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森と林業の本

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2018/01/27

フェア(トレード)の限界

先進国による後進国・発展途上国の搾取は、古くて根深い問題である。

 
昨今のグローバリズムも、この問題の一角を占めていて、強い国・企業が独占的に価格や買取量を決めたり生産量の調整まで要求する。
 
それに対抗して生まれたのがフェアトレードだ。正しく公正な取引を標榜して、生産地の利益を確保できるように、現在の市況(国際相場)よりも高い価格で買い取る仕組みである。
 
ある意味、消費者の「善意」を元に、NPOなど比較的小さな組織が国際市場を通さない取引を行う。この場合、当然ながら末端価格は高くなる。
 
この理屈を援用して、最近ではフェアウッという言葉も聞くようになった。木材価格が下落する中で山元にフェアな利益を渡せるような木材価格で取引するのだ。加えて、木材の生産現場で自然環境を破壊していないか、先住民や労働者の社会環境も公正か……というフェアさも求められる。そして、こ」さらの動きは反グローバリズム運動にもなっている。
 
もちろん、こうした動きは悪いことではない。
 
ただ最近私が某テーマで取材をしている中で、ちょっと疑問符を抱き始めた。
 
フェアトレードがどうもちゃんと機能していないのだ。
 
たとえば市場価格より高く買い取ることが最初に決めてあるから、生産者は品質にこだわらなくなった例がある。どんな品でも高く買ってくれると思うと、創意工夫がなくなるらしい。
 
加えて、フェアトレード団体は概して小さいから、扱う量は多くはない。そこである国の産地の中の一部の村の品だけになる。すると、フェアトレード団体と結んだ村だけが利益を上げて隣村との格差を生じさせる。それが地域社会を壊すこともある。
 
そしてフェアトレード商品を購入する消費者にとって、品質がよくないのに高く買わされるわけで、消費者側にフェアではない
 
結果的にフェアトレード商品があまり売れず、せっかく仕掛けた村に還元されなくなる……。
 
フェアトレードは,しょせん消費者の善意にすがっているだけで持続的なビジネスモデルになっていないのである。
 
ここでフェアウッドに話を当てはめると、違法木材を締め出したり、森林環境の保全や持続をチェックする機能は結構なのだが、材の品質という点から見ると、消費者にフェアな木材とはなんだろうか。そして最終商品(住宅だったり家具だったり)がよく売れる価格と品質を追求しなければ、成り立たないのではないか。
また質には、木材の品質だけでなく、流通サービスや加工サービスも含まれる。
 
ビジネスはフェアであるべきだが、フェアだけでは売れない。
ここで高値にするのは、フェアな価値ではなく、フェアにするため努力したことに価値を漬けるべきではないか。
 
たとえばフェアな木材にするため森林認証制度を取得したとする。取得するための手間や費用にコストが2割増しになったとする。その材を4割増の価格で買い取る。
無節で通直な材を作り上げるためのコストが5割増だったら、買取価格は2倍にする。
注文したら翌日には届くシステムをつくった、天然乾燥材を生産している、といった努力にも価格をつり上げる。 
 
……とまあ、こうした価格の累進性を設けられないかと考えてみた次第である。
単に合法木材だからと材質もサービスも変わらない材に高値をつけてはイカン。そんな気がしている。
 
まだ思考中なので、この辺で。ゴホゴホ。

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