短かい。ちなみにペン立ては、ケボニー化ラジアータパイン製。
 
 
ほか、気になるノルウェーのデザイン。
 
1
 
斬新だが、持ちにくかった(~_~;)。ペンと一緒で、機能よりデザインなのか。
 
2
 
ホテルのロビーにあった人形? フィギア? それともアート?
穴だらけだし。機能はないわなあ。

2018/01/12

人口を支える食料と木材の生産力

小学生の頃から不思議だったこと。

 
地理の時間だったか、ヨーロッパの国々の人口はほとんど日本より少ないことに気付いた。イギリスもフランスも日本の半分ぐらい。ドイツだって東西合わせて8000万人に届かない。しかしヨーロッパは基本的に平地が多く、農地面積は広い。
それに比べて日本は山がちで平野はわずかだし、その中に町をつくっているため農地は少なめ。山の斜面まで農地にしているが、たいして増えないし効率悪い。それなのに、なぜ多くの人口を支えられるのか。逆にヨーロッパはなぜ人口が増えなかったのか。
 
 
そんな素朴な疑問を持ち続けていたのだが、最近読んだ本で解答を得た。
 
日本は米を生産している。ヨーロッパはよくて小麦。北側ではライ麦がせいぜいで穀物の育たない地域も少なくない。ところが米と小麦の収穫量が全然違ったのだ。
米は播いた種子(米粒)の110~140倍の収量が見込めるのに対して、小麦は20倍前後にすぎないらしい。これが15世紀だと、米が20~30倍、小麦で3~5倍だったそうだ。
 しかも日本では米の収穫の後に麦を植える二毛作も可能だった。ヨーロッパの冬はほとんど農業は不可能で、せいぜい牧草を育てて牧畜を行う程度だった。
 
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 秋の稲穂と、春の小麦畑
 
 
さらに日本の米はカロリーベースで1アール10万キロカロリー。トウモロコシを植えるアメリカは2万8000キロカロリーしかない。
 
そうか、日本は少ない耕地で多数の人口を養える生産力があったのだ。だから日本は(正確には米を生産するアジア全体が)人口を増やしたのか。日本の農家当たり耕地面積は2ヘクタールもないが、その中で生産性を上げてきたのだ。
もちろんスゴク手間がかかる。水田をつくるには地面を平坦にしなければならないし、水の管理もきめ細かい。肥料も多投しなければならない。草取りも大変……。でも、おかけで小さな面積からおおきな収穫を得ることができた。
 
6
 
お米、バンザイ。
と、これで終わってはつまらない。
 
 
ようは面積ではなく、生産性である。これを林業に応用すると、どうなるか。
 
もちろん日本固有のスギやヒノキは、外材の主な樹種に比べて生長が早いわけでもなければ木質が優秀とも言い切れない。お米に相当する作物の力はない。
しかし、農産物をカロリーベースで見るように、価格で比べたらとうか。ようは木材が生み出す富がどれほど人を養えるか、である。
 
そんなこと言ったら、スギはメチャ安いではないか、と文句が出てくるだろうが……ほんの少し前、日本の銘木と呼ばれる木々、たとえば京都野北山杉の磨き丸太は世界一高い木材として有名だった。
せいぜい20年生の丸太1本が10万円どころか100万円するものもあったのだ。吉野杉も、完全に無節の柱材にすると、とてつもない価格になった。
 
それは樹木そのものの性質による銘木ではなく、人が作り上げたものだ。絞り丸太だ錆丸太だ出節丸太だ、あるいは四方無地だと生長過程に人が手を加えることによって達成した。
そんな産地は手間隙かけた作業を行った。その点、粗放林業とは一線を画す。それゆえ大面積は無理で、人里近い山(毎日のように通わなくてはならないから)で、狭い面積の持ち山で丹精こめて作り上げた木材であり林業だったはず。
 
つまり小さな山で木を一本一本手をかけて高く売る品を作り出す林業もありではないか、と考えるのだ。
たとえば山から100本だけを選んで徹底的に手をかけて育てる。多すぎると、手が足りなくなるからだ。そして収穫後も加工に知恵と手間をかけて高く売れる商品に仕立てる。
もちろん、今では磨き丸太なんか高く売れない。今風の感性とアイデアを元に開発するという前提だが……。
 
どんな商品かって? 美しい庭木や緑化木かもしれないし、よりインテリアになる形状や色合い・木目をしている木かもしれない。
たとえば伐ってみると断面が虹色だとか、輪切りすると猫の顔が現れる木目とか(笑)。幹が二重螺旋しているとか。。。(そんなアホな。)
もっとも材質より加工が大切だ。ようは高くても売れるニーズを見つけることだ。 
 
