たまたま手に取った「杉浦譲」(NHKブックス・高橋善七著)。
明治維新を支えた旧幕臣を描いているのだが、ほとんど無名だろう。だが、その足跡を追うと、なかなかスゴイ。甲府の幕府勤番の出身だが、非常に優秀だったようで官校の助教を振り出しに、外国奉行所に勤めて幾度も渡欧し、幕末の外交に尽力している。明治になると、旧幕臣ながら優秀ゆえに徴用された。
明治政府では、民部省をはじめに、駅逓権正、つまり郵政事業の立ち上げから不平等条約の改正や府県区画の再編、富岡製糸場の創設、陸運会社の設立、地租改正の推進、新戸籍法の起草、さらに東京日日新聞の創刊、つまり現在の毎日新聞へとつながる全国初の日刊紙の創刊をなし遂げている。
なかなかスゴイ官僚なのである。
その業績の中でも最後に手がけたのが、官有林の設立である。つまり、現在の国有林となる森林の制度の立ち上げに関わっていた。とくに森林行政に詳しいわけではなかったようだが、フランス式の林学をかじっていたようではある。
明治7年に官有林保護育成の基本方針を決定するのだが、それを担当したのが地理局。そこに杉浦は着任したわけだ。そして基本策を打ち出している。
「森林の国家経済に及ぼす影響は実に大なるものがある」
「山林に対する改革が行われないため巨害が現出するわけであるけれども、直接に人の心を揺り動かすに至らない」
林区、これは現在の森林管理署に相当する部署をつくろうと建議するが、経費の面から苦労した様子が描かれている。しかし体(林区などの林野制度)の完全を求めるが、その用(栽培、人材、伐採)を実施することができない……と嘆いている。
明治10年には地理局局長になり、官有林の調査に出かけた。その記録によると、どの林区に何本の木が生えているかまで調べている。そして「部分木規則」を制定したようだ。
「部分木規則」は、言ってみれば分収林制度であるが、この制度は吉野にあり土倉家も関わっているので気になるところだ。
だがこの年の5月に長野県から愛知県の官有林を現場視察を行った際に、身体を壊して亡くなっている。43歳であった。
国有林や林野行政の実質的な創始者のような位置づけだろうか。
他にも杉浦は、盲人教育運動に取り組んだり、芸妓娼婦の解放にも取り組んでいる。
後者はいわゆる「牛馬解き放ち令」である。当時の娼婦や年季奉公人は身の自由を奪われ牛馬のごとし、しかし牛馬が借金して金を返さなくてはならないのはおかしい、だから牛馬を解き放て、という論法で、人身売買を禁止し、すでに売られていた人はすべて無償で解放させたのである。これはマリア・ルーズ号事件の裁判とも関わっているのだが、こうした廃娼論を裏で支えていた。
やっぱりスゴイ官僚だ。
わたくし、現43歳…

凄いな杉浦さん…。
もっと頑張ります(T-T)
投稿: 木こりの娘 | 2018/02/12 01:13
でも、まったく無名……(^o^)。
明治を裏方として支えた人はたくさんいたんでしょうね。みんな官僚としての気概を持っていた。
投稿: 田中淳夫 | 2018/02/12 08:58