量の林業とは、大面積が必要で低コスト育林と低コスト伐出が欠かせない薄利多売の林業である。
それに対して質の林業とは、小面積で一本の価格を追求する林業。育林にも加工にも手間とコストをかけて、それでも報われる品を生み出す。
ある意味後者の方が、趣味的なこだわりの林業として行える。
 
そんな林業も存在してほしい。それは意外と日本に向いているのではないか。

2018/01/11

カーボンニュートラルの罠

年末に、ちょっと驚いたニュース。
2017年9月に、約200人の科学者が「バイオエネルギーはカーボン・ニュートラルではない」という内容の声明をEUに送ったという。
 
カーボン・ニュートラル。地球温暖化を防止するための大きな武器として唱えられたものだ。木材など生物由来物質(バイオマス)を燃やしてエネルギーを取り出した場合、熱量に応じてCO2を排出させるが、それは樹木が成長時に空気中から吸収したものであり、再び燃やした木材と同じだけの樹木が生長する際には同じ分量のCO2を吸収するから、プラスマイナスゼロになる……という理屈だ。
 
わかりやすいのが木質バイオマス発電。木材で発電して、その分化石燃料を燃やす火力発電を減らせば、結果的に化石燃料が排出するはずだったCO2を減少させることができる……というわけだ。
 
それに対して200人もの科学者が反対する声を上げたというのである。
発端は、イギリスの巨大火力発電所をバイオマス発電所に改変したことのようだが、そのために年間約650万トンの木材ペレットが供給されている。それは大西洋を横断してアメリカのノースカロライナ州、ルイジアナ州、ミシシッピ州の森林から運ばれ、さらにルーマニアの森が破壊されていると主張している。
詳しくは、こちらのサイト のものを。
英文だが、翻訳すればだいたいの意味はわかる。
 
いくつかの推定では、EUで伐採されている木材のほぼ半分が、発電と暖房のために焼かれているという。とくに危険な状態なのは、オーストリアからルーマニアまで伸びるカルパティ
ア山脈で、ルーマニアから輸出された木材の大半が不法伐採で、オーストリアとドイツの発電所で燃焼されている……(グリーンピースと環境調査機関)と報告している。
 
正直、わかりきっていたことだ。カーボン・ニュートラルの理屈はあくまで机上のもので、実際は木材の伐採や移動によって排出されるCO2量は馬鹿にならない。それどころか森林破壊が進んで、逆に森林吸収分も失われることになるだろう。
 
ヨーロッパのCO2排出量の削減も、結構やばい部分が多いのではないか。
 
それを科学者が声明を出したことに価値がある。
 
 
私は、それに加えて間伐を推進したら森林をCO2の吸収源にできるという点も嘘だ、と声明を出してほしいところだ。
現在の議定書の理屈では、既存の森林の吸収分は認めず、面積を増やしている森林、適正に管理している森林だけをカウントするとしている。日本はこれを最大限に利用して「適正に管理」の部分を「間伐を施した人工林」と読み替えて、税金をドバドバ注ぎ込んで間伐を進めているが、それがどうして森林のCO2吸収量を増やしたと言えるのかどうにも納得しがたい。
 
間伐したら、残した樹木がより生長する、という理屈は、現実にはほとんど当てはまらないのではないか、と思うのだ。新たに枝葉がどれだけ増えるのか。幹の太る速度が増すのか。
もしかしたら森林土壌に蓄積されていた腐葉土などが微生物による分解が促進されて、その呼吸でCO2を多く排出するようになるかもしれない。
 
 
でも、この二つを外すと、日本の取っている地球温暖化防止策の根幹が崩れるだろうね。

2018/01/10

冬の雑草

今日は雪の舞う1日だった。

 
かなり冷え込んだのだが、ベランダを見ると緑がある。枯れそうな鉢植えは屋内に避寒させているのだが、プランターに草が繁っているではないか。
 
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なんと旺盛な成長力。冬の雑草はたくましいというか、美しくさえある。殺風景のベランダ、庭にみずみずしい緑に彩るとは。なぜ寒さに耐えられるのだろうか。そして緑を保てるのか。成長力だってハンパない。冬なのによく育つ。
同じ草が春~夏に生えているとうっとおしいのだけどね(~_~;)。夏には嫌われる雑草も冬には歓迎されるのだよ。
 
何という草かと調べると、ハコベのよう。春の七草の一つだ。ということは食べられるのだ……。
 
というわけで、収穫しました。
 
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2018/01/09

スギのある海外

正月に読んだ「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ」(川上和人著・新潮社)。

その中に、大西洋の真ん中アゾレス諸島で開かれた島の生態学の国際会議に参加した話が載っている。
 
英語での発表に悪戦苦闘したエピソードに続いてフィールドトリップに出かけた話があるのだが、そこで見かけたのが林縁部に青い花が咲き誇り、背後に針葉樹林の広がる一角を歩いたそうだ。
 
初めて歩くのに懐かしい気分? ……なんたって、青い花はアジサイ、針葉樹はスギだった、というのである。
そう、アゾレス諸島はスギ林業が盛んなのであった。アジサイも日本の花だが、こちらまで広がっていたのか。アゾレスを代表する花になっているそうだ。
 
その点に関しては、以前本ブログでも紹介した。(大西洋上にあったスギ林
ほかにもインド洋にもスギ林はある。(インド洋上にあった杉林)
上記の本のエピソードの一節には、ハワイにもスギ林に出くわしたことがあるという。
 
意外と海外にもスギは人気なのである。
 
で、今回はニュージーランドにもスギ林はあるというブログを読む。
 
 
主に境界林・防風林として広がっているらしい。もともとニュージーランドは外来樹種の導入に熱心だったので、スギも試されたのだそうだ。結果的にラジアータパインに落ち着くのだが。
 
日本でも、植物園などで、いきなりテーダマツとかに出くわすことがあるもんなあ。幸か不幸か、外来樹種は日本の林業現場では広がらなかったようだ。

2018/01/08

「森林生長量」の数値の計算式は

某林業関係者らと飲んでいた時に話題になったのが、全国で進む皆伐。どんどんはげ山が増えている現場を見ている人にとっては、「伐りすぎじゃないのか?」と思ってしまう。

  
これ、理屈の上では日本の森林の生長量以下に抑えていることになっている。それどころか日本の林業における伐採率は、生長量の4分の1(24%)しかないから森林飽和状態だ、もっと伐らないと森はよくならない、と説明されている。
 
 
あるいはバイオマス発電に供する未利用材という名の林地残材。これは年間2000万立方メートルもの林地残材が発生しているのだという。だから、それらを集めて燃料にする限りは全然足りなくなることはないことになっている。だから、
 
 
いずれも林野庁の発表している資料に載っているわけだが、この数字を出すにはどのような計算を行って導き出しているのだろうか。
 
意外や元の資料がわからないし、どんな係数を使っているのか。全国の森林生長量の計算式は何か。
そもそも日本の森林率が67%と世界有数ということになっているが、この場合の森林の定義はなんだろう。日本列島の衛星写真を使って面積をチェックしているというならまだしも、伐採跡地も森林扱いしているのが現状だ。それにWTOの出している統計では、日本の森林率を64%だとしている。この数字の齟齬は何?
 
たとえば再造林されない山も、粛々と生長していることにしているんじゃないか。あるいは植林して1年目の山も森林と見なし、苗木の生長量をカウントしても、それが伐採率の計算の際の分母に使えるだろうか。
 
林地残材の計算も切り捨て間伐の量とか切り払う枝の量はどんな計算式を使っているのか。山奥の谷に捨てられている残材をいかなる方法でチェックしているのか? そして、その計算式は妥当なのか?
 
 
 
……そんな話をしていて、「誰か、計算式をチェックしてみない? 案外前提がデタラメかもよ」と言ったのだ。
そうしたら「それ、自分では調べないんですか」と言われた。。。(~_~;)。
 
いやあ、私はフリーで地方在住の身の上では検証するのは大変すぎるのよ。正直言って、そんな数字を分析するのは苦手……というより気分が悪くなる。
なにより、やっても仕事にならん、ようは金にもならん。仮に大きな嘘を発見しても、ベタ記事にするのが関の山だろう。私は、そんなことより楽しい楽しい森の話の記事を書きたいのだよ。
 
だが、やる価値はあると思うが。政策立案の前提として使っている数字がどこから出てきたのかはっきりさせないと。  
 
誰か、統計を探し出したり数字の分析に強い人調べてみませんか。研究テーマになるように思う。学生が卒論・修論のテーマにしてもいいんじゃないか。給与もらってる大マスコミの記者でもいい。
 
もし挑戦する人がいるなら、私も協力するよ。横から「頑張れ!」と声がけする(笑)。
 
 
2 こんな伐採跡地も「森林」扱いなんだよなあ。

2018/01/07

就職の動機は

京都で開かれた「ライフ・アンド・フォレスト」というシンポジウムに顔を出してきた。

テーマは、「先生たちの本音~林業人材育成の現場から~」である。
 
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大学や林業大学校、そして自治体の研修センターの林業について学ぶ現場の声を聞くものであったのだが……はたして本音が出たか?
 
いろいろ情報としてはあったのだが、私としては気になる一項目があった。
 
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最近の学生は、就職口として考えると、いくら林業・森林の社会的使命を言っても「給料や厚生施設、休暇、勤務先など」を綿密に調べてしまう……という言葉が講演者から出たことだった。
 
当たり前だろ。まともな待遇なしに使命感で労働力を安売りすることが、現在の日本林業をダメにしたのではないのか。絶対条件、最低基準じゃねえか。
 
使命感とかやりがいとかで働かせようというのは「やりがい搾取」である。(by逃げ恥)
正月に帰省していた娘は、昨春就職したのだが、なかなか待遇のよい会社で、職場環境もよいし厚生関係はバッチリで、年に2回の帰省にも交通費が出るのだという。だから気に入っている様子は、これまでも幾度か聞かされていた。ところが、年末のボーナスが愕然とするほど低かったという……。1ヶ月分なかったというのだ。
 
どうやら厚生面の良さはボーナスを削ることで維持されていたらしい。そのことがわかった途端、娘は早々に転職を考え出した(~_~;)。
 
私は、これを正しい選択だと思う。
 
今や人材を得たければ、それなりの待遇を提供するのは当たり前だ。そのことを理解しない経営者は社員から逃げられるのだ。
 
ブラック企業になるぐらいなら、事業規模を縮小して少人数の職場にする(その分、残った従業員の待遇をよくする)。あるいは廃業する……でいいのではないか。  
 
林業関係で、そうした待遇を提供できないとしたら、それを「儲かる林業」ができないから、と逃げてはいけない。経営者の取り分を削っても社員に支払うべきだ。優秀な人材を確保してこそ、「儲かる林業・林産業」がある。石田三成が嶋左近を雇った逸話を思い出すべし。
 
そのことを理解できない事業体は……ま、どうなっても仕方ないね。

2018/01/06

戌年の生駒大社

気がつけば、また世間は三連休。。。

ただでさえ、土日も平日も区別のない生活を送っているのに。(もちろん、平日を土日のごとく過ごしているのだが。)
 
 
宝山寺に続く初詣として、生駒大社を訪れた。結構、由緒のある神社で、しかも鎮守の森が生駒山の潜在植生を残しているとかで奈良県の天然記念物に指定されている。
 
ところで例年、正月に2つの初詣でオミクジを引くと、どちらかで凶が出るという厳しい神様ぞろいの生駒山だが、今年は小吉に吉、とどちらもまあまあ。
 
が、こんな立て札があった。
 
1
 
イヌの立入を禁止すると書かれているのだが……その奥に気付いただろうか。
ちょっと拡大してみると……。
 
4
 
そう、戌年に合わせてイヌの絵画展を開いているのである。おそらく公募したのだろうが、結構な点数のイヌの絵が展示されている。
 
でも……生身のイヌには厳しいのね。

2018/01/05

森林環境税で直接支払いを

今年は、あんまり林業政策について触れたくないな、という気分がある。(なぜって、考えるだけで気分が悪くなるから。)
 
が、新年早々、こんな情報が入ってきた。“林業関係者の悲願”だという国の森林環境税の創設がとうやら本決まりのようなのだが、様々な問題を抱えている中で、大きなものにすでにある府県の森林環境税と国のものをいかに棲み分けるか、という点。
 
なにしろ同じ目的による二重課税である。どちらも徴収は県民税、市町村住民税に上乗せという変則的な方法で、しかも特定財源とする。
だから違いを出すためには使い道などで棲み分けるしかないのだが、フツーに考えれば府県が先につくった税金なのだから国がそれとは違った使い道にするのが筋だ。
 
が、林野庁幹部は「森林環境税にかぎらず、国の新しい制度ができたとき、県の既存制度と役割調整するのは県の仕事」と言い放ったそう。
 
こういうのを盗人猛々しいというんだろうな。オレ様発想というか、棲み分けのアイデアさえ出ない能無しぶり。
 
 
ここまで言われるのなら、府県側がまったく使い道を変えてしまったらどうだろう。
 
オススメは、林業関係者への直接支払い制度をつくってその財源にすること。月に何万円か受け取れたら、生活安定に寄与するだろう。それも優秀な人材には割増に払うのだ。そうすれば全国から能力のある林業技術者を引き寄せて集めることができる。
林業従事者の数はしれているし、県の森林環境税でも少なくても3億円程度はあるうえに、県外者が移り住めば県の人口も増えて地方交付税交付金も増額されるので、財源としては十分だろう。
 
そのうえで支払額に等級をつけて資格の有無を問うたり、実地試験を受けさせる。チェンソーや重機の扱い方とか植え付けや草刈り、選木眼などをチェック。そして森林知識とか林業関係の法令、さらにはコミュニケーション能力もチェックするのはどうだ。ちゃんと人前でしゃべれるか(笑)。仕事内容を他人に説明する能力も林業には必要だ。
現場従事者ばかりではなく、経営者にも適用できないか。森林経営計画を自分で立てられると金一封(笑)。どうせなら林業関係者の中に、林業記事を書くライターも含めてほしいが……。
 
経験年数だけではダメで、実力によって給与の額が変わってくるとなれば真剣になるはず。
 
さらに、今の自分の実力では無理だ……と思う人向きに、林業予備校をつくる。ここで2年間学んだら、直接支払いの等級が最上位になりますよ、と勧誘すれば生徒も集まるだろう\(^o^)/。
 
下手な林業大学校をつくるより需要があるだろうし、林業人材の底上げに寄与するはず。
 
というのが初夢でした(笑)。
 
 

2018/01/04

The Pen~池田学画集

謹賀新年2018

 
年末年始は、何かと散財する。娘が帰省して、一緒に買い物に出たら、コートを選んで買ってくれた。代わりに私が娘の財布を購入。加えて、なぜか誕生日の前倒しとやらでバースディケーキやらなんやら買わされる……。う~ん(~_~;)。。。
 
 
さて、新年最初に買った本の中で、もっとも高額なのは、これだった。
 
The_pen
 
「The Pen」(青幻舎) 。池田学という画家の画集である。ほとんど衝動買いで、私は知らなかったのだが、わりと有名な人らしい。各地の美術館やギャラリーで個展を開いている。昨秋にも東京・高島屋であったそうだ。
 
画風は、なんというか、イマジネーションを爆発させたような巨大な超微細画。アメリカやカナダに滞在しつつ製作活動をしている。ウィキペディアによると
カラーインクとペンを用いたボリューム感のある緻密描写が特徴的。アクリル顔料インク、丸ペン、フランス製美術用紙「アルシュ」を使い作品を描く[1]。全体の下絵は描かずイメージしながら緻密に描くため、1日(8時間)に描けるのは10センチメートル四方ほど。
趣味はロッククライミング、フリースタイルスキー」とある。
 
この人の作品は、ネットで検索したらいくつか出てくるし、Amazonの本書欄にも何枚か紹介されている。画材には樹木、とくに巨木が多い。連想するものとしては、映画「アバター」の巨樹とか空中に浮かぶ岩塊とか、ジブリの「天空の城ラピュタ」の巨樹などだろうか。
なかには、巨樹の中頃に滝があったり、町があって鉄道が走っている絵もある。棚田まであった。
 
根元に廃墟や破壊された街の車や列車、飛行機の残骸がある絵を見ていると、大津波の跡に生えた巨木なのかもしれない。
 
あんまり勝手に引用できないだろうが、1枚だけ。画集の中では小品だが、私のお気に入りでもある。
 
Photo
 
 
 
ここに描かれているのは、いわば超巨木が倒れたら、そこにあった超巨岩の上に乗っかり、根元や梢などは消滅したのだけど幹だけ岩の上に乗ったまま。そこに種子が落ちたのか新たな木が根付き、倒木を栄養として育ち倒木更新を行って超巨木になった図。……そんなところだろうか。
よく見ると、人間も白抜きで描かれていて、樹木ほかの巨大さを引き立てている。
さらに目を凝らすと、足元には船が座礁しているから、周りは海のようだ。となると、巨木はどこに生えているのだ……?
 
大きさもさることながら、ここに至る時間を想像すると、いかなる単位になるだろうか。巨木の樹齢を数千年、いや数万年としたら、それが倒れて、その幹に次の世代の木が生えてまた巨木になるまで数千年~数万年……その間に地面は海に侵されたのかもしれない。
 
 
「盲亀の浮木」という言葉がある。100年に一度水面に顔を出す盲目の亀が、あるとき浮上したところ、ちょうど浮木があって、そこに空いていた穴にちょうど首を突っ込む……そんな確率を示す言葉だ。有り得ないほど小さな可能性を表わしているのだが、そんな現象を思い浮かべた。
 
樹木は樹木の時間を生きている。もしかしたら、人間には長すぎて有り得ないように思う話も、樹木は飄々と歩んでいくのかもしれない。

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森と林業と田舎